CASE #102
40代女性。夫が初回接種の6日後に突然死。
2021.10突然夫が亡くなりました。 数時間前までいつもと何も変わらない姿だったのに。原因不明です。コロナワクチン1回目接種後6日目のことでした。X(Twitter)でいつも呟いていますが、最初の頃は夫へのラブレターと、誰にも吐き出す事ができない気持ちを呟いていました。私が生きている意味とか、夫が亡くなった意味とか色んなこと考えてしまいますが、原因がワクチンでありそれがまだ認められてなくて、未だに接種が行われていて、たくさんの人が薬害について知らずにいること、それが悔しい。
これから私が呟いた中で反響があった「コロナワクチン1回目6日後」を、ブログで一日かけてあげていきます。夫の死ぬ瞬間と私達遺族のその日の苦しみを綴ったものです。今はまだこんな形でしか、コロナワクチンの被害を伝えられません。可哀想と思って欲しいわけではなく、自分にも起こり得ることと思って欲しいのです。なのであの光景がリアルに浮かぶように、生々しく書いてます。
これを読んで1人でも多くの方が考えて、思い止まり、大切な人との日常を愛しんでいただけたら。そんな思いを乗せて一気に投稿します。まとめると長くなるので、Twitterに投稿したままでまとめていません。今まで拡散希望したことありませんが、今回読んで何かを感じていただけたら。X(Twitter)でもアメブロでも何でも良いです。ぜひ拡散してほしいです。フォロワー様の大切な誰かに伝えていただけたら。どうぞ宜しくお願い致します。
1.
夫がコロナワクチンを打った6日後。真夜中に突然尋常じゃない夫の嘔吐する声が聞こえ、私は目が覚めた。2階の部屋で1人で寝ていた私は、居間に繋がる吹き抜けから下を見て「大丈夫?」と声をかけた。しかし返事はなく、代わりに「う〜〜〜〜」と獣のような声が聞こえて、その後もう一度嘔吐する声がし、階段下に夫の足が見えた。慌てて階段を降りた。階段のすぐ側に夫は倒れていた。口から血が出ていた。白い泡も出ていた。
まだ息もしている。うーーーーと苦しそうに声を出して自力で起きあがろうとする。目がうつろで、声をかけても私を見ない。ただただゆっくりと、何度も起きあがろうとする。それを私は、横になって!と何度も止めようとした。救急に電話したが全身が震えて、視界も揺らいで、数字を上手く押せてるのかわからない。なんとか繋がり、動揺しつつ頭を整理しようとするが声が震えて呼吸の仕方がわからなくなる。
説明するのがまどろっこしくて、でも早く来て欲しくて、言わなければならないようなことはすぐ伝えたが口がうまく動かない。まるで冷凍庫の中にいるような感覚だった。到着までに15分以上かかります、と言われた。頭の中が真っ白になった。それでも夫の側でずっと、電話で状況を伝え続けた。その間も夫は意識が朦朧としながらも起きあがろうとしていた。まだ救急車の音が聞こえない。電話の向こうからは質問が続く。お願いですから、早く来てぇ!お願いします!!!スマホをにぎり締めて叫んだ。
サイレンが聞こえた。早く来て欲しくて、外へ出てみたがまだ来ていない。しばらくして、救急車が到着した。夫は床に座った状態。もうその状態のまま動かない。背中には私がかけた毛布がかかっている。救急車来たよ!待ってて!そして、私は床に座ったままの夫から離れ玄関の戸を開けに行った。救急隊員を迎入れ居間へ戻ると、夫はそのまま座ったままだった。隊員が側に近寄り声をかけていた。「一旦横になりましょう」と言われ夫は横になったが、急に意識がなくなったようで、隊員の人達が大声で夫に声をかけていた。夫の首元を触り「触れてるか…?」「いや…」「こっちはかすかに触れてる…」と話していた。
今だからその意味がわかるが、その状況を見ても夫はただ寝てるだけにしか見えなかった。何が起きてるのかわからないまま夫の保険証を探したり、病院に行く用意をしたり、義実家や実家に電話した。頭が真っ白だったのに、あれをしなきゃこれをしなきゃと、体が勝手に動いていた。救急車が来たから大丈夫、救急隊員がいるから大丈夫、病院につけば大丈夫、そう思い信じようとしていた。でも体が震え、全ての末端から血の気が引いていた。とにかく病院に行けば大丈夫だと思って動いていた。救急車の助手席に座り体中震えながら、自分の手をぎゅっと握り、大丈夫大丈夫と祈っていた。怖くて後ろの夫を見ることができなかった。
…誰にもこんな思いしてほしくない。もう大切な人を亡くしたくない。自分がこうなるかも、大切な人がこうなるかも、そう思っていただけたら。コロナワクチンについて考える人が1人でも増えたら…と思います。
2.
