#28 片山博視
- 博視の視は「
」と書く
- 1987年4月19日生まれ 兵庫県南あわじ市出身 左投左打
- 2005年のドラフト1巡目指名で広島との競合の末入団。
- ルーキーイヤーから2年間はファームで体力強化に専念し、3年目の2008年、満を持して一軍に呼ばれる。
- 初先発の試合では残念ながら敗戦投手となってしまったが、最初の白星を初完封・初完投でみごとに飾ってみせた。
- 2009年はオープン戦こそ好調だったが、故障してしまい一軍登板はなし。orz
オフにアリゾナへ武者修行に送り出される。
- 怪我から復活した2010年は、初登板こそ先発だったがそれ以降は中継ぎ起用される。
青山、小山と共に安定した投球で「スリーマウンテンズ」を結成。
- 決め球はスライダー。また直球もナチュラルに変化する真っスラである。
- ズバズバ三振を奪い、状況に応じて打たせて取るピッチングに切り替えるなど、頼れる左のセットアッパー。
が、ブラウン監督は僅差ビハインドでも登板させていたため、ホールドはあまりついていない。モッタイナス...
- シーズン終了後、先発転向を宣言。
2010年11月、トークショーにて青山・小山両名とスリーマウンテンズ解散式?を行った。
- が、いざ2011年シーズンが始まると、昨年と同様中継ぎとして登場。
スレでは先発へ向けてのフォーム調整がうまくいかなかったのでは、という説が有力視されている。
- 投手陣に故障者が相次いだ夏、6月5日(対燕)に一度だけ先発起用された。
序盤こそ3939だったが、4回に1イニング10失点と盛大に燃える。
ちなみにこれは1イニングの失点としてはパリーグタイ記録。
- この件以降、中継ぎ一本でやっていく腹を決めたという。
- また、気合を入れなおすため五厘刈りに。監督にも「ええやないか」と言ってもらう。
- 2011年は59試合に登板し、2010年より登板数を増やしたが、防御率は3.43と統一球の渦中ということを考えても物足りない成績。
- さらなるパワーアップのために豪州冬季リーグへ武者修行へ。
- しかし、2012年は開幕から不調。5月中旬には2軍落ちしてしまう。
- 結局46試合3.77の防御率でシーズン終了。オフのインタビューで体が突っ込んでいて上手くコントロールができなかったらしい。
- フェニックスリーグでは主に先発で好投するがムエンゴも付いて回った。
- 2011年5月、結婚を発表する。片山のひとめぼれで、会った瞬間全身に電流が走ったとか。
10月には第一子となるお嬢さんが誕生。おめでとう。
- 奥様は剛毅な方で、既婚者はどつかない方針の星野監督について「殴っても大丈夫です」とコメントするほど。
- 青山と仲がよく、青山のブログでは「伝説の人」と呼ばれる。
何が伝説なのかは不明。
- ジャマさんの証言によると、バスでジャマさんの隣になっても物怖じせず、それどころか肩に寄りかかって寝たりするらしい。
ひょっとしてこれが伝説の由来なのか。
- また2011年春季キャンプにて、ちっちゃいものクラブ新規メンバーである美馬学の囲み取材に乱入。
記者に混じって「(身長伸ばすために)毎日牛乳飲むんですか?」といじりを入れる。
- 片山マジ大物wwwww
- 2015年、投手から打者に転向。背番号も28から91に変更となる。元々打撃についてはセンスがあるらしく、ノムさんは監督時代からあいつは打者の方がいい、と言ってたらしい。打者転向し成功したスワローズの雄平みたいになってほしいところだが、残念ながら楽天ご自慢の左のアヘ単(雄平は打者として開花した2014年に23本塁打を放っており、一発長打がある)。
- 2016年の春季キャンプには当初は野手として参加していたが、投手に再転向。
最終更新:2017年07月11日 18:06