誰かは言った。ロボットは夢を見ないと。機械で作られたロボット達は眠らないし、夢を見る機能を取り付けられることも滅多にない。人間に近くなるように作られない限り、ありえないだろう。
 ならば、アバターはどうだろうか? インターネットコミュニティを利用する人間の分身であるアバターは夢を見るのか。また、機械によって生み出されるAIは夢を見ることがあるのか。人間のように計算や推測をすることはあっても、夢を見ることがあるのだろうか。夢を見るように設定したとしても、それは人間が見ているのと同じ夢と呼べるのだろうか。
 そして、機械によって作り出された仮想空間に生きる者達も夢を見るのか。仮想空間に意識を閉じ込められてしまったら、夢を見ることができるのだろうか。その世界で眠りについたとしても夢を見られるのかどうかわからない。既に夢の中にいるような状況なのだから、そもそも夢を見る必要がないかもしれなかった。
 だからといって、仮想世界に閉じ込められた彼らは夢を見ないという訳ではない。この殺し合いでも既にジローという参加者が夢を見たのだから。
 そして今も、榊達が主催する仮想空間の殺し合いを強いられた参加者の一人である桐ヶ谷 和人は……いや、VRMMORPGの世界ではキリトというハンドルネームで呼ばれている少年は、夢の世界にいた。




「ここは、どこだ……?」
 気が付くと、俺は闇の中に立っていた。
 辺りを見渡しても、見えるのは黒一色だけ。夜の闇よりも濃くて、泥のように粘っているような漆黒が俺の周りに広がっていた。まるでRPGに出てくる洞窟のようで、いつモンスターに襲われてもおかしくない。だけど、今の俺にとってそんなことはどうでもよかった。周囲は闇に包まれているが、仮に不意を突かれたとしても負けるつもりはない。こんな状況でも、打開できるだけのスキルを身に付けてきたのだから。
 考えるべきことは、ここは一体どこなのかだ。どうして俺はこんな所にいるのか。殺し合いをさせられていたはずなのに、いつの間にこんな場所に辿り着いてしまったのか。どれだけ考えていても答えを見つけることはできず、俺の中で疑問が膨れ上がっていく。
 しかしここでそれを考えていても意味がない。それよりも、一刻も早くこの暗闇の中から抜け出すことを考えるべきだった。何の明かりもなく、視界が闇に覆われている中を進むのは無謀だが、止まっている訳にはいかない。
「そうだ、サチは……サチはどうなった?」
こうしている間にも、ずっと守りたかった彼女……サチが危険に晒されているかもしれないからだ。
「サチ……サチ! いるなら返事をしてくれ、サチ!」
 闇の中でサチの名前を呼び続けるが、俺の声は空しく響き渡っていくだけだ。返事はないので、他の誰かに届いているとはとても思えない。
「サチ! サチ! 俺だ、キリトだ! 頼むから返事をしてくれサチ! サチ! 俺はここにいるから! サチ!」
 俺は一心不乱に腹の底から叫んでいるが、やはり返事はなかった。
 もう二度とサチを見殺しにしない。こうしてまた巡り合うことができたのだから、彼女を見捨てることなんてしたくなかった。もしもまたサチが俺の前からいなくなってしまったら、俺は今度こそ壊れてしまう。サチの為にも、そして俺の為にもそれだけは絶対に避けなければならなかった。
 サチを守りたい。その想いが今の俺を支える原動力になっているのだから。
「サチ! サチ! サチ! 俺は君のことをもう見捨てたりしない! 俺は君を悲しませたりしない! 俺が絶対に守る! 俺が絶対にサチを守ってみせる! だから……返事をしてくれ! サチ!」
 必死に呼び続けるが、やはりサチは現れない。
 しかしそれなら何度でも呼び続けるだけ。それでもサチが答えてくれないなら、どこまでだろうと走り続けて、絶対にサチを見つけてみせる。それを邪魔する奴がいるのなら、例え相手が誰であろうとも俺は容赦をしない。
 これまで、かけがえのないものをたくさん失ってしまった。だから、失わない為に今度こそ力を尽くさなければならない。サチを救うことができるのならば、俺は悪鬼にでも外道にでもなってみせる。例え、ゴミやクズと蔑まされたとしても、俺はその悪名を甘んじて受ける覚悟だ。あの茅場晶彦が主催したSAOによるデスゲームを攻略していた頃だって《ビーター》の汚名を背負い、一人で戦ってきたのだから、今更どこまで堕ちようとも構わない。
 下らないプライドに拘ったせいで大切なサチを失うことに比べれば、罵詈雑言などただの雑音に過ぎない。そんな声など無視してしまえばいいだけだ。

