#5 牧田明久
- 1982年6月3日生 福井県越前市出身 右投右打
- 名字は「まきだ」と濁って読む。
- 以前の背番号は「63(05'-11')」
- 分配ドラフトで近鉄からやってきた選手の一人。
- チームでもトップクラスの強肩の持ち主で、守備も固い。鉄平も「牧田の送球はきれい」尊敬しているという。
- 守備では2013年シーズン終了現在、514守備機会で連続無失策を継続中。現役の外野手の中で500以上の守備機会をこなして無失策なのは、リーグ記録保持者の聖澤と牧田の2人のみ
- 最大の課題はなんといっても打撃。一応、ルーキー時代は強肩強打の外野手になると期待されていたのだが……。
とはいえ二軍では四番に入ることもあり、2009年は.363を記録している。
- 2006年、9試合連続安打と打撃が開花しかけた時期もあった。
しかし6月9日(対鯉)に頭部死球を受けて戦線離脱すると、復帰後は元に戻ってしまった。
- 自衛隊要員だった彼に変化が訪れたのは2010年。
- 初出場は守備固めなのにエラーをしでかす。その後一時sageられるも、T.リンデンの離脱で一軍復帰。
すると今度は打ち始め、わしせんでは「牧田プンテは守備を差し出していたのか」と言われる。
- また、七夕で「打球がスタンドに届きます様に」と短冊に書く(※仙台の七夕は8月)。
その約一週間後(8月13日)、3年ぶりとなるプロ入り2本目HRが飛び出した。
さらには8月22日、バックスクリーンへ飛び込む120m弾を放つ。短冊すげえ。
- ちなみにこの日の試合前インタビューで今期の目標を問われ、「お立ち台とホームラン」と答えたという。
つまり宣言後、わずか数時間で達成したことになる。
- このころから徐々に打撃が上向きに。
特に9月に入ってからはHRが4本飛び出すなど、自動アウト状態だったこれまでから想像もつかない成績を出した。
- 仲のよい鉄平が離脱した後、帽子のつば裏に「46」と書いて試合に臨んでいた。
打撃好調の要因は鉄平と中身が入れ替わったという説がまことしやかに囁かれている。
- ウエートトレーニングに励み、チーム一の肉体美とパワーを手に入れたことも大きいとされる。
- 監督も代わった2011年、主軸を担う期待をかけられるも、キャンプ中に肩を傷める。
- 6月半ばにようやく復帰したが、以前と同様バッティングがどこかへ置き去りに。
- しかし9月に入ってからは急激に打率を爆上げし、9月14日には今季初HRも放った。
帳尻乙。
よほどうれしかったのか「僕の9月が来ましたね」とまで言っている。登録名を「牧田秋久」にでも変えようか。
- わしせん民には秋季専用機扱いされつつあったが、
よほど人材がいないのかやはり首脳陣からの期待は高く、
2012年OP戦では四番を任されたりもした。なお結果はry
- 9月19日(対鴎)、からくりとはいえ、自身初のグラスラを含む2HR7打点の大活躍。球団の1試合打点記録に並ぶ。
「Kスタではスタンドに届かず悔しい思いをしていたので、今日その思いが届いた」とのこと。気持ちはわかる。
- この年、一時離脱もしたとはいえ、自己最高の123試合に出場。
- 規定打席到達者中、リーグトップの守備率(1.000)と2位の捕殺数(9)を記録するなど守備では変わらぬ冴えを見せた。
- 53打点・9HR(タイ)はチームトップながら、打率は.225と物足りないものに。
牧田本人も「悔しいシーズン。その一言に尽きます」とコメント。
- 一方、対西武戦に限っては.366とハイアベレージを残す。なお猫屋敷では.450。
- 照明やマウンドの傾斜の関係なのか、猫屋敷は特にボールが見えやすいとは牧田談。
