ヤクルト @ ウィキ内検索 / 「八重樫幸雄(77)」で検索した結果

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  • 八重樫幸雄(77)
    八重樫幸雄 八重樫 幸雄(やえがし ゆきお、1951年6月15日 - )は、宮城県仙台市出身。昭和後期から平成期(1970年代~1990年代前半)のプロ野球選手である。現役時代のポジションは捕手。右投げ右打ち。打撃の際、投手に正対するように構える、独特のオープンスタンスが特徴。 ==来歴・人物 == 仙台商高から、1969年のドラフトでヤクルトアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)から1位指名され、1970年に入団。視力の低下ということもあって控え暮らしが多かったが、大矢明彦の後、正捕手を務める。1985年に打率3割をマークしてベストナインに輝く。野村克也監督時代は右の代打の切り札的存在。1993年現役を引退。 1994年から2軍バッテリーコーチ。1996年一軍バッテリーコーチ。1997年から2軍監督。1999年一軍打撃コーチ(ヘッド格)。2006年現在は一軍打撃コーチを...
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  • 荒井幸雄(74)
    荒井幸雄 荒井 幸雄(あらい ゆきお、1964年10月13日 - )は、プロ野球選手。現在東京ヤクルトスワローズの二軍打撃コーチを務める。左投げ左打ち。神奈川県出身。愛称は荒井注にちなみ「チューさん」。 ==略歴 == 高校は横浜市立横浜商業高等学校、社会人野球は日本石油に所属。ロサンゼルスオリンピック野球日本代表では4番に座り金メダルを獲得に貢献した。 1986年 ドラフト2位でヤクルトに入団。 1987年 打率.301を記録。新人王獲得。 1996年 近鉄バファローズに移籍。 1998年 横浜ベイスターズに移籍。 2000年 現役引退後、コーチとしてヤクルトに復帰。 ==通算成績== 1042試合 2893打数 782安打 55本塁打 276打点 打率.270 引用元 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E4%BA%9...
  • 松元ユウイチ(65)
    松元ユウイチ 松元 ユウイチ(まつもと - 、1980年12月18日 - )は東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(外野手)。左投げ左打ち。日系ブラジル人であり、2004年に日本へ帰化している。帰化前は、松元・ユウイチ・ダニエルが戸籍名であり、登録名はユウイチ松元であった。 ==来歴・人物 == ブラジル出身であり、1999年にルイス州立高から入団。打撃能力は高いが、日本国籍取得前までは外国人登録であったため、外国人枠をフルに使っていたヤクルト球団のチーム事情から1軍の試合になかなか出場できなかった。 2002年になって初出場を果たし、2004年3月19日に日本国籍を取得し、出場機会が増えた。 そのバッティングフォームは左右こそ違えど八重樫幸雄打撃コーチに似ており、極端に右足を開くオープンスタンスである。今後の成長が期待される選手である。母国のブラジル野球代表の4番に...
  • 杉村繁(73)
    杉村繁 杉村 繁(すぎむら しげる、1957年7月31日 - )は、ヤクルトスワローズに所属したプロ野球選手(内野手)。高校時代のポジションは三塁手、プロ入り後はそのほかに二塁手、遊撃手もこなした。右投げ右打ち。高知県出身。 ==来歴・人物 == 高知高等学校時代は170cm未満の小柄な体格ながらスラッガーとして活躍し「中西二世」の異名をとり、また東海大相模高校の原辰徳とは「西の杉村、東の原」と並び称された。1975年、高校3年の春の甲子園大会ではその東海大相模と決勝で激突、5対5で迎えた延長13回表に決勝打となる三塁打を放ち優勝に導く。同年暮のドラフトでヤクルトに1位指名され入団。プロでは伸び悩み、1年目は2軍暮らし。2年目の1977年、広岡達朗監督の指令でコンパクトな打撃に改造、更に守備を鍛えられ、その甲斐もあって32試合に出場。4年目の1979年には自己最高の185打数45...
