ヤクルト @ ウィキ内検索 / 「大原秉秀(40)」で検索した結果

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  • 大原秉秀(40)
    大原秉秀 大原 秉秀(おおはら へいしゅう、1984年4月16日 -)はプロ野球・東京ヤクルトスワローズに所属する選手である。ポジションは内野手。背番号は40。 ==来歴・人物 == 高校時代には、通算35本塁打を放つ。2002年にドラフト5巡目でヤクルトに指名され入団。その恵まれた体格から大型内野手として池山二世と呼ばれるようになる。2006年には、待望の1軍初出場を果たす。将来の主力打者として期待されている 引用元 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E7%A7%89%E7%A7%80
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    ... 大原秉秀(40) ├ 野口祥順(55) ├ 丸山泰嗣(58) └ 大塚淳(67) ■ 外野手 ...
  • 成本年秀(79)
    成本年秀 成本 年秀(なりもと としひで、1968年9月11日 - )は、兵庫県西宮市出身のプロ野球選手(投手)。 ==来歴・人物 == 西宮東高-京産大-大阪ガスを経て1992年のドラフト2位で千葉ロッテマリーンズから指名され、1993年入団。河本育之とともにダブルストッパーとして活躍し、1996年に最優秀救援投手のタイトルを獲得。1997年に右ヒジを手術、先発に転向するが目立った活躍は無かった。 2000年オフに千葉ロッテから戦力外通告を受ける。千葉ロッテからは球団職員への転向を打診され悩んでいた中で、阪神タイガースの野村克也監督から電話があり「お前のフォークボールはまだまだ通用する。うちのテストを受けてみないか?」と言われ、現役続行を決意。テストに合格し2001年に阪神に移籍。クローザーとして20セーブを記録し、カムバック賞を受賞した。2003年にヤクルトスワローズ...
  • 上原厚治郎(48)
    上原厚治郎 上原 厚治郎(うえはら こうじろう、1983年6月12日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手。 ==来歴・人物 == 投手としては140キロ台のストレートと、スライダーをあやつる。課題は制球力。高校時代は打撃でも注目され、運動能力は高い。 社会人野球経由でのプロ入りだが、2006年までチームに在籍した松谷秀幸投手(2000年ドラフト3位)は、高校での1年上の先輩であった。 引用元 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E5%8E%9A%E6%B2%BB%E9%83%8E
  • 鎌田祐哉(20)
    鎌田祐哉 鎌田 祐哉(かまだ ゆうや 1978年11月27日 - )は、平成期(2000年代-)のヤクルト所属のプロ野球選手(投手)である。秋田県秋田市出身。 ==来歴・人物 == 秋田経法大附属高校(現:明桜高等学校)から早稲田大学を経て、2000年ドラフト2位でヤクルト入団。前年ドラフト2位でヤクルトに入団した藤井秀悟は早大の1年先輩である。1年次に時の三冠王高橋由伸を三球三振に取り、3年次には法政大学を相手に1安打ピッチングをするなど、早くから注目を集めていた。入団当初からまとまった投手として期待されたものの、故障でなかなか地力を発揮できなかった。しかし2002年後半に3勝を挙げたことで自信を掴んだ。2003年はいい投球を見せるものの前半は勝運に恵まれなかったが、後半はその不運も払拭。勝ち星を倍増し、2完封を含む6勝。ほぼローテーションに定着した。 高速スライダーが持ち味...
  • 田中充 (47)
    田中充 (投手) 田中充(たなか たかし、1975年6月3日 - )は、東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手。栃木県芳賀郡出身。ポジションは投手。左投左打。183cm、84kg。なお、横浜ベイスターズにも田中充という選手がいるが、彼の名前は「たなか みつる」と読む。(しかし、ミツルに登録名を変更している) ==来歴・人物 == アマチュア時代の球歴は 浦和学院高等学校→東洋大学→NTT関東→NTT東日本 2001年ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから4巡目で指名され入団。 2004年途中、前田浩継とのトレードで、丸山泰嗣と共にヤクルトスワローズに移籍。途中入団ながら38試合に登板し、不調だった中継ぎ陣を支える。 引用元 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%85%85_%28%E6%8A%95%E...
