Side Azusa

私には憧れている人が居る。憧れは憧れであって、それ以上の感情にはならないと思っていた。
だけど、憧れ以上の気持ちが自分の中にあると知った時、私は戸惑いを感じてしまった。

「もし私が男の子だったら、梓ちゃんに告白していたかもしれないなぁ」

先輩達が修学旅行に行っている時、私は憂の家でお泊まりをしていた。
夜9時を過ぎ、私達は布団に入ったものの、まだ眠くなかったのでお喋りをしていた。そんな時、憂がこんな事を言ってきたのだ。

「梓ちゃんって可愛いし、一緒に居ると楽しいし…うちの高校が共学だったら、絶対にモテモテだよ」
「そ、そんな事ないよ…。憂だって可愛いし、勉強も家事も万能だし…憂の方がモテるよ」
「ん~…それじゃあ、私の恋人は梓ちゃんって事で♪」
「もう、憂ったら…///」

時間を気にせず、友達とこんな冗談を楽しく言い合えるなんて、お泊まりって楽しいなぁ。一緒に泊まりに来た純はもう寝ちゃってるけど…。
せっかくの楽しいこの時間…普段は話さないような事も憂と話していた。

「そういえば、憂の初恋っていつだったの?」
「えーっと…んー…あれっ?…そういえば私、初恋ってまだした事ないなぁ」
「そうなの?…小学校とか中学校に、カッコいい人とかいなかったの?」
「うーん…カッコいいと思う人は居たと思うけど、特別好きになったりとかはしなかったの。…梓ちゃんの初恋はいつだった?」

話を振っておいてアレなのだけれど…私も実は初恋というのはまだなんだよね…。
憂の体験談を聞いて、恋がどんなものかを聞きたかったんだけど…逆に話を振られてしまった。

「私も、まだ初恋はした事ないんだよねぇ」
「友達と、恋愛話とかしなかったの?」
「私、小学校の時にギターを始めたから、友達とは音楽の話ばっかりしてたんだ」
「そうなんだぁ。梓ちゃんは恋したいって思った事はある?」
「ん~…興味はあるけど、周りにそういう人が居ないからね。だから、初恋はまだ先かも…」

恋をするとどんな感じになるのだろう。好きな人と居ると心が温かくなったりするのかな。
好きになったら、その人の為なら何でもしてあげられるとか、一緒に居ると自然と笑顔になったりとか…。
きっと、恋をしたら生き生きとする自分が居るんだろうなぁ。って、想像したら、何だか恥ずかしくなってきたけど…。

「そういえば、唯先輩は初恋って経験済みなのかな?」
「どうなんだろう…今まで、そういう話した事ないから、もしかしたらまだなんじゃないかなぁ?」
「そっか…。まぁ、唯先輩って一人しか見えないっていうよりも、皆で楽しくしてる方が良いって感じだもんね」

そんな時、唯先輩から1通のメールが届いた。まるで、私達の会話を聞いていたかのような内容でビックリしたけど…。

あずにゃんは恋した事ある?』

「…何でこのタイミングで、こんなメールを…」
「クスッ…お姉ちゃん達も同じ話をしてたのかもね♪」

律先輩達と、恋バナで盛り上がってるのかな…。でも、このメールに対して、どう返信すれば良いのか…。
素直に『無いです』と言うべきかな。でも、後から『まだ恋をした事ないの!?』とか言われそうな気がして嫌だなぁ。
じゃあ『あります』と返事してみようかな。…でも、こんな事で意地を張っても仕方ないしなぁ。
どうすれば良いか悩んでたけど、憂と話をしているうちにメールの返事を忘れてしまい、そのまま眠りに就いてしまった。


「今日だよね、唯先輩が帰ってくるの」
「うん♪」

憂は満面の笑みを浮かべていた。唯先輩に会えるのが余程嬉しいんだろうなぁ。

「お泊まり会、楽しかったよね…また行っても良いかな?」
「良いよ!いっぱいお喋りできて楽しかったし…今度は梓ちゃんの恋の話も聞きたいしね♪」
「それだったら、憂の話も聞きたいよ…私はまだ当分先だと思うけどね…」

今日、3年生が修学旅行から帰ってくる。まぁ、今日帰ってきても部活はお休みだし、明日も3年生は振替休日でお休みだ。
だから、唯先輩達に会えるのは明後日という事だけど…今日は1人で練習して行こうかな。

