2年生の春。
期待に胸を膨らませて、私はあるものを待っていた。
「あの……」
「はい?」
「入部希望なんですけど……」
みんなの息をのむ音を聞きながら、体がぱっと熱くなっていくのを感じた。
「か、確保おおおぉ!」
「きゃあああぁ!」
それが、彼女との出会いだった。

中野梓ちゃん。

私の初めての部活で、初めての後輩。
先輩っていうちょっと照れ臭い地位になった私は、よくわからない嬉しさに浮かれていた。
漫画とかでよく先輩後輩の話があるけど、こんな感じなのかな?
何もかも初めてだけど、梓ちゃんの為にも先輩らしくしなくちゃ!


……とはいっても、急に変わることはできなかった。
いつものようにお茶していたら、梓ちゃんが怒っちゃった。
こんなの、軽音部の活動じゃない。やる気が感じられないって……。
確かにそうだ。こんな部活しているところなんて聞いたこともない。
でも、私達はこんな感じでやってきたからなぁ。
私達の軽音部のことを説明するけど、余計梓ちゃんを怒らせるだけだった。何とかなだめようとするけど、梓ちゃんの怒りは治まらない。
どうしよう……。このままじゃ、梓ちゃんもみんなも……。
……よし!
「……ぎゅっ」
「……っ!?」
私は、とにかく先輩らしいことをしようと考えた結果、梓ちゃんを抱きしめてなだめることにした。
「いい子いい子~」
やっぱり小さい子をなだめるのはこれだよね。
……あれ? 高校生って小さい子? まぁいいや。梓ちゃんの体気持ちいいしね。
「はぁ……」
しばらく撫でていると、梓ちゃんの力がふっと抜けて腕を優しく抱いてくれた。
それにちょっとびっくりしたけど、何だかそれも嬉しくって余計に抱きしめたくなった。
「……」
「……」
何だろう。とってもいい匂いがする……。
「……あの、唯さ~ん?」
「……何?」
遠くからりっちゃんの声がする。
「そろそろ放してもいいんじゃないかな~」
「……!?」
その声にハッとして、梓ちゃんが震えた。
「あ、ごめんね? 急に抱きしめちゃって」
「い、いえ……」
慌てて放すと、梓ちゃんが顔を赤くして許してくれた。
その顔に何故かどきっとしてしまった。
か、かわいい……。

次の日。
さわちゃんが何故かネコ耳を梓ちゃんにプレゼントした。
さわちゃんなりに後輩が早く馴染むようにと考えたらしいけど、真面目そうな梓ちゃんはお気に召さなかった様子。
でも、先輩ばかりで緊張していると思うし、こういうことから交流を深めていかないとね。
私達でネコ耳をつけて遊んでいると、梓ちゃんもしぶしぶ付けてくれた。
「おおおぉ……!」
黒猫の耳だったんだけど、黒髪の梓ちゃんには似合いすぎていた。
付けているのが当たり前なぐらいに頭に馴染んでいて、それでいてかわいい。
「梓ちゃんかわいい~!」
我慢できなくなった私は照れ気味な梓ちゃんを抱きしめて、頬ずりする。
照れる梓ちゃんは、小さな子猫のようで私の腕にすっぽりと収まる。
「に、にゃぁ……」
そして、この鳴き真似……。
かわいい。かわいすぎる。
「あだ名はあずにゃんで決定だね!」
あの姿を見てこの名前が思いつかないほうがおかしい。
天から下りてきたと思えるほど、彼女に完璧なあだ名。
私は、彼女をあずにゃんと呼ぼうと決めた。


それからというもの、私の日常は激変した。
彼女のことをあずにゃんと呼び、抱きつくのが日課のようになってしまった。
あずにゃんは最初は迷惑がっていたけど、なんだかんだいって私のことを受け止めてくれる。
それが嬉しくて仕方がなかった。
もう誰にも渡したくないぐらいかわいくて、愛しい。
あきらかに変なのはわかっているけど、どうにも止まらない。
あずにゃんの姿を見る度に、体を駆け巡る衝動は激しいのだ。
いつの間にか、あずにゃん分なんてよくわからないエネルギー源なんかも考えてしまった。
抱きつくことによって私の中に溜まっていく元気のもとのようなものだ。
そんなものあるわけないじゃん。そんなことはわかっています。
でも、あずにゃんを抱きしめると、確実に私の中に元気が溜まるのだ。
これをあずにゃん分と言わずして、何と言うのか。
これが無いと1日が始まった気がしないし、頑張っていこう! って気持ちになる。
こんなに私の生活を変えたあずにゃんはすごい。すごすぎる。