  • 度会博文(4)
    度会博文 度会 博文(わたらい ひろぶみ、1972年1月26日 - )は千葉県船橋市出身。平成期(1990年代後半~)のプロ野球選手である。ポジションは内野手だが、投手と捕手以外の全てのポジションを守れるユーティリティープレイヤーである。現在東京ヤクルトスワローズに所属し、背番号は4番。181cm,78kg。 ==来歴・人物 == 八千代松陰高校から中央学院大学を経て、1993年、ドラフト3位でヤクルトに入団。 大学2年から頭角を現し始め、首位打者3回など、数々のタイトルを手中に収めるものの、それほど注目される選手ではなかった。しかしながら、神宮外苑で草野球をしていたところ、片岡宏雄スカウトの目に留まり入団に至ったという異色の経歴の持ち主。 なお、ヤクルトには他にも元市役所職員の小倉恒投手(現東北楽天ゴールデンイーグルス)、元大工の本間忠投手(2006年オフ退団)、元フリータ...
  • 高井雄平(41)
    高井雄平 高井 雄平(たかい ゆうへい、1984年6月25日- )は、プロ野球・東京ヤクルトスワローズ所属の投手。左投げ左打ち。背番号41。神奈川県川崎市宮前区出身。 ==来歴・人物 == 左腕にして球速150kmを越える速球派投手。 しかしコントロールが悪く、与四球率は1試合あたり5.0を上回るほか死球・暴投・悪送球の記録も多く、一線級の投手になるには制球力が最大の課題とされている。 身体能力は非常に高く、公式戦で本塁打を放つなど非凡な打撃センスを持ち合わせている。 明るい性格で、先輩やコーチたちからも可愛がられている。 伊東昭光コーチの厳しい罵声を一番良く浴びているのは高井であるが、伊東コーチが一番可愛がっているのもまた、高井であるといわれる。 ==略歴 == 東北高等学校出身。高校時代はナンバー1左腕として注目される。 タレントのベッキーとは同じ小...
  • 松井光介(44)
    松井光介 松井 光介(まつい こうすけ、1978年8月24日 - )は、東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手。北海道札幌市豊平区出身。ポジションは投手。右投右打。171cm、80kg。背番号は44。 170cm程度の小さな身体から投げ込む、最速150km/h近い速球と鋭いフォークボール、多彩な変化球を武器とし、気迫溢れるピッチングが魅力。シニア、高校時代は松坂大輔の2年先輩で、今でも松坂から尊敬されている。松坂が横浜高校3年生の時に夏の甲子園に出場する際、新聞社が全選手に行ったアンケートで「目標とする選手」の欄に「松井光介」と書いた話は有名。 ==来歴・人物 == 中学2年の時、父の転勤で東京に移住。江戸川南シニアを経て、1994年に横浜高校に入学。シニア時代は投手だったが、同期に丹波慎也がいたため、松井は外野手としてプレイし、投手としては2番手という存在だった。同年...
  • 飯原誉士(46)
    飯原誉士 飯原 誉士(いいはら やすし、1983年4月26日 - )は、栃木県小山市出身のプロ野球選手。東京ヤクルトスワローズ所属。右投右打。ポジションは外野手、三塁手。身長181cm、体重79kg、O型。 ==来歴・人物 == プロ入り前 小学校1年生で野球を始める。中学校は市立桑中学校、高校は県立小山高等学校、大学は白鴎大学と、アマチュア時代は全て地元の栃木県小山市で過ごしている。元々は投手で、高校時代は県下随一の投手としてならした。プロのスカウトも注目するほどの逸材であったが、肩の怪我のため、大学時代に外野手へ転向する。俊足好打の外野手として活躍し、ベストナインを4度、スポニチ賞を1度獲得した。野球に対する視野を広げるため、一球に対する集中力を高めるためと、3年時には遊撃手を務めた。 2005年の大学・社会人ドラフトで、ヤクルトスワローズに5巡目で指名され入団。栃...