  • 田中浩康(7)
    田中浩康 田中 浩康(たなか ひろやす、1982年5月24日 - )は、京都府木津川市出身のプロ野球選手。東京ヤクルトスワローズ所属。右投右打、ポジションは内野手(主に二塁手、一軍では他に遊撃手、三塁手もつとめる)。身長177cm、体重77kg。血液型はO。 ==来歴・人物 == アマチュア時代 小学校2年生のときに野球を始める。中学校時代は木津第二中学校2年時にボーイズリーグのチーム、奈良スターズに入団しプレイする。 高校は香川県の尽誠学園高等学校に入学し、1年時と2年時に二塁手として全国高等学校野球選手権大会に出場する。甲子園での成績は12打数2安打1打点。 2001年に早稲田大学に入学。1年春から二塁のレギュラーに定着し、六大学リーグ戦の全試合に出場。3年秋にベストナイン獲得。4年時にはキャプテンを務め、史上24人目となる大学通算100安打以上(102安打)を放...
  • 古田敦也(27)
    古田敦也 古田 敦也(ふるた あつや、1965年8月6日 - )は兵庫県川西市生まれのプロ野球選手(選手兼任監督)である。ポジションは捕手。現在は東京ヤクルトスワローズに所属し、2005年シーズン終了後から監督を兼任(2005年秋季キャンプから指揮を執っている)。背番号は27番。身長は180cm、体重は80kg、血液型はB型。妻は、フリーアナウンサー(元フジテレビ)の中井美穂。 身長・体重:180cm 80kg 投打:右投右打 出身地:兵庫県川西市 血液型:B型 球歴・入団経緯:川西明峰高校 - 立命館大学 - 1988年トヨタ自動車 - 1990年ヤクルト - 2006年ヤクルト選手兼任監督就任 FA行使:行使せず プロ入り年度・ドラフト順位:1980年(2位) 英語表記:FURUTA 推定年俸:1億6000万(2007年)※監督年俸1億円、選手年俸6000万円 守...
  • 田中充 (47)
    田中充 (投手) 田中充(たなか たかし、1975年6月3日 - )は、東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手。栃木県芳賀郡出身。ポジションは投手。左投左打。183cm、84kg。なお、横浜ベイスターズにも田中充という選手がいるが、彼の名前は「たなか みつる」と読む。(しかし、ミツルに登録名を変更している) ==来歴・人物 == アマチュア時代の球歴は 浦和学院高等学校→東洋大学→NTT関東→NTT東日本 2001年ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから4巡目で指名され入団。 2004年途中、前田浩継とのトレードで、丸山泰嗣と共にヤクルトスワローズに移籍。途中入団ながら38試合に登板し、不調だった中継ぎ陣を支える。 引用元 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%85%85_%28%E6%8A%95%E...
  • 中西親志(71)
    中西親志 中西 親志(なかにし ちかし、1960年11月6日 - )は、三重県出身のヤクルトスワローズに所属した捕手。三重県出身。三重県立相可高等学校卒業。右投げ右打ち。現在はヤクルトのバッテリーコーチ。 ==来歴・人物 == 1988年 ドラフト5位でNTT東海よりヤクルトに入団。1996年選手兼任コーチになり、それまでの背番号33を当時ルーキーだったカツノリに譲り、背番号を71に変更した。1997年、現役を引退しヤクルトのコーチに就任。 現役時代は古田敦也の影に隠れる形となったが、闘志あふれる性格と打者の内角を抉るリードで当時の野村克也監督からの信頼は厚かった。そのリードスタイルは歴代野村政権下のチームで踏襲されている。また乱闘で取っ組み合いになるシーンは一部のプロ野球ファンの間で有名だった。 ==通算成績 == 172試合 打率.153 本塁打1 打点18 引...
  • 土橋勝征(75)
    土橋勝征 土橋 勝征(どばし かつゆき、1968年12月5日 - )は、千葉県船橋市出身。昭和末期から平成期(1980年代後半-2000年代前半)に東京ヤクルトスワローズで活躍した元プロ野球選手。現在は同チームの2軍打撃コーチ。右投右打。夫人は女優の白島靖代。 ==来歴・人物 == 正式なポジションは内野手だが、入団後しばらくは外野手でよく出場しており、登録も一時期は外野手であった。投手と捕手以外の全てのポジションを守った経験があるユーティリティプレーヤーであるが、レギュラー定着後は二塁手としての出場がほとんどであった。打撃面では、追い込まれたカウントでもファウルで懸命に粘ったり、難しいボールを巧みに右打ちするなど、玄人好みの打撃が光り、良い意味でいやらしい選手との評価が高い。目立つほど短くバットを持つのが特徴的である。手が下がらないように、余った柄の途中にテープをグルグル巻いて...
