終章


 ボロありすを捕まえた、と幹部のおっさんに連絡した。
 だが、譲り渡す気はない、と言うと彼の声色が変わった。
『困りますよ、勝手にそういうことを言われたら』
 私は、永遠亭からの来客について告げた。加工所の新規参入はない。
 だから、我々は名を挙げて地盤を無理に固める必要もないのだ。
『ああ、それでか。それで最近、加工所は本業に注力するなんて言い出したのか』
 賞金は要らない。そう言って、電話を切った。

 まだ営業時間は続いている。
 私は空き部屋に入り、ボロありすを水槽に入れた。その隣には小ありすの籠を置いた。

 あの場所にいた飼いゆっくりはほぼ全て返却できた。
 一体を除いて。
『え? ぱちゅりーが見つかった? ……どうしましょう。実はもう、次のゆっくりが家に来ているのよ。まりさが。
 それもただのまりさじゃないのよ。何だか仕草とか口調がとってもお淑やかでお嬢様っぽいの。
 すごいレアものらしいのよ。でもちょっと値が張ってね、今は二匹も飼う余裕が無いのよ。
 もしよろしければ買い取ってくださる? あのぱちゅりーは確か十万円はしたかしら。だから十万円から』

 私はぱちゅりーの耳元に当てていた受話器を電話の上に置いた。
「………………」
 さすがに、むぎゅうの音も出ないようだ。私も開いた口がふさがらない。
 まさか失踪してこんな昨日の今日で次のゆっくりを買ったなんて……
 どう考えても、気にされてません。本当にありがとうございました。
「すまないな。実はうちにはもう、置いておくスペースがないんだ。余ったのはれみりゃ行きになってしまうんだよ」
「れみりゃいきはいやああああああっ! おねがいでず! だずげでぐだざい!」
「一つだけ方法がある。他の店にぱちゅりーを譲ることだ。だけど、もう以前のような贅沢は出来ないかも知れないぞ。
 成城石井の生クリームなんておそらく無理だろうなあ」
「ぜいだぐいいまぜん! めぐみるぐのきげんぎれくりーむでがまいまぜんがらああ!」
 ちょっと、心のどこかにぎくっとくるものがあった。が、そう言ってくれるなら何とかなる。
 私は知り合いの同業者に話を付けた。ちょうどぱちゅりーが品薄で、飼いの経験があるものでも引き取りたがっていたのだ。
 今度はあんな下らない人間に飼われなければいいな。贅沢言うなよ。


 それから、れいぱーありすの事件は被害が止まると、あっけなく忘れられていった。
 例によって例のごとく、というべきか。
 世の中の人間は毎日のように大事件、大スキャンダルにさらされて、大変だったことをどんどん過去へと置き去りにしていくのだ。
 そんな現代事情でも、都合がいいときもある。
 少しずつありすの売り上げが戻ってきたのだ。
 さすがに、以前と比べると十分の一程度だが。まあ、汚名返上はゆっくりやっていけばいい。
「うぃっしゅ! 頼まれてたポスター、完成しました! どうっすか? ぱねえっしょ?」
 バイトから臨時手伝いに戻った五代君が、ポスターを私の前に広げた。
「うん、これでいこう!」
 一匹、足りなかったのを付け加えてもらったのだ。以前からずっと、何か足りないなとは思っていたんだ。


 それから、一人の小さな来客があった。
「犯人のありすはどこ!? とぼけてもむだだよ!
 店員さんがぼろぼろのありすを店の中に持って行ったって聞いたんだもん! 
 そいつが犯人なんでしょ!」
 やれやれ、どこからそんな噂を聞きつけたのやら。
「いいよ。会わせてあげよう。君のまりさとぱちゅりーを殺した犯人にね」
 私は彼女を二階の部屋に導いた。
 ドアを開けて彼女が見たものは。
 目の前に与えられた、餌の入った皿に手を付けず、じっと窓の外を見ているぼろぼろのありすだった。
 その傍らには小ありすがずっと寄り添っている。
「なにこれ、死んでるの?」
「いや、生きてるよ。でも、ここに来てからずっと何も食べてないんだ。全く動くこともない。もうすぐ死んでしまうだろうね」
「だから何? 私のまりさとぱちゅりーを殺したことを許せっていうの!?」
「別に許せとは言わない。でも、このままそっとしておいてやってくれ」
「どうして!? 私のまりさとぱちゅりーは苦しんで死んだのに!」
「このありすも、今までずっと苦しんでたんだ。だから、他の幸せなゆっくりを苦しめて、自分も苦しんだまま死のうとしているんだ」
「じゃあ、私が、苦しめて殺してやる!」
「残念ながら、それを許すことは出来ないな。それは私の役目だよ」