  • 志田宗大(0)
    志田宗大 志田宗大(しだ むねひろ、1979年6月16日 - )は平成期(2000年代~)の東京ヤクルトスワローズ所属の選手である。岩手県大船渡市出身。ポジションは外野手。右投右打。身長178cm、体重75kg。背番号は0。 ==来歴・人物 == 青山学院時代は東京ヤクルトスワローズの石川雅規と同期で、高学年では主にセンターを守っていた。下級生の頃には、内野の経験もある。4年生の時には、翌年読売ジャイアンツに自由枠で入団することになる、木佐貫洋から本塁打を放つ活躍を見せている。 チーム内でも上位に入る俊足が売り。ただしファームでも年間最高11盗塁であり、それ程盗塁センスに優れたタイプではない。努力家として知られ、練習時の犠打などの小技の旨さには定評がある。 2004年には、毎年若手リードオフマンの台頭を課題としてあげていた若松勉監督に抜擢され、一軍に定着。ただしシーズン当初は...
  • 宮出隆自(43)
    宮出隆自 宮出 隆自(みやで りゅうじ、 1977年8月18日 - )は、愛媛県宇和島市出身。東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手。ポジションは外野手(主に右翼手)。背番号は43番。 ==来歴・人物 == アマチュア時代 愛媛県立宇和島東高等学校ではエースとして活躍、後にスワローズでもチームメイトとなる岩村明憲とバッテリーを組んだ。 1994年夏の甲子園では一塁手として出場。チームは惜しくもやぶれたが、3打数1安打1打点と結果を残している。 1995年のドラフト2位でヤクルトに投手として入団。 練習試合などを除いても、高校通算34本塁打の強打を誇った。 プロ入り後・投手時代 190cmの長身から投げ下ろす速球やフォークボールを武器に台頭。 1996年ルーキーながらファームで2勝をあげると、翌1997年にはファームながら先発で7勝をあげる活躍...
  • 木田優夫(42)
    木田優夫 木田 優夫(きだ まさお、1968年9月12日 - )は、東京都国分寺市出身のプロ野球選手(投手)。五十嵐章人(現 福岡ソフトバンクホークス二軍外野守備走塁コーチ)は従兄に当たる(木田の父と五十嵐の父が兄弟)。 ==来歴・人物 == 国分寺五中では関東代表として台湾に遠征。日本大学明誠高等学校を経て1987年にドラフト1位で読売ジャイアンツに入団(亜大~近鉄の阿波野秀幸の外れ1位)。速球派の先発投手として活躍し、藤田元司監督時代の1990年には12勝を挙げ、最多奪三振のタイトルを獲得、オールスターゲームにも監督推薦で出場した。1997年に右ヒジを手術。1998年に野村貴仁とのトレードでオリックス・ブルーウェーブに移籍し、抑え投手として16セーブを記録。 1999年にFA権を行使してデトロイト・タイガースに入団。日本人メジャーリーガーとなった。3A降格を機に20...
  • 西崎聡(30)
    西崎聡 西崎聡(にしざき さとし、1982年8月1日 - )は、福岡県糸島郡志摩町出身のプロ野球選手。東京ヤクルトスワローズ所属。ポジションは投手。背番号は30。 ==略歴 == * 生年月日:1982年8月1日 * 出身地:福岡県 * 出身校及び球歴:糸島高-九州国際大-JR北海道-東京ヤクルトスワローズ(2007年 - ) * 身長&体重:174cm 66kg * 投打:右投右打 * 家族構成 両親と兄2人。 ==人物 == 7歳で野球を始め、福岡・糸島高入学後に本格的に投手となり、3年夏の県予選8強。九州国際大を経て2005年JR北海道入社、北広島駅に勤務していた。 2006年、東京ヤクルトに大学生・社会人ドラフト3巡目で指名を受け、入団。 サイド気味のスリークオーターから繰り出す独特のバネの効いたストレートはキレと伸びが特徴。変...
  • 坂元弥太郎(45)
    坂元弥太郎 坂元 弥太郎(さかもと やたろう、1982年5月24日 - )は広島県広島市生まれ、埼玉県蕨市育ちの東京ヤクルトスワローズ所属の野球選手。切れ味鋭いスライダーと強気のピッチングが信条の本格派右腕である。 ==来歴・人物 == 男ばかり四人兄弟の第二子として出生。中学卒業直前に実母が胃癌で逝去(享年44)する試練を乗り越え野球に打ち込む。 2000年 浦和学院高3年次に全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に出場。八幡商戦で1試合19奪三振を記録する。これは56年ぶりのタイ記録。2回戦で香月良太(現・オリックス・バファローズ投手)がいた柳川高に敗れた。 2001年 ドラフト4位でヤクルトに入団。背番号は63。 2002年 一軍初登板。シーズン100奪三振を挙げる。第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出される。 2003年 背番号を11に変更...
