ゆっくりがゴミ袋を漁っている。

今は中学校からの帰り道。
忙しい大人たちがそんな当たり前の光景を無視するように、僕はゆっくりとは一切関わることなく帰るはずだった。
……はずだったのだが、そのゴミを漁っているのが見慣れないゆっくりだったために思わず足をとめてしまう。

(なんだ、あれ)

緑色の髪を小さいツインテールにして、白い髪留めを付けているゆっくり。
後ろ姿ではそれくらいしか分からなかったが、僕が知らないゆっくりだと判断するには十分だ。
胸の中で好奇心が膨らむ音がする。
ほんの少しだけわくわくしながら、こっそり近づいてみることにした。

(ダンボールをかぶった隠密潜入のエキスパートを思い出すなぁ……)

気分はとあるゲームの主人公。
まだゴミ漁りに夢中のゆっくりに気づかれないよう、忍び足で移動する。
あれにどのくらいの時間がかかるのか知らないが、きっとすぐに終わるだろう。
こちらを向いていない、今この瞬間こそ最後のチャンスなのだ。
そのため物音を立てないよう慎重に、しかし確実に一歩ずつ距離を詰めていき―――

「!」

あ、気づかれた。

「……ゆっくりしないでにげるよ」

もちろん気づかれたからと言って戦闘になるわけがない。
緑髪のゆっくりは僕の方を一瞬だけ振り向くと、脇目も振らずに逃げたした。
あっという間にゴミ捨て場の近くに置いてあった古バケツへ向かうと、ライオンに追われる獣さながらにすぐさま中へと飛びこんでいく。
そのまま出てこないということは、隠れてやり過ごすつもりらしい。

僕はといえば、ちょっと驚いていた。
こっちが話しかけるどころか、近づいただけで必死に逃げていくだなんて。
子供心に割とショックである。
だが逆に考えてみれば、このゆっくりは子供に怯えるほど臆病な性格なのかもしれない。
いや、きっとそうだ。すごい臆病なゆっくりなんだ、うん。

とりあえずそう自己暗示をかけて気を取り直したあと、
バケツに近づいて中を覗いてみる。

「……これはきすめのおうちだよ。ゆっくりしないででていってね」

そこでは先ほどのゆっくりが半目でこちらを見つめ返していた。
どう考えても歓迎されていないが、別に僕は敵対したいわけじゃない。
まずは友好の第一歩として話しかけてみる。

「君、きすめって言うんだ。このバケツがおうちなの?」
「……きすめはきすめだよ。……これはゆっくりできるおうちだよ」

そう答えながらも『なんだこいつ……』とでも言いたげな表情で睨み続けるきすめ。
単純にどんなゆっくりか知りたいだけなのに、何でここまで警戒されているんだろう。
せいぜい僕がやったことなんて、こっそり背後から近づいてむりやり捕まえようとしたぐらいだけなのに――って、それなら警戒されて当然か。
仕方がないので誤解を解くことにした。

「大丈夫、僕は怪しい人じゃない。ほら、この飴をあげるよ。だからいっしょにゆっくりしよう?」
「……ゆっくりできないにんげんさんは、みんなそういうんだよ」
「ぐっ……確かに」

正論である。

「……でも、あめさんがあればゆっくりできるよ。……きすめはあめさんをもらうよ。……ゆっくりしていってね」

正論を言っても、そこはやっぱりゆっくりだったらしい。
無事に交渉成立。僕はポケットの中に入れていた飴玉と交換して、ここでゆっくりできる権利を手に入れた。

(――あれ? これ、僕の方が損してるんじゃないか?)

そんな考えが一瞬脳裏に浮かんだが、今は考えないことにする。
過ぎてしまったことは仕方がないのだ。

「……ぺーろぺーろ、しあわせー♪」

一方きすめは、心底幸せそうな笑顔で先ほど渡した飴玉を舐めていた。
普段食べているのは生ゴミのはずだし、こう言う甘い物を食べたのは初めてに違いない。
あんまりにもいい笑顔だから、これはこれでありかな、と思ってしまう。

(こうしてみると、ゆっくりも可愛いものなんだな)

これが小動物を愛でるような感覚というのだろうか。
僕はゆっくりに対して、初めてそれに準ずる気持を抱いていた。
まあ、万が一にでもそう言ったら『かわいくてごめんね☆』と返されるだろうから、絶対に言わないけど。

「それにしても、ゆっくりは相変わらず悩みなんてなさそうな顔だよな」
「……ゆっくりはたいへんだよ。ゆっくりりかいしてね」
「言われてみればそうだな、ごめん。……って、なんで僕はゆっくりに謝ってるんだろう」
「……ゆっくりはたいへんだからだよ。……にんげんさんよりもたいへんだよ」

その言葉に僕はちょっとカチンときた。
自慢じゃないけれど、僕は長々と愚痴を言うことが得意である。本当に自慢できない。
子供の生活だって不満がそこら中に散らばっているのだ。甘く見ては困る。