真夜中2時半、夫が突然倒れて救急隊員が到着し、横になってすぐに脈が触れない状態になった。その間私は寝ている子供達を起こして良いか迷っていた。高校生と中学生の2人。迷った私は近くに住んでる実母に電話して、「夫が倒れた。今から病院に一緒に行くから家に来て子供達といて欲しい」とお願いした。午前3時前。母は寝ていたが、私からの電話で起こされて、まだ内容が理解できていないようだった。「わかった、明るくなったら見に行くよ」と言った。母は私の言う「倒れた」が、そんな状態だと思っていなかったようだった。思わず私は「それじゃ間に合わない」と、言っていた。そこで母はやっと深刻なんだと気付いたようで、「何?そんな状態なの?!早く子供達を起こしなさい!」と声を荒げた。そして「今すぐ行く」と言ってくれた。
私は母の大きな声で、慌てて子供達の部屋に行って叫んだ。「起きて!パパが倒れたの!早く!起きて!病院に行くからなんでもいいから服着て!」真夜中だから子供達はなかなか起きず、無理矢理起こした。救急隊員から病院へ搬送しますと言われ、夫の保険証を用意するよう言われた。そしてバタバタと準備した。子供達を起こしたことで、急にしっかりしなきゃと思った。この時から、現実なのに現実じゃないようなふわふわした感じで、ずっと興奮状態だった。子供達と3人で救急車に乗ると思っていたが、お一人しか一緒に行けません。奥さんは助手席に乗ってください、と言われた。外はまだ真夜中で真っ暗で、救急車の赤い点滅と救急車の室内ライトが鮮明でちょっと高さのある助手席に登って座った。狭かった気がする。
席に座ると隊員の方に、バインダーに挟まった用紙を渡され夫の必要事項を記入するように言われた。書きながら何度も自分で手の震えを抑えようとした。後部にはストレッチャーに乗った夫。私が先に救急車に乗ったのか、夫のストレッチャーが先だったのか、この時の記憶が抜け落ちてる。たぶん記入している時にストレッチャーで運ばれたのかと思う。記入が終わったら後ろの隊員に渡して、と言われた。助手席から後ろはあまりよく見えず、隙間から一瞬しか見えなかった。隊員が2人、夫の側で動いていた。それ以上見れなかった。怖かった。
そのころやっと、まだ寝ぼけている子供達が服を着替えて玄関先に出てきた。一旦降り子供達のとこへ行き、これから病院へ行くことを伝えた。夫が倒れていた場所には汚れたあとがあった。なのでその状況を前に、家の中で2人だけで、母が来るのを待たせることが私には出来なかった。真夜中で暗く寒かったが、「今すぐババが来るからちょっとの間だけ玄関で待って中に入らないで」と伝えた。
救急隊員に大学病院に行きます、と言われ、その後救急車は動き出した。玄関前に子供達を残して行く。暗い中、2人が黙って佇んで救急車を見送る姿が今でも忘れられない。後で母から聞いた話で、母が来た時には子供達は、玄関ではなく家に入っていて、嘔吐や吐血や失禁したあとなどを、2人で片付けていたらしい。2人がどんな思いで片付けていたのかと思うと可哀想で苦しかった。でもこの行動が病院から帰宅後の現場検証で、警察にあらぬ疑いをかけられてしまった。その疑いはすぐにはれたが。
3.
夫が救急車で搬送された。私も救急車に同乗したが子供達は乗る事ができず、真夜中、暗闇の中、玄関前に2人佇んだままだった。その姿を見ながら、救急車は動き出した。大きくクルクルと点滅している赤いライトと、救急車の中の小さい白いライトが、暗闇の中で怖いくらいに光っているように感じ、サイレンの音も救急車の中で聞くと、さらに不気味な気がした。真夜中なので車はほとんどいなく、スムーズに走っていたと思う。でも走るスピードが物凄くゆっくりに感じて、救急車の音だけが早く感じる。自分で両手をぎゅっと握りながら、ただ早く着くことを祈っていた。大丈夫、絶対大丈夫、と言い聞かせてた。
救急車の中では、救急隊員が病院と話をしている。10分も経っていないと思うが、同じ区内にある大学病院の救急入り口に着いた。隊員に先に降りるように言われ降りた。大きな玄関の入り口、自動ドアの前で立って待っていた。真夜中で雨も降り出していて、寒くて震えてるのか、怖くて震えているのかわからないくらい。救急車の後ろの扉は開いていたと思うが、待っても待っても隊員も夫も、なかなか救急車から降りて来ない。風もあり霧雨の様な細かい雨が体中にあたる。家を出る時玄関にかけてあった真冬のコートを羽織って出たのに、体が震えて止まらなかった。震えてる私を見て、守衛さんが側に来て、玄関の中へどうぞと言った。玄関の中は真正面にエレベーターがあり、その前で待つように言われて待った。
かなり時間が経って、やっとストレッチャーに乗った夫が救急隊員と一緒に降りて来た。私が最初にエレベーターに乗った。縦に長いエレベーターの1番奥、左端に立った。そしてその後、すぐストレッチャーと隊員も乗った。私の横に隊員がいて夫の姿は見えなかった。怖くて見ることもできずどうしたら良いのかもわからず下を向いたまま、ただただ固まって立ってた。
視界の中に、横にいる隊員の姿が入った。片手で点滴のようなものを持ち上げながら、もう片方の手で夫に心臓マッサージをしているようだった。2階なのか3階なのかどこまで上がったのかわからないが誰も喋らず、ただ隊員の腕が動く音だけで、時が止まってるように感じた。エレベーターが開き、目の前に看護師さんが立っていた。夫はそのまま処置室へ運ばれ、私は奥にある部屋で待つように言われた。そこから長い時間が始まった。
4.