  • 城石憲之(10)
    城石憲之 城石憲之(しろいし のりゆき、1973年4月17日 - )は、埼玉県さいたま市大宮区(旧大宮市)出身。平成期(1990年代後半-)のプロ野球選手。ポジションは内野手。右投げ右打ち。身長183cm、体重73kg。元フリーターという異色の経歴を持つ。 ==来歴・人物 == 生い立ち・アマチュア時代 父親はかつて北関東でも有数の事務用品卸の会社を経営していた。この父親が野球好きであった事から、城石の野球人生は始まったと言われている。 最初はサッカーを始めたが、リフティングがうまく出来ないと言う理由からソフトボールに転向する。 中学時代は軟式野球部に所属。 春日部共栄高校野球部時代に主将。6番または3番ショートのポジションで春の甲子園及び夏の甲子園に出場。春1勝。 その後青山学院大学に進学するが1年次で中途退学。中退理由については諸説あるが、出身地である埼玉では...
  • 石堂克利(60)
    石堂克利 石堂 克利(いしどう かつとし、1980年4月18日- )は、プロ野球・東京ヤクルトスワローズに所属する投手(元外野手)。愛知県幡豆郡一色町出身。背番号は60。右投げ左打ち。186cm、83kg、A型。 松坂世代の1人。度重なるケガで出遅れるが、2003年の終盤に頭角を現す。 ==来歴・人物 == 高校は愛工大名電高に在学。 1999年 ドラフト1位でヤクルトに入団。 右肩の違和感による手術、右足首骨折、左大腿部骨髄炎など、数年間故障に泣かされた。 2003年9月7日 中日ドラゴンズ戦でプロ初登板(ナゴヤドーム)。この年4勝を挙げる。 2004年 開幕3連勝も不振で二軍降格。その後復帰し、この年は6勝。 2005年 本拠地である明治神宮球場でのシーズン4試合目(対中日)の本拠地開幕戦に先発を任せられるなどシーズン当初は期待されたがコントロールが甘く5試...
  • 小川淳司(80)
    小川淳司 小川 淳司(おがわ じゅんじ、1957年8月30日 - )は元プロ野球選手。ポジションは外野手。右投げ右打ち。現在は、東京ヤクルトスワローズの二軍監督を務める。背番号は80。高校の2学年先輩には元阪神タイガース内野手の掛布雅之がいる。 ==来歴・人物 == 1975年 第57回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)習志野高校優勝時のエース。習志野高から中央大を経て、河合楽器に入社。 1982年 ドラフト4位でヤクルトに入団。背番号は35番。 1992年 トレードにより、日本ハム移籍。背番号は47番。同年現役引退。この年、ロッテ戦の投手のアクシデントの際、途中で遊びでマウンドに上がった宇野勝からライトオーバーのヒットを放った。 1996年 ヤクルトコーチに就任。 1999年 ヤクルト二軍監督に就任。現在に至る。 引用元 http //ja.wikipedia.org...
  • 上田剛史(50)
    上田剛史 上田 剛史(うえだ つよし、1988年10月2日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属する野球選手(外野手)である。 ==来歴・人物 == アマチュア時代 小1から少年野球の岡輝レンジャーズの投手として野球を始め、6年のときに全国大会4強まで進む。 中学では硬式野球に転向し、ヤングリーグの岡山ヤングカープに所属。投手兼遊撃手として活躍し、3年春に全国大会優勝、夏は準優勝。 関西高校では1年秋から中堅手のレギュラーに定着。2年と3年の春、夏の4季連続で甲子園出場を果たす。 2006年高校生を対象としたドラフトで、東京ヤクルトスワローズから3巡目で指名を受ける。 日本ハムに4巡目指名されたダース・ローマシュ匡は関西高校でのチームメイトである。 高校生としては屈指の強肩で、守備範囲も広い。また盗塁が多いタイプではないものの、プロでも俊足といえる脚力をほこっ...
