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大見出し &size(4) *ネタ ** はてなダイ○リー改  【白銀武】【しろがねたける】 (?~2022没) BETA大戦中期~末期に実在した救国の士。 訓練校時代は歴代最高の戦術機適正値・訓練成績を記録しており、カリキュラム、戦術機OSが大幅に改善された現在でも、彼を越える者は居らず、その半ばに到る者すら稀(何れも後の著名なトップガン)。彼の公式記録としての生涯BETA撃墜数74825体は、個人の撃墜数として空前絶後としか表しようのない戦歴である。   また、彼はBETA大戦における4大発明の1つ、戦術機OSであるXMシリーズの発案者でもある(XM3~)。訓練生時代に発案したとされており、非凡といわざるを得ない。   XM3は所謂第三世代OSのプロトタイプであり、第二世代OSから飛躍的に機動性・柔軟性を向上させてはいるが、戦術機操縦の発想や方向性が第二世代OS迄とは異なる。結果的にその優れた性能を完全に引き出すには更に高度な操縦技術や戦術機適正、そしてその向上した性能を戦場で活かす為の、小隊単位での高度な連携を要求する事となった。なお、その高性能故、XM3の性能を完全に引き出す事ができたのは、発案者である彼本人のみであるといわれている。しかし、彼程に習熟できずともXM3が画期的な戦術機OSであったことは間違いなく、古参衛士の戦跡や生還率の向上は勿論、新兵の*初陣生存時間が大幅に引き上げられたことにより、次代のエース達を生み出す礎となった。以降、XMシリーズは改良され続けXM6迄が彼の手により試案されている。 彼の戦歴は華々しいものではあるが、その経歴となると実は空白の期間や謎の部分も多いことはあまり知られていない。彼が初めて戦場に登場するのは、公式記録上では「甲20号作戦」からであり、それ以降の戦歴は少し調べるだけで膨大なデータが検索されるだろう。では、彼が公式に現れるその前後において2点程、整理推測してみよう。 まずは訓練校時代であるが、以下の事があげられる。 ・訓練校以前の経歴が不明(抹消されている?) ・訓練校卒業から実践配備までの期間が不明瞭。 ・XM3の開発者が**香月博士である。 彼は「桜花作戦」における最深部突入部隊(A-01部隊と推測される)の生還者ではないか?というのが定説なのだが、それは彼が過ごしたとされる訓練校が香月博士のお膝元(国連横浜基地に付属する衛士養成学校)であり、更にはXM3の開発者が香月博士であることから、彼はA-01部隊候補生として選抜されていたのではないか?と考えられるからだ。また、付け加えるならば、精鋭部隊にありがちなことではあるが衛士の個人情報は最重要事項として隠匿される事も多い。   次に、彼の記録上の初陣である「甲20号作戦」においてである。 ・非公式ながら、日本帝国政威大将軍『煌武院 悠陽』殿下より直々に、当時近衛に採用されていた純国産最新鋭戦術機「武御雷」を賜っている。 ・「武御雷」は「紫黒」でカラーリングされており、以降「紫黒」は彼の駆る戦術機のパーソナルカラーとされている。 今でこそ彼は英雄であるが、いずれも驚愕すべき事柄であり、一介の初陣の衛士ではありえざる栄誉である。しかし、やはりその点における正確な資料は残されていない。 「武御雷」については、仮に彼が皇族に類する家系、もしくは近衛(の中でも高い地位)に準ずる立場も持ちえたのであるならば、考えられなくもない。皇家の中には自らが戦術機を駆り戦場に赴く方もおられるし、その護衛として選抜された近衛も付き従う。その際には近衛で採用される戦術機、この場合だと「武御雷」に搭乗するのが通例である。また、皇家の方は自らの冠位に従うカラー、近衛の者は階級に従うカラーとなる。 しかし、「紫黒」のパーソナルカラー。日本帝国民なら周知の通り、「紫」とは冠位十二階における最高位、征夷大将軍にのみ纏うことの許される色でもある。