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主よ人の望みの喜びよ -Jesus bleibet meine Freude-(第9回)
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それは、響子先輩を知っている人なら誰でもショックを受けたと思う。それは確信できる。先輩は、知り合った誰からも好かれて、引っ張られても笑っていて、それでいてどうしようもないくらい天然で、周囲のメンバーを笑いの渦に巻き込んで、いつの間にか誰もがあの人のペースに乗せられてた。
だから、誰もが喪失感を味わうことなく呆然としていた。悲しみはなかった――少なくとも、その時点では。まだそこにいるような気がして、ほとんどの人達は悲哀に暮れることはなく、思考と意思が漂白され、無感情の人形と化していた。
その中で、僕だけは違うと断言できる。僕はその連絡を受けた瞬間から、既に事態を把握し、現状を認識し、自らの心情と体の変化を推測していた。
僕は携帯電話を床に打ちつけると、溢れる涙と激情に逆らわず、怒号にも似た叫喚を散らし、本棚から本を引っ張り出して叩きつけ、壊せるものは破壊した。
唯一、原型を留めていたのは、机上の先輩と一緒に撮った写真と、友人にもらったヤマハのエレキギターだけだった。
だから、誰もが喪失感を味わうことなく呆然としていた。悲しみはなかった――少なくとも、その時点では。まだそこにいるような気がして、ほとんどの人達は悲哀に暮れることはなく、思考と意思が漂白され、無感情の人形と化していた。
その中で、僕だけは違うと断言できる。僕はその連絡を受けた瞬間から、既に事態を把握し、現状を認識し、自らの心情と体の変化を推測していた。
僕は携帯電話を床に打ちつけると、溢れる涙と激情に逆らわず、怒号にも似た叫喚を散らし、本棚から本を引っ張り出して叩きつけ、壊せるものは破壊した。
唯一、原型を留めていたのは、机上の先輩と一緒に撮った写真と、友人にもらったヤマハのエレキギターだけだった。
前回の外出から一週間後のことだ。響子先輩が亡くなったことが伝えられたのは。
バンドメンバーとともに響子先輩の家でミーティングしたり、個人的な用事で訪ねていたりしたので、彼女の母親から電話で連絡をよこしてくれたのだ。
それはたまたまだったのだろう。交通事故というのは不慮と不運が重なり合った上で生まれる産物であって、先輩は『運が悪かった』の一言で済ませられる程度の事故だった。事実、メディアも小さく取り上げるに留まっている。
社会がその程度の反応だったとしても、大切な人がこの世から去ったことは、あまりに理不尽極まりなくて、僕は何年振りかの涙を、人前で滴らせてしまった。数日間は思い出す度に胸が詰まり、押し寄せてくる悲しみを抑えられなかった。
通夜に参加した、その夜。響子先輩の両親からあるものを授かり受けた。僕は目を見開き、凝視したまま硬直してしまった。
愛用のエレキギターとベース、そして『主よ人の望みの喜びよ』のCDだった。ずっと、ずっと前に教えてもらった曲の名前。
無言で響子先輩の両親からそれを差し出された。言葉には発しなかったが、はっきりとした意思が込められているのは察していた。
『娘のことを覚えていてください』、そういうことなのだと思う。響子先輩の母から聞いた話なのだが、先輩は、よく僕のことを両親に得意げに話していたらしい。最初は『有望な新入生が入部した』と興奮気味に息巻き、文化祭の成功を自画自賛で祝い、将来の展望に立ちはだかる壁に溜め息をついていた。
母は訊いた。「でも、メンバーがいないんじゃねえ」
「メンバーならいるよ」と自信なさげにいって、響子先輩は目を伏せた。疑心暗鬼、というような仕草だったらしい。机に突っ伏すと、疲れにどっぷり浸ったような声音で呟いた。誰にともなく。「……あいつ、本気なのかな?」
一度問い質してみたかったに違いない。僕の放った言葉が真意を含んだものなのかを。それを問うことができなかったのは、響子先輩の後悔なのかもしれない。
だが、後悔など無意味になってしまった。亡き人が抱いていた悔いを知ったところで抱え込むのは、無用な郷愁と無駄な傷心を残すだけだ。
けど、僕はそれを積極的に受け入れた。響子先輩の思い出――やり残した遺物だとしても――を理解することで、僕だけは彼女を忘れないだろう。心に傷を刻むことで、僕だけは彼女を覚えているだろう。涙を流した数だけ悲痛が募り、一層深く思い出が網膜に映り込む。何度でもそれを繰り返すだろう。響子先輩の綺麗な寝顔を覚えているのは、未来永劫に僕しか存在しないだろうから。不器用だが、それで忘却の彼方に響子先輩を置き去りにしないのならば、僕は望んで繰り返すだろう。数え切れないくらい、何度も、何度でも――
バンドメンバーとともに響子先輩の家でミーティングしたり、個人的な用事で訪ねていたりしたので、彼女の母親から電話で連絡をよこしてくれたのだ。
それはたまたまだったのだろう。交通事故というのは不慮と不運が重なり合った上で生まれる産物であって、先輩は『運が悪かった』の一言で済ませられる程度の事故だった。事実、メディアも小さく取り上げるに留まっている。
社会がその程度の反応だったとしても、大切な人がこの世から去ったことは、あまりに理不尽極まりなくて、僕は何年振りかの涙を、人前で滴らせてしまった。数日間は思い出す度に胸が詰まり、押し寄せてくる悲しみを抑えられなかった。
通夜に参加した、その夜。響子先輩の両親からあるものを授かり受けた。僕は目を見開き、凝視したまま硬直してしまった。
愛用のエレキギターとベース、そして『主よ人の望みの喜びよ』のCDだった。ずっと、ずっと前に教えてもらった曲の名前。
無言で響子先輩の両親からそれを差し出された。言葉には発しなかったが、はっきりとした意思が込められているのは察していた。
『娘のことを覚えていてください』、そういうことなのだと思う。響子先輩の母から聞いた話なのだが、先輩は、よく僕のことを両親に得意げに話していたらしい。最初は『有望な新入生が入部した』と興奮気味に息巻き、文化祭の成功を自画自賛で祝い、将来の展望に立ちはだかる壁に溜め息をついていた。
母は訊いた。「でも、メンバーがいないんじゃねえ」
「メンバーならいるよ」と自信なさげにいって、響子先輩は目を伏せた。疑心暗鬼、というような仕草だったらしい。机に突っ伏すと、疲れにどっぷり浸ったような声音で呟いた。誰にともなく。「……あいつ、本気なのかな?」
一度問い質してみたかったに違いない。僕の放った言葉が真意を含んだものなのかを。それを問うことができなかったのは、響子先輩の後悔なのかもしれない。
だが、後悔など無意味になってしまった。亡き人が抱いていた悔いを知ったところで抱え込むのは、無用な郷愁と無駄な傷心を残すだけだ。
けど、僕はそれを積極的に受け入れた。響子先輩の思い出――やり残した遺物だとしても――を理解することで、僕だけは彼女を忘れないだろう。心に傷を刻むことで、僕だけは彼女を覚えているだろう。涙を流した数だけ悲痛が募り、一層深く思い出が網膜に映り込む。何度でもそれを繰り返すだろう。響子先輩の綺麗な寝顔を覚えているのは、未来永劫に僕しか存在しないだろうから。不器用だが、それで忘却の彼方に響子先輩を置き去りにしないのならば、僕は望んで繰り返すだろう。数え切れないくらい、何度も、何度でも――