  • 上原茂行(70)
    上原茂行 上原 茂行(うえはら しげゆき、1973年3月7日 - )は、プロ野球・東京ヤクルトスワローズの二軍バッテリーコーチである。背番号は70番 ==略歴 == 身長・体重 1m78cm、80kg 投打 右/右 出身地 京都市下京区 血液型 A型 球歴・入団経緯 京都西高-龍谷大-ヤクルト(1997年~) プロ入り年度・プロ経験なし
  • アレックス・ラミレスJr(49)
    アレックス・ラミレス・ジュニア アレックス・ラミレス・ジュニア (Alex Ramirez Jr.、1983年9月1日 -)は、東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手(投手)。アメリカ出身。義理の父は同チームのアレックス・ラミレス。 ==来歴・人物 == 2004年、義父のアレックス・ラミレスを頼って来日。練習生としてヤクルトのファームの練習に参加している。 2004年末に交渉が難航したアレックス・ラミレス選手の契約の一環として、ジュニアとも選手契約が行われた。義父・ラミレス選手が2005年からの3年契約の為、ジュニアも3年契約である。 野球経験がないまま投手扱いで入団した。入団当時の直球は130km/hに満たず、制球もままならなかった。 2005年春キャンプでは、2日目で太ももの張りを訴えてダウン。状況から考えると、運動不足によるただの筋肉痛であったようだ。 2005...
  • 石井弘寿(61)
    石井弘寿 石井 弘寿(いしい ひろとし、1977年9月14日 - )は、千葉県市原市岩崎出身のプロ野球選手。東京ヤクルトスワローズに所属。ポジションは投手。左投げ左打ち。背番号は61番。愛称は「ゴリ」「ゴリさん」 ==来歴・人物 == 1995年のドラフト会議で、ヤクルトスワローズから4位指名を受け入団。ルーキー年となる1996年にいきなり13試合に登板し、防御率3.38の好成績を残すも、その後は制球に苦しみ2年目は僅か1試合の登板、3年目は故障の影響で一軍登板無しに終わる。25試合投げた1999年も、防御率は6.28と不本意な成績に終わり、翌シーズン前に打者転向を示唆されるほどであった。石井は打者と投手の練習を並行して進めるという逆境にめげず、伊東昭光コーチ指導の下で課題の制球を徐々に克服。2000年から中継ぎに定着し、チームのリリーフ陣にとってなくてはならない存在として成長し...
  • 古田敦也(27)
    古田敦也 古田 敦也(ふるた あつや、1965年8月6日 - )は兵庫県川西市生まれのプロ野球選手(選手兼任監督)である。ポジションは捕手。現在は東京ヤクルトスワローズに所属し、2005年シーズン終了後から監督を兼任(2005年秋季キャンプから指揮を執っている)。背番号は27番。身長は180cm、体重は80kg、血液型はB型。妻は、フリーアナウンサー(元フジテレビ)の中井美穂。 身長・体重:180cm 80kg 投打:右投右打 出身地:兵庫県川西市 血液型:B型 球歴・入団経緯:川西明峰高校 - 立命館大学 - 1988年トヨタ自動車 - 1990年ヤクルト - 2006年ヤクルト選手兼任監督就任 FA行使:行使せず プロ入り年度・ドラフト順位:1980年(2位) 英語表記:FURUTA 推定年俸:1億6000万(2007年)※監督年俸1億円、選手年俸6000万円 守...
  • 佐藤真一(82)
    佐藤真一 佐藤 真一(さとう しんいち、1965年8月7日 - )は日本の元プロ野球選手。北海道出身。ポジションは外野手。右投げ右打ち。北海道拓殖銀行、バルセルナオリンピック日本代表を経てプロ入り。実働13年。40歳を迎えるまで現役選手を続けた。 ==来歴・人物 == 28歳で入団した福岡ダイエーホークス在籍時には、背番号7を与えられ期待されるも控えに甘んじる。しかし、当時の根本陸夫監督が、4番を打っていた秋山幸二が負傷欠場した際、他の選手の打順を繰り上げたりせずに佐藤を4番で起用した、ということから、打撃センスを見出されていたと思われる。 ヤクルトスワローズに移籍後も、野村克也監督時には守備堅め中心の起用だったが、若松勉監督のもと1999年は、シーズン途中6月からシュアな打撃で3番に定着。113試合に出場し、規定打席未到達ながら打率.341と打撃の才能を開花。25試合連...