もともとその傾向はあったが、デーブの打撃コーチ就任も大きいと思われる。
- 牧田を「球界屈指のクラッチヒッターにして、好守を連発する外野手」と評する西武ファンもいたという。
- 2013年は開幕当初主砲のAJ、マギーと共にクリーンナップを張り自身も一時は打率3割を超えるなど好調だったが古傷の左手首の悪化ですぐに不調に。
故障で前半戦を棒に振り8月に復帰するも、今度は左脇腹を痛めすぐに2軍落ちとシーズンの大半を2軍で暮らす羽目に。- 牧田はこの左手首の痛みに度々悩まされており、13年シーズン後半から痛み止めを打ちながら試合に出続けていたことを雑誌のインタビューで明かしている。
- しかし日本シリーズの出場資格選手に登録され左投手対策でスタメンに起用されると第7戦でG澤村から貴重な追加点となるソロホームランを放ち日本一に貢献した。
- 2014年は低迷。同年にシャーパーが引退したので最後の分配ドラフト選手となった。
- 2015年はなんと82試合出場で打率.311とこの歳になって開眼。長打は減ったが、新たなアベレージ型外野手に生まれ変わる。若い岡島や島内がくすぶる中で1人気を吐いた。また、半袖が引退したのでとうとう最後の創設戦士になる。
- 2016年も16試合ながら打率.355と好調を維持。しかし、梨田政権下で岡島や島内らがレギュラーとして結果を残し、聖澤らでリザーブも埋まっていたため出場機会を喪失。ついに戦力外通告を受け、2005年犬鷲戦士が球界から姿を消すこととなった。
- 2017年からジュニアコーチを務める。
- かつて鉄平が「チームで唯一遊びに誘える相手」と語ったことは有名だが、牧田の鉄平愛もかなりのもの。
鉄平が自打球により打席途中で交代した際「(自分が凡退すると)鉄平にアウトがつくのでがんばった」とコメント。
- 新庄剛志の大ファンで、当初の背番号「63」もルーキー時代の新庄と同じ。また誕生日の6月3日にもちなんでいる。
2011年オフ、背番号をこれもまた新庄が背負っていた「5」に変更。- 普段あまりはしゃぐシーンはないのだが、新庄現役時代の対日ハム戦でテンションMAXに。
- 新庄と目が合い手を振ってくれた、新庄の守った後のセンターは香水の香りがする、など
(かなり)興奮したコメントを残している。
- 11歳年上の女性と結婚したため、熟女好きとネタにされる。
- 初代スタジアムDJの高野さんは、牧田ファンに「プリンスマッキーと呼んでもいいですか」と聞いてほしいと頼まれたことがある。
プリンスマッキーは照れながらポーズを決めたが似合っていなかった。
牧田○久対決
- 2010年ドラフトで西武に「牧田和久」投手が入団し、とてもややこしくなった。
こちらは「まきだ」あちらは「まきた」である。間違えないでね。
- またNPBには牧田匡平審判がおり、文化放送の斉藤一美アナは投手牧田・打者牧田・球審牧田のそろい踏みを期待しているという。
- 2011年(2打数0安打、打率.000)
- 05/26
9回表に抑えの牧田投手が登板。打順が牧田外野手に回るも、中村外野手が代打起用。牧田対決はお預けに。
- 09/17
9回表に抑えの(ry。トップバッターの牧田外野手は二飛を打ち上げ、待望の第1回対決は牧田投手の勝ち。
- 10/15
9回表に(ry。トップバッターの牧田外野手は2球目を打って一ゴロ。二度目の対決も牧田投手の勝ち。
- 2012年(2打数0安打、打率.000)
- 03/07
先発投手牧田の試合に、牧田外野手も3番ライトでスタメン出場。
5回裏、3打席目のライト前ヒットで、この対決の初安打&初打点をあげ、OP戦ながら初めて牧田外野手が対決に勝利した。
最終更新:2017年07月23日 18:16