そんなある日。
移動教室の時だった。
たまたま2年生の教室前を通った時、クラスからこんな声が聞こえてきた。
「……梓ちゃんって可愛いよね」
「そうだよね。ファンクラブとか何でないんだろう」
誰かがあずにゃんの事を話している。
それを聞いて、自分のことのように嬉しくなる。やっぱり誰が見てもあずにゃんはかわいいよね。
「あんなにかわいかったら、彼氏とかいるのかもね」
「そりゃいるでしょう。絶対ほっとかないよ。あんなかわいい子」
それを聞いた時、すとんと何かが落ちていく気がした。
彼氏……?
その単語に異常に反応してしまって、胸がドキドキと高鳴る。
あずにゃんに彼氏ができる……?
今まで考えたこともなかったけど、あずにゃんだって女の子だ。それでいて、かわいい。告白のひとつもあったかもしれない。
背筋が寒くなった。
何でこんなに嫌な気持ちになるんだろう。何でこんなに焦っているんだろう。
あずにゃんに彼氏ができる。
あずにゃんに彼氏ができる。
あずにゃんに彼氏ができる。
考えれば考えるほど嫌な気持ちに流れて、胸を締め付けていく。
私は、逃げる様にして授業に向かった。


あの話を聞いてからあずにゃんの姿を見ると何だか怖くなった。
私の知らないあずにゃんがあるかもしれないのだ。
それは当然のことだけど、何故か我慢できなかった。
彼氏がいて、キスの1つでもしたのだろうか。もしかしたらそれ以上だって……。
「そんなの、嫌だよ……!」
私にそんなことを言う権利は全く無い。
単なる我儘だ。
でも、この気持ちは嘘なんかじゃなくて、私の胸に居座り続けてちくちくと攻撃をしてくる。
こんな状態の私に、さらに追い打ちをかける出来事があった。

「やっほー」
いつものように部室に入ると、あずにゃんだけがいない。
「あれ? あずにゃんは?」
「あぁ、今日は用事があるから帰るってさ」
澪ちゃんがお茶を飲みながら言った。
「そうなんだ……」
あずにゃんが用事でいない……。大したことないはずなんだけど、それも何か嫌な予感がする。
「唯、梓がいなくて寂しいのかぁ?」
うりうり~とりっちゃんがお菓子を勧めながらからかう。
いつもなら笑って答えられるけど、今日はそうもいかなかった。
「しかし、梓ちゃんが来ないなんて珍しいわね」
「確かに今まで休んだことってなかった気がするな」
必死に落ち着こうとしているのに、澪ちゃん達が話していることにさらにドキドキする。
「もしかして、彼氏とか?」
「そんなことないもん!」
……しまった。
そう思った時はもう遅くて、感情に任せて思い切り大きな声を出しちゃって、びくっとみんなが驚いた顔で固まっていた。
「あ……、ご、ごめんな。唯」
りっちゃんがとても戸惑った顔で私に謝った。
「……ごめん。今日は帰る」
「ゆ、唯……!」
私は、居た堪れない気分になってみんなが止めるのも聞かずに部室から出て行ってしまった。

「はぁ……」
昨日はあんなに叫んじゃって、何だか部活に行きづらいなぁ……。
どうしよう、帰っちゃおうかな……。
「……あれ?」
気がつくと、そこは部室のドアの前だった。
無意識のうちに来てしまったようだ。
「……」
ここまで来たら仕方ない。昨日のことを謝って許してもらえばいい。
勢いよくドアを開けると、すでに先客がいた。
「唯先輩、こんにちは」
「あずにゃん……」
他には誰もいない。
どうしよう。とっても気まずい。
「……どうしたんですか?」
「え? あぁ、いや……」
入口で固まっていると、あずにゃんが不思議がってきたので慌てて部室に入る。
「いや、昨日はすいませんでした」
「う、ううん。そんなことないよ」
本当はそんなことあります。何で昨日いなかったのか死ぬほど聞きたいです。
でも、聞けない。
聞くのが怖くて怖くて、怯えている。
「まだみなさん来てないですけど、練習しましょうか」
「うん……」
あずにゃんに言われるまま練習を始める。
その小さな背中を見つめていると、不安が胸を押しつぶそうとする。
ぎゅっ……。
「……あ、あの」
「……」
気がついたら、あずにゃんを後ろから抱きしめていた。
「ちょ、ちょっと、放してください。苦しいです……」
「……いや」
少し強く抱きしめ過ぎたかもしれないけど、私は力を緩めなかった。
「子どもですか……」
呆れたため息をつくあずにゃんだけど、そんなのお構いなしです。
ちょっとでいい。ちょっとでいいから、私のことを見ていて欲しい。
「もう、唯先輩、変ですよ?」
「……うん。そうだね」
「……どうかしたんですか?」
優しく私のことを放すと、あずにゃんが問いかける。
こんなこと言っていいのかわからないけど、言わずにはいられなかった。

