小山田貴雄
- 2007年の育成ドラフトで指名され入団。
- 父の健一氏もプロ野球選手。同じ捕手で晩年にヤクルトへ移籍、現役引退後の1979年から2000年までヤクルトのブルペン捕手を努めていた。
- 高校のときは190cmの高身長の投手で140km/h後半の直球を投げ、甲子園の出場経験はなかったもののドラフト候補にも挙がっていたらしい。
- でも指名がなく大学へ進学。進学直後に右肘を痛め、その後手術を行うが以前の状態に戻らず目立った活躍ができなかった。
- 大学4年のとき四国ILのトライアウトを受け、高知ファイティングドッグスに入団。チームの創設メンバーに加わる。
- 2005年はチームが初代チャンピオンに輝き、本人は23試合登板 3勝2敗 防御率3.30。
- 2年目となった2006年から捕手に転向するが52試合出場 打率.181 1HR 8打点と目立った成績は残せず…。
- 2007年も65試合 打率.195 2HR 18打点とこれまたビミョーな成績であったが、転機は同年の秋に行われたフェニックス・リーグに訪れ、四国IL選抜とヤクルトとの試合で初回に先発投手が志田・武内・梶本をそれぞれヒットや四球で塁に出すが3人全て2盗阻止の離れ技を披露。その強肩と恵まれた体格を見込まれヤクルトに育成枠ながら四国ILから捕手として初めて入団。四国ILからは同じ年に香川オリーブガイナーズの三輪が大・社ドラフト6巡目で指名され入団している。
- 入団時は「今回の指名は自分の肩の強さが評価されたと思います。亡くなった父が長年ヤクルトにお世話になっていたので、小さいころから身近に感じていました。まずは、育成選手から支配下登録選手になることを目標に全力で頑張ります。」と本人のコメントとして報じられている。
- ヤクルトに入団した2008年は打者として21試合 25打数4安打 打率.160 0HR 1打点、守備は15試合で2失策 守備率.982とバッティングに課題を残す結果に。
- 2009年は2008年オフにFAで相川、ドラフトで新田と中村と相次ぐ捕手の加入で過剰状態となり出場試合が激減。打者としては4試合 4打数0安打。守備も1試合出場に留まる。ちなみに捕手のほかにファーストも1試合出場が記録されている。
- このように捕手過剰による出場機会の激減と数少ない出場機会でも思うような結果も残すことができず、10.1に支配下登録の夢叶わず戦力外通告を受ける。
- 今後は本人のブログによるとヤクルトを退団するらしく、選手かスタッフか形に拘らず野球に携わっていきたいと語っており、まだまだ若いし、またどこかで選手として活躍してくれることを願っていたところ、2010.1.13にブルペン捕手として契約。
また戸田などで彼の姿が見られそうであるが、球団は(全てが全てではないけれど)本当に面倒見がよいなあと実感。