「サチ! サチ! サチ! サチ! 頼むから、俺の前にまた顔を見せてくれ! サチ!」
 サチの名前を呼ぶ度に、サチとの思い出が俺の脳裏に過ぎっていく。
 忘れもしないあの日から、俺は自ら《ビーター》という悪名を自称した。元ベータテスターの安全の為に憎まれ役を一人で買って出たことに後悔はなかったが、それでも俺は心を痛めていた。そして、ゲームの攻略を進めている中で《月夜の黒猫団》というギルドを見つけ、サチと出会う。
 今になって考えれば、俺はもっと強くあるべきだった。俺の心が強ければあのギルドは崩れることなんてなかったし、サチが死ぬことだってなかった。俺と出会いさえしなければ、今頃サチは普通の女の子として生きていられるはずだった。
 後悔したってどうにもならない。全ては俺の弱さと愚かさが招いた結果だ。
 だからこそ、今はサチを救ってみせる。あの時、救えなかったサチを今度こそ救ってみせる。もう二度と、サチを絶望させたりなんかしない。サチを傷付けさせない。サチを悲しませたりしない。サチに涙を流させない。サチを救う為の力だって今の俺には備わっているのだから。
 サチは絶望していた俺を救ってくれた。サチの存在が俺を支えてくれた。サチがいてくれたからこそ、俺はデスゲームの中で生きていられることができた。サチと出会わなかったら……俺はきっと今でも孤独だっただろう。
 その為に、俺は出口の見えない闇の中を走り続けている。その時だった。俺の耳に、嘲笑うような声が聞こえてきたのは。
「フン……やはり、キサマら人間はどこまでも愚かで、弱い存在だ」
 それに気付いた俺が振り向いた先には、あの死神・フォルテが立っていた。
「お前は、フォルテ!」
「また会ったな、キリト……これは実に奇遇だな」
「何の用だ……俺は今、お前なんかに構っている暇なんてない! さっさとどけ!」
「ほう? キサマはあんな弱い人間を守る為に、俺を無視するつもりなのか? ククク……面白いことを言ってくれる」
 フォルテの言葉は俺を苛立たせた。
 時間を無駄に取らされてしまうこともそうだが、サチを侮辱されたことが何よりも許せなかった。お前に何が分かるのか。お前にサチの何が分かると言うのか。何も知らないくせに、どうしてサチを侮辱するつもりなのか。
 怒りの感情が湧きあがってしまい、俺は自然に剣を握り締めてしまう。
「だが、キサマが俺を放置すると言うのなら面白い……好きにするといい」
 しかし、その直後にフォルテの口から出てきた言葉によって、俺は面を食らってしまう。
 あまりにも予想外だったので、張り詰めていた俺の力も自然に緩んだ。あのフォルテが俺を見逃そうとするなんて、とても信じられなかった。
「なっ……フォルテ、どういうつもりだ!?」
「言葉の通りだ。俺はキサマを見逃す。キサマがそれを望んだのだろう? 俺はそれを叶えてやるだけだ……有難く思うがいい」
「何だと!?」
 奴の言葉を信じることが俺にはできなかった。
 人間を憎んでいるはずのフォルテが俺を見逃すなんてあり得ない。絶対に何かあるはずだった。このままフォルテから背を向けたとしても、俺にとってプラスになるはずがない。
 俺は警戒して、再び剣を握り締めた。その時だった。
「もっとも、キサマが俺から離れた所で……何かをできるわけがないのだかな」
 フォルテが嘲りの言葉を口にした瞬間、背後の闇に歪みが生じる。
 何事かと思った瞬間、俺は目を見開いた。その歪みの中から、俺の出会ってきた人達が姿を現したのだ。
 ユイ、クライン、エギル、シリカ、リズベッド、リーファ、シノン、ユウキ……俺にとって大切な人達が闇の中から現れた。
「み、みんな!? どうして!?」
 当然ながら俺は疑問をぶつけるが、誰もそれに答えてくれない。それどころか、みんな俺を失望したかのような目で見つめていた。
 その視線に耐えられなくなってしまい、俺は思わず後ずさってしまう。
「パパ、どうしてですか……?」
 そして、それに追い打ちをかけてくるようにユイが口を開く。
「いつからキリトはそこまで身勝手になった?」
 今度はクラインが俺に対して刺々しい言葉をぶつけてくる。

