◆
エトランゼは名家の生まれであった。
中世の時代に於いて、騎士として武勲を挙げたミルダリス家は、フランスにおいても指折りの家系として名を轟かせた。
ミルダリス家の長女として生まれたエトランゼ。
才色兼備という言葉が何よりも似合う完璧超人で、幼い頃から両親にいたく可愛がられた。
剣を振らせれば僅か二年で師範から一太刀を奪い、ペンを握らせれば数週間で学年を飛び越える。
すれ違う召使いはみな頭を垂れ、最大の語彙を持ってエトランゼを持て囃した。
輝かしい未来が約束された令嬢。
ミルダリス家自慢の長女。
それがエトランゼ・ティリシア・ミルダリスであった。
しかし、彼女が18の頃。
世界を知るよりも先に、世界が凍りついた。
一切の前兆を見せずに訪れた全球凍結の牙は、ミルダリス家の栄華もろとも噛み砕く。
ただ一人生き延びたエトランゼは、居場所を失った。
困窮する民を見て、エトランゼは立ち上がる。
しかし世間知らずな若輩者が出来ることなどたかが知れていて、幾度も挫けかけた。
そんなある日のこと。
エトランゼの街に、〝獅子〟がやってきた。
国連最後の希望。
空の勇者よりも先に、民を救うべく立ち上がった『秩序統制機構』の最高戦力。
フランチェスカ・フランクリーニの姿は、エトランゼの網膜を焼いた。
────〝私と共に来ないか。〟
そう言って、差し伸べられた手。
その手の感触は、今でもよく覚えている。
エトランゼは一年間、彼女の下で鍛錬を積んだ。
神禍の扱い方に留まらず、絶望する民を勇気づける生き様を学んだ。
間近でフランチェスカの姿を見ているうち、エトランゼは彼女へ恋情に近い憧れを抱くようになった。
この人のようになりたい、と。
向けられるばかりであったエトランゼが、初めて向けた感情。
長いブロンドの髪を短く切り揃え、〝獅子〟の鬣のように仕立てあげた。
自らを第二の獅子として名乗り、凍てついた故郷にてその名を轟かせた。
崩壊した秩序を取り戻すため、国連での経験を活かし、〝守護聖騎士団〟を立ち上げた。
それらの行動は全て民のために。
幼い頃より培った正義感を存分に活かし、故郷の為に命を燃やした。
────なんていうのは建前で。
エトランゼはひたすらに、フランチェスカの影を追い続けたのだ。
あの日見た勇姿は、あの日見せた優しさは。
エトランゼという無垢な少女へ、狂気的な愛を叩き付けた。
まるで白い絵の具に他の色が混ぜられたような衝撃だった。
純真なエトランゼが突如抱いた憧れと恋慕には、制御装置など存在せず。
暴走した禍者を殲滅することに、悦びを見出していた。
一人、また一人と命を奪うごとに。
憧れの獅子に近付けているような、麻薬めいた快感が迸って。
正義を免罪符に行われる殺戮は、エトランゼの存在を確立させた。
私利私欲で悪人を殺めるなど、世が世であれば絞首刑確実の大罪人。
しかしそんな常識的な世は終わった。
絶望に打ちひしがれ、神禍という呪いに人生を掻き乱された弱者から見て、粛々と悪鬼を薙ぎ払うエトランゼはどのように映ったのか。
彼女の心情など知ったこっちゃなく、自らの描く英雄像をこれでもかと当てはめたはずだ。
どんな形であれそれが心の泥濘を払う〝希望〟となるのならば、エトランゼもまた紛れもない英雄であった。
惜しみない喝采と感嘆の眼差しが向けられる中で、エトランゼの視線は常に一点に注がれていた。
吹雪の中をひらりと舞う紺色のロングコート。その残滓をセピア色に変換して、目で追い続けている。
エトランゼの神禍は、他の追随を許さない圧倒的な火力を伴う雷撃。
彼女はこの力を何よりも誇っていた。
気高き獅子が何気なく放った一言が、メトロノームのように鳴り響いて止まらないのだ。