  • 伊東昭光(72)
    伊東昭光 伊東 昭光(いとう あきみつ、1963年4月2日 - )は、日本の元プロ野球選手、プロ野球の指導者。東京都出身。 ==来歴・人物 == 現役時代はヤクルトスワローズに所属した投手。右投げ右打ち。2年目でさっそくチームの勝ち頭となると、3年目には抑えに回ってリーグ最多勝を獲得するなど、現役時代を通じて先発・中継ぎ・抑え全てをこなした。 1988年に18勝9敗17Sの成績を残し、抑えでありながら最多勝利を獲得する(全て救援での勝利)。ちなみにこの年は規定投球回数未満(122 2/3回)であり、規定投球回数未満の投手が最多勝利を獲得するのは史上初めてで、2005年に下柳剛が達成するまでは唯一の記録であった。ただ、この勝利の中には、勝ち試合で登板したものの同点に追いつかれ、その後チームが再び勝ち越した結果ついた勝利が多く、伊東本人はあまり嬉しくはなかったと語っている。 ...
  • 上原茂行(70)
    上原茂行 上原 茂行(うえはら しげゆき、1973年3月7日 - )は、プロ野球・東京ヤクルトスワローズの二軍バッテリーコーチである。背番号は70番 ==略歴 == 身長・体重 1m78cm、80kg 投打 右/右 出身地 京都市下京区 血液型 A型 球歴・入団経緯 京都西高-龍谷大-ヤクルト(1997年~) プロ入り年度・プロ経験なし
  • 角富士夫(76)
    角富士夫 角 富士夫(すみ ふじお、1956年5月31日 - )は、ヤクルトスワローズに所属した内野手。ポジションはおもに三塁手。右投げ右打ち。現在二軍打撃コーチを務める(背番号は76)。現役時代の背番号は41→5。 ==来歴・人物 == パンチ力のある打撃力と、堅実な守備を武器に長らく三塁手のレギュラーとして活躍。一時は首位打者争いにも加わった1978年には唯一のオールスターゲーム出場。この年の日本シリーズでは第2戦で超特大のホームランを放ち、翌第3戦ではスタメン出場するも、怪我のため日本一の胴上げには加われなかった。1987年にはボブ・ホーナー入団のあおりを受け、レギュラー剥奪されるも、翌年からはレギュラー復帰。1990年には生涯唯一の打率3割を記録、ゴールデングラブ賞を獲得する。晩年の1992年・1993年にはリーグ優勝、特に1993年のシリーズでは15年ぶり日本一の瞬間を...
  • 成本年秀(79)
    成本年秀 成本 年秀(なりもと としひで、1968年9月11日 - )は、兵庫県西宮市出身のプロ野球選手(投手)。 ==来歴・人物 == 西宮東高-京産大-大阪ガスを経て1992年のドラフト2位で千葉ロッテマリーンズから指名され、1993年入団。河本育之とともにダブルストッパーとして活躍し、1996年に最優秀救援投手のタイトルを獲得。1997年に右ヒジを手術、先発に転向するが目立った活躍は無かった。 2000年オフに千葉ロッテから戦力外通告を受ける。千葉ロッテからは球団職員への転向を打診され悩んでいた中で、阪神タイガースの野村克也監督から電話があり「お前のフォークボールはまだまだ通用する。うちのテストを受けてみないか?」と言われ、現役続行を決意。テストに合格し2001年に阪神に移籍。クローザーとして20セーブを記録し、カムバック賞を受賞した。2003年にヤクルトスワローズ...