「俺達はお前のことを信頼していた。お前はいつだって真っ直ぐに進んだ。だからこそ俺達はお前についていった」
「でも、あなたは私達の気持ちを裏切った……」
「こんなの酷すぎるよ……私達は一体、何の為に頑張ったのかわからないよ……」
「私達はお兄ちゃんを頼りにしていたのに、お兄ちゃんはどうしてそれに答えてくれなかったの……?」
「最悪だね、キリト」
「ボク達を失望させないでよ……」
 エギルが、シリカが、リズベッドが、リーファが、シノンが、ユウキが、皆が俺を非難してくる。
 皆の言葉が胸に突き刺さって、俺は何も言うことができない。どうしてそんなことを言われなければならないのか、まるで理解できなかった。
「この人間どもは実に哀れだな……キサマなどについていかなければ、裏切られることもなかっただろうに」
 ショックのあまりに言葉を出すことができなかった俺の耳に、フォルテの声が響いてくる。
 その手には、いつの間にかあの巨大な鎌が握られていた。そして、フォルテは鎌を振り上げてくる。
「フォルテ、お前……まさか!」
「見るがいい、キリト……キサマの選んだ選択の末路を」
「や、やめろおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
 数秒後の未来を予測した俺はフォルテを制止する為に走り出すが、願いを裏切るかのように鎌は振り下ろされる。
 そして、その一閃によって皆の身体は切り裂かれて、呆気なく消滅してしまった。
「み、みんな……そんな……!」
 たった今まで目の前に存在していた皆が跡形もなく消える。その事実が心に重く圧し掛かり、俺は膝を落とすことしかできない。
 また、守れなかった。助けられたはずのみんなを見殺しにしてしまった。クラインとリーファを悲しませたまま、死なせてしまった。
 呆然とするしかできなかった俺に、あのフォルテは尚も責めてくる。
「やはりキサマは弱いな……弱すぎる。やはり、守るなどというキサマの言葉など口だけだったということか」
 刃物のように冷たい言葉が耳に突き刺さり、俺の身体はピクリと震えた。
 みんなを殺したフォルテに対する怒りではない。無力な自分に対する失望ではない。その気持ちも確かにあるが、それ以上にフォルテの言葉を否定できないことが、俺の心に突き刺さっていた。
「それ以前に、キリト……キサマの想いなどただの自己満足に過ぎない」
「じ、自己満足だと……!?」
「そうだ。キサマは弱き人間を守ろうなどと考えているようだが、そんなのはただの自己満足だ……現実から逃げて、弱い心を必死に支えようとするだけの」
「ち、違う……俺の気持ちは逃げなんかじゃない!」
「何が違う? キサマはあの人間を守ろうとしているようだが、守れていない……そして、今まで忘れていたのではないのか?」
「なっ!?」
「あの小娘を失ってから、キサマはまた新たな人間やAIと手を組んだ。だが、小娘を失った代わりにしていただけではないのか? 孤独に耐えきれず、その代わりになる人間を見つけた……それだけだ」
 紡がれる声を聞いてはいけないと本能が告げるが、今の俺にはそれができなかった。
 サチのことを忘れていた。それは違うと言いたがったが、その為に動かさなければいけない口が動かない。
 サチを失ってから、俺はアスナと再会してSAOの攻略を目指して、そしてヒースクリフを倒した。その後にALOに囚われたアスナを救う為に妖精王オベイロンと戦い、二人で現実の世界に戻った。そうして俺達は平和な日々を取り戻してから、また新たなる仮想世界に挑戦して多くのプレイヤーと知り合う。
 それを思い出した所で、俺は一つの疑問に直面する。元の世界に戻ってから、サチのことを忘れなかった日があったのか? フォルテが言うように、アスナ達をサチの代わりにしているだけなのではないか?
 違う。そんなはずはない。サチはサチだし、アスナはアスナだ。誰かの代わりだと思ったことなんて一度もない。そんなことはあってはいけないはずだ。
 俺はフォルテの言葉を否定しようとする。だが……
「もっとも、そんなことなど俺には関係ない話だ……どうであろうとも、キサマが守ろうとした者達は全て消える運命なのだから」
 俺の言葉を遮ろうとするかのように、足元がボコボコと溶岩が流れてくるような鈍い音を響かせながら歪んでいく。それに驚く暇もなく、黒い地面の中から何かが出てくる。
 俺はそれに凝視して、そして絶句してしまう。闇の中から、シルバー・クロウとレンさんが横たわった姿で現れたからだ。
「レンさん! クロウ!」
 当然ながら、俺は二人の元に向かって走る。
 そうして腕を伸ばしたが、触れようとした直前に二人の身体が硝子のように砕け散ってしまった。

