「え……。うそ……」
今、私の携帯から聞きたくない現実が聞こえた。
『唯ちゃんが交通事故に遭って、病院に運ばれたらしいのよ!』
家でギターの練習をしていた時、突然鳴った携帯。先生からなんて珍しいな、なんて思って出たら……。
さわ子先生の声が次第に遠くなっていく気がした。
『梓ちゃん、今から病院に行くけどどうする?』
「い、行きます!」
私は咄嗟にそう答えた。
病院にて
軽音部の先輩方や和先輩も駆けつけ、状況を聞いた。
どうやら、車道に飛び出した猫を助けようとして、轢かれたらしい。
運転手が先に猫に気づいてブレーキを踏んだので、唯先輩は軽傷で済んだそうだ。
「よかったぁ、大したこと無くて」
律先輩がほっと胸をなでおろした。
「それで、今はどこに?」
「病室で寝ていますよ。もうご家族の方がいらっしゃっています」
病室を聞いて、みなさんと気持ちを抑えてドアを開けました。
「み、みなさん……」
少し目が赤い憂がベッドの傍らにいた。
「憂ちゃん、唯は?」
律先輩の声がいつになく震えている。
「まだ眠っているんです。頭を少し打ったみたいですけど、傷は大丈夫だそうです」
ベッドには唯先輩が眠っている。見た感じ何ともなくてよかった。
「ん……」
「唯先輩……?」
そんなことを話していたら、ゆっくりと目を覚ましました。
「あ……」
「唯、大丈夫か?」
澪先輩がこらえきれずに声をかけます。
「……?」
「唯ちゃん……?」
続けてムギ先輩が声をかけますが、なんだか様子が変です。
「えーっと……」
「唯先輩?」
みなさんが見つめる中、唯先輩が一言。
「あなた達……、誰?」
一同が凍りついたのがわかりました。
「記憶喪失……ってやつだよな」
とにかく全員一致の意見がこれです。
「とりあえず、私は平沢唯、と言うんだね」
「本当に、覚えてないんですか?」
「うーん、何だかぼんやりとしか思い出せないというか……」
唯先輩は一生懸命思い出そうとしているのですが、思い出したことといえば自分が高校三年生だったことぐらいでした。
「一時的な記憶障害でしょう。頭を打っていますしね」
「どうにか治せませんか?」
和先輩が詰め寄ります。
「こういう症状は医師にはどうにも……。治るかもしれませんし、治らないかもしれません」
「そんな……」
憂は今にでも泣きだしそうな顔をしている。
空気が重くなっていくところに先生が慌てて付け加えた。
「おそらく一時的なものですから、普段通りの生活で刺激を受けて徐々に回復すると思います」
「ケガも軽いものですし、明日には家に戻ってもらって構いませんからそこで療養するのはどうですか?」
「お、おねがいします!」
憂が勢いよく頭を下げた。
唯先輩……、大丈夫かな。

翌日
唯先輩の具合がいいので、記憶を取り戻すために学校へ行くことになりました。
“やっぱり部室での演奏が一番効くと思うんだよな”という律先輩の案で、部室で演奏を始めることに。
「じゃあとりあえず“ふわふわ時間”からかな?」
「よーし、行くぞ! 1、2!」
唯先輩が風邪で休んだ時のために用意していたヴァージョンをやることになるとは、思いもよらなかったです。
キミを見ているといつもハートDOKI☆DOKI……♪
唯先輩、何だかそわそわしている……。ギー太も持ってきたし、もしかして思い出してきてギー太を弾きたいんじゃ……?
「続いて“わたしの恋はホッチキス”だ!」
なんでなんだろ、気になる夜……♪
次々と放課後ティータイムの楽曲を続けます。唯先輩、思い出してくれたかな……?
ジャー……ン
演奏が終わった途端、唯先輩が立ちあがって拍手をしてくれました。
「どうだった? 唯」
少し不安げに聞く律先輩。私も緊張してきました……。
「なんていうか、すごく言葉にしにくいんだけど……」
「うん!」
「……あんまりうまくないですね!」
ばっさりだー!
「くくく……ぷあはははは!」
「ふふふ……!」
「あははは!」
な、何? 突然……。先輩達が笑いだした。
「いやー、やっぱり唯は唯だな」
「そうだな。あの時もそうやって……」
「唯ちゃんったら……ふふふ」
「あのー……」
唯先輩と私だけが状況を飲み込めずにポカンとしていた。
「あぁ、ごめんごめん」
律先輩が涙を拭いながら説明してくれた。
「唯を勧誘するときに“翼をください”を演奏したんだけどさ、その時の感想をまるっきり一緒だったからさー。ふふふ……」
「私そんなこと言ったの!?」
「そんなことがあったんですね……」

しばらくして笑いも収まり、疲れていたのでティータイムとなりました。
「このお菓子おいしいな」
「さぁ、どんどん召し上がって」
「そういえば……」
唯先輩もお菓子を食べているけど、なんだかペースが遅い。
なんだか、不安だな……。
「唯、どうした? 調子悪いのか?」
「いや、りっちゃん。そういうわけじゃないんだけどね。あ、このお茶おいしいね!」
「そう? おかわりいかが?」
「お願いしまーす」
そういいながらカップを差し出す唯先輩。
やっぱり何だか変だ……。そして、私も何だか不安でしょうがない。何か引っかかる。何だろう……。
そんなこんなで日が暮れて──
「ごめんね、ここまでしてもらったのに思い出せなくて……」
「そう落ち込むなよ、唯」
律先輩が励ますけど、唯先輩は申し訳なさそうに小さくなっている。
「今日はこのぐらいにして帰るか」
「そうだな、澪」
「また明日来ましょう?」
「みんな……、ありがとう……」
「唯先輩、そんな情けない声出さないでください!」
「そうだね……!」
そして、帰り道
先輩達と別れて、唯先輩と二人きりで歩く。
「唯先輩」
「なぁに? 梓ちゃん」
「あの、まだ時間あります?」
「え? なんで?」
「ちょっと寄りたいところがあるんです」
「別にいいけど……」