  • 川島亮(17)
    川島亮 川島 亮(かわしま りょう、1981年9月9日 - )は東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手(投手)。右投げ左打ち。背番号は松岡弘、川崎憲次郎が付けていたエースナンバーの「17」。その番号が示す通り、スワローズのエース候補と目される本格派右腕である。千葉県千葉市稲毛区出身。爽やかで端正な顔立ちで女性ファンも多い。 ==来歴・人物 == 千葉市立稲毛中学校1年時から北千葉ポニーに所属し、野球を始める。ちなみにチームOBに現在チームメイトである石井一久がいる。 高校は千葉経済大学附属高等学校、大学は八戸大学に在籍。大学の同期に石川賢(現中日ドラゴンズ)がいる。また、南海キャンディーズの山ちゃんは高校の先輩にあたる。 2004年 ドラフト自由獲得枠でヤクルトに入団。この年新人王獲得。 同年、開幕から巨人に連敗に次ぐ連敗だったのを止めたのは、ルーキー時代の川島だった。 ...
  • 高橋寛(97)
    高橋寛 高橋 寛(たかはし ひろし、1951年12月20日- )は島根出身のヤクルトの育成コーチ。178cm/86kg、右投げ右打ち。1976年ドラフト5位でヤクルトに入団。 ==略歴 == 江津工高-松下電器-ヤクルト(1976年ドラフト5位) 引用元 http //baseball.yahoo.co.jp/npb/player?t=dc c=2 id=20052
  • 大塚淳(67)
    大塚淳 大塚 淳(おおつか じゅん、1984年6月8日 - )は、茨城県出身の東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手。ポジションは内野手(主に二塁手、遊撃手などだが、どこでも守る)。右投げ右打ち。背番号は67。 ==来歴・人物 == アマチュア時代 茨城県立土浦第三高等学校では1年春からレギュラー。2年の新チームから主将。3年夏は県大会4回戦で敗退した。 2002年春の選抜大会に21世紀枠で候補に残っていたが、部員の不祥事により部活動休止の憂き目にあっている。 2002年ドラフト11巡目でヤクルトスワローズに入団。高井雄平、館山昌平らと同期入団。 高校通算打率.520、16本塁打。小柄な体格ながら意外性のある打撃と、身体能力が評価されての指名となった。 プロ入り後 2003年~2004年シーズンは体力作りにあて、主に代走・守備要員としての出場が続いた...
  • 福川将和(37)
    福川将和 福川 将和(ふくかわ まさかず、1976年12月29日 - )は、東京ヤクルトスワローズに在籍するプロ野球選手(捕手)。 ==来歴・人物 == * 大学4年のとき捕手に転向するまでは一塁手で、二軍では三塁手で出場したこともある。 * 東農大生産学部出身のため、大根踊りの踊り方を知っているが、踊ったことは無いという。 * 笑顔の絶えない好人物で、チーム内のムードメーカーとなっている。 * プライベートでは宮本選手や宮出選手と仲が良いらしい。 引用元 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B7%9D%E5%B0%86%E5%92%8C
  • 丸山貴史(57)
    丸山貴史 丸山 貴史(まるやま たかし、1986年6月28日 -)は愛知県名古屋市出身のプロ野球選手。東京ヤクルトスワローズ所属。ポジションは投手。背番号57。左投げ左打ち。 ==来歴・人物 == * 愛工大名電高ではエースとして、大きなカーブを武器に2003年センバツ、夏の甲子園、2004年センバツと3度甲子園出場を果たす。2004年にはセンバツ準優勝を果たす。 * プロでも高卒ルーキーながら1軍登板を果たし、2006年には念願のプロ初勝利を記録。オフにはハワイのウィンターリーグに派遣され、防御率1.32と好結果を残した。制球力が課題となっているが、2007年の飛躍が期待される。 引用元 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E8%B2%B4%E5%8F%B2
  • ディッキー・ゴンザレス(78)
    ディッキー・ゴンザレス ディッキー・ゴンザレス(Dicky Angel González , 1978年12月21日 - )は、プエルトリコ・バヤモン出身のプロ野球選手。東京ヤクルトスワローズ所属。右投右打。ポジションは投手。178cm、98kg。 ==来歴・人物 == 1996年のMLBドラフトで、16巡目、全体468位でニューヨーク・メッツに指名され、プエルトリコのアドルフィナ・イリサリー高校から入団する。 入団後はマイナーリーグ生活を続けるが、2001年に初めてMLBで登板する。 2002年からは再びマイナー生活を送り、2004年にタンパベイ・デビルレイズで再びMLBへ昇格する。 2004年6月に日本へ来日し、ヤクルトスワローズと契約を結んだ。リリーフ不足のチーム事情から、主に中継ぎで登板するが、先発も務め4勝2敗の成績を上げる。 2005年は開幕投手の候補にもなっ...