「そんな……! 二人とも、なんで……!?」
「どうしたキリト? キサマは守ると決めたのではなかったのか? それはやはり嘘だったことになるな」
「何だと……!?」
「おっと。俺に構っている暇などなかったはずだが? そら、あれを見てみろ」
「えっ?」
 フォルテが指を向けている方に俺も振り向く。
 すると、そこには俺にとって大切な二人がいた。そう、アスナとサチの二人だ。
 そして彼女達を襲っている巨大なモンスターもいる。SAOの第75層のボスとして君臨していた、あのムカデのようなモンスターだ。
「アスナ! サチ!」
「キリト君、助けて!」
「キリト! このままじゃ、私達は殺されちゃう!」
「二人とも、待っていてくれ! 今すぐ俺が駆けつけるから!」
 俺は魔剣を握り締めながら地面を強く蹴って、ミサイルのような勢いで疾走する。
 あのモンスターはたった二人で勝てる相手じゃない。ギルドを組んでいても多くのプレイヤーが殺されてしまったのだから、一刻も早く二人を助けなければならなかった。今の俺には二人を助けられるだけの力がある。俺はそう信じていた。
 だけど、そんな僅かな願いを裏切るかのように、モンスターはアスナとサチの二人を攻撃して、その華奢な体を吹き飛ばした。
「アスナッ! サチイイィィィィィィィ!」
 そのまま地面に叩きつけられた二人の元に俺は駆け寄る。
 ダメージによって二人のHPはどんどん減っていき、止まる気配を見せない。回復アイテムやスキルを持っていない俺に、それを止める手段はなかった。
「あ、ああ、ああ、あ……あ、あ……あ……! そんな、何で……どうして、なんで、こんなことに……!?」
 やがてアスナとサチの身体がどんどん崩れ落ちていく。俺はそれを見ているだけしかできなかった。
 嘘だ。こんなのは嘘だ。アスナとサチが死んでしまうなんて嘘だ。二人が俺の目の前からいなくなってしまうなんて嘘に決まっている。
 俺はもう二度と、見捨てることなんかしないって決めたはずだ。それなのに、どうしてこうなってしまうのかがわからない。
 これが、俺の選択の末路なのか? フォルテが言うように、俺は誰のことも守ることができないのか? だとしたら今まで何の為に戦い、何の為に力をつけてきたのか?
「キリト君」
「キリト」
 そして、アスナとサチは同時に口を開いてきた。
「どうして、私のことを助けてくれなかったの……?」
「どうして、私のことを助けてくれなかったの……?」
 今にも泣きそうなくらいに潤んでいて、それでいて幻滅したかのような瞳で俺を見つめてくる。
「うそつき」
「うそつき」
 その一言を残した瞬間、アスナとサチは跡形もなく砕け散ってしまった……
「あ、あ、あ、あ、あ、ああ、あ、あ、あ……ああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 絶望のあまりに、俺は慟哭することしかできない。
 それを聞く者は誰もいない。フォルテもアスナとサチを殺したモンスターもいつの間にかいなくなっていたが、そんなことはもうどうでもよかった。
 俺はただ、たった一人で叫ぶことしかできない。暗闇の中で俺自身の無力さに苦しみながら、叫び声を空しく響かせることしかできなかった。