たい焼き……?」
「そうです。この前、唯先輩が奢ってくれたんで何か思い出せるきっかけになれば……」
「あ、ありがとう……」
そう言って、買ってきたたい焼きを渡す。
「いただきます」
“ゆいあず”を結成したときのあの河川敷に腰かけ、二人でたい焼きを頬張る。
「ここで先輩とギターの練習をしたりしたんですよ?」
「梓ちゃんと一緒に……?」
「そうですよ。唯先輩ったら期末試験があるのに演芸大会に出るって言って……」
唯先輩は何だか戸惑った表情で、さらにたい焼きを頬張る。
私も、何だか違和感が拭えない。何だろう、この寂しさに似た感じ……。
あ、そうか……。
「梓ちゃん……?」
「そんな他人行儀みたいに呼ばないでくださいよ……」
自然と涙が零れているのに気付いた。もう我慢できない……。
「いつもみたいに、“あずにゃん”って呼んでください……。いつもみたいに抱きついてくださいよぉ……」
肩を震わせて泣く私。もう耐えられない。今まで引っかかっていたことがすべて出ていく。
こんなの唯先輩じゃ……。
「私も、いつもみたいにしたいよ……」
いつになく暗い声音でつぶやく唯先輩。
「でも、わからないの。思い出せないの! 自分がどんな人間だったのか……」
「唯先輩……」
「みんな仲よさそうだし……、その中に自分がいたんだろうけど、なんだかそういう実感が湧かなくて……」
唯先輩のこんな顔、はじめて見た……。
「昔の私ことを言われても、今の私はどうしたらいいの!? 私は……」
「あ、あの……」
「私は……、誰なの……?」
それを聞いてはっとした。唯先輩がずっと部室で落ち着かなかった訳。そして自分の身勝手さを呪った。
そうだ……。自分のこともわからないのに“他人のことを思い出せ“なんてひどいよね……。
「ごめんなさい……。自分勝手なこと言って……。まだ気持ちの整理がついていないのに」
「ううん、いいんだよ。私も言いすぎちゃった……。私のことを思って言ってくれたのに……。ごめんなさい」
唯先輩は苦しんでいる。自分のことが分からない不安で押しつぶされそうになっている。
私がしてあげられることは……。
ギュッ
「あ、梓ちゃん!?」
「……」
「あ、あの。何故抱きついていらっしゃるn……」
「いいから!」
「は、はい!」
つい声を張り上げちゃったけど、こういうことしかできないけど……。
「唯先輩は、唯先輩です。それは変わりません」
「……」
「たとえ記憶が無くても、ギターが出来なくても、私のこと忘れていても……」
「梓ちゃん……」
「だから……、焦らないでください」
唯先輩がおとなしくしていると何だか不思議な感じ。いつも唯先輩が抱きついてくるのに……。
「梓ちゃん……」
「何ですか?」
「ありがとう……」
「今日、初めて笑いましたね。唯先輩」
「そうかな……?」
「そうですよ……」

しばらく抱き合っていると、日が沈んで空が紺色になり始めた。
「唯先輩……」
「……」
「唯先輩?」
「……スー。……スー」
いつの間にか寝息を立てていた。
「まったくもう……」
しょうがないんですから……。
「唯先輩、起きてくださいよ! 風邪ひいちゃいますよ!」
「うぁ……、え?」
「唯先輩ってば!」
「あ……」
「はぁ……。家まで送りますから、早くしてください」
「あれ……、あずにゃん?」
……え?
「今、なんと……?」
「あ! 猫ちゃん! どこ行ったの!?」
「ね、猫ちゃん!?」
「あれ? ここは……」
何だろう、唯先輩。何だか様子が変だ。
「あの……、唯先輩?」
「なぁに?」
「私のことわかります?」
「え? 何言ってるの? あずにゃん」
「いいから! 本名は!?」
「は、はい!」
私の中で何か予感があった。
「中野梓ちゃん、だよね……?」
「それで、あだ名は!?」
「あずにゃんでしょ? なんか変だよ?」
顔がみるみる綻んで、頬が熱くなるのが感じられる。
「ゆいせんぱーい!!」
「ちょ、あずにゃん!」
思いっきり唯先輩に抱きついてしまい、押し倒す感じになってしまった。
「おかえりなさい! 唯先輩!」
「あ、ただいま……」
またしばらく抱き合っていた私達。
「あ、すみません!」
「いや、何だか新鮮だったよ。あずにゃんから抱きついてくるなんて」
「うぅ……」
穴があったら入りたい。顔から火が出る。とはこんな状況を言うのでしょうか。
落ち着いてから話を聞いてみると、どうやら事故の直前から記憶が飛んでいるらしい。
記憶が戻ったことは間違いないようだ。
「そんなことがあったのかー。いや、ご迷惑をおかけしました」
「それは明日みなさんに言ってください」
「そうだねー。でも……」
「?」
「ありがとう、あずにゃん」
「……い、いえ」
「あれー? 顔が赤いですわよん?」
「こ、これは寒いからです!」
唯先輩の屈託のない笑いが、こんなに心地よく聞こえる。
「……おかえりなさい、唯先輩」
END


  • よ、よかった〜。 -- (あずにゃんラブ) 2013-01-12 08:57:56
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最終更新:2010年10月12日 04:11