  • アーロン・ガイエル(5)
    アーロン・ガイエル アーロン・ガイエル(Aaron Colin Guiel , 1972年10月5日 - )は、東京ヤクルトスワローズ所属の外野手。カナダ・バンクーバー出身。右投げ左打ち。身長177.8cm、体重91kg。 ==来歴・人物 == 弟のジェフ・ガイエルはマイナーリーグでプレーする外野手で、アテネオリンピックの野球カナダ代表にも選ばれている。本人はかなりの強肩であり、オープン戦でその肩を披露した。 MLB時代 ブリティッシュコロンビア州のウッドランズ高校、クワントレン大学を経て、1992年、カリフォルニア・エンゼルスからドラフト21巡目(全体580位)で指名され契約。 その後1997年にサンディエゴ・パドレスへトレードされ、2000年にFA選手としてオークランド・アスレチックスと契約。 2000年3月に解雇されると、直後の4月1日にメキシカンリーグ...
  • 海老野貴勇(93)
    海老野貴勇 海老野 貴勇(えびの たかお、1965年7月21日- )は香川出身のヤクルトのコンディショニングコーチ。身長175cm体重77kg、右投げ右打ち。 ==略歴 == 丸亀商高-福岡工大-ユタ州立大-ヤクルト(93~)=プロ選手経験なし 引用元 http //baseball.yahoo.co.jp/npb/player?t=dc c=2 id=20051
  • 三木肇(35)
    三木肇 三木 肇(みき はじめ、1977年4月25日 - )は、東京ヤクルトスワローズに在籍するプロ野球選手(内野手)。 打撃成績はよくないが、堅守と俊足には定評がある。 元プロ野球選手の三木仁(オリックス・バファローズなどに所属)は実弟。 毎年のように期待のホープとして挙げられるが、怪我も多く満足な成績を残すことができずにいる。 ==略歴== * 身長・体重 180cm・75kg * 投打 右/両(元は右打ち) * 出身地 大阪府 * 血液型 A型 * 経歴 上宮高 - ヤクルト(ドラフト1位) * 背番号 35 引用元 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E8%82%87
  • 猿渡寛茂(89)
    猿渡寛茂 猿渡 寛茂(さるわたり ひろしげ、1949年4月28日- )はプロ野球、東映フライヤーズ~日本ハム・ファイターズの選手。右投右打、ポジションは内野手。背番号は56→35番。三池工から三菱重工長崎を経て、1970年、東映フライヤーズに入団。控えの選手として一軍に定着。主に守備固めで出場した。 ==略歴 == 1977年、現役引退。 1979年、日本ハム・ファイターズの二軍コーチに就任。 1985年、ヤクルトスワローズの二軍コーチに就任。 1987年、日本ハム・ファイターズのコーチに就任。古巣復帰。 2000年、一軍守備・走塁コーチに就任。2001年、退団。 2002年、ヤクルトスワローズの二軍守備・走塁コーチに就任。 引用元 http //d.hatena.ne.jp/keyword/%B1%EE%C5%CF%B4%B2%CC%D0
  • 佐藤賢(13)
    佐藤賢 佐藤 賢(さとう まさる、1981年12月6日 - )は、東京ヤクルトスワローズに在籍するプロ野球選手(投手)。 ==来歴・人物 == 眼鏡をかけ、太作りでユーモラスな風貌から、「球界の高見盛」の異名を持つ。 明大時代、ライバルの早大・鳥谷敬を抑えこんだ素質を見込まれプロ入り。課題は、左投手にも係わらず左打者に弱く、(鳥谷は別だが…)また不用意な四球が多い点の克服。 太めの体格ながら、フィールディングは悪くない。 私生活では2006年7月7日に一回り年上の女性(一般人)と入籍したことを公表。 ==略歴 == 身長・体重:177cm・88kg 投打:左/左 出身地:山形県最上郡金山町 血液型:A型 経歴:羽黒高等学校 - 明治大学 - ヤクルト(ドラフト6位) 背番号:13 引用元 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90...