「ふぅ…1人でできる練習なんて限られちゃうなぁ」

カレーのちライス、ふでペン~ボールペン~、ふわふわ時間に私の恋はホッチキス…。
私達がよく演奏する曲目だけれど、30分で一通りのパート練習が終わってしまった。
誰も居ない机に目をやる。普段なら、みんなでお茶したり雑談したりするけれど、今日は1人…。
少し離れた所で、トンちゃんが元気に泳いでいるけれど、部室には私1人だけ…。
これが日常の光景になってしまうのは、そんなに遠い事ではない気がする…。

「寂しいなぁ…」

私は、ふとケータイを取りだした。よくメールを送ってくれる唯先輩からは、今日もメールが来ない。
よく考えれば『あずにゃんは恋した事ある?』というメール以来、唯先輩からのメールが無い…。

「やっぱり、ちゃんと返信しておけば良かったかなぁ…」

今頃後悔しても遅いよね…。まぁ、機会があれば直接話せば良いんだし、気にしちゃダメだよね…。
1人で部室に居ても、寂しいという感覚に陥るだけだった。私は、トンちゃんにエサをあげた後、練習を切り上げて帰宅する事にした。

―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―

「はい、これお土産…お姉ちゃんが純ちゃんにって♪」
「えっ…私に…? 良いの?」
「うん!梓ちゃんとお泊まりに来てくれたから、そのお礼にって♪」
「うわー、唯先輩からのお土産、嬉しいなぁ!…お、中身は生八つ橋だ!私、これ好きなんだよねー!」
「純、はしゃぎすぎ…」

ハイテンションで喜ぶ純を見て、私は少し呆れてしまった。
まったく…唯先輩からのお土産が嬉しいのか、生八つ橋だから嬉しいのか、どっちなんだろう。

「梓ちゃんには、軽音部の皆で選んだお土産があるって、お姉ちゃん言ってたよ」
「あっ…そ、そうなんだ…」

良かった、私にもちゃんとお土産あるんだ…。うん、先輩達からのお土産…楽しみだなぁ…。


「そう言えばお姉ちゃん、あずにゃん分が足りないって言ってたよ」
「…きっと抱きつかれるんだろうなぁ…隠れようかな」
「へぇ…だったら、私が唯先輩に『お土産、ありがとうございます!』って言って抱きついちゃおうかな」
「え!?…純、何言って…」

「あ~ずにゃん♪」
「にゃん///」
「久し振りぶり♪」
「止めてくださいよぉ、廊下ですよ?」

これは不意打ちだ…。完全に無防備な状態の時に、唯先輩から抱きつかれた。隠れる暇すらなかった。
まぁ、止めてくださいと言って、止めてくれる先輩じゃないんだけどね…。でも、こうやって抱きつかれるのも久し振りだなぁ。
やっと先輩が帰ってきたっていう感じがして嬉しいな…。まぁ、皆の前でちょっと恥ずかしいんだけどね。

「唯先輩、お土産ありがとうございます!…私、生八つ橋大好きなんで嬉しいです!」
「…純は甘い物なら何でも好きでしょ!?」

あっ…嬉しそうに話す純を見て、思わず怒鳴ってしまった…。何で私、純に怒鳴っちゃったんだろう…。
唯先輩も憂もビックリしてる…。と、とにかく謝らないと…。

「あ、すみません…純もゴメン…」
「う、うん…」

私は自分の突発的な言動に後悔している…。謝ったけれど、重い空気が流れている。そんな嫌な空気を、唯先輩の言葉が取り除いてくれた。

「私も甘い物好きだよ。それ以上に、あずにゃんの事も純ちゃんの事も…勿論、憂の事も好き~♪」
「えっ…唯先輩…?」
「…そうだ、あずにゃんにお土産買ってきたから、部室に行こう!」

私は唯先輩に引っ張られ…部室に向かった。後で構わないと言ったんだけれど、唯先輩の嬉しそうな顔を見たら…自然と気持ちが部室に向いていた。
後ろからはクスクスと笑う声が聞こえ、重かった空気がスッと消えた。自分が全面的に悪いはずなのに…私は唯先輩に救ってもらった気がした。