「────お前の力は、私の欠点を補ってくれる」
嗚呼、神様。
感謝します、神様。
この神禍を恵んで下さって、ありがとう。
フランチェスカの神禍は、一対一で真価を発揮する究極の対人特化。
対してエトランゼの神禍は、多数相手に真価を発揮する究極の範囲攻撃。
白兵戦と殲滅戦、たった二人の人員で分野の違う戦術を担える事実は、鉄火場において揺るぎない優位性を持つ。
だから最後の獅子が『魔王』に敗れたと聞いたあの瞬間。
自分がその場に居ればと、全身が総毛立つほどの悔恨を覚えた。
エトランゼ本人は気付かなかったが、その悔いの先にあるのは『魔王』を討伐出来なかったことではない。
フランチェスカを勝利させられなかったこと────この一点であった。
もしも自分が居れば。
あまつさえ、死を振り撒いていた『魔王』を討てていたのであれば。
フランチェスカは間違いなく、自分を褒めてくれていたはずだ。
エトランゼは、この儀式を好機と捉えた。
世界再生の為に行われた大掛かりな殺し合い。
衰退の世を惰性で生きる者たちへ垂らされた蜘蛛の糸。
十二崩壊、空の勇者、その他一度は耳にした事のある粒揃いの面子の中に、やはりあった最後の獅子。
彼女はこの儀式で何を成すか。
エトランゼの中で都合よく曲解された獅子(フランチェスカ)は、まるで漫画本の偶像のようで。
勇猛果敢な活躍を経て勝ち残り、〝多少の犠牲〟の末に世界再生を成し遂げる。
それこそが、エトランゼが確信した未来であった。
ならば自分は、その手助けをしよう。
彼女が勝ち残れるように、他の有象無象を殲滅しよう。
──ああ、お姉様。
──愛しきフランチェスカお姉様。
──この命は、あなたの為に。
硝子細工のような純粋な瞳に、狂気を伝播させて。
雷電心王は、その身を捧げる。
◆
エックハルトは名家の生まれであった。
近世の時代に於いて、商業の功績で名を馳せたクレヴァー家は、ドイツにおいても指折りの家系として名を轟かせた。
クレヴァー家の次男として生まれたエックハルト。
無為無能という言葉が何よりも似合う凡人で、幼い頃から両親に酷く虐げられた。
剣を振らせれば一日で見限られ、ペンを握らせれば綴りすら書けない。
すれ違う召使いはみな陰口を叩き、侮蔑の視線をエックハルトへと向けた。
遂には存在すら隠匿された恥晒し。
クレヴァー家最大の汚点。
それがエックハルト・クレヴァーであった。
しかし、彼が23の頃。
世界を知る前に、世界が凍りついた。
一切の前兆を見せずに訪れた全球凍結の牙は、クレヴァー家の栄華もろとも噛み砕く。
ただ一人生き延びたエックハルトは、居場所を得た。
部屋に篭もりきりであった彼は、外へ出た。
凍えるような極寒も、心を削るような孤独も、エックハルトは苦ではなかった。
自分を嘲笑する者がいないということが、何よりもの救済であったからだ。
けれど、生きる意味を見い出せない。
廃人寸前の放浪者は、ただ居場所を求めて彷徨い歩いた。
そんなある日のこと。
エックハルトは、〝姫〟と邂逅した。
廃墟の街と化したカザフスタンの都市。
中国にて観測された第六の災禍の手は、僅か数ヶ月で隣国を侵食していた。
彼女の興した『紅罪楽府』の信徒が蔓延し、心擦り減らす人間がねずみ算式に亡者となる地獄絵図。
当の本人達からすれば本気で救われているのだから、ある意味では本当の楽園と呼べるその地にて。
第六崩壊・沈芙黎の笑顔は、エックハルトの網膜を焼いた。
────〝私のところへ来なさい。〟
そう言って、差し伸べられた手。
その手の感触は、今でもよく覚えている。
エックハルトは迷わず信徒と化した。
暴力、強奪、強姦、殺戮、自殺、その全てが〝楽しければいい〟と赦された至上の極楽にて、彼は只管に献身的だった。
