#27 岡島豪郎
- 1989年9月7日生まれ 群馬県邑楽郡千代田町出身 右投左打
- 2011年ドラフト4位で入団。
- 高校時代は下級生から正捕手を務め、白鴎大進学後も1年春から外野手として出場機会を与えられる。
- 3年次には正捕手、4年次には主将を任せられるなど順調にステップアップ。
- 遠投110mの強肩。捕球から送球への動作も速く、二塁への送球が1.9秒台を記録したことも。
- 広角に打ち分ける強打と俊足の持ち主で、大学時代は外野ではあるが早くから出番を与えられていた。
2年次には所属リーグの関甲新学生連盟でベストナインにも選出されている。
- 上位指名もありえたため、ドラフト時には4位で獲得できたことに驚く住民もいた。
- 春季キャンプ、新人の中ではいちはやく一軍入りするが、開幕後は二軍暮らし。6月20日に昇格を果たす。
- この日5回を終了して5点ビハインドと点差が開いていたため、6回から早速お試し起用される。
プロ初出場の成績は2打数無安打であった。
- 2度目の出場(6月26日・対公)はなんとスタメンマスク。
プロ入り初ヒットを含む2安打を放ち、また試合も勝利と、わしせん民ウキウキの一日となった。- この2安打はいずれも内野安打で、前評判通りの俊足を生かしたものだった。
- 7月4日にはプロ入り初HRを成瀬から打った。
- 9月5日には同期入団の島内と一緒に球場にアベックアーチを架けた。
- 新人のアベックアーチはパでは31年ぶりということなので二人は歴史に名を刻んだことになる。
- ルーキーイヤーは43試合に出場し2割5分8厘でシーズンを終えパンチ力のある打者としてアピールに成功した。
- 2013年は右肘痛で開幕には間に合わなかったものの5月から一軍合流。嶋が好調な為捕手では出場機会が限られてしまう。
そこで星野監督に後半戦開幕直後の決起集会の場で外野手としての出場を直談判する。
監督もその意気を買い鉄平の不振や牧田の故障で空いていた右翼手の位置を射止め聖澤の故障に伴い1番ライトでのレギュラーに定着した。- レギュラー定着後は打撃好調で規定打席には遠く及ばなかったものの打率3割台をキープ、出塁率は4割と1番打者として申し分ない活躍を見せた。
- 外野守備はまだまだプロの打球の速さに慣れていないものの俊足と強肩の持ち主でポテンシャルが高い為これからの成長に大いに期待である。
- これらの活躍が認められ小久保監督率いる新生侍ジャパンのメンバーに選出され飛躍の一年となった。
- 2014年は完全に右翼手のレギュラーに。前半は1番、後半は松井稼頭央が好調を維持し1番に座ったため3番を打つ。規定打席にも到達し、キャリアハイのシーズンとなった。
- 2015年、打撃不振から2軍落ち。右翼手のレギュラーをこの年から本格的に外野に転向した松井稼頭央に奪われてしまう。
- 入団会見で、「タケロー」と呼んでください、と言っていたがチームメイトには「オカジ」、スレではもっぱら「ジェシカ」と呼ばれる。
由来は愛用の抱き枕。
- 出会いは大学1年、ニ○リで白くま型抱き枕に一目惚れし、以降抱き締めて眠る幸せな日々を送ったという。
- 2012年春季キャンプで恋人・家族の同伴が認められたときも、岡島はこのジェシカを連れて行った。
ちなみに現在のジェシカはプロ入りを機に買い換えた2代目である。
- 釜田曰く、天然なのだとか。
- お化けなどが怖く、一人で風呂に入れないため、武藤を風呂に誘うらしい。
- 余談ではあるが現在は外野手で定着してはいるが2013年シーズンの応援歌の歌詞は「チャンスを掴め目指せ勝利 岡島豪郎 扇の要守り抜け 魅惑のリード」と完全に捕手目線の歌である。
最終更新:2016年01月27日 17:05