「ねぇ、憂…」
「何? 純ちゃん」
「梓ってもしかしたらさぁ…」
「へっ…?」
「あっ…いや、何でもない…」


「ぶ…?」

私の前に差し出されたのは、『ぶ』とデザインされたキーホルダーだった。何だろう…どういう意味があるのかな。

「…これがお土産ですか?」

中野梓…私の名前に『ぶ』は入っていないし…はて、どういう事なのかな。…と思っていたら、唯先輩が別のキーホルダーを机に置いた。

「そうだよ…私がこれっ!」

唯先輩は『ん』…そして、ムギ先輩は『お』 澪先輩は『い』 律先輩は『け』のキーホルダー、そして私は『ぶ』…。
そっか、そういう事なんだ。これは私達5人の絆を繋ぐ、大切なお守り…。クスッ、この間1人で感じた寂しさ…どっかに行っちゃいました。

「5人で『けいおんぶ』…これ、皆さんで選んでくださったんですよね。ありがとうございます!」


私は、唯先輩と久し振りに一緒に帰る事にした。話す事は勿論、唯先輩が修学旅行の事、私はお泊まり会の事だった。
あのメールの事も聞きたかったけれど…何か話し出すタイミングが見つけられなかった。

「あのキーホルダー…軽音部の5人が結束しているみたいで、凄く良いですよね!」
「だよね~…気に入ってもらえたかな?」
「はいっ!大事にします!…だけど…」
「ほぇ?」

キーホルダー…勿論、軽音部の先輩達で選んでくれた物だから、とっても嬉しいんだけど…何か物足りない…。
純は唯先輩からお泊まりのお礼に、という事でお土産を貰っていた。だったら、私も…なんて、ただの我儘だよね…。
それに、唯先輩からお土産を貰う為にお泊まりに行ったわけじゃないし…。

「あずにゃん…?」
「…じ、純にもお土産買ってきたんですよね…!純、喜んでましたよ…」
「うん、純ちゃんも憂の為に泊まりに来てくれたからね…そのお礼に♪」
「そ、そうですか…私も、このキーホルダー…嬉しかったです…けど…その…」
「ん?」
「私も…唯先輩から…個人的なお土産が欲しかったです…」

言ってしまった…。こんな事言うなんて、最低の後輩ですよね。お土産が目当てとかじゃなくて、『唯先輩からの物』が欲しかっただけで…。
…なんて言っても、全て言い訳にしか聞こえないか。はぁ、こんな自分がみっともなくて、唯先輩の顔が見れないや…。

「後で渡そうと思ってたんだけど…はい♪」
「えっ…?」

突然、唯先輩が小さな袋を差し出してくれた。私が両手を差し出すと…可愛くラッピングされた、その小さな袋をちょこんと乗せてくれた。

「唯先輩…これは?」
「あずにゃんの為に買ってきたお土産だよ♪ 『A.N』のイニシャル入りのピック…見つけた瞬間、これだって思ってさっ!」
「あっ…ありがとうございます、唯先輩!大切にしますね!」

唯先輩から…お土産を貰えると思っていなかった私は、凄く嬉しくて…満面の笑みを振りまいていた。
唯先輩が選んでくれた物…私は凄く心が温かくなっていくのを感じた。
…あれ? そ、そういえば…さっきから、何で私、唯先輩のお土産に一喜一憂してるんだろう?
純の時も、お土産がきっかけで…。『唯先輩から』貰えた事に喜びを覚えたこの気持ち…何なんだろう?

―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―

お泊まり会から約1ヵ月後…梅雨のシーズン到来した。ただでさえテンションが落ち気味になる気候の中、今日は掃除当番も任されている。
気分を少しでも盛り上げようと、私はある曲のフレーズを口ずさんでいた。

「なんでなんだろ 気になる夜 キミへのこの思い…」
「梓…最近、その歌詞をよく口にするよね。…何で?」
「え!?…わ、私…そんなに歌ってないよ!?」

後ろから声をかけてきたのは純だった。そうだ、今日は純も一緒に掃除当番だったっけ。ちなみに憂は借りた本を返す為に、図書館に行っている。
私は思わず否定してしまったが…純の言う事もあながち間違ってはいない。
凹んでいる時や、テンションが上がらない時、『わたしの恋はホッチキス』を口ずさんでいる事があるのだ。
その時は、必ずと言って良いほど…ある先輩の事を思い浮かべながら…。

「…で?その思いを誰に伝えたいの?」
「…何の話?わ、私は別にそんな人は居ないし、そんなつもりで口ずさんでるわけじゃ…」
「お!歌ってると認めましたな~♪」
「うっ…。ほ、ほら!早く掃除終わらせちゃおうよ!」

