ケンカネタ注意
先輩後輩ネタ



いつもなら、先輩方と部室で練習やお茶をしている夕方に……
私は一人、公園にいた。
ふらつく足取りで力なく歩き……
ベンチを見つけると、力を使い果たしたようにそこに座り込んだ。
地面に落ちたカバンが大きな音をたてたけれど、
拾うつもりになんてなれない。
それでもギターだけは、無意識のうちに丁寧にベンチの上に置いていた。
自分のギターはちゃんと守ろうとするその態度が、
まるで自分の身勝手さを表しているように思えて、

「……私、最低だ……」

……私はそう、呟いていた。
その言葉がきっかけになって、ついさっき、
自分がしてしまったことを思い出してしまい、

「う……ひっく……うぅ、う……うぇぇ……」

堪えようもなく、涙が両目からこぼれだしていた。

『怠け者の唯先輩なんかに教わりたくないです!』

自分が言ってしまった言葉が、頭の中に響き渡った。
いくら後悔しても、もうなかったことにはできない、
唯先輩を傷つけてしまった言葉……それはただの八つ当たりだった。
新曲の練習がうまくいかない日が続いて、焦って、イライラして……
私が悩んでいる箇所を、唯先輩が先に弾けるようになって……
励ましてくれて、「一緒に練習しよ!」と言ってくれた唯先輩に、
私はひどい言葉をぶつけてしまったのだ。
八つ当たりで怒鳴り、ひどいことを言い、
挙句の果てに私は部室から逃げ出したのだった。

「う……うぁぁ……ゆ、唯先輩……ひっ……ひっぐ……」

傷ついた唯先輩の顔が頭の中に浮かんだ。
私の言葉に顔を歪め、今にも泣き出しそうになって、
それでも泣くのを我慢して、笑顔を浮かべようと必死になっていた唯先輩。
唯先輩のあんな悲しそうな顔を見るのは初めてだった。
あんな悲しそうな表情を、私が浮かばせてしまったのだ……
そう思うと、後悔のあまり泣くことしかできなかった。

「唯先輩……えっぐ……唯先輩、唯先輩……ひっく……唯先輩……」

ただただ泣いて、唯先輩の名前を呟き続けていると、

あずにゃん……」

優しい言葉が聞こえ……そして誰かに、私は後ろから抱きしめられていた。

「え……ゆ、い先輩……?」

聞き間違えるはずのない声音と、勘違いするはずのない温もり……
それでも私は信じられなくて……震える声で、その名前を口にしていた。
そんな私の声に、

「うん、私だよ、あずにゃん……」

返事をしてくれたのは、確かに唯先輩だった。
私を抱きしめる腕の力が強まり、唯先輩の温もりが私に伝わってくる。
いつも私を安心させてくれるその温もりに……
でも今の私は、体を強張らせることしかできなかった。
唯先輩に抱きしめられていることが嬉しくて、
それに甘えようとしている自分に自己嫌悪して、
傷つけてしまったことが悲しくて、謝らなくちゃと思って、
でもどう謝ればいいのかわからなくて、
謝って許してもらおうとしている自分にまた自己嫌悪して……
いろんな感情と考えが頭の中でごちゃごちゃになって、
どうすればいいのかもうわからなくて……
私は何も言えず、身を小さくしていることしかできなかった。
小さくなって、嗚咽を漏らすだけの私に、唯先輩は何も言わなかった。
ただ黙って、ぎゅっと抱きしめていてくれて……
その手がふっと、緩んで離れた。
そのまま、小さな足音が私から遠ざかっていく。
その音を聞いて、「ああ、嫌われちゃったんだ……」と、私は思った。

「当たり前、だよね……」

自嘲気味にそう呟く。嫌われるのも当然だった。
八つ当たりでひどいことを言って、傷つけて……
それでも追いかけてきてくれて、抱きしめてくれたのに、
私は謝りもしないで泣いているだけだったのだから。
そんな子は嫌われて当然だった。
いくら唯先輩だって、許してくれるわけがなかった。
きっともう、唯先輩は私に抱きついてくることはないだろう。
あずにゃんなんて、そう呼んでくれることもきっとなくなって、
仲良くなんてもうできなくて……
大切な人を傷つけた結果、自業自得なんだ……

「あっずにゃん!」

……と、うな垂れる私の首に、声と一緒に突然重たいものが引っ掛けられた。
馴染みのある感覚に、反射的に腕が動いて……
体の前に降ってきたギターを、私は両手で持っていた。
首に触れる感触はギターのストラップ。
見下ろせば、そこには唯先輩のギターがあった。
唯先輩のギー太を、私は抱えていた。

驚きのあまり立ち上がって、後ろを向く。
そこには笑顔の唯先輩が立っていた。
少し離れた地面に、唯先輩のカバンとギターケースが見えた。
さっき離れたのは、きっとギー太を持ってくるためだったのだろう。
でも、何のために? そしてどうして、私にギー太を持たせたのだろう?
驚きと混乱で何も言えず、その場に立ち尽くしていることしかできない私に、
唯先輩は変わらない笑顔で、