「……私ね、最近苦しいの」
「苦しい?」
「……何だか、あずにゃんが遠くにいるようで不安なの」
こんなに近くにいるのに、手を伸ばせばすぐ捕まえられるのに……。
「私だって、おかしいってわかってはいるんだけどね。でも、どうしようもないの」
「どこにも行って欲しくない。ずっと私と一緒にいて欲しくなるの」
私は思いの丈を全て吐き出してしまった。それを、あずにゃんは時々相槌を打ちながら私の話を聞いてくれていた。
「……ごめんね。こんな自分勝手なこと言って」
こんなこと話して、絶対変だと思われた。嫌われたかもしれない。
もう、今までのようにはいかないんだろうなぁと考えてしまうと、悲しくなって涙がこぼれ出してきた。
「……私だって、自分勝手なこと前に言いましたよ」
「えっ……?」
そっと涙を拭うように頬を撫でると、あずにゃんは私を見つめて囁いた。
「……私の目の届く範囲にいてくださいって言いませんでした?」
「でも、あれは私が危なっかしいから……」
「それもそうなんですけど、何だか先輩が遠くに行っちゃうような気がして……嫌だったんです」
そ、それってどういうこと?
よくわからずぽかーんとしていると、それに焦れたのか、あずにゃんがそっと私を抱きしめた。
「あっ……」
「唯先輩こそ、誰でも構わず抱きついたりして不安になるんですよ」
いつもは抱きついてばかりだけど、こうやって抱きしめられるのって初めてだ。
それでいて……、暖かい。
「ねぇ、あずにゃん」
「何ですか?」
「……しばらく、このままでいてくれる?」
「……いいですよ」
それからしばらく、あずにゃんは私のことを抱きしめてくれた。

「……ごめんね。あずにゃん」
「謝ることなんてないですよ」
落ち着いてきた私は、あずにゃんと一緒に座って話していた。
「私ね、わかったんだ」
「何がですか?」
今までずっと感じていたこと。言葉にしてみたらこんなにも簡単だったなんてね。
「私、あずにゃんのこと好きなんだ」
いつも言っている好きとは違う、もっともっと大切な”好き”。
ちょっとはあずにゃんに伝わったかな……。
「だから、あずにゃんとずっと一緒にいたいって思うの」
それを聞いて、あずにゃんは驚いていた。
無理もないよね。同性に好きだなんて言われたら誰だって驚く。
「こんな我儘なこと聞いてくれてありがとう。もう帰るね」
「ま、待ってください!」
帰ろうと……、いや、逃げ出そうとした私をあずにゃんが捕まえた。
「まだ、返事してないですよ……?」
肩を掴まれて向きを変えられると、あずにゃんと目が合った。
「私も、唯先輩のことが好きです」
一生懸命私を見つめて、あずにゃんが言ってくれた。
「本当……?」
「……本当ですよ」
夢のようだった。
あのあずにゃんが、私のことを好きだと言った。
たったこの二文字だけで私の心は暖かくなって、元気が湧いてくる。
「じゃあ、ずっとそばにいていいの?」
「だから……」
ふっと笑うと、あずにゃんが私を抱きしめた。
「私の目の届く範囲にいてください」
こんなことを言われたら、私にだってわかる。
「……いさせてもらいます」
愛しい気持ちに溢れながら、私はあずにゃんを抱きしめた。

END


  • この空気好き -- (名無しさん) 2013-07-31 22:26:09
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最終更新:2011年04月15日 23:32