何だか、私の心を見透かされそうな気がして…思わず誤魔化しちゃった。
だけど…純には全てお見通しだったんだと思うまで、そう時間はかからなかった。

「唯先輩には伝えないの?」
「ふぇ!?…な、何の話!?」
「梓ぁ…誤魔化しても無駄だよ?…好きなんでしょ?唯先輩の事…」

ドキッ…。純の言葉に呼応して、心臓の鼓動が速くなっていくのを感じた。私の表情を見ながら、純はいたずらっぽく笑っている。

「す、好きなわけ…!ま、まぁ、先輩だし…憧れの存在だけどね…!それだけだけどね!」
「…憧れ以上の感情は?」
「そ、そんなものあるわけないじゃない!…ゆ、唯先輩は…私の中では憧れだけど…それ以上の感情なんて…」
「な~んだ、そうなんだ!…私、実は唯先輩の事好きだからさ…告白しようかなって思ってるんだー♪」
「えっ…」

純が…唯先輩の事を…。まぁ…ありえない事ではないのかもしれない。
修学旅行のお土産を貰った時も嬉しそうだったし…。って私…何でこんなに落ち込んでるんだろう…。

「告白…するの…?」
「していい?」
「ん…」
「ふふっ、告白は冗談だよ!まぁ…私も唯先輩には憧れているのはホントだけど、親友から好きな人を奪う事なんてできないよ♪」

そう言われた瞬間、私の中からスッと全身の力が抜けていくのがわかった。
きっと、休み時間だったら…そのまま机に倒れこんでいたかもしれない。

「まったく…梓の態度って、結構わかりやすいよね」
「そ…そう?」
「梓が唯先輩と話す時、目がキラキラしてるし、声のトーンも上がってるし、何よりも楽しそうだし…それに、修学旅行のお土産を唯先輩から貰って、
 そのお礼を言おうとしたら、梓、ちょっと機嫌悪くなったでしょ。きっと、私に嫉妬したんじゃないかなって♪」
「あの時は、その…ゴメン…」
「良いって事よ♪」
「純…私ね、唯先輩に抱いているこの気持ちが、何なのか…よくわからないの…。確かに、好きっていうのは事実…。
 だけど、他の先輩達に抱いている、好きという気持ちとは何か別みたいで…。唯先輩から何か貰えると嬉しかったり、
 唯先輩の笑顔を見るとドキドキしちゃったり、一緒にお話しすると楽しかったり…」

最近抱いている、唯先輩への想いを全て純に打ち明けた。今抱いている気持ちを、こんなに話した人は初めてだった。
純は、最初は穏やかな表情で聞いてくれていたけど、徐々に呆れた表情になっていくのがわかった。

「梓…そこまで唯先輩の事を考えてるのに、その気持ちが何かわからないって…どれだけ鈍いのよ…。
 梓が抱いている気持ちはね、紛れもなく――――――――――」


考えなかった事ではなかった。今まで、そういう経験をした事がなかったから…だから、この気持ちがそうなのかもしれないと思った事もあった。
でも…女の子が女の子に、こんな感情を抱くのは変じゃないかと思って…。だから、私は自分の本当の気持ちに辿りつけなかった。

部活に向かう階段で、私は純に言われた事を思い出していた。

「梓が抱いている気持ちはね、紛れもなく唯先輩への恋心だよ」
「えっ…でも、恋って、異性にするものなんじゃ…」
「好きになったんなら、相手が女性だろうが男性だろうが関係ないよ!気持ちを落ち着かせて、唯先輩と話してみてさ、それでも…他の人達と違う気持ちで
 唯先輩と接しているようだったら、それは梓にとって唯先輩が特別な人って事だよ。恋をするなんて素敵な事じゃん♪私は梓の恋、応援するよ!」

そんな事言われたら、かえって緊張して…唯先輩と上手く話せなくなっちゃうんじゃないかな…。
少し、複雑な心境になってしまったけれど、とりあえず普段通りの自分で居ようと、部室のドアに手をかけた。

「こんにちは…遅くなりました!」

先輩達がこっちを見ている。ちょっと遅くなりすぎちゃったのかな…なんて思っていると、律先輩がこちらに駆け寄ってきて…

「あ~ずさ♪ ギュッ…」
「り、律先輩!?」
「お、おい、何やってるんだよ、律!」
「…さっき、唯が梓に抱きつくと、心が落ち着くって言ってたから、本当かなーって…ほら、ムギもやってみてみな!」
「う、うん…ギュッ…」
「ムギ先輩もですか…!?」
「本当だぁ、梓ちゃんを抱き締めると、何か心が温かくなる感じがする♪」
「ほ、ほら…ムギもその辺にしておかないと…」

