その男の姿は、奇妙に森に溶け込んでいた。
着ているものや肌の色を木々に紛れるようにしている、というわけではない。
身に纏う空気といおうか、そのようなものが森と調和しているようであった。
風雨に打たれて育った樫のような、荒々しくもどこか落ち着いた雰囲気の男であった。
そのような男であったから、この生物も無警戒に近寄っていったのかもしれなかった。
体高30cm。
自慢げな表情を浮かべている。
髪形や身に付けているものは何処となく博霊の巫女に似ている。
ゆっくり霊夢であった。
「ゆっくりしていってね!」
男の前にその不思議な生物はたたずんでいた。
豊かな山林である。
人に出会うことは少ないが、動物ならば珍しくもない。
時として妖怪が出るらしいと、そう噂されているのを聞いたこともある。
しかし今現れたこれは、動物とも妖怪とも言い切れない、なにやら不思議な雰囲気を漂わせていた。
男が、ぎろりとゆっくりを見た。
――なんだ、こいつは。
そう言いたげであった。
「おにいさん、ゆっくりしていってね!」
ゆっくりがもう一度言った。
その表情は天真爛漫であった。
自分に危害を加えるものがあるなどとは考えたことがないかのようであった。
むずりと、男が左手でゆっくりを掴んだ。
軽々と顔の高さにまで持ち上げる。
「ゆゆっ!たかい!たかいよ!ゆっくりおろしてね!」
ゆっくりが少し慌てたような声を上げた。
その純真そうな瞳を見ていると、男の肉の裡に、凶暴なものが膨れ上がってきた。
きりきりと、男の唇が獰猛な形に吊り上がる。
たまらなかった。
ゆっくりというものには、妙に嗜虐心をそそるところがある。
外見は可愛らしく、人間に危害を加えるようなこともない。
それでいて、何故か虐めずにはいられないのであった。
「口を、大きく開けてくれないか――」
男がかすれた声を吐き出した。
「あーーん」
ゆっくりが、言われた通りに大きく口を開いた。
その瞬間であった。
「じゃっ」
男が鋭い呼気を吐いた。
男のごつい右手がゆっくりの口に深々と埋まっていた。
ゆっくりの口の中に、無造作に右手を突き入れたのである。
「ゆあっ!?」
ゆっくりが驚愕の叫び声を上げた。
口の中でうごめいていた男の右手が、ゆっくりの舌を掴んだ。
びくりと、ゆっくりの肉体が震えた。
「これから、俺がどうすると思う」
刃物をなで上げるように、男が囁いた。
「ゆぁ!ゆっ、ゆあぁぁあぁぁ!」
ゆっくりが叫び声で答えた。
目が恐怖に見開かれている。
男は、楽しくてたまらないといった表情を浮かべた。
「このよく動く舌をひきちぎってやるよ」
ゆっくりの顔が一気に青ざめた。
「ゆゆっ!?やえへ、ゆっふりやえへえ!!」
男の唇が喜悦の表情を浮かべた。
両腕に力がこもる。
「ふんっ」
ぶちり、
と、いう嫌な音が小さく響いた。
舌のちぎれる音であった。
男が、右手でゆっくりの舌を、根元から引き抜いたのである。
「ゆ~~~~~~っ!」
一拍おいて、ゆっくりの口から悲鳴が上がった。
耐え難い苦痛に、小さな身体が激しくのたうつ。
男が、右手を引き抜いた。
ちぎられた舌と、舌のかつてあった場所から、餡子が吹き出していた。
男が右手を開くと、分厚い舌がぼとりと地面に落ちた。
まだ痙攣しているそれに向かって、無造作に踵を打ち下ろした。
柔らかいものを踏み潰した感触と共に、靴の下から餡子が勢いよく迸り出た。
ぞくり、と男の背筋を震えが疾り抜けた。
嗜虐者の悦びであった。
拷問官の悦びであった。
ゆっくりの悲鳴は、途切れることなく続いていた。
苦痛の涙を湛えた瞳が、男に向けられた。
救いを求めているような瞳であった。
ぞくり、と先程よりも一層太い震えが男を貫いた。
黒い感情が、肉体を押し破って吹き出しそうになる。
男は震えをこらえて、左手の親指をゆっくりの下顎に、右手の親指を上顎にかけた。
何をされるか悟ったのか、ゆっくりが男の手の中で抵抗するように動いた。
男の唇がめくれ上がり、噛み締めた歯が覗いた。
「むんっ」
男が指に力を込めた。
ゆっくりも口に力を込めたが、男の力に適うわけもない。
大きな口が、たちまち限界まで上下に開かれた。
「ああぁぁぁぁぁ!」
ゆっくりが狂ったように声を上げる。
何とかして男の手から逃れようと、必死に身を捩ろうとする。
構わずに男は力を強めた。
鍛え抜かれた腕に、太い筋肉が浮かび上がった。
みちっ。
みちっ。
音がした。
ゆっくりの頬が、力任せに引き裂かれていく音だ。
無惨に開いた頬から、凄まじい悲鳴が漏れ出してくる。
男は笑みを浮かべた。
鬼の笑みであった。
ことさらゆっくりと、頬の裂ける感触を楽しむように、口を押し開いた。
「あいぃぃぃぃぃぃ!」
ゆっくりは獣のような声を上げていた。
やがて口が頭の半周程度まで裂けてしまうと、あれだけ大きかった悲鳴が小さくなってきた。
ゆっくりの瞳は既に虚ろになっている。
男の表情から、喜びの色が退いていった。
「おうっ」
男が両の親指にありったけの力を込めた。
ぶつり、と不気味な音がした。
ゆっくりが上下に真っ二つになっていた。
大きな瞳が、怨むようにこちらを見据えている。
ふと、男はその頭を齧ってみた。
思わず眉をしかめた。
たまらぬ甘さであった。
決して不味いわけではないが、とても全て食べようという気にはならない。
巨大な饅頭――どうやらこれはそのようなものらしかった。
男は二つの欠片を宙に放り投げた。
それを追うように、ふわりと男の右脚が浮き上がった。
「けえっ」
欠片が空中で重なった瞬間、回し蹴り気味の軌道を描いた脛が、そこに吸い込まれていった。
スピード、タイミング、パワー、どれをとっても申し分のない、会心の一撃であった。
小気味よい音と感触を残して、ゆっくりだったものは木々の間へと消えていった。
男は自分に言い聞かせるように呟いた。
「すっきり――」
いつの間にか、男の口元には再び笑みが浮かんでいた。
沈丁花の香る、春の夕暮れであった。
あとがき
遂にゆっくりの話を書いてしまった。
もしこの作品を読んで、中々やるじゃねえか、と思っていただけたとしたら、
これはもう獏文体好きの冥利に尽きるというものである。
あと一本か二本か、それはわからないが、とにかくネタが尽きるまではこいつを書いてゆくつもりである。
どうか、しばらくお付き合いのほどを。
平成二十年九月二十二日 小田原にて
ゆっくり枕獏
最終更新:2008年09月28日 16:47