「あずにゃん! 一緒にギター弾こ!」

そう言っていた。
突然の、そして予想外の言葉に私はやっぱり何も言えなくて、
動くこともできなくて……
そんな私の戸惑いを気にすることもなく、唯先輩は私に駆け寄ってきた。
私の後ろに回り、また抱きついてきて、

「あずにゃんはどっちがいい?」
「え……?」

突然、そんなことを聞いてきた。
いったいなにを聞かれたのかわからず、
私はつい間の抜けた声を漏らしてしまった。

「あずにゃんは弦とピック、どっちがいい?」
「え……どっちって……え……」
「ん~、じゃっ、あずにゃん弦の方ね! 私ピックやるよ!」
「え……唯先輩、いったい……」
「曲は、ふわふわね! じゃ、いくよ、あずにゃん!」

私の質問にちゃんと答えてくれないまま……
唯先輩は後ろから私にぎゅっとくっついて、
そして左手を動かしていた。
ピックが、私の抱えているギー太の弦に触れる。
私がネックの弦を押さえていないため、
曲になっていない音だけが辺りに響き渡った。

「ほらっ、あずにゃん! コード!」

唯先輩が言って、またピックを動かす。
そこで初めて、唯先輩が何をしようとしているのかを理解した。
私が抱えているギー太を、二人で一緒に弾こうとしているのだ。
私がコードを押さえて、唯先輩がピックを動かして。
唯先輩がやろうとしていることはわかったけれど……
でもいったい何のために、
そんなことをしようとしているのかはわからないままで、

「ほらほら! あずにゃんあずにゃん!」
「えっ……え……ちょ、ちょっと待って下さい、唯先輩!」

でも疑問を口にする暇を、唯先輩は与えてくれなかった。
動かされるピックを追いかけるように、慌てて私はコードを押さえ始めた。
それはもう、条件反射みたいなものだった。
ギタリストの習性と言った方がいいかもしれない。
曲が始まってしまえば、体は勝手に動き出してしまう。
それが自分の体に馴染んだ曲なら尚更だった。
迷わず指が動いて、コードを押さえだす。
でも窮屈な姿勢でくっついて、二人で一緒に一つのギターを弾いて……
それですぐうまく曲を弾けるわけがなかった。
ピックの動きとコードがあわず、ずれた音が辺りに響いてしまった。

「あ、あずにゃん早いよ! そこはもっとゆっくりだよぉ!」
「ゆ、唯先輩が遅いんです!」

二人でくっついて、言い合いながらギー太を弾いた。
公園の中に響くのは、滅茶苦茶な「ふわふわ時間」だった。
どうしようもなくずれてて、音が飛んで、テンポは乱れて、
メロディーになっていなくて、まともな演奏には程遠い、
もう滅茶苦茶な「ふわふわ時間」で……
でもそれなのに、すごく楽しい演奏だった。

「あ、あずにゃん今度は遅すぎ! もうっ、またずれたぁっ!」
「唯先輩のテンポがずれてるんです! ちゃんとあわせて下さい!」

気がつけば私は……私たちは笑って演奏していた。
二人で一つのギターを弾いて、
滅茶苦茶で楽しい「ふわふわ時間」を奏で続けた。
そして最後の一瞬……

「わっ……」
「あっ……」

キレイに最後のフレーズが響き渡る。
私と唯先輩、二人の手が同時に止まって……
余韻がゆっくりと流れ、宙に溶けていった。

「……最後……ぴったりあったよね?」
「……はい……ぴったりあいました」

言って、一瞬の沈黙を挟んで、

「やったね、あずにゃん!」
「はい!」

笑って唯先輩が、私をぎゅっと強く抱きしめた。
その腕に触れて、私も笑った。笑って笑って……
笑いすぎて息が続かなくなって、笑い声を抑えて息を吸った瞬間、

「あずにゃん、やっと笑ってくれた……」

私の耳元で、小さな声で、唯先輩がそう言った。
そう言われて、自分が今笑っていることを自覚した。
二人一緒に、滅茶苦茶な「ふわふわ時間」を一生懸命弾いて……
それが私の気持ちを解きほぐしてくれていた。
そのために、私のために、
唯先輩が「ふわふわ時間」を一緒に弾こうと言ってくれたことを、
ようやく私は理解していた。

「唯先輩……」
「……なんか、あずにゃん今日ずっとつらそうだったから……
元気になって欲しかったんだけど、でもどうしたらいいか分かんなくて……
今日は私うまく弾けたから、これであずにゃんに教えてあげられる!
なんて思ったりもしたけど……でもごめんね、
あずにゃん、逆に怒らせちゃったよね……」
「ち、違います! あれは私が……!」

震える声で、まるで泣き出しそうな口調で言う唯先輩の言葉を、
私は慌てて遮った。
あんなにひどいことを言って、傷つけて、逃げ出して……
それなのに唯先輩は私を追いかけてきてくれて、
私を元気づけようとしてくれて……
唯先輩が謝らなきゃいけないことなんて何もない。
謝らなきゃいけないのは、私のほうだ……。