な、な、な…何が起きているんだろう!?こんな事をしてくるのは唯先輩だけだと思っていたのに…。
律先輩はともかく、ムギ先輩は悪気があるわけじゃないしなぁ…。どうリアクションすれば良いのやら…。
それに、唯先輩はどんな顔で見てるんだろう…。私がチラッと唯先輩の方を見ると…そこには、私の知っている唯先輩は居なかった。
とても落ち込んでいるというか…今にも泣き出しそうな…あの元気いっぱいの唯先輩ではなかった。

「ゴメン、私ちょっとトイレ行ってくる…」
「唯先輩!?」
「唯!」

力無い言葉を残し、ドアに向かって歩き出した唯先輩。私と澪先輩が呼び止めたものの、唯先輩はそのまま部室の外に出て行ってしまった。
唯先輩のあの寂しげな背中を見たのは初めてだった。今…私が追いかけないと…!唯先輩を救えるのは自分しか居ない…!
何故かそう直感した私は、自然と唯先輩を追いかけていた。階段を急いで駆け降りると…階段の下で唯先輩が肩を小さく震わせていた。
私の力でどうにかなるかはわからないけれど…とにかく唯先輩の事を助けたい一心だった。

「唯先輩…」

私が呼びかけると、唯先輩の震えていた肩がピクッと反応したように見えた。だけど、唯先輩は俯いたままで、こちらを向こうとはしてくれなかった。
私が部室に来た途端にこんな事になるなんて思わなかったから、正直、どうすれば良いかわからない…。
もし私が今の唯先輩の立場だったら…唯先輩から何をしてもらえば私の気持ちが落ち着けるのかな…そう考えたら、答えは1つだった。

「あずにゃん…」
「唯先輩…ギュッ…」

私は優しく包み込むように…唯先輩の背中を抱き締めてた。私の方が唯先輩より1段高い所にいたから、ちょうど良い感じで唯先輩に密着できた。

「どうしたんですか…唯先輩らしくないですよ…。いつも笑顔で、私の事を元気にしてくれる唯先輩はどこに行っちゃったんですか?
 唯先輩の笑顔は、私の事をたまにドキッとさせちゃったり、私に活力を与えてくれたりするんです。だから、唯先輩の笑顔…私は大好きなんです。
 だから…早く帰ってきてくださいね。いつもの唯先輩が戻ってくるまで…私、ここで一緒に待っていますから…」

私は多分、特別な事はできないと思う。こんな事はありきたりな事だから、これで唯先輩を助けられたかどうかはわからない…。
だけど、こうやって唯先輩のぬくもりを感じると、私はいつも心が落ち着くし、どんなに落ち込んでいても元気になれる。
律先輩が『唯先輩は私に抱きつくと心が落ち着くって言ってた』と言ってたっけ…。今、唯先輩も同じ気持ちになってくれていると良いな…。


「ありがとう、あずにゃん…もう大丈夫だよ♪」

いつもの笑顔と、いつもの口調で…唯先輩は私の事を抱き寄せてくれた。いつもの唯先輩に抱き締められて…今日一番の幸せな気分になれた。

「心配かけさせちゃってゴメンね。もう…あずにゃんを心配させるような事はしないからさ…」
「…約束…ですよ?」

唯先輩の言葉に小さく頷いた。優しく私の頭を撫でてくれる感触が心地良い。この心地良さをもっと味わいたくて…私は暫く唯先輩に身を預けていた。


「…部室、戻ろうか♪」
「はいっ!」

純の言葉で少し自覚した部分もあったけど、元気になった唯先輩の笑顔を見て…はっきりとわかった。私…唯先輩の事が好きなんだ。
他の人に抱く『好き』という気持ちとは違う、唯先輩だけに抱く特別な『好き』という気持ち…。
これが…恋なんだ…。16歳での初恋…。何だか、唯先輩に恋をしていると自覚した瞬間にドキドキしてきちゃった。
唯先輩のぬくもり、唯先輩の笑顔、唯先輩の優しさ…全てが好き。だから…自分の気持ちにもっと正直になろうと思えるようになった。

「復活だよー!みんな…心配かけてゴメンなさい!」
「お帰り、唯」
「やっぱ…唯は笑顔の方が似合ってるな!」
「ちょうどお茶を入れ直したところだったの…唯ちゃん、梓ちゃん、一緒にどうかしら♪」