「いや、人間の生活だって大変だよ?
毎朝学校にいかなくちゃ母さんに怒られるし、クラスメイトとも仲良くしなくちゃいけない。
宿題は毎日やらなくちゃ先生に怒られるし、いやな授業だってきちんと受けなくちゃいけない。
第一ゆっくりの生活なんて、餌とおうちさえあればほとんど問題ないでしょ。
家にずっとひきこもってご飯を食べるだけの生活で幸せになれると思ったら大間違いさ。
生きていくにはお金が必要だし、そのためには働かなくちゃいけない。
でも週末に塾通いしてまで勉強するのは気が早すぎると思うんだ。
そこまでしていい会社に入れなくても、ゆっくりできる生活が遅れればそれで十分。
だから―――
けど―――――
それで―――――――」



なんやかんやでゆっくりとは違う方向まで伸びた僕の愚痴は、最終的に三十分ぐらい続いた。
気がつけば遠くから時間を告げるチャイムが鳴り響き、おなかもお菓子が食べたいと鳴いている。ちょっと長く話し過ぎたかも知れない。

「それじゃあ、そろそろ帰るよ」
「…………」

最後にそう言いつつきすめを見れば、まるで屍のようにぐったりとしていた。
まあ大丈夫だよね。ゆっくりだし。
またいつか、こんな風に愚痴を話すのもいいかもしれない。

すっかり胸の奥が綺麗になった僕は、清々しい気持ちで家路に就くことができたのだった。


「……ゆっくりはたいへんだよ」



   ◇ ◇ ◇



その日をきっかけに、少年ときすめの奇妙な関係が始まりました。

「やっ! 今日も生きてたか」
「……きすめはゆっくりしてるよ。おにーさんもゆっくりしていってね」

少年はこうして時々きすめが住んでいるバケツにやってくると、きすめといろいろな話をします。

学校が楽しくないということ。
宿題がたくさん出たということ。
テストが難しいということ。
教師に怒られたこと。

要するに日々の愚痴ですが、初めて会った時のように長々としたものではありません。
いえ、実は最初こそ長かったのですが、愚痴は言えば言うほど減っていくもの。
今では本当にちょっとしたものでした。

「――それで、今日はもう大変だったんだよ」
「……ゆっくりできないね」

勿論きすめは "がっこう" も "てすと" も何の事だか解らないので、ただ適当に相槌を打って愚痴を聞き続けるだけです。
しかし話し終えた後に少年の表情はいつもゆっくりしていたので、何となくこれでいいんだと考えていました。
事実、少年もまともな反応を期待していたわけではありませんし、何も知らずに相槌を打つだけでよかったのです。

「それじゃ、そろそろ帰るよ。はいこれ」
「……ゆっくりありがとう」

そう言って渡されたのは、丸い宝石のような飴玉。
少年は愚痴を言い終わると、最後はいつもこのように飴玉をあげていました。
それはおそらく少年なりのお礼だったのでしょう。でなければ野良猫に餌をあげるようなものかもしれません。
なんにせよこの飴玉のおかげで、少年ときすめの関係はそれなりに良好でした。




「そろーり、そろーり……」
「とかいはなごはんさん、ゆっくりうごかないでね!」

ある日のこと。きすめがバケツの中でゆっくりしていると、外からそんな声が聞こえてきました。
念のためバケツから目元だけをひょっこりだして確認してみると、ゴミを漁ろうとしているまりさとありすの姿が見えます。
互いに同じゴミ捨て場を目指して協力しているということは、おそらく夫婦なのでしょう。
二匹を見たきすめは特に気にした様子もなく、またバケツの中に戻りました。
近くにゴミ捨て場がある以上、こんな風にゆっくりがやってくるのは日常茶飯事。
縄張りとかいろんなものを気にしているときりがないからです。

「ゆっ! ふくろさんをやぶるよ!」
「むーしゃむーしゃ。まりさもゆっくりしないでたべてね!」

都会に住むゆっくりはきすめも含め、基本的にゆっくりしていません。
食事をする時も周囲に注意を払い、食べれそうなゴミを素早く食べていきます。
味や食べれるかは二の次。生き残ることが最重要なのですから。

人間だと触れたくもないような生ゴミを食べ始めるまりさたち。
しかし、普段からそれを食べ慣れている二匹からすれば何の問題もありません。
この大根の葉っぱや魚の内臓が入っている袋だって、十分上等な方です。

「こらっ! ゴミ捨て場を荒らすのはやめなさい!」

その時、どこからか人間の怒鳴り声が聞こえました。
きっとゴミを漁っていた二匹を見つけたのでしょう。
バケツの底でじっとしていたきすめもその声に驚き、自分には関係ないと知りつつも震えあがります。

「ゆゆっ!?」
「ゆっくりしないでにげるよ!」

まりさとありすは食べ途中のゴミを放置して、一目散に逃げ出しました。
れみりゃやふらんの少ない都会において人間の大人、特にゴミを捨てにやってきた主婦は最大の天敵です。
もし無謀にも「あまあまちょーだいね!」とでも言った場合、3秒後には殺されていると考えて間違いありません。

