伊東昭光

伊東 昭光(いとう あきみつ、1963年4月2日 - )は、日本の元プロ野球選手、プロ野球の指導者。東京都出身。

==来歴・人物 ==

現役時代はヤクルトスワローズに所属した投手。右投げ右打ち。2年目でさっそくチームの勝ち頭となると、3年目には抑えに回ってリーグ最多勝を獲得するなど、現役時代を通じて先発・中継ぎ・抑え全てをこなした。

1988年に18勝9敗17Sの成績を残し、抑えでありながら最多勝利を獲得する(全て救援での勝利)。ちなみにこの年は規定投球回数未満(122 2/3回)であり、規定投球回数未満の投手が最多勝利を獲得するのは史上初めてで、2005年に下柳剛が達成するまでは唯一の記録であった。ただ、この勝利の中には、勝ち試合で登板したものの同点に追いつかれ、その後チームが再び勝ち越した結果ついた勝利が多く、伊東本人はあまり嬉しくはなかったと語っている。

1998年に現役引退後、一軍投手コーチに就任。打者出身の若松勉監督をよく補佐し、投手起用などは伊東が責任を持っていた。コーチとして非常に厳しい指導で知られ、若手投手に対する厳しい姿勢やコメントは有名である。2006年から古田敦也が選手兼任監督となったのに伴ってヘッドコーチへ(投手コーチ兼任)昇格し、古田を支える立場になった。私生活の面でも1995年に古田が中井美穂と結婚した際の仲人を務めた。

とんねるずの石橋貴明は、高校時代の野球部の先輩(2年上)にあたる。バラエティ番組で共演した際には、さすがの伊東もタメ口で石橋にいじられて苦笑いする姿が見られる。

==略歴 ==

  • 高校は帝京高、高校2年春(1980年)の選抜高等学校野球大会準優勝。社会人野球は本田技研に在籍。
  • 1984年 エースとしてロサンゼルスオリンピック野球日本代表に参加し、金メダル獲得する。
  • 1985年 ドラフト1位でヤクルトに入団。背番号は18番。
  • 1987年 プロ入り初の2桁勝利(14勝)。
  • 1988年 読売ジャイアンツとの開幕戦でリリーフ登板し東京ドームにおける公式戦で初めてセーブ記録した投手。前年抑えを務めた高野光が故障したため、替わりに抑えを務めて最多勝獲得。
  • 1991年 プロ入り後初めてとなる一軍登板無し。
  • 1992年 この年7勝をあげ復活。カムバック賞を受賞する。
  • 1993年 5年ぶりとなる2桁勝利(13勝)。15年ぶりの日本一に貢献。
  • 1998年 現役引退。
  • 1999年 ヤクルトの投手コーチに就任。
  • 2006年 ヘッドコーチへ昇格(投手コーチを兼任)。




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最終更新:2007年05月15日 12:43