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第3話 研究会

時計台。
ここでは象徴として扱われている。
高さ31.574mを誇り、周りの建築物と比較しても一際高く聳え立っている。
今はちょうど創立百周年記念事業の一環として最新の免震構法を取り入れた改修工事が行われている。
工事用の足場が周りを囲っており、普段の姿を見ることはできない。
もし記念に見に来た人がいたとしたらタイミングが悪かったとしか言いようが無い。
だが、この姿を見て、むしろ探究心を湧きたてられているFouがいる。
その男は長身で白衣につつまれ、いかにも科学者という雰囲気を漂わせている。
男の名はFou。
どうやら最新の免震の仕組みが気になって仕方ない様子だ。
なにやらブツブツ言いながらも時間を気にして東の方へ歩き去ってゆく。

今日はここ京都大学の基礎物理学研究所(通称、基研)で素粒子論の研究会がある。
Fouはそのためにやってきたのだ。
今、基研の建物は京都大学で一番ボロいと言っていいだろう。
元々古いのだが、それに加えて数ヶ月前にエネミーの襲撃にあったことも理由の1つだ。
修復作業が行われたようだが、柱などの重要な部分以外は何も手をつけられていない。
当然、表面はボロボロのままで焼け焦げた後も残っている。
時計台を工事するなら先にこちらを改築すべきだろう。
しかし、それは予算の都合で適わなかった。
時計台の修復には足るが基研の改築には足らない。
その程度の予算しかなかったのだ。

その基研にFouがたどり着いた時には既に2人目の発表が始まっていた。
タイトルは『NN neutrinoを用いたSUSYの検証』である。
NNとはNuclear weapon Nullificationの略で、核兵器の無効化を意味する。
核兵器の無効化の能力を持ったシンボルやエネミーを用いてSUSY(超対称性)の検証を行うという内容である。
どうやら無効化時に使用されているニュートリノがSUSY実験に使うのにちょうどよいらしい。
しかし、Fouはこの研究に興味は無かった。
低レベルだからだ。
Fouにとって、この程度の研究内容なら10年も前から知っていたことだ。

発表中であるがFouは気にすることなく部屋に入った。
映画館のように椅子が階段状に並び、100人程度が座ることができる部屋だが、実際にいるのはは40人くらいだろうか。
Fouは最後尾の席に座った。
前ではOHPによる発表が行われている。
今の時代、普通の発表はpowerpointで行われているが、この分野では未だにOHPによる発表も珍しくない。
基礎研究の中でも特に理論系の分野はお金が無いからだ。
powerpoint1つ手に入れるのにも自費扱いになるのだ。
それどことかwindowsも買えないのでフリーのLinuxを使っている人たちが多数だ。
最近では十分な筆記用具を揃える予算すら削られている。
今の日本では基礎研究はそれだけ軽視されている。
その理由はシンボルやエネミーの存在である。
研究予算の大半はシンボルに関する研究に出資されているのだ。
最近は予算獲得のため基礎研究の分野でも無理にシンボルを絡めようとしている傾向がある。
その典型例がこの2人目の発表者だ。
シンボルを絡めることで予算が増額されることを期待しての行動だ。
しかし、それは予算のための研究であり、研究としては本末転倒である。
当然、興味を抱く研究者は少なく、暇そうにしている者が大半だ。

質疑応答もほとんどなく2人目の発表が終わった。
そして、3人目の発表が始まる頃に多くの人たちが部屋に入室してきた。
先ほどまで40人くらいしかいなかった部屋が150人以上の人で溢れている。
発表者の名は九後光。タイトルは『記憶共有へのゲージ場とカイラル対称性の影響について』である。
一見、2人目と同じくシンボルを絡めたつまらない研究である。
しかし、研究者たちの反応は違った。
なぜなら彼は記憶共有に関する研究で偶然にも素粒子論の発展に大きく貢献した人物だからである。
いつかノーベル賞は間違いないと言われているほどだ。
彼が記憶共有に関する研究を発表するまでは素粒子論の世界ではGWS理論が標準理論(SM)として最も信頼されている理論だった。
しかし、約5年前、彼の記憶共有に関する論文によりSMでは説明できない現象が発表されたのだ。
それ以来、彼は記憶共有のメカニズムを始点として新たなる理論の構築を進めてきているのだ。
まだ途中段階ではあるが、現時点では非常によくできた理論で多くの不可思議な現象を説明してきたのだ。
だから同じシンボルの絡んだ研究でも周りの見る目に差があるのだ。
Fouが研究会に来た目的は九後の発表を聞くためだけだった。

そもそも彼の言う記憶共有のメカニズムとはなにか。
初めに提唱されたのはクォークやレプトンンなどは素粒子ではなく、電荷、弱荷、色荷、質量荷、無荷の5種類が素粒子であるというものだ。
正確に言えば、この5種類以外にも素粒子が存在するのは分かっているが、分類がうまくできていないのだ。
SMが信じられていた時代にはなかった無荷という粒子はステライルニュートリノがもつ荷である。
無荷という名前の通り生成されるまでは荷というべきものを何も持っていない。
しかし、生成された瞬間に荷を持つようになる。
記憶共有はこの無荷を介して行われる。
まず、コントローラーの記憶が無荷を持ったステライルニュートリノにより周りに飛ぶ。
ステライルニュートリノは通常のニュートリノ以上に相互作用を持たない。
つまり、この記憶を持った粒子は誰にもキャッチされることが無く素通りしてしまう。
しかし、コントローラーとそのシンボル間ではこの粒子をキャッチすることができるのだ。
それはなぜか。
コントローラーとシンボルは1つだったものが別れた存在である。
量子力学では1つの粒子が2つに分かれた場合、1つスピンが観測されれば、遠く離れた位置にあるスピンの状態が決定する。
それと同じ原理で、コントローラーが無荷を生成した時点でシンボルでも対となる無荷が生成される。
対となる無荷同士は相互作用を行うため自分のシンボルだけはステライルニュートリノを観測することができるというものである。