  • 衣川篤史(38)
    衣川篤史 衣川 篤史(きぬがわ あつし、1981年3月20日 - )は、東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手。兵庫県宝塚市出身。ポジションは捕手。右投右打。180cm、90kg。 ==来歴・人物 == 大商学園高等学校から岐阜聖徳学園大学を経て社会人野球の昭和コンクリートへ進んだものの、チームは2003年の夏をもって活動休止となり、住友金属鹿島へ転籍。住友金属鹿島では正捕手の座をつかみ、都市対抗野球連続出場に貢献した。 社会人通算4年目となる2006年、第77回都市対抗野球の1回戦では日本生命と対戦。試合には敗れたものの、この試合で衣川は日本生命が仕掛けた4盗塁を全て刺し、強肩ぶりが注目されて一躍ドラフト有力候補となった。 その年のオフの大学・社会人ドラフトでヤクルトからの指名を受け、プロ入りを果たした。 米野智人・福川将和らと共に『ポスト古田』を争う好素材である...
  • 宮出隆自(43)
    宮出隆自 宮出 隆自(みやで りゅうじ、 1977年8月18日 - )は、愛媛県宇和島市出身。東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手。ポジションは外野手(主に右翼手)。背番号は43番。 ==来歴・人物 == アマチュア時代 愛媛県立宇和島東高等学校ではエースとして活躍、後にスワローズでもチームメイトとなる岩村明憲とバッテリーを組んだ。 1994年夏の甲子園では一塁手として出場。チームは惜しくもやぶれたが、3打数1安打1打点と結果を残している。 1995年のドラフト2位でヤクルトに投手として入団。 練習試合などを除いても、高校通算34本塁打の強打を誇った。 プロ入り後・投手時代 190cmの長身から投げ下ろす速球やフォークボールを武器に台頭。 1996年ルーキーながらファームで2勝をあげると、翌1997年にはファームながら先発で7勝をあげる活躍...
  • 村中恭平(15)
    村中恭兵 村中 恭兵(むらなか きょうへい、1987年10月25日- )は、プロ野球・東京ヤクルトスワローズに所属する投手である。背番号は15。長身から140km/h台の速球を投げ込む。性格は優しく大人しい。父親が有名なパティシエのせいか、プリンが大好物。 ==来歴・人物 == 高校1年時に東海大甲府高校の一員として夏の甲子園に出場するが、村中はベンチ入りをしたのみで登板はしていない。2年秋からエースだがそれ以降は甲子園に出場していない。3年夏の山梨県大会では三回戦でその年県代表となった日本航空高校に敗れた。なお野球部の村中秀人監督とは血縁関係にない。 豪腕が目立つが、村中はしなる腕でノビのある直球と抜群のコントロールを武器とした。150キロ投手が目立つ中、村中は対戦した打者を「ものすごい球が伸びる」と唸らせた。おそらく、柔らかい肘のしなりで回転の良い球が行っていると思われる。...
  • 花田真人(24)
    花田真人 花田 真人(はなだ まさと、1977年10月25日 - )は、東京ヤクルトスワローズに在籍するプロ野球選手(投手)。 ==来歴・人物 == 主に中継ぎとして起用されている投手である。 2002年に、中継ぎながら自らが三塁打を打つ活躍をみせ、プロ初勝利をあげた。 2003年には故障などで不安定な投球の続く先発投手陣が多い中、中継ぎで活躍を見せたため、先発に昇格。6回の先発で5~6回を無難にまとめたが、自らも腰痛でリタイア。 以後2004年一杯まであまり目立った活躍は無かった。かつてはスライダーを武器としたが、曲がりが大きすぎて相手に球種が分かってしまう為、曲がりを小さくする練習を試みていた事もある。2006年は速球とフォークを中心とした組み立てに、シュートとスライダーを混ぜる投球を見せた。 四死球が少なく、中継ぎとして計算しやすい投手である。被本塁打がやや多めだが、これは切...