「わ、私が悪いんです……新曲がうまく弾けなくて、
それでイライラして……唯先輩に八つ当たりして、
き、傷つけて……私が、ひっぐ……わ、悪いのに……
唯先輩を……ぐすっ……き、傷つけちゃって……」
「あずにゃん……」
「ご、ごめんなさい……唯先輩……えぐっ……ごめんなさい……!」

泣きながら、私は唯先輩に謝った。
ちゃんと謝らなきゃいけないと思うのに、
堪えようもなく漏れてしまう嗚咽がそれを邪魔して……
それがまた悲しくて、申し訳なくて……
必死に言葉を紡いで、私は謝り続けた。
そんな私を、唯先輩はずっとぎゅっと抱きしめ続けてくれた。
それからどれぐらい時間がたったのか……
ようやく私が泣き止むと、唯先輩は腕を緩めて、
その手で私の涙を拭ってくれた。

「ごめんなさい、唯先輩……ほんとに、今日は……」
「もう謝らなくていいよ、あずにゃん……もういいからね……」

指先が頬の上を滑り、涙を拭って……
頬が乾くと、今度は頭を優しく撫でてくれた。
唯先輩の優しさに、私の目がまた潤んでしまった。

「もう、ダメだよ、あずにゃん……
せっかく元気になってきたんだから、もう泣いちゃダメっ」
「ご、ごめんなさい……で、えぐ……でも……」
「もうっ……うん……いいよ、あずにゃん……
我慢できないなら、泣いちゃっていいから……
私がずっと側にいるから、だから泣いちゃっていいよ……」
「唯……先輩……う、ぅわぁぁぁぁ……」

唯先輩に抱きしめられて、唯先輩の胸に顔を埋めて……
私は大きな声で泣いた。
何の言葉もなく、ただただ泣き続けた。

「今度こそ……大丈夫です……」

ようやく私が泣き止んだ頃には、あたりは真っ暗になってしまっていた。

「すみません……こんなに遅くまで……」
「エヘヘ……いいよ、あずにゃんが元気になってくれたんだから……
あ、でも、りっちゃんたちには明日ちゃんと謝らなきゃダメだよ。
みんなも心配してたんだから」
「はい……」

唯先輩に言われて、
改めて今日自分が先輩方に迷惑をかけてしまったことを自覚し……
私はため息を吐いた。
学園祭が近いというのに、
私のせいで今日はまともな練習ができなかったのだ。
先輩たちにとっては高校最後の学園祭だというのに。
なんてことをしてしまったのだろうと、
後悔で胸がいっぱいになってしまう。

「本当に、今日はすみませんでした……私のせいで……」
「いいよぉ、あずにゃん……」
「自分が……自分が情けないです……皆さんに迷惑かけて、心配させて……」
「あずにゃんっ」

私の呟きを、ちょっと怒った口調の唯先輩が遮った。
唯先輩の声音に驚いて顔を上げると……
口調とは裏腹に、笑みを浮かべた唯先輩の顔があった。

「……先輩なんだよ」
「え……」
「ちょっと頼りないし、怠けてばかりだけど……
でもね、あずにゃん、私たちはあずにゃんの先輩なんだから……
だからもっと甘えていいし、迷惑かけていいし、心配させてもいいんだよ?」
「唯先輩……」
「大丈夫、ちゃんと受け止めてあげるから」

言って、唯先輩が私の頭を撫でてくれた。
その優しい手つきに、
自分がずっと唯先輩に支えられてきたことを思い出していた。
不安なとき、寂しいとき、いつも唯先輩は側にいて、私を抱きしめてくれた。
困ったときには、家に駆けつけてくれたこともあった。
人との間に壁を作ってしまいがちな私の心を
解きほぐしてくれたのも唯先輩だ。
いつか憂が言っていた、「お姉ちゃんあったかい」という言葉……
本当にその通りだと、私は思った。
唯先輩の温かさに、私はずっと助けられてきたのだ。
唯先輩に頭を撫でられて、自然と私の顔にも笑みが浮かんでしまう。
もし唯先輩と出会わなければ、
こんな表情を浮かべられる日もこなかったかもしれない。

「まぁそれに……どちらかといえば
普段は私たちの方がご迷惑をおかけしているわけですし……」

ちょっとふざけた口調で唯先輩が言った。
その言葉に、私は声を出して笑った。
こんな風に笑えるのも、唯先輩がいてくれるからだと思った。

「フフ……そうですね。特に唯先輩はナマケモノですから」
「ぶー、あずにゃんひどい!」

私の言葉に、唯先輩がふざけて口を突き出して……
それから私たちは、二人で体を震わして笑った。
ひとしきり笑った後で、私は思い切り、唯先輩に頭を下げていた。

「唯先輩、これからもよろしくお願いします!」
「うん、よろしくされました!」


END


  • 唯先輩の抱擁力マジはんぱねえっす -- (名無しさん) 2010-08-10 10:01:20
  • カッコ唯 -- (名無しさん) 2012-11-19 15:40:31
  • こういう唯が先輩らしさを発揮する話良いよね -- (名無しさん) 2019-06-14 11:42:56
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最終更新:2010年07月31日 15:09