私達が戻ってきた場所は、いつもと変わらない軽音部。澪先輩、律先輩、ムギ先輩…そして唯先輩と過ごすいつもの場所。
大好きな先輩達と、特別な想いを抱くようになった先輩…。この場所で一緒に過ごせる時間を大切にしていこうと思った。

―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―

初めての恋を意識してから2ヵ月…。学校は夏休みに入ったので、受験生の先輩達とは限られた日しか会えなくなってしまった。
部活は1週間に1度くらいしかできないけれど、私はその日が楽しみで仕方なかった。理由は勿論…唯先輩と会えるから。
一応、唯先輩とは毎日メールはしている。他愛の無い内容だったりするけれど、唯先輩からメールが貰えたというだけでテンションが上がっていく。

久し振りの部活を明日に控えたある日、私は憂に会う為に唯先輩の家に行った。
この日、唯先輩は澪先輩達と受験勉強する為に、図書館に行っているようだ。
連日の暑さでグッタリしそうだった私を、憂はいつもの笑顔で出迎えてくれた。

「梓ちゃん、いらっしゃい♪ 今日はね、梓ちゃんの為にスイカ用意しておいたんだー♪」
「あ、ありがとう…」

この子はいつも真面目だし、常に他人に対して気配りができる。先輩達が声を揃えて言う言葉は『よく出来た子』だ。
私も本当にそう思う…けれど、唯先輩に甘いのが玉に瑕という感じかな。でも、それは憂も唯先輩の事が大好きだから…。
私も、もし憂の立場だったら、一応注意はするけど、同じように甘やかしてしまう…かもしれないなぁ。

「このスイカ、冷えてて凄く美味しいね!」
「えへへ、梓ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいな♪」

な、何という屈託のない笑顔…。こういう表情を見せられちゃうと、思わずドキッとしちゃうよ…。
だけど、私は少し怖かった。憂の…この笑顔を壊してしまわないか…。私と憂の友情が壊れてしまうのではないかと…。
…今日、私が憂に会いに来たのは他でもない…私の恋の相談をしたかったのだ。

「…それでね、お姉ちゃんったら今日は図書館に行くぞーって言ってたのに、水着の用意しちゃってたの!おかしいでしょ♪」

唯先輩の事を楽しく話す憂…。私が唯先輩に恋をしたと伝えたら、憂はどういう反応をするのだろう…。
受け入れてくれるのかな…。それとも拒絶されちゃうのかな…。口聞いてくれなくなっちゃったらどうしよう…。

ここまで来て、色々葛藤したけれど…私は自分の気持ちに正直になろうと思った。
憂には包み隠さずに私の気持ちを打ち明けようと思って、ここに来たのだから。

「どうしたの?梓ちゃん…何か元気ないみたいだけど…」
「ううん、大丈夫…。あのね、憂…今日は大切な話があって、ここに来たの…」

もう後戻りはできない…そう決心して、私は本題を入ろうとした。

「実はね、私…初めて恋をしたんだ…」
「へぇ~!梓ちゃんの初恋かぁ…♪ねぇねぇ、相手はどんな人?」
「あの…ね、普段はだらーっとしたり、子供っぽい所があったりするんだけど…いざという時は頼りになるし、笑顔も可愛いし、
 いつも私の事を気にかけてくれる、凄く優しい人なの…」
「笑顔が可愛い…?相手って、もしかして女の子?」
「うっ…うん…。やっぱり…女の子が女の子に恋をするって、変…だよね…」

純は、好きになったのなら、相手は女性だろうが男性だろうが関係ないと言ってくれた。
私の背中を強く押してくれたけど…憂はどう思ってるんだろう…。

「そんな事ないよ!私は素敵な事だと思うよ。自分には無い魅力があるから、人を好きになれるんだし、恋もするんだと思う。きっと、梓ちゃんは
 その女の子に凄い魅力を感じたんだよね。魅力だけじゃなくて、一緒に居て心が温かくなるとか、癒されるとか、ホッとできるとか…」
「う、うん…」
「そういう大事な気持ち、変だなんて思っちゃダメだよ!人を好きになる事は凄く良い事だし、私はその想いを大切にしてほしいな…♪
 梓ちゃんは、その女の子と毎日連絡取ったりしてるの?」
「うん…今は夏休みだし、相手は勉強が忙しいのもあって、最近はなかなか会えないけど…でも、メールは毎日してるよ。
 なかなか会えない分、相手からメールが来ると、凄く嬉しくなっちゃうの」
「そうなんだぁ。好きな人からメール貰えると、ちょっと落ち込んでたりしても、元気になれるもんね!私は、梓ちゃんの初恋…成就するように応援するよ♪」