 ――その体には、至る所に非道な実験の跡があった。
 その左右非対称の目に始まり、注射針の穴が多数あった。
 ボロありすの下腹部には黒ずんだ花が咲いていた。
 陰茎を八等分して、花のように広げ、肌に癒着させていたのだ。
 そして、その傷口には、明らかに何かの、堅い棒が突き込まれた裂傷があった。
 髪を触ることを、ことさらにボロありすは嫌がった。
 胡座を組んだ足の間で体を固定して、ようやくその髪の下に、何が隠されているのか分かった。
 人間の女性器を模した、黒い穴が開いていた。
 私はその髪を元通りにする。
 傍らに、れいむ人形から引き離した小ありすが寄り添う。だが、ボロありすがそれに自ら肌をすりあわせることはない。
 そういえば、この小ありすも、やけにありすにしては妙な顔立ちをしているが……
 私は、もうこれ以上推測する必要もあるまい、と思った。

 私は、そのことを少女に説明することはなかった。あまりにも露骨すぎるからだ。
 昔の方が、悪意はもっとオブラートに包まれていたような気がする。少なくとも今はまだ、少女はそれを知る必要はない。
 すぐに納得できないかも知れない。そのことで私が悪者の味方扱いされても、それはそれで仕方のないことだ。
 ま、甘んじて受けようじゃないか。


 まあ、悪意だけで世の中は回っていない。と思う。
「あのー、すいませーん」
 と、店の方で声がした。私は少女を連れ、一階に戻った。少女は無言で帰っていった。
「はい、何でしょう」
 ちぇんを胸に抱いた女性だ。ちぇんはずっと女性の豊かな胸に顔を押しつけて眠っている。
 くそっ、何て格差社会だ!
「あの、らんってここに置いてますか?」
 私はぽかーんと、女性を見た。
「あ、はいはい、らんですね、置いてますよ。でも高いですよ。十万円です」
 私は、一番高い棚に置いてある、らんの入った水槽を取るために踏み台を探した。
 あと、らんを売るときには他のちぇんを失望させないよう、カーテンを掛ける。
「差し支えなければ、どうしてまたらんを飼おうと思ったのか教えてくれませんか?」
「この子が話してくれたんですよ。自分の身の上話を。そんなことこの子を拾ってから初めてで……」
「ああ、そうですか。はい、これ、らんです。
 口に巻いたラップは、外に出てから外してください、店内に声が響くとちょっとまずいので」
 そして女性が支払いを終えて店を出る。微かに声が聞こえたような気がした。
「――ちぇええええええええええん!」
「らんしゃまああああああああああ!」
 次こそは、子ちぇんだけじゃなく、子らんも産まれるといいな。
 で、もし手に余ったら、うちで引き取る、と……いくらなら黒字になるかな。

 そして、その夜のことだった。
 私はいつものように、ゆっくりたちの治療を終え、早い朝に備えて眠りについていた。
 だが、なにやら物音がする。それは、ボロありすの部屋の方から聞こえた。
 その部屋のドアを開け、明かりを付けると、私はそこで起こっていたことに目を見張った。
「ゆううううっっっっっ! ゆっぎい! ゆっぎい! ゆっぎいいいいい!」
「ゆおおおああああ! やあああああ! やあああああ!」
 小ありすを、自らの体重の下に固定して、ボロありすが体を揺らしていた。
 やっていることはまさしく、交尾そのものだった。
 だが、こんなものが交尾と言えるのか? れいぷと言えるのか?
 もう、そこには何かが産まれる見込みなど、一切無いというのに。
 あらゆる体液をまき散らして、何度も何度もこすりつける。
 私の目に、何故か涙があふれ出して、止められなかった。
 二階の物置部屋に入り、錆びのあるスコップを持ちだした。
 過去、山の中で、幾多のゆっくりを叩きつぶし、それを埋めてきたスコップだ。
 都会に来てから、もう二度と使う機会など訪れないと思っていたのに。
 ボロありすの部屋に戻ると、すでに小ありすは事切れていた。
 粘液で皮がふやけて、のしかかられた体重に絶えられず、圧死したのだった。
「ゆおおおっ! ゆおおおっ! ゆおおおおおおおおおっっっっ!」
「……気は、済んだか?」
 ボロありすは、最後に一声、長い咆哮をあげた。
 私は、スコップを振り上げ、振り下ろす。