今回の九後の発表もやはり驚くべきものだった。
記憶共有が主ではあるが、それ以外にもシンボルの特殊能力を解き崩す可能性を示していたからだ。
九後の発表は30分間の予定だったが、延長で40分間に及んだ。
質疑応答の嵐だったが、最終的には時間がないということで無理やり終了という形になってしまった。
Fouも質問することが出来なかったが、あまり気にする様子はない。
この後、九後と会う約束があるからだ。
Fouは研究会での目的は果たしたので九後発表が終わると同時に部屋を出た。
向かった先は九後の家である。
本来なら研究室で会う所なのだが、おそらく多くの研究者が押しかけてきて邪魔であろうということで仕方なく九後の家で会うことになったのだ。
予想通り多くの研究者は発表の休み時間に九後に話を聞きたいと思い研究会に残っていた。
しかし、九後も密かに研究会を抜け出し帰宅した。
もちろんFouと会うためである。

Fouが九後の家に着くと後から出たはずの九後が先に帰宅していた。
電車と自動車の差だろうか。
九後は大阪に住んでいる。
大阪大学で働いているからだ。
肩書きは大阪大学大学院理学研究科物理学専攻教授。
彼はもともとはNTT物性科学基礎研究所で記憶媒体と情報伝達に関する研究を行っていた。
しかし、ある時期からシンボルの記憶共有の研究をするようになり、それがいつの間にか素粒子論の研究になっていた。
そして今では大学で教授をする立場になっているのだ。

「久しぶりだな、岡崎」
岡崎とはFouの本名である。
九後とFouは東京大学で知り合った。
当時、九後は物性理論、Fouは素粒子論の研究をしていた。
互いに天才だったためか分野の異なる相手の研究を理解し、毎日のように議論を重ねていた。
「そのようだな」
九後はFouにどうしても聞きたいと思っていたことがあった。
「今までお前はどこで何をしていたんだ。研究はやめたのか」
2人が最後に会ったのは大学院博士課程2年生の時だ。
その頃、突然、Fouが行方を眩ましたからだ。
それは九後だけでなく、Fouを知る多くの研究者にとって晴天の霹靂だった。
誰しもがFouに期待を寄せていたからだ。
「研究はしているよ。国の機関でね。君の論文は非常に役立っているよ」
Fouが研究を続けていると知り、九後はなぜか少しホッとした気持ちになった。
「では、なぜ論文を出さない。お前ほどの天才なら俺がこんな研究をしなくても、とっくに解決できていたはずだ」
この疑問には一理ある。
研究者にとって論文を出さないということはありえないからだ。
「今言った国の機関は実は名前どころか存在すらしない。公表できないということだ。だから論文も出していない。
だが君が研究しなくても私なら分かっていたということはない。
確かに記憶共有に関しては君に近い考えを持っていた。しかし少し異なっていた。
どうやら君の方が正しかったようだ」
このとき九後は身震いした。
理由はすぐに分かった。
同時にホッとした理由も理解できた。
九後はFouに認められたかったのだ。
学生時代Fouとの議論が一番の生きがいだった。
Fouに勝つために研究を続けていたことを思い出した。
だからFouが消えたときには信じられなかった。
研究をやめようと思った。
それで教授の道を諦め就職することにしたのだ。
だが、結局は就職しても研究を続けることになってしまった。
つまらない日々だった。
ふと気付くと周りから天才と呼ばれるようになったいた。
それが意外と心地よく、再び研究に楽しみを感じ始めた。
さらに天才と言われたいがために研究を続けた。
突き詰めるうちに気付いてみればFouと同じく素粒子論の研究者になっていた。
だが、それが功を奏した。
再びFouに会うことができたからだ。
しかも、自分が唯一ライバルとして認めるFouに勝ったのだ。
今までの研究に意味があったと初めて実感できた。

天才は同時に2人生まれる

2人の天才が互いに高めあうことで真の天才が生まれる。
この2人はその典型例だ。
特に九後はFouがいなければ、もし、Fouと出会わなければ、天才と呼ばれることはなかっただろう。
Fouにとっても九後の存在は大きかった。
九後がいなければ、ここまでの天才にはならなかっただろう。
そう考えると2人の出会った日は科学の発展が運命付けられた奇跡の日とも言える。

「今日、君に会いに来たのには理由がある。君を迎えに来た。一緒に研究をしないか」



ノーベル賞候補の九後光行方不明

大阪大学大学院 九後光教授が21日、京都大学基礎物理学研究所で開かれた研究会での発表後、消息を断った。
九後教授は素粒子論の研究で世界的に認められ、ノーベル賞候補とされる。
警察の調べによると帰宅し、人と会った形跡は見られるものの、その後の足取りは不明。
警察は事件性もあるとして会った人物の特定を急いでいる。
(2003年11月22日朝日新聞朝刊より抜粋)


なお、この日から素粒子論の発展は止まったままである。

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最終更新:2006年09月02日 22:30