憂の優しい言葉に、思わず私は顔を綻ばせてしまった。憂も応援すると言ってくれた事が凄く嬉しかった。
だけど…本当に伝えなきゃいけないのは、この先…。恋の相手が唯先輩だという事…。

「そ、それでね…初恋の相手なんだけど…じ、実は…ね…」

私の心臓は破裂してしまいそうなくらいに高鳴っていた。
正直、唯先輩と話している時…いや、唯先輩に抱きつかれた時よりも高鳴っていたかもしれない。
だけど…憂の言葉が、私の胸の高鳴りを少しだけ抑えていってくれた。

「それから先は、本人に伝えてあげて…ね♪」
「えっ…」

憂は口に人差し指を当てて、穏やかな表情で私を見ている。それは、緊張する子供を宥める…優しい母親のようだった。

「私はね…梓ちゃんの初恋の話を聞けただけで嬉しかったよ!ここから先の話は、私じゃなくて、その女の子に直接話してほしいな♪
 私…せっかくの梓ちゃんの恋に立ち入るような事はしたくないから♪」
「憂…」
「何かあれば、アドバイスはしてあげられるからね!」
「憂…ありがとう…」
「梓ちゃんになら…安心して任せられるよ♪頑張ってねっ!」
「うん…えっ…!?」

私は、最後の憂の言葉にドキッとしてしまった。収まりつつあった鼓動が、一気に激しくなるのがわかった。

「憂…もしかして私の好きな…」
「そうだ、これから一緒に買い物に行かない?今日、駅前のショッピングモールで夏服のセールやってるんだって♪」

憂は、それ以上言葉は要らないよ、と言わんばかりに私にウインクをしてみせた。
…そっか、全てお見通しだったんだ…純にしても、憂にしても…。
1人でどうしようってドキドキして、何かバカみたいだなぁ…。
でも、応援してくれると言ってくれた2人の為にも、私にある決心がついたのは紛れもない事実だった。

『いつか…絶対、唯先輩にこの想いを伝えよう…!』

―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―

翌日…先輩達と私は、部室でセッションを行っていた。受験勉強が忙しい先輩達は、こういう機会でしか練習ができない。
まぁ、唯先輩は…何だかんだ言っても、毎日ギー太を奏でていそうだけど…。
だけど、練習機会が減っているとは言え、しっかり音が合うところなんかは、私達の経験でカバーというか…絆が深い証拠みたいで、何か嬉しい♪

「ふぅ…こうも暑いと、ドラムはやっぱ死ねる…」
「あちゅい…」
「律と唯がグッタリしかけてるから、少し休憩にするか…」

澪先輩の提案で、休憩する事になったけど、確かに練習環境としては酷いものがある…。
唯先輩がクーラーが苦手という事で、設定温度等を他の部室に比べて高く設定している。なのに、その唯先輩がグッタリしちゃってるなんて…。
まぁ、少し休憩する事で回復してくれるんじゃないかな。ムギ先輩も、今日は冷たい物を用意しているみたいだし…。

「今日はジャズ研も練習しているみたいなので、私、差し入れ持って行きます!」
「梓ちゃん、偉いわね♪ 他の人たちの気配りもできるなんて」
「い、いえ、そんな…あっ、先輩達はゆっくり休んでいてくださいね!」

私は、ムギ先輩の持ってきたクーラーボックスから、一口サイズのゼリーの入った袋を取り出し、部室から出ようとした。
途中から、唯先輩の視線を凄く感じたんだけど…多分、私に向けてじゃなくて、この袋の中身が気になっていたんだよね…。
私に向けられた視線だったら良かったのになぁ…なんてね。唯先輩に振りむいてもらえるように、もっと頑張らなきゃ!
…でも、何をすれば良いんだろう? なんて事を考えながら、ジャズ研の部室に向かった。

「とりあえず、明日夏祭りがあるみたいだから、そこに唯先輩を誘ってみたら良いんじゃない?」
「いきなり何言い出すの、純…」
「いや、唯先輩に振り向いてもらえるように頑張りたいけど、何をすれば良いのか考えていたみたいだから」
「ちょっ…会う前から、私の心を読まないでくれる…?」
「こんにちは、梓の心を読む梓の心の友、鈴木純です!」
「何のアピールよ、それ…」