他の信徒のような己の欲を満たすためではなく、芙黎へ信仰心を見せることに心血を注いだ。
世界で唯一、自分を認めてくれた姫に応えるために。
第六崩壊討滅の為に群れを成す国連組織や、他の崩壊との戦いで最前線を担った。
狂気的なまでの盲信により、リミッターの外れた彼は猛獣のようで、神禍殺しの異能も相まって戦果を挙げ続けた。
ただの一度も褒められたことはない。
ただの一度も認められたことはない。
エックハルトを狂わせたのは、姫ではない。
誇りを重んじるあまりに彼を否定し続けてきたクレヴァー家の在り方が、彼を狂わせたのだ。
認めて貰えることが、許容して貰えることが、こんなにも嬉しいことだなんて初めて知った。
姫は常に欲しい言葉をくれる。いや、言葉を掛けてくれるだけで心躍る。
存在しない物として誰とも言葉を交わさず生きてきたのだから、その反動だろうか。
今はもう、自分を討とうとする敵が浴びせてくる罵詈雑言すらも心地いい。
一人、また一人と命を奪うごとに。
尊ぶ姫へ貢献出来ているような、麻薬めいた快感が迸って。
自由を免罪符に行われる殺戮は、エックハルトの存在を確立させた。
花園の信徒はいつしか、エックハルトをも崇めるようになった。
楽園を護る為に尽力する守護騎士と、焦点の合わぬ瞳で持て囃すようになった。
正気を失った亡者たちからの賛美の言葉など、常人であれば戦々恐々の鳥肌ものだろう。
しかしエックハルトからすれば、この崩壊した世界においての唯一の居場所であった。
惜しみない喝采と感嘆の眼差しが向けられる中で、エックハルトの視線は常に一点に注がれていた。
雪景の中で映える淡黄色のチーパオ。携える笑顔が自分に向けられていると改変し、目で追い続けている。
エックハルトの神禍は、あらゆる神禍を受け付けない絶対的な防御。
彼はこの力を何よりも嫌っていた。
崇拝する姫が何気なく放った一言が、山彦のように反響して止まらないのだ。
「────貴方の力のせいで、愛でられないわ」
嗚呼、神様。
恨みます、神様。
この神禍を与えたことを、絶対に許さない。
第六崩壊・沈芙黎の神禍は、他者を強化する支援型。
筋組織や骨の負担を度外視して強制的にリミッターを外すという、刹那に咲く花のような力。
当然、姫からの寵愛を受けた信徒は次々と壊れていった。
エックハルトは、それが羨ましくて堪らなかった。
なぜ自分だけが愛されない。
クレヴァー家で過ごした23年間を思い出し、何度も涙し、嘔吐した。
自己嫌悪に心臓が張り裂けそうになりながら、それでも耐え続けた。
そんなある日のこと、エックハルトに転機が訪れた。
姫の事を目障りに思った第七崩壊が、紅罪楽府の信徒を洗脳して内乱を起こさせたのだ。
インドネシアで観測された七番目の災禍。
それが齎す滅亡の形は、『啓蒙』だった。
第七崩壊の神禍は洗脳。
彼が放つ霧を浴びた者は、意思に関わらず第七崩壊を『神』と崇めるようになる。
神禍に頼らず、己の振る舞いだけで神の領域まで上り詰めた芙黎の存在を、第七崩壊は許さなかった。
次々と乗っ取られる信徒。
勢力を伸ばす第七崩壊はしかし、楽園崩壊を目にすることなく沈む事になる。
それに一役を買った者こそ、エックハルトであった。
回避不可の理不尽な神禍であろうと、須らく彼の前では意味を成さない。
エックハルトは第七崩壊に操られたフリをして、見事討ち取ってみせたのだ。
芙黎はその時、初めてエックハルトの神禍に感謝してみせた。
凄いわね、その神禍──そんな言葉を拡大解釈して、自身こそが第七崩壊に相応しいと思い込み。
我こそ彼女の隣に並び立つ資格があると、第七崩壊を名乗るようになる。
