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坂本龍馬
- 天保6年11月15日(1835年1月3日)- 慶応3年11月15日(1867年12月10日)
- 土佐国土佐郡上街本町一丁目(現在の高知県高知市上町一丁目)に非常に裕福な家庭に生まれる。
- 父・八平、母・幸の次男として生まれた。兄(権平)と3人の姉(千鶴、栄、乙女)がいた。
- 身長は182cm。ただし諸説ある。龍馬大男説には異論もあり169cm62kgとする説もある。どちらにしろ当時としてはかなり大柄な男性だったようだ。
- 血液型はO型。2010年、京都国立博物館蔵の血痕のある屏風・掛け軸を調べて初めて判明。ただし、
「公式」
←これを見るとまだ調べられてもいないという。
- ひつじ年生まれ。
- 坂本家の家紋は「組み合わせ桝に桔梗(くみあわせかくにききょうもん)」
坂本龍馬に対する評価
- 「その見識、議論の高さ、他人を説得する能力に関して彼の右に出る者はいない」--陸奥宗光
- 「天下に有志に多くあった。だが、これほど度量の大きい龍馬に匹敵するものを未だかつて見たことがない。龍馬の度量や到底測るべからず」--西郷隆盛
- 「相手の話を黙って聴き、否とも応とも言わず、さんざん人にしゃべらせておいた後で、「私の説は」とユーモアを交えて話し、自分が大笑いするという愛嬌家だった」--関義臣
- 「龍馬誠実可也の人物、併せて撃剣家、事情迂闊、何も知らずとぞ」--住谷寅之介
- 「過激になることもない。声を荒げることもなく、大人しい人物なり。容貌を見ると豪気に見えても、万事温和に事を処理する人なり。ただし、胆力は極めて大なり」--三吉慎蔵
(わかりやすい、現代日本語に翻訳中です。専門分野な人がウチの会にいるので翻訳してもらってます)。
まとめると坂本龍馬は、見識、他人を説得する能力の高さ、度量があり、誠実である。といったところである。
また、海援隊士の給料が3両2分と隊長から平隊士まで皆同じというように、分け隔てのない平等な考えを持った人である。
身長に関して。
残っている紋服などから以下のように推定されることもあるようだ。
身長=173cm
体重=約80kg
紋服の寸法。
着丈=149cm 肩巾=32cm 袖丈=50cm 袖巾=33.5cm 裄丈=65cm 前巾=26cm 後巾=30.5cm
トリビア。
- 「厚情必ずしも人情にあらず、薄情の道忘るるなかれ」『英将秘訣』の中の話。龍馬は実際は言っていない。
- 子どものころの寝小便癖は後世の作り話であるという。実際は子どもの頃から頭がよく、繊細な子どもであったという。
- 坂本家の本家は龍馬の兄・権平のあとを継いだ直寛(養子)が北海道の開拓移民で明治31~32年にかけ一家で移住し北海道に移り住んだ。いまでも本家は北海道にあるという。
- 龍馬の生家の場所には現在、吉田茂元総理の筆による「坂本龍馬先生誕生の地」という碑が立っている。
- 坂本龍馬の髪質は天然パーマではなくストレートであった。また、髪型は普段から整えておりオシャレにしていた。
龍馬の親戚
- 土佐勤王党の盟主、武市瑞山とは遠縁にあたる。
- 鳩山由紀夫・邦夫兄弟は(鳩山家)鳩山邦夫氏曰く「いとこの妻のいとこが龍馬の姉のひ孫」と、龍馬と親戚であることを公言している。
- 竜馬の姉・千鶴の子の坂本直寛はクリスチャンで牧師にまでなっている。
余談ですが・・・
自分はチビなので身長は少し悲しくなるが、血液型は自分と一緒(笑)。
坂本龍馬は日本の国民的ヒーローであり、世界に誇れる日本の偉人でありますが、自分の中でも尊敬してやまない人物であります。
書き途中です。このページは隠しページです。常設ページにすることを薦められましたが、どうしようかな・・・ タグは入れてみました。
内部隠しページ
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最終更新:2012年04月05日 23:34