  • 山田裕司(56)
    山田裕司 山田 裕司(やまだ ゆうじ、1985年7月9日 -)は石川県小松市出身の東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手。ポジションは投手。背番号は56。 ==来歴・人物 == 小松市立高等学校時代は甲子園出場は無かったものの、スリークォーターから繰り出される140キロ後半の速球が持ち味でプロからの評価が高かった。 プロ入り後は、1年目は肩痛で登板できず、2年目は春先に左膝半月板の手術に踏み切るなど、度重なる怪我のリハビリに励んでいる。2006年にファームで初登板するも、未だ成績を期待する段階では無く、3年目にして体力作りのシーズンとなった。幸い秋はフェニックスリーグにも参加しており、プロ4年目にあたる2007年の飛躍が期待される。 引用元 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E8%A3%95%E5%8...
  • 川端慎吾(36)
    川端慎吾 川端 慎吾(かわばた しんご、1987年10月16日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手。ポジションは内野手(遊撃手)。背番号は36。同チームに河端龍投手がおり、「かわばた」という読みが同じなので放送では「かわばたしんご」と放送される。(河端龍は「かわばたりゅう」) ==来歴・人物 == 2005年高校生ドラフト3巡目で東京ヤクルトに指名され、入団。 高校通算本塁打は33本。 俊足巧守巧打の打者として期待されイースタン・リーグでは40試合以上出場、開幕直後からレギュラーに定着。 今シーズンはファームで経験を積み、青木宣親同様、2年目の活躍が期待される。 2006年10月9日の中日ドラゴンズ戦で一軍初出場を果たした(2打数無安打)。 2006年10月10日の広島東洋カープ戦の第2打席で1軍初ヒット・マルチヒットと共に、プロ初打点をマークし、プ...
  • 八重樫幸雄(77)
    八重樫幸雄 八重樫 幸雄(やえがし ゆきお、1951年6月15日 - )は、宮城県仙台市出身。昭和後期から平成期(1970年代~1990年代前半)のプロ野球選手である。現役時代のポジションは捕手。右投げ右打ち。打撃の際、投手に正対するように構える、独特のオープンスタンスが特徴。 ==来歴・人物 == 仙台商高から、1969年のドラフトでヤクルトアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)から1位指名され、1970年に入団。視力の低下ということもあって控え暮らしが多かったが、大矢明彦の後、正捕手を務める。1985年に打率3割をマークしてベストナインに輝く。野村克也監督時代は右の代打の切り札的存在。1993年現役を引退。 1994年から2軍バッテリーコーチ。1996年一軍バッテリーコーチ。1997年から2軍監督。1999年一軍打撃コーチ(ヘッド格)。2006年現在は一軍打撃コーチを...
  • 村中恭平(15)
    村中恭兵 村中 恭兵(むらなか きょうへい、1987年10月25日- )は、プロ野球・東京ヤクルトスワローズに所属する投手である。背番号は15。長身から140km/h台の速球を投げ込む。性格は優しく大人しい。父親が有名なパティシエのせいか、プリンが大好物。 ==来歴・人物 == 高校1年時に東海大甲府高校の一員として夏の甲子園に出場するが、村中はベンチ入りをしたのみで登板はしていない。2年秋からエースだがそれ以降は甲子園に出場していない。3年夏の山梨県大会では三回戦でその年県代表となった日本航空高校に敗れた。なお野球部の村中秀人監督とは血縁関係にない。 豪腕が目立つが、村中はしなる腕でノビのある直球と抜群のコントロールを武器とした。150キロ投手が目立つ中、村中は対戦した打者を「ものすごい球が伸びる」と唸らせた。おそらく、柔らかい肘のしなりで回転の良い球が行っていると思われる。...