この儀式は、試練だ。
全ては舞台装置。我が忠誠心を証明するため、掻き集められた役者達。
主役は無論『姫』を置いて他におらず、彼女の勝利を邪魔立てする者は悪役。
そして自分は、そんな悪役を蹴散らす白馬の騎士である。
エックハルト・クレヴァーは一切の疑いもなくそう確信した。
──ああ、姫よ。
──愛しき芙黎姫よ。
──この命は、あなたの為に。
開いた右の眼球に、譫妄を宿らせて。
自称第七崩壊は、その身を捧げる。
◆
その場所は、異質の一言に尽きた。
全球凍結以降、当たり前となっていた降雪。
粉雪から吹雪まで異なる顔を持つが、決して姿を見ない日は無かった空からの殺意。
この場所は、それがなかった。
暗闇の中でも目立つ宗教じみた都市。
青とも緑とも取れる色の壁を持つ建造物が並び立ち、アスファルトは最近手入れされたかのように平坦。
五年前の日常を切り取ったかのようであるが、異様な出で立ちの建造物がそれを否定する。
現実と夢が入り交じったような、奇妙な空間だった。
「…………」
「おや、おやおや?」
その地にて、二つの影が邂逅する。
片や騎士のような装甲を身に纏う金髪の女。
片や厚手のコートに身を包む薄い青髪の男。
一見すれば接点などないように映る男女。
性別も出生も、文化も思想も、なにもかも異なる二つの影。
しかし彼らがこの儀式に呼ばれ、こうして巡り会ったことにはなにか理由があるような。
得も言われぬ感覚が、二人の神経を貫いた。
「あなたは?」
「これはこれは申し遅れました。私、第七崩壊のエックハルト・クレヴァーと申します。愛すべき『姫』の為、この儀式に馳せ参じました」
女、エトランゼの問い。
対して男、エックハルトは胸に手を添えて一礼と共に名を告げる。
左眼を強く閉じているからか、端麗な顔立ちが台無しなぎこちない笑み。
カラクリ人形のような不自然さに目もくれず、エトランゼの頭を無視できない疑問が掠めた。
「馬鹿な、第七崩壊は死んだはずです」
「ええ、ええ。そう語る者も居るでしょう。けれどそれは大きな間違い、行き違い。第七崩壊は滅んだ、と。そう思う事で救われるのであれば、それも良し。否定は致しません、『姫』は全てを肯定するのですから」
早口で捲し立てる男へ、エトランゼは瞬時に判断する。
この男との問答は成立しない、と。
自ら崩壊を名乗る者はそう珍しくないし、言葉の通じない者は更に蔓延っているのがこの新世界。
ならば切り捨てようと、神禍を発動しようとしたところで──ふと、男の述べた一つの単語が引っかかった。
「……『姫』、と仰いましたか」
「おや、ご存知ですか。よい事です」
聞いたことがある。
中国の広大な土地は今や、『姫』と呼ばれる第六崩壊を盲信する信者に溢れていると。
当初は第七崩壊と同様の精神汚染系の神禍だと疑われていたが、どうやら信徒は自ら彼女に付き従っているらしい。
対面したことはないが、エトランゼはその話を聞いた時に戦慄した。
この救いのない世界にて、莫大な数の信徒を増やす事が出来る人間。
それはたとえ崩壊という名を持たずとも、エトランゼからすれば忌まわしい事この上ない。
人を惹きつける力を持つ者、人の上に立つ者──エトランゼにとってそれは、フランチェスカただ一人なのだから。
「姫は大変慈悲深く、寛大です。世界再生の儀においても、あの方は変わらない。あの方が勝ち残るべきだ。あの方以外が上に立つことなど有り得ない! あってはならないのです!」
右眼を血走らせ、唾を飛ばして男が喚く。
エトランゼはその言葉を聞き流すよう努めるが、どうしてもそれが出来ない。
彼女の左眉が不快そうに歪められているのが、なによりもの証拠。
────こいつは、何を言っているんだ?