 そうして、また一つの大きな喪失を経て、いつもとよく似た日々は続いていくのだった。
 五代君の力を借りて、ポスターをちょっと足を伸ばした近隣に貼っていく。
 すぐに売り上げ増につながるわけでもないが、心なしか効果が出ていないわけでも無いような気がしないでもない。

 そして、娘さんが親を伴って来訪する。
「いらっしゃいませ」
「……あれは、もう、死んじゃったの?」
「そうだね。ちょっと目を離した隙にね」
 両親は明らかな安堵の態度を示す。
「これで、ゆっくりを飼っている人たちも一安心というわけですか」
「そうです、と言いたいところなんですが、必ずしも断言は出来ませんね。
 いつかまた、ああいうモンスターが出てこないとも限らない。人間の世界と同じですよ」
 全くだな、と父親が一般論にうなずいた。
「今日はね、新しくゆっくりを買いに来たんですよ。何かいいものがないですかね」
「……娘さんは、もう決めてらっしゃるみたいですね」
 少女は、一つの棚の前で、じっとそのゆっくりを見ていた。
 まさかとは思ったのだが、どう見てもそれは、帽子を失ってヘアバンドを付けたまりさではなかった。
「本当にそれでいいのかな?」
 私は尋ねる。心のどこかで、そうであって欲しいという気持ちと、間違いであって欲しいという気持ちがせめぎ合う。
 だが、すぐに前者が勝った。
「うん……私、この子にする」
 どれだけ、両親が動揺して翻意を促しても、彼女の決意は変わらない。
「その子の種類は全体的にえばりんぼで、わがままが他のゆっくりよりも強い傾向があるんだよ。それでもそれにするんだね」
 無駄な念押しだったようだ。
「いいよ、じゃあそれを売ってあげよう。料金は前払いでもらっているからね。
 それでもまだ余っているんだから、その子に仲間やつがいが必要だと思ったら、またここに来てね」
 彼女はそのゆっくりを抱いて店を出る。その顔には、最初にゆっくりを買ったときのような無邪気さはなかった。
 それでも、私が危惧するような無意味な感情が浮かんでいるわけでもない。

 私は、もう少しこの店を続けようという気持ちを新たにしていた。
 もし彼女がそのゆっくりを虐待するのであれば、それはそれだけのことだ。
 彼女がつまらない趣味に目覚め、ゲスに成り下がったまでのこと。私の数多くいる商売相手の一人に過ぎない。
 そうでなくて、もしも彼女が一時の恨みで破滅的な行動に出るのではなく、
 この世にたくさんある善と悪とそれ以外のものをきちんと区別して、正しく接していくことが出来たなら――
 それならば私にとっても、言葉を喋る生首饅頭を売るような、奇態な商売を続けていく強い動機になるに違いない。

 そして、電話が鳴る。あの幹部のおっさんから。
『ボロありすはどうしてます?』
 ただ一言、死にましたとだけ告げる。今は小ありすとともに、冷蔵庫の中だ。
 どうにも処理に困っている。が、そんなことは彼には言わない。
『実はですね。四国の方で迷子の飼いゆっくりが見つかったんです。
 それが、あなたの店の銀バッジを付けているそうですよ』
「は? 四国?」
『発見場所は石鎚山だそうです。山登りをよくしていたあなたなら、ひょっとしたらご存じかも知れませんね』
 もちろん知っている。日本百名山の一つ。西日本で最も高い山。修験者の修行の場でもある。そして、その最高峰の名前は――
「どうも。すぐ引き取りに行きますから」
 また五代君に泊まりがけの店番を頼むことになりそうだ。
 ボロありすと小ありすの遺骸を入れるための、クーラーボックスを探さなければ。
 この世にはまだまだ多くのゆっくりがいる。
 どれだけ虐待者が全滅させたと言い張っても、どれだけ愛好者が愛しつくしたと言い張っても、
 まだそれはほんの一パーセントにも達していないに違いない。
 石鎚山か。一泊二日で、どれだけ探せるかな。

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最終更新:2022年05月19日 12:18