          ***


 E-5エリアの森の中で、ブルースは考えていた。
 先程出会ったアーチャーという男の言葉がブルースにとって引っかかるものであった為、ずっと考えていた。
 自分が守ろうとしている正義という存在。それは社会全体の秩序を司る法なのか。それとも、社会に生きる人そのものなのか。考えても答えは見つからないし、何よりもすぐに見つからないだろう。
 アーチャーはどうしてピンクにこのようなことを問いかけたのか。彼にとって、正義とは何か特別な意味合いを持つのだろうか。あるいは、ここに来るずっと前にどちらかを天秤にかけてしまったことがあり、そして大切な何かを失ったことがあるのか……真相はわからないが、それだけ気になってしまう。
 パートナーである伊集院 炎山ならアーチャーの問いにどう答えるのか。自分のように悩むか、それともあっさりと答えてしまうのか。あの光 熱斗やロックマンならば迷わず即答してしまいそうだが、自分には無理だった。
 だが、それをいつまでも考えていた所でどうにもならない。あまり先延ばしにしていけないかもしれないが、今は他に考えなければならないことがある。
「ピンク、その男の傷を治せそうか?」
「あたし自身の力じゃ無理ね。この人を治す方法だけならあるけど」
「何?」
「あたしの支給品の中に回復に使えそうなアイテムがあったの。それさえ使えば、この人を助けられそうだけど……」
 そう語るピンクの手には、桃色の輝きを放つクリスタルが存在する。色のせいでピンク自身の能力と錯覚してしまいそうだったが、紛れもない支給品だ。
 それは回復結晶というアイテムらしく、使った者のHPを回復する効果を持つらしい。恐らく、リカバリー系のチップと同じようなアイテムだろう。その効果が本当ならば、キリトという少年を助けることができるかもしれない。
 ピンクはこれまで回復結晶を使う機会がなかったので出さなかったようだが、今がその時だろう。
「そうか……」
 だが、ブルースはこのまま回復結晶を使うべきなのかを悩んでいた。
 オフィシャルとして、殺し合いに巻き込まれてしまったキリトを助ける使命がブルースにはある。だが、ここでキリトを回復させて、そこからまた暴れてしまったら手をつけられなくなる恐れがある。ブルースとて負けるつもりはないが、キリトは簡単に止められないほどの強さを誇っている。戦闘になったら今度こそ消耗は避けられないだろうし、もしかしたらピンクにも被害が及ぶかもしれない。
 もしもキリトがまたピンクを斬ろうとするならば、ブルースはキリトを斬らなければならなかった。最悪の場合、ここでデリートすることになったとしても。
 ピンクのことは守りたい。また、これからキリトが激情に任せて他の誰かを襲う危険があるなら、オフィシャルとしてそれを阻止する必要がある。だが、キリトをこのまま斬っていいとも思えない。彼はあのサチと呼ばれた少女を救おうとして、その気持ちだけが先走ってしまっただけだ。
 このままキリトを斬っては炎山が失望するだろうし、何よりも自分自身が許せなくなってしまう。
(……こういう時、あのアーチャーという男ならどうしただろうな。正義の意味を問いかけてきたあの男だったら)
 ブルースはアーチャーの言葉を再び思い出す。
 本当に守りたいのは『人』と『法』のどちらなのか。それは、今の状況にも同じことが言える。キリトはサチという『人』を守る為ならば、オフィシャルとしての『法』を破ることすらも厭わないだろう。そうなったら、自分はキリトと戦わなければならなくなるが、それは本当に自分が望むことなのか。だが、キリトと戦うことを拒んで『法』を破ってしまっては、結果として他の『人』が傷付いてしまうかもしれない。
 また、あのカイトという少年がキリトのことを知ったら、きっとキリトに加担するだろう。そうなったら、カイトという『人』とも戦うことになる。
(アーチャー……お前の言っていたことは、こういうことなのか? どちらかを見定めなければ、本当に守りたかったものを見失ってしまうとはこういうことなのか?)
 半端な気持ちでどちらかを選んでしまっては、きっと取り返しのつかない後悔を背負ってしまう。それをアーチャーは言いたかったのだろうか。

(お前は一体、過去に何を見た? お前もかつては俺達オフィシャルのように、誰かを守る為に戦っていたのか……? アーチャー)
 ここにアーチャーはいないので真相はわからない。
 だが、確信できることが一つだけある。アーチャーの語った『本当に守りたかったものを見失った、愚かな先人』とはアーチャーにとって親しい者か、あるいはアーチャー本人のことか。
 いずれ、それも聞かなければならない時が来るのかもしれない。そう、ブルースは考えていた。
「ブルース。あなた、さっきから何を考えているの?」
 そんな中、ブルースの思考を遮るかのようにピンクが言葉をかけてくる。
「何?」
「あのアーチャーってヤツに変なことを言われてから、アンタはずっと考え事をしているわ。もしかして、アイツの言葉がずっと気になっていたの?」
 怪訝な表情を浮かべるピンクの問いかけに、ブルースは否定することができない。
 やはり、これだけ考えていたら流石に気付かれてしまうのは当たり前だろう。言葉にしなくても、顔に出てしまったかもしれない。
「……ああ」
「やっぱり……あのね、あんな変なヤツの言うことなんていちいち気にしていたら、やっていられないわよ? あんなの、ただの戯言よ!」
 ピンクは励ますつもりで言ってくれているのだろうが、ブルースはそんな簡単に割り切ることができなかった。
 もしもアーチャーの言葉を簡単に切り捨てたまま戦いを続けていたら、いつかどこかで痛い目を見るかもしれない。そんな予感をブルースは胸に抱いていた。
「それよりも、今はキリトのことが先決でしょ。彼に回復結晶を使っても、本当に大丈夫かな……?」
 そう語るピンクはどことなく不安げな表情でキリトを見つめている。
 キリトは苦悶の表情を浮かべたまま眠ったままだ。肉体のダメージだけでなく、サチに刺されてしまったショックもあるのだろう。まるで悪夢にうなされた人間を見ているようだった。
 回復結晶を使えばその苦しみを多少は和らげられる。だが、それで回復するのはHPだけで、キリトの心を回復できるとも限らない。
 彼のことは救いたい。だが、その為に必要な方法をブルースとピンクは知らなかった。
「ねえ、もしも彼がこのまま目覚めたら、私達のことを襲う……かしら?」
「だろうな。一応、武装は取り上げておいたが、こいつはそれをお構いなしに取り返そうとするだろう。また、例え戦いにならなくても、あのサチという少女を捜しに一人で飛び出すかもしれないな」
「ちょっと! そんなことをしたら彼はすぐに死んじゃうわ!」
「そうさせない為に俺達がいる。かといって、今の俺達にできることはこいつが早まったことをしないよう、腕ずくで止めることだけだ……」
「そんな!」
 ピンクの悲痛な声に、ブルースは溜息交じりの言葉で返すことしかできない。
 サチがいなくなってしまったことをキリトが知ってしまったら、何をするかわからない。こうしている間にサチが死んで、それが主催者からのメールで告げられたら、キリトは発狂して自殺する恐れがある。
 サチのことも捜したいが、キリトがこんな状態ではとても不可能だった。
「……うっ」
 そして、ブルースの不安を煽るかのように呻き声が発せられる。
 次の瞬間、キリトの頭部が小さく揺れて、瞼がゆっくりと開かれていった。
「あれ、ここは……?」
 キリトはぼんやりとした表情で辺りをキョロキョロと見渡す。
 目覚めたばかりのキリトの表情が、ブルースの目は酷く憔悴しきったように見えてしまった。


