トリビア一覧。
- 「厚情必ずしも人情にあらず、薄情の道忘るるなかれ」『英将秘訣』の中の話。龍馬は実際は言っていない。
- 『英将秘訣』の作者は龍馬ではなく、平田派の学者と考える方が無難。現在では龍馬とは無関係とする説のほうが大勢を占めている。
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- 名言などで『英将秘訣』が取り上げられてしまうため、龍馬本人の性質とは大きく異なるものとなってしまっている。
- 子どものころの寝小便癖は後世の作り話であるという。実際は子どもの頃から頭がよく、繊細な子どもであったという。
- 後世の作り話によるイメージ操作で幼児期の「おねしょ」などの話が出来あがった。
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- 坂本家の本家は龍馬の兄・権平のあとを継いだ直寛(養子)が北海道の開拓移民で明治31~32年にかけ一家で移住し北海道に移り住んだ。いまでも本家は北海道にあるという。
- 坂本家の子孫は現在北海道に3家族、東京にも3家族くらいで、神戸にも1家族。
- 龍馬の生家の場所には現在、吉田茂元総理の筆による「坂本龍馬先生誕生の地」という碑が立っている。
- 坂本龍馬の髪質は天然パーマではなくストレートであった。また、髪型は普段から整えておりオシャレにしていた。
- 実は龍馬の目は大きく恐がられるギョロ目であった。だが、それがコンプレックスで写真に写る時はわざと目を細めていた。
- また、視力はあまり良くなかったために、目を細めることも多かったという。
- 土佐勤王党の盟主、武市瑞山とは遠縁にあたる。
- 鳩山由紀夫・邦夫兄弟(鳩山家)は鳩山邦夫氏曰く「いとこの妻のいとこが龍馬の姉のひ孫」と、龍馬と親戚であることを公言している。
- 竜馬の姉・千鶴の子の坂本直寛はクリスチャンで牧師にまでなっている。
- 気が弱く、イジメられてたというのは本当であったようだ。
- 日本初の新婚旅行をした人物とされる。ただし、これは本当は違うらしい。
- 司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』の「寝侍ノ藤兵衛」は架空の人物。
書き途中。
最終更新:2011年11月21日 14:54