救急車から降り、夫はストレッチャーのまま処置室へ。私は処置室から離れたところにある奥の部屋で待つように言われた。イスが何脚かあるだけの部屋で、壁の白と部屋の電気が明る過ぎて、今の自分の状況と不釣り合い過ぎた。近未来の世界のような、病院なのに異空間のような、全てが真っ白に感じ、電気を消したいと思った。部屋ですぐ母に電話したら、家に来てくれていた。今の状況を伝えた。家で待機して、連絡くれたら子供達と病院に向かうと言ってくれた。そして、義実家へ電話した。義父がすぐ出た。
救急車に乗る前に家の中でかけた時は、何度かけても繋がらなかった。義実家の電話、義母の電話、義父の電話、義弟とお嫁さんの電話……。何度もかけて、救急車に乗る直前にやっと義父から折り返し電話が来た。その時は簡単にしか伝えていなかったので、改めて状況を説明した。ただ、心臓マッサージをされているとは伝えなかった。倒れた時の状況と今病院に来ていることを伝えた。何かあったらすぐ連絡します、と言い、電話を切った。義実家はJRでも4時間以上かかる場所にある。義父は始発で義母と一緒に来ると言ってくれた。
電話を切ってからが長く感じた。部屋の暖房が強過ぎて暑くて、温度を下げられないか、何度も部屋の戸を開け通路に誰かいないか見た。廊下は静かで、何度目かに戸を開けたら、他の家族が通路のイスに座っていた。3人で俯いていた。ご家族が亡くなったんだ、と思った。戸を閉めて、大丈夫と言いきかせた。ずいぶん待ったように思う。しばらくすると呼ばれて、別の部屋に案内された。小さな部屋。部屋の中には、会議で使うような長い机と向かい合わせでイスが置いてあり、男性のドクターが立っていた。お座りくださいと言われ、向かい合わせで座る。血の気が引いた。呼吸の仕方がわからないくらい、息苦しかった。膝の上で手をぎゅっと握った。大丈夫、大丈夫、絶対大丈夫。
少しの沈黙。ドクターが言いにくそうに話し始めた。「…大変残念ですが…ご主人様はお亡くなりになりました」言われた瞬間、頭は何を言われたのか全く理解できず真っ白。でも私の意志に反して勝手に「あああああああああ!!!!」号泣していた。絶叫だったかもしれない。ただ泣きながらも、その光景を第三者のように見ている自分もいるような、今思うと全てが灰色の部屋の中にいて、自分の姿が見えるような、私が幽体離脱しているような感覚だった。自分の声だけが響いている。その声も未だ耳に残っていて、自分の声なのに耳を塞ぎたくなる。
5.
夫が亡くなったと言われた。頭は真っ白なのに、勝手に号泣していた。どのくらい泣いたかわからないけど、その間ずっとドクターは私の前の椅子に座ったまま、じっと黙って待っていてくれた。いつまでも泣いていたらドクターが困るだろうと、そんな時でもドクターに迷惑をかけてると思っている自分がいて、泣き止まなきゃと思った。すみません、もう大丈夫です、とドクターに謝った。ドクターも申し訳なさそうな、神妙な顔していた。私はもう大丈夫です、と言いながらも頭がぐるぐるしていた。
その後、ドクターに説明を受けた。
- 病院に着いた時には心停止していたこと
- 急激に意識がなくなったようだということ
- レントゲンとエコーを取ったこと
- 血管は綺麗だったこと
- 首の甲状腺に小さな塊があるがそれが直接の死因になるとは考えにくいこと
- 口からの血は口の中に傷があるのでおそらくぶつけて出血したのだろうということ
- 死因は何か、と言われても現状全くわからないこと
- 原因は不明ですと言われたこと
- しいて病名をつけるならと言われ死体検案書に書かれた病名を言われたこと
- 司法解剖について
- ワクチンとの関連性について
説明を受けた後、一旦部屋に戻った。おそらくその間、夫の元へ警察が来たのかな、と思う。
私は部屋で実母に電話したが、どんな風に母に伝えたかあまり記憶にない。実母に電話後、義両親へ電話をしなければ、と思っていた。なんて言ったら良いのか、どう切り出したら良いのか…誰もいないのに、部屋の角で壁の方を見ながらうずくまり小さくなって電話をかけた。すぐ義母が電話に出た。「もしもし?」義母の声がうわずって緊張しているのがわかった。その声を聞き、それまで冷静だったのに、感情が爆発してしまった。過呼吸になりそうな程、号泣して声が出せなくなった。何度も義母に名前を呼ばれているが、声が言葉にならない。
ただただ号泣している私に「しっかりしろ!!!」と、電話越しに義母に思いっきり怒鳴られた。そこでやっと泣きながら、声を絞り出して「○○が…亡くなった…って…」と言った。電話の中から、義母の絶叫のような悲鳴が聞こえた。こんな悲痛な叫び声があるなんて、私は泣く声すら出せなくなって、ただずっと義母の叫び泣く声を聞いていた。その後義母とどんな話をして電話を切ったのか、全く覚えていない。お互い冷静に話して落ち着いて電話を切れたのかもわからない。でも義母の絶叫は未だに頭から離れず、今でも息が出来なくなる。
6.
