濱中治
- 1996年に和歌山県立南部高等学校よりドラフト3位で阪神に入団。
同期入団は、今岡(現ロッテ)、関本など。 - 高校通算51本塁打の長打力を買われ、和製大砲との期待が高かった。ちなみに高校最後のホームランは現ロッテ・吉見祐治から打ったもの。
- 入団1年目からウエスタン・リーグで4番を打ち、球団では掛布雅之以来となる高卒新人でのスタメン出場を果たすなど頭角を現すが、最初の数年間は一軍と二軍を往復する日々が続いた。
- 2001年、登録名を本名から「濱中おさむ」に変更しブレイク。後半戦から3番に定着し初の規定打席到達、13本塁打を記録。翌2002年には規定打席到達を逃すが、打率3割・18本塁打をマーク。
- しかし2003、4、5と右肩を怪我をしてシーズンを棒に振った。
- もう濱中はここまでか…。そう思われた2006年、濱中は完全復活を遂げる。
- 開幕スタメンこそ逃すが、打率.435・10本塁打・打点22をマークし、3・4月度の月間MVPを獲得する活躍で6番に定着。後半は今岡誠の故障もあり、5番打者として起用され、最終的には20本塁打と自己最高の成績を残した。
- 濱中最高や!最初から今岡なんていらんかったんや!
- ところが、事はそう順調に進まなかった。
- 翌2007年は自身の不振と故障、林威助や桜井広大の台頭があり、一軍と二軍を往復するシーズンとなり、結局打率.193、本塁打6、打点14と不本意な成績に終わった。
- 度重なる怪我のため、阪神では戦力として計算しづらくなり、11月26日にオリックスの阿部健太投手、平野恵一内野手との交換トレードで吉野誠投手とともにオリックスに移籍が発表された。
- 移籍初年度の2008年は、6番・右翼手として開幕戦にスタメン出場。序盤は好調を維持する。
- が、チームの不振により大石大二郎に監督が代わると、スタメンから外れるケースも多くなり、7月中旬に一旦2軍降格、8月初旬に1軍に復帰した。復帰直後はまずまずの打撃を見せたものの、坂口智隆・下山真二の活躍やルーキー・小瀬浩之の台頭もあり、出場機会をあまり得られなかった。
- 結局2008年の成績は打率.253、9本塁打。前年ほどの不振ではないにしろ、カムバック賞を獲得した平野とは対照的に、期待された成績を残したとは言い難かった。
- 2009年は開幕一軍入りを果たすも、出場機会をなかなか得られず、4月27日に登録抹消。その後、二軍でシーズンを通じて岡田貴弘の21本に次ぐチーム2位の13本塁打を記録するなど腐らず結果を残し続けると、7月31日に再昇格。昇格した日から一週間以内で4本塁打を放つが、その後は勢いが長続きせず、9月3日に二軍降格。結局は打率.208、6本塁打12打点と不本意な成績に終わった。
- 2010年も不振に苦しみ、わずか4試合のみの出場に留まり、シーズン終了後の10月2日、戦力外通告を受けた。
- 右の長距離砲を求めていたヤクルトの補強方針に合致したため、11月10日にヤクルトに入団することとなった。
- 本人は戦力外通告をされてから一カ月「このままユニフォームを脱ぐか、野球を続けるか悩」んだが、結局は「このままでは不完全燃焼だ」との思いから現役続行を決断。
- ヤクルト入団を「最後のチャンス」とブログに書きのこしている。
- 右肩を幾度となく故障し、最早ランナーを抑止できない“弱肩”と言われているが、本人は外野守備に自信を持っており、一塁手へのコンバートを提案された時も濱中本人がコンバートに難色を示したためこの話は立ち消えとなっている。
- 一時は選手生命すら危ぶまれたほどの大怪我だったので、右肩は濱中について回る不安材料だと言う者もファンやマスコミに多い。そして次に肩を壊したら二度と野球ができなくなるとも言われている。そのためオリックス移籍後は指名打者としての起用も予想されたが指名打者にはアレックス・カブレラやタフィ・ローズといった候補も多く、濱中本人は移籍会見で「右肩の不安を(周囲から)言われますが、自分は外野手1本でやることを考えています」と決意表明した。
- プライベートでは濱中の一年前にヤクルトに移籍してきた藤本と仲が良く、ヤクルトに移籍が決まったとき藤本からおめでとうの電話をもらっている。
- 濱中も藤本と「不思議な縁を感じます」とブログに書いているが、そのことを藤本本人に言ったところ「キモチワルイ」と返されたとのこと。
- ヤクルトの松山秋季キャンプに11月11日から参加。
- 合流初日からフリーバッティングでいきなり10本の策越えを見せるなど首脳陣に長打力をアピールした。
- 濱中のヤクルトのユニフォームに違和感を感じない人が続出。昔からいたんじゃないか?と言われるほど。
- 小川監督から左翼で起用されることが明言されている。畠山、福地といった既存の選手や同じく拾われた宮出とのレギュラー争いは必見!
- 阪神時代の応援歌で「不死鳥」。再生工場と呼ばれかつて様々な戦力外選手を復活させてきたヤクルトで不死鳥の如く阪神時代の輝きを取り戻せ!