キルクスは古代ヤードで開催されていた競技大会、または、近代になって再興された同名の国際スポーツ大会。
古代キルクス
古代ヤード帝国で4年に1度開かれ、帝国の繁栄を祈る神聖な行事として重要視された。大会期間中は一切の軍事行動を禁じるとされており、多くの兵士たちが参加したという。故に後世に「平和の祭典」と呼ばれることになった。
円十字教の普及により衰退し、その後の帝国の崩壊によって消滅した。
近代キルクス
古代キルクスの平和の精神を受け継いで、1984年に国際キルクス連合が結成され、国際スポーツ大会としてのキルクスの復活を宣言した。
提唱したのはヤード帝国の貴族であったフョードル・イリイチ・レザノフ伯爵で、ヤード政府としての当初の目論見はヤード帝国の国威発揚のためだったと言われているが、伯爵自身がロマンチストであったことから、すべての「個人」が「自由に」参加可能とした。
平和の祭典と銘打たれたものの、
ヤーディシア大戦では大会は中止されるなど、戦争の抑止力としては全く無力であった。しかし、経済効果は大きく、開催地の観光収入がこれにより5倍になるという収益性から見ても魅力的であることから開催地選挙ではかなりの盛況を見せる。
歴代大会
慣習により戦時中による開催中止大会も開催回としてカウントされる
| 開催回 |
開催年 |
開催都市 |
|
| 1 |
1884 |
ヤードグラード(ヤード) |
|
| 2 |
1888 |
スタックバラ(アトリオン) |
|
| 3 |
1892 |
ソフィア(ソフィア) |
|
| 4 |
1896 |
ゲオルギー(ザルバチ) |
タヴェリア初開催 |
| 5 |
1900 |
ルテシア(オルテンシア) |
|
| 6 |
1904 |
民京(月影) |
|
| 7 |
1908 |
ホイーリントン(アトリオン) |
|
| 8 |
1912 |
アルピナ(ソフィア) |
大戦のため中止 |
| 9 |
1916 |
ファイニア(ディヴィーカ) |
大戦のため中止 |
| 10 |
1920 |
アルピナ(ソフィア) |
1912年の振替開催 |
| 11 |
1924 |
シンシュウ(フォンタニエ) |
|
| 12 |
1928 |
タビラ・ゾロテ・プラト(ジャーガルク) |
|
| 13 |
1932 |
|
|
最終更新:2018年11月24日 07:53