元気だった夫が突然倒れ、私は夫に付き添い救急車で真夜中の病院へ。夫が亡くなったと医師から個室で説明を受けた後、夫と対面した。「……嘘でしょーー」。自分の発した言葉で記憶にあるのはこれだけ。何が起こったのか、この台の上で、いつもと同じ寝顔でいる夫を見て、今この状況が全く理解出来なかった。私は両脇を看護師さんに支えられていたと思う。自分で立っていたのか、支えられて立っていたのか、それすら定かじゃないけど、看護師さんが背中をずっとさすってくれていたのは覚えている。あまりに現実的じゃなくて、どこか冷静な自分もいた。看護師さんに、お母様とお子様がお着きになりました。と言われた。どんな顔してどんな風に伝えたら良いのか。あたまが真っ白になる。でも子供達を抱きしめなきゃ、と思った。
廊下に出たら実母と、実母の後ろに子供達が立っていた。私は子供達を抱きしめようと手を広げて近寄っていった。すると、母が私を抱きしめてきた。抱きしめられた私の目に、佇んでいる2人がうつる。母をよけて子供達に近寄りたいのに、母が私から離れない。母の背中をポンポンと叩くとようやく離れてくれて、すぐ子供達を抱きしめた。子供達は泣きもせず抱きしめ返すでもなく、ただそこに立ちすくんでいた。
母の私への気持ちもわかる。母にとって私は娘で、私の姿がいたたまれなかったのだろうと思う。でも今でもこの時、2人へすぐ駆け寄れたらと思ってしまう。私より背の高い子供達を抱きしめながら、「大丈夫、大丈夫だよ」と言った。2人は何も反応しなかった。子供達にとってこの状況は、あまりに非現実的な時間だった。おそらくこの時のことは、今は記憶の中に残っていないと思う。夫の記憶は無くさないでほしい。楽しかった記憶だけで良い。
実母が夫の顔に触れ「どうしちゃったの…なんでこんなことに」と言っていた。そんな母の姿と、その横で身動き一つしない子供達を見て、私は何故か笑顔を作らなければと思った。そんな状況じゃないのに。そして私はこの時から葬儀の時まで、子供達の前で泣くことはなかった。そして子供達も私の前で泣くことはなかった。無理して泣かなかったのではなく、現実感がなさすぎて今の状況がフワフワしていて、思考停止だった。頭が勝手に普通でいようとしていたのかもしれない。子供達も目の前の出来事を理解出来ていなかったのだと思う。あまりにもその時の状況と私達の行動は解離していた。
夫はまるでいつもと同じように、ただ寝ているだけにしか見えなかった。子供達に、パパの手を繋いであげて、と言った。子供達は一瞬迷って、恐る恐る手に触れていた。でも、躊躇しているようだった。2人ともパパっ子で、大好きなパパなのに。子供達もどのような姿でいたら良いのか、頭が真っ白だったと思う。すぐに手を離そうとする子供に、「パパの手ゴツゴツだよね」と少し笑顔で言うと、子供達も微かに笑顔になった。
その後私達の元に警察が3名やってきた。夫から離れてしばらく話をしたがあまり覚えていない。警察の方に、自宅で倒れ亡くなったので家の現場検証をすると言われ、先に家の前で待っていると言われた。私はその説明を受けた後、病院の事務所へ行き、支払いの説明を受けて、母の車で子供達と家に帰った。まだ薄暗く雨も降って寒かった。車の中では懸命に明るくしようとしていた。「さあ、これから忙しくなるよー!みんな手伝ってね!頑張ろう!」と、大きな声で言っていた。感情がわからなくなっていた。ずっとふわふわしたまま、家に着く頃には雨も止んで明るくなっていた。
7.