          ***


 瞼を開けた先には、捜していたはずのサチがいない。代わりにいるのは、あのブルースとピンクと呼ばれていた奴らだった。
 周囲に見えるのは緑豊かな森の風景と、先程まで戦っていた参加者達だけ。
 俺は夢を見ていたようだ。どんな夢を見ていたのかはあまり覚えていないけど、アスナとサチが出てきたことは確かだ。
 そこで、二人は何をしていたのか。それを思い出す為に俺は記憶を辿ろうとしたが……

『うそつき』
『うそつき』
「……ッ!」
 俺の脳裏に、アスナとサチの言葉が蘇る。
 俺の心臓が凄まじい鼓動を鳴らして、その影響なのか全身から汗が噴き出した。
「お、俺は……俺は……!」
 そして、俺にとって最悪の記憶も蘇っていく。
 アバターが黒いナニカに覆われてしまったサチを救う為に戦ったが、そのサチに刺されてしまった。そして、サチに刺されてしまった俺は倒れて、悪夢を見た。
 どうしてサチは俺を刺したのか。また、サチの身体を覆っていた黒いアレは何だったのか。サチは一体、何をされてしまったのか。何から何まで、わからないことだらけだ。
 しかし、そんなことは今の俺にとってどうでもよかった。
「……そうだ! サチは!? サチはどこだ!? サチ……!」
 俺はいなくなったサチを捜す為に立ち上がろうとしたが、その途端に肩を抑えつけられてしまう。
 それをしたのは、俺と戦ったブルースという男だった。
「落ち着け、キリト」
「なっ!? お前……!」
「これから俺はお前に話をする。お前が大人しくそれを聞くのであれば、俺はお前を解放する」
「何だと!?」
「話を聞け!」
 ブルースの冷徹な言葉が俺に突き刺さってくる。
 気が付くと、俺は全身に鋭い圧迫感を感じていた。見ると、俺の身体はロープで縛られている。どうやら、気を失っていた間に拘束されてしまったようだ。
 俺はそれを千切ろうと足掻くが、やはりその程度では破ることができなかった。
「ちょっと、ブルース!」
「こいつに暴れさせる訳にはいかない。その為にも、今はこうするしかない」
「でも……!」
「文句なら後でいくらでも聞く。それよりも、今はこいつに事情を説明することが先だ」
 ブルースは俺を睨みつけたまま、傍らに立つピンクという女にそう説得する。
 その様子が妙に落ち着いていたので、俺の中で苛立ちが積もっていく。事情を説明するだと? サチに酷いことをしておいて、まだ言い訳をするつもりなのか? ふざけるのもいい加減にしろ。
「おい、お前達! 彼女を、サチをどこにやった!? 今すぐサチを返せ!」
「話を聞けと言っているだろう! それに、さっきも言ったように俺達は彼女に何があったのかなんて知らない! お前を刺した彼女がどこに消えたかのだって俺達は知らない! これは本当だ!」
「ふざけるな! そんな言い訳が通ると思っているのか!?」
「言い訳じゃないと言っているだろう! いい加減にしろ!」
 俺達は必死に怒号を飛ばし合っている。
 ブルースの言い分に腹を立てて、俺は更に糾弾したかったが喉が言うことを聞かない。疲労が重なった状態で叫んだせいで、俺はゼエゼエと息を切らせてしまう。
 わかりきったことだが、仮想空間でも肉体の疲労は感じてしまう。現実の世界と同じように。
「……お前が俺達を信用できないのはわかる。だが、頼むから今は話を聞いて欲しい」
 一方でブルースは、そんな俺を同情するかのような目で見つめていた。
「まず、お前が彼女のことを斬ろうとした俺を敵と思っていることは認める。そして、事情も知らないのに斬ろうとした俺にも非があることは認める……すまない」
「謝ったって、サチが元に戻るのかよ……!?」
「何度も言ったように、俺達は彼女に取り付いたあの黒いバグの正体がわからない……だから、今はそれを取り除く手段を捜すことを考えている。無論、その前に彼女の身柄を保護することが先決だが」
 ブルースは真摯な表情で語るが、俺はそれが全く信用できなかった。
 サチを襲っておきながら、今度は守ると言われてもまるで説得力が感じられない。どうせ、言い逃れをしようとしているのだと邪推してしまう。
 俺はそんなブルースに対して感情を爆発させようとした。が……
「それと、ある男からお前に伝言がある。娘を心配させるな、だそうだ」
 その言葉を聞いた瞬間、俺の中で湧きあがろうとした感情が一気に止まってしまう。
 ブルースの言葉の意味を受け止めるまで、数秒の時間がかかってしまった。