  • 牧谷宇佐美(64)
    牧谷宇佐美 牧谷 宇佐美(まきたに うさみ、男性、1980年5月1日 -)は、東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手。北海道旭川市出身。ポジションは外野手(主にレフト)で、内野を守ることもある。身長188cm、体重85kg。右投げ右打ち。背番号は64。血液型B。 ==来歴・人物 == アマチュア時代 旭川実業高等学校3年夏は140km/h台の速球派として注目されるも、地区予選で0-1で惜敗。 1998年度ドラフト2位入団。 高校通算18本塁打。投手としても20勝以上を記録しているが、当時から俊足強肩で知られ、野手としての評価も高かった。 プロ入り後 1999年、2000年は投手として登録。ファーム2年間で11試合に登板するも、通算1勝2敗防御率14.03と結果を残すことが出来なかった。 2001年、プロ入り前から評価の高かった身体能力を見込まれ、投...
  • 伊藤秀範(52)
    伊藤秀範 伊藤 秀範(いとう ひでのり、1982年8月22日 - )は、東京ヤクルトスワローズに在籍するプロ野球選手である。ポジションは投手。背番号は52。 ==来歴・人物 == アマチュア~独立リーグ時代 横浜市立市が尾中学校卒業後、駒場学園高校を経て、社会人野球のホンダに入社した。 登板機会に恵まれなかった事から、四国アイランドリーグのトライアウトを受験し合格。 2005年に香川オリーブガイナーズに入団。1年目のシーズンからエースとして12勝を挙げ、最多勝利のタイトルを獲得。 2006年シーズンはチーム最多の11勝を挙げ、チームの総合優勝に貢献した。 2006年11月21日に行われた2次ドラフト(練習生指名用)で、東京ヤクルトスワローズから1巡目で指名を受けた。2006年12月7日契約。 獲得の決め手となったのは、2006年11月15日の秋期キャンプ中の、香...
  • 高市俊(14)
    高市俊 高市俊(たかいち しゅん、1984年7月9日 - )は、千葉県流山市出身の東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手。青山学院大学出身。 ==来歴・人物 == 帝京高校時代は松本高明、吉田圭(いずれも現広島)がチームメイト。 自身はエースとして活躍し、2002年夏にはチームの甲子園ベスト4進出に貢献した。バッティングも良く、登板しない際には三塁手として出場していた。 青山学院大学時代は山岸穣(現西武)の卒業後、エースとして活躍。 3年春から4年春にかけて青学大のリーグ三連覇に貢献し、東都大学リーグ史上初となる3季連続でのMVP、最優秀投手、ベストナインの三冠に輝いた。 2005年の全日本大学野球選手権大会では優勝、翌年も準優勝。大学通算で25勝(9敗)を挙げ、東都大学リーグ記録となる11連勝も記録している。 球速はMAXでも140km/h前半。ただしこれは下級...
  • 梶本勇介(39)
    梶本勇介 梶本 勇介(かじもと ゆうすけ、1983年12月18日 -)はプロ野球・東京ヤクルトスワローズに所属する選手である。ポジションは内野手(主に遊撃手)。背番号は39。 ==来歴・人物 == アマチュア時代 専大北上高時代は投手で、2年生ながらエースで4番として夏の甲子園に出場する。当時1年上には1年後に再びチームメイトとなる畠山和洋がいたが、4番を任せられていた。 1回戦で明徳義塾高校と対戦し、8回を完投するも、3失点で敗戦投手となる。 高校通算40本塁打。 2001年、ヤクルトスワローズからドラフト2巡目で指名される。 プロ入り後 2002年、プロ入りが決まると共に、打撃センスを買われて内野手に転向。主に遊撃手で練習を開始。 2003年、俊足を生かすためにスイッチヒッターに転向。 プロ3年目の2004年には一軍への帯同もあり、公式戦初出...
  • 鈴木健(9)
    鈴木健 (内野手) 鈴木 健(すずき けん、1970年1月13日 - )は、埼玉県越谷市出身のプロ野球選手。背番号は9。 ==来歴・人物 == 中学は、越谷リトルシニアに所属 高校は浦和学院高校に在学。高校通算本塁打83本は当時の日本最多記録。 1986年 第68回全国高等学校野球選手権大会に出場。(準決勝進出) 1987年 第69回全国高等学校野球選手権大会に出場。(2回戦敗退) 1988年 ドラフト1位で西武ライオンズに入団。背番号は8。 1989年 米1A・サンノゼビーズに留学。 1990年 打率.364でイースタン・リーグの首位打者に輝く。 1991年 打率.401で2年連続のイースタン・リーグ首位打者に。一軍ではプロ初本塁打を放つ。 1993年 指名打者に起用される。打率.270を記録。 1994年 規定打席不足ながら、打率.350を記録。 1995...