病院で夫の死亡を告げられた。夫との対面後、警察の方がやってきた。どんなことを聞かれてどんな話をしたのか覚えていない。ただ話をしてた廊下が、凄くシーンと静かなのに、電気も壁も白く明るく、警官の制服の色だけが暗く、場違いで異世界にいるような感じだった。自宅で亡くなった(心停止)ため、家の現場検証をする。先に行って家の前で待ってます、と言うようなことを言われた。病院の支払いについて事務の方から説明を受け、実母の車で子供達と実母と4人で帰宅した。病院を出る時はまだ暗さが残り雨も降っていたが、病院から家まで10分程なのに家に着いた時、空は明るくなり始めていて雨も止んでいた。
自宅へ戻るとパトカーが止まっていた。警官は3名。鍵を開けて家に入る。夫と救急車に乗ったのは深夜。今は早朝。同じ家なのにもう夫がいない。不思議な感覚で、悲しいのに、ずっと謎の高揚感。家に警察が入ることが、まるでお客さんが来たような感じで、「わー出しっ放しー」とか、「あ、犬いるので気をつけてくださいね〜」とか、ヘラヘラ。状況にそぐわないおかしなテンションになっていた。夫がいた場所や状況を警察に説明してる時も、テンションが高いまま。
私達が救急車で病院に行った後、残った子供達2人が、夫が倒れていた場所の汚れた床や壁を掃除していたらしく、現場は少し綺麗になってしまってた。おまけに換気のためと窓も開けたままだったので、不審者が入った可能性など、執拗に聞き取りされた。夫は6日前にワクチンを打ち、熱や痛みやだるさがずっとあったので、すぐ飲めるようテーブルの上にカロナールを置いていた。それについても、なぜあるのか、元々何錠あったのか、常飲してたか、他に薬は、常備薬の場所は、何があるか、等、かなり細かく聞かれた。
1階で倒れていたが、2階も風呂場もトイレもクローゼットも、家中全部調べていた。私があまりにハキハキ答えているから、一緒にいた実母が、そんな元気にハキハキしゃべっていたら、変な疑いかけられるから少し落ち着きなさい、と心配を口にした。疑われることは何もないけど、確かに側から見たら、夫が亡くなった直後には見えないくらい場違いなテンションだった。心臓がドクドクしたまま、ずっと息苦しさを感じてるのにハイで。ただ警察の方もこんな状況で、自分の感情がわからなくなってる遺族なんてたくさん見ているのだろう、特に気にせず淡々と聴取していた。1時間程で現場検証も終わり、帰り間際に夫の検死が終わったら連絡が来ること、それまでにまず葬儀屋を決めること、と言われた。
8.
家の中で警察の現場検証が1時間ほど続いた。もう外はすっかり明るくなり、散歩している人が窓から見えた。いつもなら当たり前の光景なのに、もう夫のいない世界。それが不思議だった。警官が帰り間際に、葬儀屋をまず決めること、と教えてくれた。知り合いに葬儀屋はいない。身近で葬儀をした知人もいない。何を基準に葬儀屋を決めるのかわからない。葬儀屋と葬儀場の区別すらついてない。1番しなければならないことが1番わからず、とりあえず義両親が来たら、と後回しにした。
朝6時半。やらなければならないこと。私の職場へ連絡。夫の職場へ連絡。ご近所さんへ連絡。どれもこれも、するにはまだ早い時間。ひとまず、義両親が来るから部屋を片付け始めた。「さ!頑張るよぉ!」と、まだいてくれた実母と子供達にテンション高く言った。普通が何かわからない状態だったと思うけど、普通でいたかった。7時頃、実母が一旦家に帰った。実父や兄妹、親戚に連絡してくれると言ってくれた。
7時半頃、同僚に電話をかけた。いつもの明るい声で「おはよう〜どした?」と言っていた。「実は夫が夜中に倒れてね…」「え?!そうなの?大丈夫?具合悪くて??」と、同僚は夫の体調を心配してくれた。おそらく今日はお休みさせていただきます、と言われると思っていただろう。同僚の質問に答えず私は、「それでね、亡くなったんだ」と伝えた。たぶん同僚は、何を言ったのかわからなかったと思う。一瞬の間「え…?」。パニックで言葉をなくしているのがわかった。上司にもかけて休むことを伝えた。上司もどんな反応をしたら良いかわからないような声だった。
私達の婚姻届に証人として名前を書いてくださった、元上司の方にも連絡をしようと、夫のスマホで番号を見つけかけてみたが、何故か現在使われていない、と音声が流れた。後からわかったがこの番号は職場のスマホの番号だったらしく現在は使っていなかったらしい。夫の職場にかけてもまだ始業前で繋がらない。夫のスマホを見ても誰が職場の人かわからず途方にくれた。
夫のLINEを見ると、週末にご飯を食べる約束をしている人がいた。夫は同僚と週末にごはんを食べに行くと言っていた、そのことを思い出し、その方に電話した。夫の番号からの電話だから、夫だと思ったようだった。前日もやり取りしていたようで、「早いねぇー、どうしたの?」と電話にでた。「はじめまして、朝早くからすみません、○○の妻の○○と申します」。私の声に驚き少し警戒していたが 、夫が亡くなったことを伝えると「え、え?え??」とパニックになっていた。職場への連絡方法に困っていることを伝えると、夫の直属の上司へ連絡していただけることになりお礼を言って電話を切った。その後直属の上司から電話がかかってきて、夫が亡くなったことを改めて伝えた。職場のことは任せてください、と言っていただき連絡がついてホッとした。
昼頃、義両親が着いた。どんな顔で会おう、どんな思いで来たのか…。顔がこわばったまま、玄関を開けた。先に義母だけが立っていた。思わず義母に抱きついてしまった。でも義母は立ったまま、「まだ早い!」と私を叱咤激励した。検死で夫がいないから、まだ夢の中のようだった。
9.