事実、『煌武院 悠陽』殿下は御自ら出陣なさる事はなかったが、専用機として「紫」の「武御雷」を所持しておられた。その「紫」に準ずる「紫黒」の「武御雷」を駆る。それこそが『煌武院 悠陽』殿下と何らかの近しい関係・交流があった事のではないか?公表されていないが皇族ではないか?と推測される理由であり、彼の背景を一層謎とさせている。(彼の素性追求を自重しなければならない暗黙のルールともいえる)ただし、彼自身が自らの素性を語った記録はなく、今現在も彼の素性は謎である。上記はあくまでも推測に過ぎない。なお、普段の彼は気さくな人柄であったらしい。 後に『煌武院 悠陽』殿下と彼との仲睦まじい御姿が報道され、世界中で噂が飛び交っている。(記者は不敬罪で逮捕されるも、『煌武院 悠陽』殿下の恩赦にて釈放)なお、『煌武院 悠陽』殿下は生涯婿をとることはなく、跡継ぎにも養子を迎える等、彼に操を立てていらっしゃるのではないか?との噂が流れたのは庶民の浅夢であろうか。そして彼自身、傍らには常に***社霞が付き従うも、一度も妻帯することなくその生涯を閉じている。   彼は、自らが指揮する部隊を常に「伊隅ヴァルキリーズ」(由来は不明)と称しており、現在「伊隅ヴァルキリーズ」=最精鋭部隊の称号として国連軍で正式採用されている。彼は教導隊所属時以外は常に最前線で戦い続け、実質的な戦術指揮は副官である社霞が行っていた。   彼の部隊は地球上のハイヴ9、月面上のハイヴ5、火星上のハイヴ4を駆逐しており、最後のハイヴ「マーズゼロ」攻略作戦において、反応炉のトラブルにより「わ号目標」と共に自爆。その時の部下達への言葉   「俺も多くの先達と同じく、基地に咲く桜となって…」   はあまりにも有名。 現在、彼は救国の士であることは無論、人類救済の英霊として靖国神社に特別に祭られているが、彼の部下や教え子達は彼の遺書に従い、横浜基地の坂にある桜の下に、彼が地上で愛用していた武御雷のフレームで鋼鉄の墓碑を建て、遺品である日本刀(皆琉神威)を納めている。今現在も、その地へ墓参する人は後を絶たない。 彼が生涯愛し続けた横浜基地の桜の周辺は、現在、奇跡的に回復、自然を取り戻し、今年も彼の部下や教え子達が作った鋼鉄の柱上で力強く咲き誇っている。  *・・・当時の対BETA戦における新兵の平均的な初陣生存時間はおよそ8分に過ぎず、それは「死の8分間」と呼ばれていた。  **香月博士・・・香月夕呼博士。XMシリーズの開発者。当時の国連横浜基地副司令。稀代の天才科学者であり女傑。A-01部隊なる直轄精鋭部隊を保持していたとされる。  ***社霞・・・甲20号作戦時よりの白銀武の副官であり、後の対月面・火星ハイヴ攻略作戦の総司令補佐官。その生涯において彼をサポートし続けた。あが~。 あのSSを書いた作者様、是非wikiにupしていただけませんか?勝手に設定いじくりたおしてすんません(・ω・)ちょっと膨らませてみますた。 このSSがある場所を教えて欲しいです。   ↑元々は、発売1月後くらいの2chのオルタ本スレです。 ↑どのスレだったか具体的に覚えてらっしゃいませんか? ↑判明しました。2006年3月19日頃の2chのマブラヴ本スレです。 *ネタ戦術機 **不知火 XF-Kuri373 “栗の子ガード” |&ref(栗の子ガード2.JPG)|国連軍 特殊作戦軍団 特殊兵器システム開発戦術機団 第373特別支援部隊、通称“栗の子ガード”所属機。地球を侵略する未知の生命多“BETA”に対して、アイドル歌手兼声優“ミナミ・クリバヤシ”の歌での攻撃が有効と判明。国連軍では、92式多目的自律誘導弾システムをベースに独自の特殊音響兵器“Kri-ES”(クリノコ・エフェクト・システム) を開発。不知火に装備させることに成功した。“ミナミ・クリバヤシ”の歌を戦場に響かせるこの不知火は“栗の子ガード”と呼ばれ、BETAの殲滅と共に、前線の衛士たちの士気を向上させる“歌姫の戦術機”として活躍した。