  • 武内晋一(8)
    武内晋一 武内 晋一(たけうち しんいち、1983年12月10日 - )は、兵庫県神戸市生まれのプロ野球選手。ポジションは外野手(元は一塁手であり、一塁の練習も続けている)。東京ヤクルトスワローズ所属。左投左打。身長175cm、体重85kg。血液型O。 ==来歴・人物 == アマチュア時代 1993年 少年野球チーム『平野少年団』に入り野球を始める。 神戸市少年団リーグではなぜか左利きなのにサードを守る。かなりワンマンチームで武内がすべてだった。力のあるボールと力のあるバッティングはすでに健在だった。 智辯学園和歌山高等学校時代に投手から野手に転向。高校2年のときに夏の甲子園で優勝を経験したが、高校3年のときは和歌山大会の一回戦で敗退してしまった。高校通算本塁打は47本。 2002年に早稲田大学人間科学部に入学。葛西順一ゼミ所属。進学後は1年生の春から早くもレギュラ...
  • 石川雅規(19)
    石川雅規 石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )は平成期(2000年代~)の東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手。秋田県秋田市出身。キャッチフレーズは「小さな巨人」、「小さな大エース」。秋田で公式戦が行われると毎年「石川雅規弁当」が発売される。 ==来歴・人物 == 秋田商業時代に夏の甲子園に出場(2回戦敗退)。和田(現ソフトバンク)と甲子園で投げ合った。その後青山学院大学に進学、大学通算23勝を挙げ、2度のMVPを獲得した。なお大学の同期がスワローズでも同僚となった志田宗大。 大学在学中にはシドニーオリンピックにも出場し、予選では古田敦也(現監督)とバッテリーを組む。2001年のドラフト会議にて自由獲得枠でヤクルトに入団。12勝を挙げ、2002年セリーグ新人王を受賞。これは秋田県出身のプロ野球選手としてセパ通じて初の受賞である。公称169cmと小柄なが...
  • 伊藤智仁(84)
    伊藤智仁 伊藤 智仁(いとう ともひと、1970年10月30日 - )は平成期(1990年代後半~2000年代前半)のプロ野球選手(投手;右投げ右打ち)である。京都府京都市出身。 ==来歴・人物 == 花園高を経て、三菱自動車京都に進む。1992年のバルセロナ五輪では小桧山雅仁とエースを争った。1992年のドラフト会議でヤクルトスワローズ、広島、オリックスの3球団が1位指名、ヤクルトに入団。 ルーキーイヤーの1993年、MAX147km/hの直球(怪我から復活した97年は球威を取り戻しMAX155km/hを記録)と、球界最高峰の変化球と呼ばれた真横に滑るような140km台のスライダーの武器に、右肘を故障する7月までに7勝2敗、防御率0.91、4試合完封、セリーグタイ記録となる16奪三振など、数々の驚異的な成績を残す。前半戦の華々しい活躍が認められ、実働3ヶ月にも拘らず新人...
  • 高津臣吾(22)
    高津臣吾 高津 臣吾(たかつ しんご、1968年11月25日 - )は平成期(1990年代~)のプロ野球選手(右投げ右打ち、投手)。東京ヤクルトスワローズに在籍。佐々木主浩と並び、1990年代以降の日本プロ野球を代表する抑え投手である。ヤクルト公式の愛称は『フィニッシャー』(石井弘寿・五十嵐亮太の"ロケットボーイズ"と共にファンから公募されたもの)。 右横手から時速140km前後のストレートと130km/h台、110km/h台、100km/h台の3種類のシンカーを武器に、セーブを重ね続けている。2006年シーズン終了時点での、日本通算273セーブは歴代1位。また、日米通算300セーブは佐々木主浩に次いで史上二人目となる快挙である。 アメリカでの代理人はオクタゴン社のジョー・アーボン氏、日本国内は水戸重之弁護士が担当。また、日本でのマネジメントは長谷川滋...
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