真夜中夫が突然亡くなった。朝イチのJRに乗った義両親が、昼前に我が家に着いた。JRで片道4時間以上かかりながら、我が子の突然の死を聞き、どんな気持ちで、どんな思いで我が家まで来たのだろう。インターホンが鳴り、居間の戸をあけると義母が玄関で立っていた。うっすら笑顔の義母を見て言葉が出なくて、思わず抱きついてしまった。でも義母は抱きしめ返すことはなく、「まだ早い!」と私から離れた。その後ろから義父が玄関へ入ってきた。「やあやあ大変な思いさせてごめんね」。口調はいつもと変わらないが、顔は覇気がなかった。夫がまだ検死でいないから、私も含め全員が、現実感がなくすぐいつものようにいられた。義両親が来たのでいよいよ葬儀社を決めることになった。義両親も特に知らない、とのことで行き詰まり、結局ネットで調べた。
家族だけで小さく、が義母からの提案だった。夫は友達が多く、義母も夫の友人達をよく知っていて仲が良かったが、友達にも葬儀が終わるまで知らせなくて良い、と言った。ずっと仕事が忙しくてなかなか友達に会えなかった夫のために、本当は友達に伝えて、来て夫に会ってほしかったかったが、義母の思いを尊重した。葬儀社に電話した。話し合いのために家に来てくれることになった。来るまでに時間があったので、その間にご近所さんにご挨拶に行った。夫の死後、初めて電話ではなく、直接対面で人に夫の死を伝えた。皆さん一様に驚き泣いてくださる方もいた。私も泣きそうになったが涙は出ず、代わりに笑顔を作ろうとした。
夫が亡くなったと伝えている私も、それを聞いて泣いているご近所さんも、明るい日差しの天気の中ではあまりに非現実的で、話している内容は深刻なのに、どこか他人事のような気持ちだった。何か心のこもっていないセリフを作り、笑顔のまま言っているだけのような気がした。だから、これからバタバタして車や人でご迷惑をおかけするかもしれません、と言ってるのが違和感だった。バタバタすることも、人がどれだけ来るのかも、これからのことが全く想像が出来なかったからだ。
10.
夫が亡くなり、警察で検死されている間、ネットで見つけた葬儀屋に電話をした。家に来てもらい、警察への迎えから葬儀、火葬、繰上げ法要までのことを色々決めた。一気に色んなことを決めなければならない。花も、人も、場所も、時間も、飲食も…。全く寝ていないので、葬儀屋さんとの話し合いはほぼ上の空だったように思う。頭がクラクラしているのに、興奮してる状態。パンフレットを見ながら決める。でも正解がわからない。言われるまま、なんとか一通り決め、細かい変更は随時、ということで、一旦葬儀屋さんが帰った。
葬儀屋さんが帰った後、娘の制服をクリーニングへ出しに、車に乗った。夫の死後、初めて1人になった。私の車は小さく、普段私が運転する時は、後部座席に乗る事が多かった夫。いつもミラー越しに夫を見ながら、他愛もない会話をしていた。車を走らせミラー越しに、夫のいない後部座席を見た瞬間、急に夫がいない現実を実感した。しばらく運転したが、感情のたががはずれ、運転できなくなり、車を止めて号泣して過呼吸になった。なんでいないの?!どこにいるの?!どうして!?私1人じゃ無理だよ!助けて!嘘でしょ?!!なんでなの!貴方がいないと無理だよ、私1人じゃ何も出来ないよ!どこに行ったの?!お願い!帰ってきてよ!嘘だって言ってよ!お願い!お願い!お願い!
ずっと助手席を叩き続けながら泣き叫び続けた。現実に気が狂いそうだった。しばらくそんな状態だった。でも、急に我に帰る。しっかりしなくちゃ。まだまだやる事はたくさんあった。泣き腫らした顔で、クリーニング屋さんに行った。店員さんは私の顔を見て少し驚いた顔をしていたが何も触れずにいてくれた。泣き腫らした顔なのにいつものようにニコニコしている私は怪しかったと思う。
それから家に帰る道、何も考えないように、とにかく前だけを向いて運転した。無になるために、気を張り続けた。葬儀場で、通夜の夜、棺の中の夫と2人きりになるまで、ずっと夫が亡くなったと言う事実の中で、何が起きているかもわからないままで、夫の嫁として、夫との別れの準備をし続けた。
11.