第六崩壊〝ごとき〟が勝ち残るべき?
第六崩壊以外が上に立つことなど有り得ない?
普段のエトランゼであれば禍者の、ましてや正気でない信徒の言葉など毛ほども動揺もしなかったはずだ。
けれど今この孤島にいるのは、エトランゼや『姫』だけではない。
彼女の敬愛する獅子が、ここにはいる。
それを含めて有象無象のような扱いを受けたとあれば、エトランゼが激情を抱くのは当然だった。
「わかりました、では────」
掲げられた雷電心王の右手に、稲妻が迸る。
漂う電気の粒子は黄金に瞬いて、段々と長剣のような形へ集結する。
聖騎士の鎧に相応しい構図。宵闇を切り払う雷剣を手にする様は、紛れもない希望の象徴。
この背中を追い続けた者もいるだろう。
神話から飛び出したような勇ましい姿に、友軍はどれほど勇気付けられただろう。
そんな騎士の手本のような聖戦剣姫は今、怒りで悪を殺そうとしている。
エックハルトは「ほう」と短く唸り、コートの内側から銀色のナイフを取り出す。
雷電心王の持つ稲妻の剣と比べればあまりにも非力で、小振りで、頼りない得物。
傍から見ればその戦力差は明らかで、エトランゼの伝説を知らずとも彼女の勝利を確信するだろう。
「────死になさい」
エトランゼが剣を振るう。
間合いから大きく外れた素振りはしかし、開戦にして終戦の合図。
戦いは、ものの数秒で終わった。
降り注ぐ雷撃は自然のものと比べても、明らかに異常な大きさ。
それはもう落雷などという生易しいものではなく、空から波動砲が打ち出されているかのよう。
百や千の軍勢であろうと殲滅せしめる威力の雷霆は、出力だけならば『雷』の勇者にも勝ると言われた代物。
一個人に向けるにはあまりにも過剰な攻撃は、瞬く間にエックハルトの姿を包み込んだ。
◾︎
全球凍結した地球において、落雷を目にする機会など神禍を除いて存在しない。
太陽光による上昇気流が存在せず、そもそもとして積乱雲が発生しないからだ。
轟く雷鳴と闇を切り裂く稲光は、この孤島においてもさぞ目立ち、〝異変〟を伝えたであろう。
儀式開始から間もなく。この瞬間に放たれたエトランゼの雷撃は、間違いなく最大規模のものだった。
ならば、それを浴びたエックハルトは。
回避も防御も許さない撃滅の光を前に、塵と化すのが道理である。
エトランゼは神禍の応酬を殆ど味わったことがなかった。
理由は至極単純、相手の神禍を知る前に戦いが終わっているのだから。
そういう意味ではエトランゼの『雷電心王・聖戦剣姫』はまさしく、理不尽の極みと言って差し支えない。
──ああ、だからこそ。
──勝敗を分けたのは、その差なのだろう。
コンクリートを捲り上げ、建造物を倒壊させる極光の中。
エトランゼの瞳孔は確かに、一筋の影を捉えた。
獣の如く不規則で、素早く肉薄するそれは人型であったように思える。
触れるもの全てを灰燼と変える落雷に呑まれながら、〝それ〟は身怯み一つ見せず邁進している。
誇り高き騎士の思考を、夥しい数の疑問符が覆い尽くした。
「足りませんねェ、〝愛〟が」
ぽつりと、そんな言葉を聞いた気がする。
培われた反射神経が刃を振るうよりも早く、疾風のような影がエトランゼの横を通り過ぎた。