&br()(本機はフィクションであり、マブラヴオルタネイティブ本編とは一切関係ありません)| **不知火 XF-Kuri373s “栗の子ガード指揮官機” &ref(栗の子ガード指揮官機2.JPG) 国連軍 第373特別支援部隊、通称“栗の子ガード”において、アイドル歌手兼声優“ミナミ・クリバヤシ”の歌声に乗せ、対BETA用特殊音響兵器として開発された“Kri-ES”(クリノコ・エフェクト・システム)の攻撃力を増幅させる機能を搭載した特別仕様機。 キーボード型の巨大コントロールユニット“Kri-Ena”(クリノコ・エフェクト・ナビゲーション)を不知火のマニピュレーターでマニュアルコントロールするため、この指揮官機に搭乗する衛士は驚異的なまでのマニピュレーター操作能力が要される。その反面、対BETA戦での戦闘能力は極めて低い。 なお、指揮官機である同機のカラーリングは、部隊内での識別を容易にするため、ピンクを基調としたものとなっている。 キーボード型の“Kri-Ena”は、不知火の背中に装備された74式可動兵装担架システムに接続されている。 (本機もフィクションであり、マブラヴオルタネイティブ本編とは絶対関係ありません) *大見出し &size(4) **サイト内検索フォーム #search()
#div(width=608px){ 大見出し &size(4) *ネタ ** はてなダイ○リー改  【白銀武】【しろがねたける】 (?~2022没) BETA大戦中期~末期に実在した救国の士。 訓練校時代は歴代最高の戦術機適正値・訓練成績を記録しており、カリキュラム、戦術機OSが大幅に改善された現在でも、彼を越える者は居らず、その半ばに到る者すら稀(何れも後の著名なトップガン)。彼の公式記録としての生涯BETA撃墜数74825体は、個人の撃墜数として空前絶後としか表しようのない戦歴である。   また、彼はBETA大戦における4大発明の1つ、戦術機OSであるXMシリーズの発案者でもある(XM3~)。訓練生時代に発案したとされており、非凡といわざるを得ない。   XM3は所謂第三世代OSのプロトタイプであり、第二世代OSから飛躍的に機動性・柔軟性を向上させてはいるが、戦術機操縦の発想や方向性が第二世代OS迄とは異なる。結果的にその優れた性能を完全に引き出すには更に高度な操縦技術や戦術機適正、そしてその向上した性能を戦場で活かす為の、小隊単位での高度な連携を要求する事となった。なお、その高性能故、XM3の性能を完全に引き出す事ができたのは、発案者である彼本人のみであるといわれている。しかし、彼程に習熟できずともXM3が画期的な戦術機OSであったことは間違いなく、古参衛士の戦跡や生還率の向上は勿論、新兵の*初陣生存時間が大幅に引き上げられたことにより、次代のエース達を生み出す礎となった。以降、XMシリーズは改良され続けXM6迄が彼の手により試案されている。 彼の戦歴は華々しいものではあるが、その経歴となると実は空白の期間や謎の部分も多いことはあまり知られていない。彼が初めて戦場に登場するのは、公式記録上では「甲20号作戦」からであり、それ以降の戦歴は少し調べるだけで膨大なデータが検索されるだろう。では、彼が公式に現れるその前後において2点程、整理推測してみよう。 まずは訓練校時代であるが、以下の事があげられる。 ・訓練校以前の経歴が不明(抹消されている?) ・訓練校卒業から実践配備までの期間が不明瞭。 ・XM3の開発者が**香月博士である。 彼は「桜花作戦」における最深部突入部隊(A-01部隊と推測される)の生還者ではないか?というのが定説なのだが、それは彼が過ごしたとされる訓練校が香月博士のお膝元(国連横浜基地に付属する衛士養成学校)であり、更にはXM3の開発者が香月博士であることから、彼はA-01部隊候補生として選抜されていたのではないか?と考えられるからだ。また、付け加えるならば、精鋭部隊にありがちなことではあるが衛士の個人情報は最重要事項として隠匿される事も多い。   次に、彼の記録上の

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