夫は健康診断で糖尿病を指摘されていたが、未受診だった。仕事が忙しいのと怖がりだったから。でも元気だった。病院で夫が亡くなったと言われた時、先生は言いにくそうな、困った顔をして、死因についてなんですが…と、話し始めた。先生の話では血管は綺麗でした、と言われた。甲状腺に小さな塊があるように見えるがこれが死因になるとは考えにくい。原因は不明です、と言われた。そして司法解剖というのがありますが、どうしますか?と聞かれた。
司法解剖をしたらもしかしたら原因がわかるかもしれないが、わからないかもしれない。もし司法解剖をしたらご主人様の体は傷だらけになるし、ご自宅に帰るのも遅くなってしまう。それでも司法解剖をしますか?と言われた。「夫が傷だらけになる」「家に帰るのが遅くなる」「調べてもわからないかも」、そう言われて司法解剖をしない選択をした。今すぐにでも家に連れて帰りたかった。布団で寝かせてあげたい、調べたところで夫は戻って来ない…そんな思いだった。
その時は起きている状況にまともな判断ができず、夫を早く自分の家へ帰らせて欲しかった。医者の言うマイナス面だけが、頭にスッと入ってきた。先生に、ワクチンのせいではないですか?と聞いた。そしたら先生は、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない、ワクチンが原因だ、と言う証拠は見つけることはできないので、なんとも言えない、と言った。そう言われた時、そうですか…と言って諦めてしまった。
でもあの時モヤっとした感情と、そうか…そうだよな…って思った気持ちは未だに心に残っていて、時間が経てば経つ程、心に重たい重りとなっていった。あの時の私は冷静ではなかったかもしれない、でもあの時の自分に戻れるのなら、ちゃんと調べてもらいたい、と言いたい。私はきっとずっと後悔し続ける。
12.
夫は1回目のワクチンを打った後、そのまま2回目の予約もしていた。初めてかかる医院だった。亡くなった後、その医院に電話して「ワクチン打って6日後に夫が亡くなった」ことを伝えると、「あ、そうなんですね、じゃ2回目はキャンセルしますね」とだけ言われた。
市へ救済制度について電話で相談した時、今どのようなら状況なのか、と尋ねたら、あちこち散々たらい回しにされ、待たされたあげく、最終的に帰ってきた答えは「しかるべき時にしかるべき場所から連絡がいきます」との回答だけだった。医院の方は、夫の死後直後の中での出来事だったので「え…」と思ったが忙しくて考える暇もなかった。市の方は食い下がってみたが、「しかるべき」しか答えなかった。この二つの対応は未だに引っかかっています。
前回、市役所に電話した時に言われた、「しかるべき時にしかるべき場所から」。ツイートしたらリプ欄で、何度かかけてみたら、と助言していただいたので、もう一度電話で問い合わせてみた。前回の時は担当の部署へ、とあちこちたらい回しにされ、長く待たされたが、今回はかなりスムーズ、電話を回されたのも二か所だけで対応もスムーズ。再び現状を聞いてみた。すると担当の方は「こちらに書類はないので、おそらく国の方へ上がっている」と。……おそらく…?そちらにはないんですか?「はい、ないので国の方に上がってると思います」……思います……?大丈夫なのかな…「ただ国に上がっても、あとはこちらもその後のことは、連絡が来るまでわからないんです」と。
本当に詳しいことをわかっている人は、本当の中枢の人だけなのかな…と思うと、前回たらい回しになった理由がわかった気がしました。みんながみんな、わからない…私の提出した書類もはっきり把握している方が居らず、断言はなかったので、何がなんだか、不安だけが残る結果でした…この気持ちのまま、国からの結果待ち。モヤモヤしかない。
13.
夫のカルテを知人の看護師に見せたことがある。病院に着いた後の夫の最期が知りたくて、カルテから何かわからないかと思って。私は詳しいことはわからないから、私でもわかりやすく説明してくれた。その説明の中で「亡くなる前に苦しむと高くなる数値が、夫のは少ないから、きっと苦しまずにスッと眠るように亡くなったんだよ」と言われた。ずっと考えていた。夫が苦しいままだったら、辛いままだったら、夫の最期、夫は何を思ったのか。目を閉じる瞬間、幸せだったか。
知人の言葉は、私のことを思っての言葉だったのかもしれない。でも、夫が亡くなってから初めて、夫の最期が、苦しいとか辛いとかから、仕事や悩みや苦しみから解放された瞬間だったのかも、と思えた。
14.