  • 鎌田祐哉(20)
    鎌田祐哉 鎌田 祐哉(かまだ ゆうや 1978年11月27日 - )は、平成期(2000年代-)のヤクルト所属のプロ野球選手(投手)である。秋田県秋田市出身。 ==来歴・人物 == 秋田経法大附属高校(現:明桜高等学校)から早稲田大学を経て、2000年ドラフト2位でヤクルト入団。前年ドラフト2位でヤクルトに入団した藤井秀悟は早大の1年先輩である。1年次に時の三冠王高橋由伸を三球三振に取り、3年次には法政大学を相手に1安打ピッチングをするなど、早くから注目を集めていた。入団当初からまとまった投手として期待されたものの、故障でなかなか地力を発揮できなかった。しかし2002年後半に3勝を挙げたことで自信を掴んだ。2003年はいい投球を見せるものの前半は勝運に恵まれなかったが、後半はその不運も払拭。勝ち星を倍増し、2完封を含む6勝。ほぼローテーションに定着した。 高速スライダーが持ち味...
  • 高市俊(14)
    高市俊 高市俊(たかいち しゅん、1984年7月9日 - )は、千葉県流山市出身の東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手。青山学院大学出身。 ==来歴・人物 == 帝京高校時代は松本高明、吉田圭(いずれも現広島)がチームメイト。 自身はエースとして活躍し、2002年夏にはチームの甲子園ベスト4進出に貢献した。バッティングも良く、登板しない際には三塁手として出場していた。 青山学院大学時代は山岸穣(現西武)の卒業後、エースとして活躍。 3年春から4年春にかけて青学大のリーグ三連覇に貢献し、東都大学リーグ史上初となる3季連続でのMVP、最優秀投手、ベストナインの三冠に輝いた。 2005年の全日本大学野球選手権大会では優勝、翌年も準優勝。大学通算で25勝(9敗)を挙げ、東都大学リーグ記録となる11連勝も記録している。 球速はMAXでも140km/h前半。ただしこれは下級...
  • 石井弘寿(61)
    石井弘寿 石井 弘寿(いしい ひろとし、1977年9月14日 - )は、千葉県市原市岩崎出身のプロ野球選手。東京ヤクルトスワローズに所属。ポジションは投手。左投げ左打ち。背番号は61番。愛称は「ゴリ」「ゴリさん」 ==来歴・人物 == 1995年のドラフト会議で、ヤクルトスワローズから4位指名を受け入団。ルーキー年となる1996年にいきなり13試合に登板し、防御率3.38の好成績を残すも、その後は制球に苦しみ2年目は僅か1試合の登板、3年目は故障の影響で一軍登板無しに終わる。25試合投げた1999年も、防御率は6.28と不本意な成績に終わり、翌シーズン前に打者転向を示唆されるほどであった。石井は打者と投手の練習を並行して進めるという逆境にめげず、伊東昭光コーチ指導の下で課題の制球を徐々に克服。2000年から中継ぎに定着し、チームのリリーフ陣にとってなくてはならない存在として成長し...
  • 藤井秀悟(18)
    藤井秀悟 藤井 秀悟(ふじい しゅうご、1977年5月12日 - )は愛媛県伊予市出身の東京ヤクルトスワローズ所属の投手。左投げ左打ち。 ==来歴・人物 == 球持ちが良く、かつ躍動感あふれる投球フォームが特徴的。キレのあるストレートやスライダー、鋭く沈むチェンジアップなどが持ち球。これらのボールを低め低めに投げる制球が抜群。このコントロールがいい為、キャッチングの上手い古田敦也は、平気でワンバウンドを要求するが、バッターは手を出してしまう。石井一久の後を受けるヤクルトの左腕エースである。 試合は作っても援護点になかなか恵まれず、投手援護率も1.20と12球団の規定投球回数達成投手の中でもダントツのワーストであり、完投しても敗戦投手になることが非常に多い。当然ながら、1-0や2-1というスコアで負けることも珍しくない。逆に援護に恵まれた時には味方の中継ぎ陣が総崩れして点差を一気に...
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