「娘を、心配させるな……? それってまさか……ユイのことか!? ユイがどこかにいるのか!?」
「俺は名前を聞いていないから、娘が誰のことなのかは知らない。だが、やはり心当たりがあるようだな……恐らく、ユイという娘の可能性が高いだろう」
「そんな……サチやユウキだけじゃなく、ユイまでここにいるなんて……!」
 ユイがこの殺し合いに巻き込まれている。その事実を受け止めることに俺は抵抗をしていた。
 俺にとって大切な人が何処かにいることは、既にわかりきっていた。クラインやリーファが死んだことがメールで告げられたし、サチやユウキの姿だってこの目で見ている。AIのレンさんが参加させられている以上、同じAIであるユイだっていないとは言い切れない。それでも、彼女がいるなんて認めたくはなかった。
「お前がサチという少女のことを気にかけているのはわかる。だが、彼女のことばかりを考えるあまりに暴走するのだけはやめろ。それを悲しむ相手だっていることも考えたらどうだ?」
 ブルースの言葉に俺は何も反論することができなかった。
 俺が無茶をしたせいで誰かが悲しんでいる。そう考えた瞬間、サチの悲しげな表情が俺の脳裏に浮かび上がった。そして、今度は夢の中で見たアスナやユイの絶望も、俺の記憶に湧きあがっていく。
 考えてみたら、ユウキだって俺のことを心配しているかもしれなかった。せっかくまた会えたのに、考えていたのはサチのことばかり。もしも、ユウキのことは蔑ろにしていたと言われても、否定することができなかった。
 まさか、サチはそんな俺に失望してしまったのではないか……俺の中で、そんな可能性が芽生えてしまう。
「……俺は、サチのことを裏切ってしまったのか? いや、サチだけじゃなくみんなのことも……裏切ったのか?」
 その問いかけに答えてくれる者は誰もいない。
 サチはもう失いたくないと思っていたのは確かだった。でも、守りたかったのはサチだけじゃなかったはずだ。アスナやユイ、それに仮想世界で出会ってきたみんなのことだって、俺は守りたかった。それはレンさんやクロウ、そしてオーヴァンだって同じだ。
 それに守りたいものがあるのは、ここにいるブルースやピンクだって同じじゃないのか。また、ブルースやピンクのことを大切だと思っている人達だっているはずだ。だけど、俺はその気持ちすらも踏み躙ろうとした。
「俺は……俺は……!」
 先程まで俺を支配していた怒りや憎しみは鳴りを潜めて、代わりに失意と罪悪感が心の中に広がっていく。
 さっきまでの俺は一体何をしていたのか? サチを守ろうと決めておきながら、やっていたことは感情を爆発させて他の誰かを傷付けていたことだけ。これでは、あのフォルテと何も変わらない。結果的に、デスゲームに乗ったレッドプレイヤーと同じことをしてしまった。
 どれだけ後悔をしたって時間が元に戻る訳がない。いくらVRMMORPGの世界であろうと時間を巻き戻す力なんて存在しないし、そんなものがあったら世界のバランスが崩れてしまう。
「……ねえ、ブルース。もう、彼を離してあげようよ」
「ああ、もう拘束を解いてもいいだろう」
「わかったわ……」
 ブルースの言葉に頷いたピンクが俺の身体を拘束していたロープを解く。
 俺はようやく自由になれたが、何かをする気にはなれなかった。ブルースとピンクを襲ったとしても、何にもならない。サチを捜そうとしても、どこにいるのかわからない。また、サチと再び出会えたとしても、サチは再び俺のことを受け入れてくれるのかどうか……それが凄く不安だった。
 ユイは無事なのか。ユイのことも守りたいけど、今の俺の姿を見てしまったら絶対に失望するはずだ。今の俺はかつてデスゲームを打ち破った勇者ではなく、デスゲームに乗ってしまったレッドプレイヤーなのだから。
 俺は一体何をすればいいのか? また、こんな俺に今更何ができるというのか? 俺はただ、ブルースとピンクの視線を感じながら絶望するしかなかった。