夫は私より5つ年下で、初めて会ったのは私が社会人で夫は大学生だった。私の友達に従兄弟とご飯食べるから来ない?って言われ行って会った。その従兄弟が夫だった。ただいたのは夫だけではなくて、まさに合コン、って言う感じで、その合コンは3対3だったんだけど、そのうちの1人が偶然、当時私が働いてるバイト先の人で、私はその人のことが好きだった。こんな偶然あるの?!なんて凄く喜んでいたけど、結局その人とは特に何もなくお開きに。でもその後、6人の中で人一倍明るく、テンションが高く、みんなを盛り上げていた夫が、私に連絡をしてきてくれて、なんとなく何度かご飯に行くようになった。とにかくいつもニコニコ楽しそうで、面白くない冗談を言う人だった。優しくて気ばかり使っている、でもそれを人には見せない、感じさせない、恋愛対象というより弟みたいな人だった。
だからある日、家の前まで車で来て、話がある、と言われた時、車には乗ったけど、明らかに緊張していて告白しそうな夫を見て、察した私は逃げた。「あのさ…」と話し始めた夫に、「さばの味噌煮煮込んでるからごめん帰るね、話はまた今度聞くね」と言って、話を遮って部屋に帰った。なんで鯖の味噌煮……。あの時私は友達でいたかった。だから、告白しないで欲しいと思っていた。
でも後日、夫とその時の話をした時に、「あの時振られた」と言っていたので、やっぱり傷つけてしまっていたんだと、凄く申し訳なかった。たしかに、あの後夫からぱったりと連絡が途絶えた。でもしばらくして、突然元気?とまた連絡が来るようになった。その時凄くホッとした。夫がいなくなることが寂しかった。たぶん私はこの時もう夫のことが好きだった。ただ、当時私は結婚を意識する年齢で、夫は5歳年下でまだ大学生と言うことが、気持ちに蓋をしていたんだと思う。
それからまた何もなかったかのように、少しずつ遊ぶようになった。ある日2人で海に行った。そして意を決した夫に告白された。凄く悩んだが、夫にいなくなって欲しくない、と思い、やっと自分の気持ちに素直になれた。
あれから21年。たくさん笑って、たくさんケンカして、ずっと一緒にいた。倦怠期もあった。でも極々普通の幸せな家庭を築いて、それがずっと当たり前に続いていくと思っていた。あの時、いなくなって欲しくない、って思ったのに、いなくなっちゃった。もうどこにもいない。探しても待っても貴方はいない。やり直しもできない。でも、それでも、こんな運命になったけど、21年前、貴方を失わなくて良かった。貴方のたった1人の奥さんになれて良かった。
15.
読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。Twitter(X)で呟いた夫の最期、もうすぐで2年が経ちますが、未だにフラッシュバックが起き、あの日の光景が目の前に広がり、感情がぐちゃぐちゃになります。何故夫が?まだ耳に夫の声が、目に夫の姿が残っています。似たような姿の人を見かけると、夫じゃないか、と思って、でも違って…2年経つのにそんな感じです。
優しくていつも私の味方でした。夫がいなくなり1人になった、と思いました。今は皆さんが味方だと思って、1人じゃない、って思って頑張ります。夫の死を認めて謝罪して欲しい。今のままでは夫は原因不明の突然死のままです。国に認めてもらう、そのために頑張ります。
そして今1番思うこと。こんな辛い思いを誰にもしてほしくないです。自分だけは大丈夫、なんてそんなのないんです。6回打ってなんともなくても、7回目はわかりません。そして後から症状が現れてくるかもしれません。ご自分のために、大切な誰かのために、どうか、9月からのワクチン接種を思い止まってください。もう打たないでください。これは世界的な最悪の薬害です。明後日、市議会議員と面会してきます。夫の死を伝えて話を聞いてほしいと思っています。
16.
夫の亡くなった日の実況見分調書の開示請求をし、開示しました。夫の検死内容や検死医の考察など、私が1番知りたいことは全て黒塗りです。夫についての記載は全て「夫の個人情報」だそうです(8割黒塗りです)。黒塗りでも夫がいた証なので子供達の為にも残しておきます。
https://i.imgur.com/ueWMvns.jpeg
この情報開示請求をする際に実況見分した調書を開示してください、と言ったので実況見分調書と記載しましたが、正確には「死体調査等記録書」というもので、当日の状況、状況見分の内容、検死内容などが記載されています。どなたかがrepostで詳しく説明してくださっていますが、最初警察で個人情報に当たるので開示はできないだろうと言われました。ですが私が話した内容が記載されているため私の情報という形でなら開示できると言われました。そのため夫に関すること、検死に関すること等、私の知りたい内容は全て黒塗りとして開示されました。
どうにかなりませんか?と聞きましたがご主人の個人情報なので、とのことで もし今後子供達が知りたいと思うことがあっても今度は子供達の調書はないので開示請求自体ができないそうです。 なので私が不服申し立て(審査請求?)をするしかない、と言われました 死体検案書ではありません 憲法第82条第1項、だそうです。間違いがありましたので訂正させていただきます🙇♀️💦憲法←×個人情報の保護に関する法律←○。大変失礼いたしました🙇♀️💦
最終更新:2023年11月28日 21:22