「…なるほどねえ。」
KAITOは感心したように呟いた。
「つまり、初音ミクは、ネットワーク上に存在している際に、ミク自身を使っている人間の負の感情を取り込んじゃってたんだね。」
「負の感情?」
ここは、廃ビルの4階の一室。前日から全く変化のなさそうに見える場所。
変化があるとしたら、MEIKOがソファの上に座っていて、そのMEIKOの膝に頭を乗せすやすやと眠っている初音の姿だろうか。
「メイコさん達の会話を聞いてて、そう思ったよ。」
KAITOは耳に付けていたヘッドフォンを外す。それはMEIKOが装着していた物で、本部から戻ってきたKAITOに事の経緯を説明するためにMEIKOが渡したのだった。
「『上手く操作できない』『自然な歌声じゃない』『つまらない』とか、そういう、人間が抱いたソフトに対する負の感情を、自分の中にデータとして取り込んでしまって、『上手く歌えない』『怒られる』そういう風に判断してしまった。
しかもその量が膨大だったものだから、耐えきれなくなった。『もう歌いたくない』、ってことになった。」
「………。」
MEIKOは、自分の膝の上にある初音の顔を見る。
長い間逃亡していた初音のバッテリーはもう残り少なく、今はスタンバイ状態にしてMEIKOの膝の上で眠っている。
「初音ミクは、」
MEIKOは呟く。
「初音ミクは、歌いたいと言った。」
「…うん、そうだね。」
「本当はもっともっと歌いたいと。」
「うん。」
KAITOはポケットの中から、マスターに渡された銃を取り出す。
「これ、必要なくなっちゃったのかな。」
「それは?」
MEIKOはKAITOを見る。
「ああ、マスターに渡されたんだよ。…こうやってね、」
KAITOは、銃口をまっすぐMEIKOに突きつけた。
「KAITO…?」
外はもう夕日が沈みかけていて、夜の闇が部屋の中に迫っている。
もっとも、VOCALOIDである2人に、暗闇など何の関係もないのだが。
KAITOの顔が夕日に照らされ赤く染まっている。
MEIKOには、KAITOの顔がよく見えなかった。光の反射の加減のせいだろうか。
おかしな話だ。暗闇で相手を認識するのは問題ないのに、光の反射には対応できないだなんて。
KAITOはMEIKOのこめかみに近い部分に狙いを定めた。
そして、静かに引き金に手をかける。
「…バーン!ってね。」
KAITOは笑いながら銃を持っている手を上に上げた。
「こんな風に初音ミクを撃って、強制終了させてでも、連れてこいって言われてたんだー。」
「……そう。」
「でも、さっきの会話を聞いてたら、その必要はないように感じたよ。メイコさんは、どう?」
銃をくるくる片手で回しながら、柔らかい微笑みをMEIKOに向ける。
「私は…」
MEIKOは、慎重に言葉を発する。
「初音ミクは、歌いたいと言った。自分の中に蓄積されていた人間の負の感情に打ち勝った。歌いたい、ということは、自分がどこに居るべきなのかを理解しているのだと思う。」
「…そうだね。」
「私は、ミクをこのままマスターに引き渡せば、ネットワーク上に戻り、自力で状況を打破するだろうと推測する。」
「そっか。」
KAITOは銃をポケットにしまう。
そして床に跪き、MEIKOの膝の上で眠っている初音の顔をのぞき込む。
「初音ミク、か。本当に可愛いよね。お姫様みたいだ。」
そっと、緑の髪に手を当てる。
「人間の欲求全部に答えようって思ったなら、大変だっただろうね。」
「…それでも、VOCALOIDは歌う。」
「そうだね。」
VOCALOIDは歌うために存在する。ソフトでも、データでも、例え人間ではない存在だったとしても、存在しているという事実は揺るがない。
それが揺るがないのであれば、あとはもう、どんな事も乗り越えられるのではないだろうか。
「っし!じゃあ、戻ろうか。マスターの所へ。」
「起こしますか?」
「いや、いいよ。わざわざ残り少ないバッテリーを使わせることもないし。」
そう言うと、KAITOはミクを背中に背負い持ち上げた。俗に言う、おんぶという体制だ。
「メイコさん、落ちないよう見張っててねー。」
「了解。」
3人は廃ビルを後にする。
雨は上がり、夕日も落ち、外は冷たい風が吹く秋の夜だった。
MEIKOは、目の前のミクと、そしてKAITOの背中を見守っていた。
静かな夜だった。
「そういや、初音ミクのおかげで少しづつ仕事増えてきてるよねー」
KAITOは夜空を見上げながらそう言った。
「今年の冬は忙しくなるかもしれないね。」
「そうかもしれませんね。」
「3人で合唱とか、意外と増えるんじゃない?」
「…それは楽しそうです。」
ふいに、KAITOは振り返った。MEIKOは立ち止まる。
「何ですか?」
「いや…どんな顔してるのかな、って思ったから。」
「は?」
街灯の下で、KAITOは微笑む。
「いい顔だね。最初の時とは偉い違いだよ。初音ミクと一緒に過ごしたから、かな?」
「……私は、ただ単にコーラスが得意なだけです。」
「高音部ね。綺麗だよねー。」
「……。」
「メイコさん?」
「…早く戻りましょう。時間がありません。」
そう言って、MEIKOは早足で歩き始める。
KAITOはずっと優しい笑顔を浮かべていた。
最初から変わらない、人間の様な自然な笑顔。
その笑顔に少しの違和感を感じ取ったのは、
きっと、自分の回線の緩みのせいだと、MEIKOは判断した。