飯原誉士

飯原 誉士(いいはら やすし、1983年4月26日 - )は、栃木県小山市出身のプロ野球選手。東京ヤクルトスワローズ所属。右投右打。ポジションは外野手、三塁手。身長181cm、体重79kg、O型。

==来歴・人物 ==

プロ入り前

小学校1年生で野球を始める。中学校は市立桑中学校、高校は県立小山高等学校、大学は白鴎大学と、アマチュア時代は全て地元の栃木県小山市で過ごしている。元々は投手で、高校時代は県下随一の投手としてならした。プロのスカウトも注目するほどの逸材であったが、肩の怪我のため、大学時代に外野手へ転向する。俊足好打の外野手として活躍し、ベストナインを4度、スポニチ賞を1度獲得した。野球に対する視野を広げるため、一球に対する集中力を高めるためと、3年時には遊撃手を務めた。
2005年の大学・社会人ドラフトで、ヤクルトスワローズに5巡目で指名され入団。栃木県の大学からプロ野球入りするのは史上初めてのことである。
この県立小山高等学校からプロ野球選手になったのは、ヤクルトの先輩でもある広澤克実(プロ野球解説者)以来2人目である。

プロ入り後

2006年4月22日 対横浜ベイスターズ戦で、初スタメンを果たす。この日、初安打、初盗塁を記録する。
2006年7月20日 2006年度フレッシュオールスターゲームにて、4安打3得点1盗塁を決めMVPを獲得。青木宣親に続いての飛躍が期待される。
2006年9月15日神宮での広島戦において井生崇光のレフト線フェンスダイレクトの打球を、素早く処理、好返球をみせ、足のある井生を見事余裕をもって刺した。打球の滞空時間も長かったため、二塁打コースと確信していたのか、刺された後に井生は苦笑いを見せている。また、この時の解説者の達川氏が「内野手が外野で守っているかのようだ」と例えたことからその好守、強肩ぶりが伺える。
2007年も外野手として登録されているが、岩村の抜けた内野のポジションを宮出隆自、畠山和洋らと争う。
2006年オフから、古田敦也監督の方針もあって遊撃手に挑戦。ハワイのウィンターリーグには遊撃手登録で派遣された。リーグ最多の5本塁打と打撃の結果も残している。
2007年の春キャンプでは、宮本慎也の故障もあって、ショートのポジションを任せられる。経験は浅いものの堅実なプレーを見せており、監督からはキャンプ最大の収穫と評価された。

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最終更新:2007年05月22日 15:26