山本斉
- 「やまもとひとし」と読む。
- 2007年高校生ドラフト3巡目で獲得してきたみちのくの豪腕その2。
- でも出身は大阪。高校へは越境入学した。
- 由規と山本は高校時代、東北で1、2を争う良投手として名を馳せた。
- 本当は高校一杯で野球をやめるつもりだったが、監督から「プロに行け」という助言を受けプロ行きを決断したらしい。
- 持ち球は140km/h前後のストレート、スライダーが主体。ほかにもカーブ・カットボール、シュート、チェンジアップも投げられる。
- ドラフトの抽選で由規を外した場合は1巡目で指名する予定だったらしく、この2人を指名できたことを編成部は「ダブル1位」と称し、大層喜んだ。
- 指名会見では「ヤクルトは入団するのに何の問題もないチーム」と答え、「問題ない」がそのままやくせんでのあだ名になる。
95 名前: どうですか解説の名無しさん [sage] 投稿日: 2007/10/03(水) 18:21:16.47 ID:uq94lkMQ
山本の会見殴り書き
今は本当にほっとしてます うれしいです
ヤクルトの印象は無いですが問題のない球団です
不安より期待のほうが大きい
球団に貢献できるようになりたい
巨人の選手全員と対戦したい
- アニメ「フルメタル・パニック!」の主人公・相良宗介の口癖もまた「問題ない」であったため、山本の話題になると宗介っぽく書き込むのも一時流行った。
- また、入寮時からクマのプーさんやキティちゃんのぬいぐるみを持参してきた事から、「キティ山本」とも呼ばれる。
- 由規と共に成長が待ち遠しい選手である。
- 2008年春季キャンプ、ヒジ・肩を痛めずっと登板できないまま体力づくりに励んでいたが、7月12日、イースタン巨人戦で初登板を果たす。
結果は5人と対戦し、1回を0安打2四死球で無失点。
- なお、1死2,3塁のところで迎えた打者が山本モナとの不倫でスキャンダルされた二岡だったため、「二岡 VS 山本」の構図が成り立った。
結果は山本が二岡をショートゴロに打ち取った。
- 2008年の成績は7試合登板・0勝1敗・防御率7.20と不本意な結果に。
- 2009年は春季キャンプの入れ替え戦で1軍に合流、オープン戦で3.5と3.18に中継ぎで登板したが開幕1軍ならず。7.31に1軍登録されるも、1試合も投げることなく8.5にサイレント戸田行き。
- 1軍再登録はCS進出を決めたシーズン終盤に首脳陣から「試したい選手がいる」とシーズン143試合目の10.11。戸田軍では16試合で1勝3敗・防御率3.75であったが投球内容はいいと現地に赴いた住民からの情報もしばしばあった。
- その10.11の中日戦でフルメンバー相手に対し5回まで被安打2・1四球・奪三振3と住民の期待と不安が入り混じる中、インコースへ積極的に投げ込むなど堂々の投球内容。しかしスタミナ切れか6回に3ランHRを喰らい3失点で降板。
- 2009年はこの1試合のみであったが「内容のあるピッチング」、「力がついてくれたら来年楽しみなピッチャー」、「攻めていたのがよかった」と、この試合の投球内容について監督・コーチ陣の評価は高かった。
- 過去にシーズン終盤に好投、翌年の活躍することを期待されてたが、残念な結果に終わった投手もいた。 さてキティはどうなる!?
- 2010年の春季キャンプは自身初の一軍スタートとなった。紅白戦でも好投し、手薄な先発候補として評価が高まっていたものの、右肘の張りで無念の一軍離脱。ファームに合流。リハビリに時間を費やすこととなった。
- 6月13日にファームで実戦登板したものの、調子が上がらず一軍登録は8月29日にずれこんだ。当日の対阪神タイガース戦で先発登板を行なったが、2回4失点と結果を残すことができずに再び二軍に降格となった。二軍でも10試合の登板で1勝2敗の結果に終わっている。
- 2011年は4本柱に次ぐ先発候補としてキャンプから期待され、山本もその首脳陣の期待に応える活躍をOP戦と慈善試合を通して披露。みごとプロ4年目にして開幕ローテをつかみ取ることとなった。
- そして迎えた2011年初先発の日。対する相手は当時首位、6連勝中だった広島。そんな勢いのある相手に山本は堂々たる投球をみせる。
- 最速145キロのストレートにシュート、スライダー、カーブを要所でコントロールし、7回2安打無失点で降板。その後のリリーフ陣もきっちり無失点で収め、見事にプロ4年目、21歳の若武者が今村との投手戦を制し初勝利を手にした。
- ヒーローインタビューでは21歳とは思えない受け答えを披露し、その落ち着いた態度と野太い声がイメージと違うとやくせん内で評判に。
- そのヒーローインタビューでは「ローテ入りも見えたのでは?」との質問に「自分の中ではローテの一角という自覚を持っている」と回答。度胸の良さを窺わせた。
- この勝利はその翌日の新聞でも大きく取り上げられ、その際右ひじじん帯を切りながら投げていたことが判明。周りからは手術を勧められたそうだが、復帰に1年半かかると知るとそれを拒否し、患部周囲の筋肉などの強化につとめた。
- 昨オフには“地獄の走り込み”を敢行。「朝が来るのが怖くて不眠症になったほど」ダッシュを繰り返した。(山部さんかな。もしくはakmt)
- この特訓を乗り越えたことがプロ初勝利につながったとのこと。曰く、「5回に四球を与えたところで、思い出した。あれだけやったのだから大丈夫、こんなことで崩れないと自分に言い聞かせて投げた」。
- やくせん内からはこの活躍に、気の早い人は増渕も含めた「6本柱で優勝や!」という人も。
- とりあえず怪我だけはしないでね。