彼女の細首に刻まれたスティグマの跡。それをなぞるかのように、一筋の赤い線が走る。
雪とは違う冷たい感触が通り抜けたような感触の後、じわりと熱を帯び始める。
喉元から右横にかけて伸びる線からぽたりと雫が垂れて、まるで噴水の如く咲いた。
ぐらりと、エトランゼの身体が崩れ落ちる。
久方振りの降雪がない星空を眺めて、あまりの眩しさに目を細めた。
万華鏡のように揺れ動き、幾重にもブレて見える星々。
急速に身体から力が抜けていき、意識が微睡みの中へと落ちてゆく。
嫌だ、眠りたくない、ここで寝たらあの人に会えない。
そんなエトランゼの思考を嘲笑うかのように、視界の端から黒色が侵食し始める。
「お、……ねえ、さ…………ま…………」
黒に染まりゆく視界の中心、燦然と輝く星。
藻掻くように伸ばされた手は、光を掴もうと空を切る。
その手を掴む者は遂に現れず、やがてぱたりと地に落ちた。
◾︎
「ああ、やはり、やはり。神は私に、姫に微笑んだ。それも当然、真に世界の救世主たるは姫ただ一人なのですから」
物言わぬエトランゼの遺体。
深い切創が刻まれた首元へ手を当てがい、支給品を回収する。
その手際には一切の迷いも躊躇いもなく、自身の行いが正しいと心の底から信じている証拠であった。
「姫、姫。私は今悪鬼を一匹仕留めました。どうか、どうかお褒め下さい。微笑みを下さい。愛を、愛を下さい!」
ゆらり、ゆらりと。
幽鬼を思わせる足取りで、狂信者は歩く。
真実の愛を求めて。気分はさながら詩を運ぶ吟遊詩人。
エトランゼの神禍は確かに理不尽。
ひとたび何も知らぬ者が対峙すれば、わけもわからずに塵となるだろう。
しかしエックハルトは、理不尽を殺す理不尽。
神禍殺しなる神禍が存在することは、エトランゼも話に聞いていた。
しかしその可能性はないと、無意識に頭の中から除外してしまっていた。
その理由こそが、彼女が血で上書きされたスティグマだ。
神禍を無効化する者はそもそもとしてこの場に呼ばれるはずがないと、そう思い込んでしまったのだ。
確かにその推察は正しい。
エトランゼが真っ先に可能性を排除するのは無理もない、当然の判断と言える。
事実、エトランゼの即断はエックハルトを除いた殆どの参加者に致命傷を負わせられただろう。
しかし、ただ一人の〝天敵〟と巡り会ったことは──果たして運命の悪戯だろうか。
エックハルト・クレヴァーは何も持っていなかった。
対してエトランゼは、全てを持っていた。
勇気も力も知恵も、努力などというものでは到底埋まらないほどの差があった。
けれど、ただ一つだけ。
エックハルトが上回るものがある。
それこそが、狂気的とも言える〝愛〟であった。
【エトランゼ・ティリシア・ミルダリス 死亡】
【E-3・聖域/1日目・深夜】
【自称No.7『啓蒙』 / エックハルト・クレヴァー】
[状態]:健康
[装備]:ナイフ
[道具]:支給品一式×2、無数のナイフ、ランダム武器(???)×2
[思考・行動]
基本:『姫』を優勝させる。
1:邪魔者を排除し、白馬の騎士になる。
[備考]
※エトランゼの名前をスティグマに刻みました。
最終更新:2025年07月09日 21:38