とりあえず、持ってきた差し入れのゼリーを渡し、純を黙らせた。そうでもしないと、また私の事を色々と見透かされそうな気がしたから…。
何も言わなくてもわかってくれるっていう友達が居る事は幸せなんだけれど、唯先輩の事に関しては、話をするだけでドキドキしちゃうし…。

「今って軽音部も休憩中?」
「うん…それに、あつくなってきちゃったから、少し避難を…」
「あつくなったって…何が?」
「部室だよ…唯先輩がクーラー苦手でさ…設定温度を30度にしてるから、暑くて…」
「なーんだ! 唯先輩の隣で練習してるから、心も体も熱くなってきちゃったんだと思った♪」
「うっ…」

純…やっぱり貴女には敵いません。体が熱いのは事実だよ…。
これは、気温が高いのが原因じゃなくて、唯先輩の隣で練習をしていたらドキドキしちゃって…。
それで、休憩時間にジャズ研への差し入れを理由に、ちょっと唯先輩から離れようかなって…。
せっかく、久し振りに唯先輩に会えたのになぁ…。少し後悔しながらも、私は高鳴りすぎた気持ちを、少し気持ちをクールダウンさせている。

「と、ところで…明日、夏祭りがあるって話…」
「おっ…唯先輩を誘って行きたいんですな?」
「ま、まだ誘うって決めたわけじゃないけど…その…ちょっと興味があるから…」
「もし唯先輩が行くって言ったら、私も行って良い?」
「…」
「冗談だよ♪」

まぁ、そんな事はわかっている…けど、あえて拗ねた表情をしてしまう…。そんな表情を見て、純がまたからかってくる。
このやり取りは、おなじみの光景になりつつある。だけど、相手が純だから、こういうやり取りができるんだ…。
ある時、純に嫉妬心を持ってしまい、キツく当たってしまった事もある。一時的な感情で、その時は謝ったけれど…純は気にする素振りを見せずに笑ってくれた。
私の気持ちを知った純は、からかいはするものの、色々と私の為にアドバイスもしてくれる。だから、私は純の事を頼りにしているんだ。

「夏祭り、明日の夕方に学校の近くの神社でやるみたいだよ!それで、夜には花火も打ち上がるんだって!」
「花火も上がるの?」
「そう!それでね、好きな人とその花火を見ると、幸せになれるんだって♪」
「そ、そうなの!?」
「だと良いよねー♪」
「純…」

ダメだ…たまにこの子が律先輩に見えてくる事がある…。前はベースが上手い澪先輩が憧れって言ってたのに…。
でも…純と一緒に居ると面白いな。あれこれ悩んでいても、純がその悩みを全て吹き飛ばしてしまう事もあるんだもん…。

「でも、私に惚れちゃダメだよ!梓には唯先輩が居るんだから♪」
「…だから、私の心を読まないでって…」
「あはは、ゴメンゴメン♪ だけど、さっきの花火の話だけど、幸せになれるかどうかは梓次第だよ!唯先輩誘って、行ってきなよ!」
「うん…でも、どうやって誘えば良いかな…?」
「梓は、唯先輩と帰り道が一緒なんでしょ?だったら2人きりになった時に、さり気なく伝えてみるのが良いんじゃない?あるいは、メールで誘ってみるとか」
「そうだね…ありがとう、純」
「どうせなら、キスの報告でも待ってるからさ!」
「なっ…!?///」

キスって…。告白だって、いつしようかまだ決めてないのに、展開早すぎでしょ…。
唯先輩とのキス…そんな事を想像しただけで、せっかくクールダウンさせていた体が、また火照ってきてしまった。
そんな私を見て、純はまたニヤニヤしている。うぅ…私、純に完全に遊ばれてるなぁ…。


「そ、それじゃあ、私そろそろ戻るね…」
「おっ…唯先輩に会いたくなってきたんですな?」
「違う、そろそろ軽音部の休憩時間も終わる頃かなって…」
「本当にそれだけ…?」
「…唯先輩の傍に居たくなった…」
「素直が一番だよ、梓♪デートに誘う時もね!」
「デート…かぁ///」
「こらっ、そこで赤くなるのはまだ早いぞ!」
「うん…純、ジャズ研頑張ってね」
「あーい♪梓も差し入れ、ありがとうね!」

私は純に軽く手を振り、軽音部の部室に向かった。せっかくクールダウンさせた体が、また熱くなってきちゃった…。
どうしよう、きっと顔も赤いままなんだろうなぁ…。もう、純がキスとかデートとか言うから、また変に意識しちゃうよ…。


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最終更新:2010年08月30日 19:26