【E-5/森/1日目・午前】

【ブルース@ロックマンエグゼ3】
[ステータス]:HP70%
[装備]:なし
[アイテム]:ダッシュコンドル@ロックマンエグゼ3、SG550(残弾24/30)@ソードアート・オンライン、マガジン×4@現実、不明支給品1~2、アドミラルの不明支給品0~2(武器以外)、ロールの不明支給品0~1、基本支給品一式、ロープ@現実
 {虚空ノ幻}@.hack//G.U.
[ポイント]:0ポイント/0kill
[思考]
基本:バトルロワイアル打倒、危険人物には容赦しない。
1:悪を討つ。
2:森で待ち構え、やってきた犯罪者を斬る。
3:キリト(?)を警戒しつつも保護する。
4:俺の守ろうとしている正義は、本当に俺が守りたいものなのか?
[備考]
※虚空ノ幻を所持しています。
※アーチャーから聞いた娘のことは、ユイという名前だと知りました。


【ピンク@パワプロクンポケット12】
[ステータス]:HP100%
[装備]:ジ・インフィニティ@アクセル・ワールド
[アイテム]:基本支給品一式、回復結晶@ソードアート・オンライン
[ポイント]:0ポイント/0kill
[思考]
0:今はキリトを見守る。
1:悪い奴は倒す。
2:一先ずはブルースと行動。
[備考]
※予選三回戦後~本選開始までの間からの参加です。また、リアル側は合体習得~ダークスピア戦直前までの間です
※この殺し合いの裏にツナミがいるのではと考えています
※超感覚及び未来予測は使用可能ですが、何らかの制限がかかっていると思われます
※ヒーローへの変身及び透視はできません
※ロールとアドミラルの会話を聞きました
※最後の支給品は回復結晶@ソードアート・オンラインでした

【キリト@ソードアート・オンライン】
[ステータス]:HP5%、MP40/50(=95%)、疲労(大)、SAOアバター、自分自身に対する失望
[装備]: {蒸気式征闘衣}@.hack//G.U.、小悪魔のベルト@Fate/EXTRA、
[アイテム]:基本支給品一式、不明支給品0~1個(水系武器なし)
[ポイント]:0ポイント/0kill
[思考・状況]
基本:絶対に生き残る。デスゲームには乗らない。
0:サチ、どうして…………
1:???????????
2:二度と大切なものを失いたくない。
[備考]
※参戦時期は、《アンダーワールド》で目覚める直前です。
※使用アバターに応じてスキル・アビリティ等の使用が制限されています。使用するためには該当アバターへ変更してください。
  • SAOアバター>ソードスキル(無属性)及びユニークスキル《二刀流》が使用可能。
  • ALOアバター>ソードスキル(有属性)及び魔法スキル、妖精の翅による飛行能力が使用可能。
  • GGOアバター>《着弾予測円(バレット・サークル)》及び《弾道予測線(バレット・ライン)》が視認可能。
※MPはALOアバターの時のみ表示されます(装備による上昇分を除く)。またMPの消費及び回復効果も、表示されている状態でのみ有効です。
※ユイが殺し合いに巻き込まれている可能性を知りました。
※虚空ノ幻を失っていることに気付いていません。



【回復結晶@ソードアートオンライン】
ソードアートオンラインにて使用されている、回復用アイテム。
モンスタードロップでしか手に入らないレアアイテムの一つで、使用した参加者のHPが全回復します。
また、転移結晶と同じように一度使用すれば消滅してしまい、そして転移結晶無効化エリア内部での使用はできません。

071:Oracle:天啓 投下順に読む 073:情報
071:Oracle:天啓 時系列順に読む 073:情報
064:月蝕の迷い家 キリト 079:勇気を胸に
064:月蝕の迷い家 ブルース 079:勇気を胸に
064:月蝕の迷い家 ピンク 079:勇気を胸に

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最終更新:2014年03月02日 21:57