逃げていく二匹を見て、追い払った女性もそれで十分だと思ったのか深追いはしませんでした。
誰だってゆっくりにかまっている暇などないのです。

「まったく、これだからゆっくりはいやだわぁ。そろそろ保健所の人を呼ぼうかしら」

ドサリという音と共にゴミ袋がゴミ捨て場に置かれた後、少しずつ遠ざかっていく足音。
きすめはその足音が完全に聞こえなくなるまで、見つからないように小さく縮こまりながら震えていました。
ゴミ捨て場の片隅にある、古い小さなバケツの中。
そんな誰からも忘れ去られたかのような場所とはいえ、見つかったら一巻の終わりなのです。
これが一般的なゆっくりと人間の関係でした。

「……ゆっくりしていってね」

あの飴玉をくれる少年だって、きすめに優しくしてくれるだけで奇跡的とも言えます。
代償が愚痴を聞くくらいなら安い物。
今さらながら、きすめはその幸運に感謝したのでした。




さて、最初こそ飴玉のため適当に話を聞いていたきすめでしたが、時がたつにつれて話の内容に興味を持ち始めます。
今まで聞いたこともなかった他者の話、それもゆっくりではなく人間の不思議な生活。
バケツの周りしか知らないきすめにとって、その話に興味を持つのは当然のことでした。

「…… "かさ" ってなあに? ゆっくりできるもの?」
「傘のこと? 雨を防ぐことができるから、ゆっくりできるものだと思うよ」
「……あめさんよりつよいんだね。ゆっくりできるね」
「そう言えばきすめは雨の時はどうしてるの? そのバケツに蓋なんてないと思うけど」
「……バケツさんをころころするよ。……あめさんははいってこれないよ」
「ころころ……ああ、横に転がすのか。意外と頭いいんだね」

今ではすっかり少年の話を聞くのが楽しくなり、お互い笑いながら話をします。
気がつけばきすめ自身のことも話題に上がるようになり、
少年が愚痴を言うだけの一方的なものから、きすめと少年による相互的な会話へと変わっていきました。

「もう一ヵ月かぁ……」
「……?」

突然そう呟いたため、きすめは無い首をかしげます。
きすめには "いっかげつ" が何なのか解りません。

「いや、そろそろ僕たちが出合ってからだいぶ経つと思ってさ。正直こんなに長く続くだなんて考えてなかったよ」
「……そうだね」
「いつの間にかきすめも大きくなったよね。やっぱりいつも飴玉をあげてるからかな?」
「………そうだね」

その言葉にきすめはほんの少しだけ寂しそうな表情をしましたが、少年は気づきませんでした。
確かにきすめは大きくなりました。出会ったころはそこそこ小さかった体も、今ではバケツの中が手狭になるぐらいです。

きすめはそろそろ、新しいおうちを見つけなければいけません。

もしこのままの勢いで成長していけば、季節の変わり目までには成体まで成長するでしょう。
何にしてもバレーボールほどの大きさを持つ成体では、このバケツに住み続けるのは無理というもの。
いつかは新しいおうちを見つけて引っ越ししなければ手遅れになります。
そしてそれは、少年との別れも意味していました。

(……でも、まだおにーさんといっしょにゆっくりしたいよ)

しかし、きすめはまだまだ大丈夫だと楽観視します。
このバケツに入れなくなったら、おうちが無くなったらゆっくりできないことは解りきってるのに。
ここを離れたらもう二度と少年と会えなくなるという考えが判断を鈍らせていました。


「っと、こんな時間か。僕はそろそろ帰るよ。はいこれ」
「……ゆっくりありがとう」

いつものように飴玉を貰った後、家へと帰っていく少年を見送るきすめ。
口の中でゆっくりと飴玉を転がしながら、自分も少年と同じおうちに帰れればいいのにと思ったのでした。



   ◇ ◇ ◇



空腹でおなかが鳴き始める、夕食前のひと時。
明るい室内でゴロゴロとくつろいでいると、父さんが僕を呼ぶ声が聞こえた。
読み途中の漫画をそこら辺に置いておき、しぶしぶ声がしたと思われるダイニングに移動する。
廊下にある時計を見てみれば夕食にはまだ早い時間だ。一体何の用だろうか。

「父さん、言われたとおり来たよ」

件の父親はすでにテーブルの席に着いていた。
目線で向かいにある席へと座るよう促すので、おとなしくその通りにする。

「ああ、ちょっと話が合ってな」
「話? この前のテストはそんなに悪くなかったと思うけれど」
「違う違う。そんな話じゃない」

じゃあ何だろう。
戸棚から飴玉を取り過ぎていることかな。
それとも父さんの部屋にエロ本を隠しているのがばれたのかも。
いやいや、昨夜トイレに行く途中で夫婦の営みを目撃してしまったことかもしれない。
そうでなければ、母さんが父さんのタンスの裏に隠してあった秘蔵の写真集を見つけて離婚の危機!?
あの趣味はさすがに僕も引くからなぁ――仕方ない、離婚か。どっちに引き取られようか。

「一体何を考えてるんだ?」
「いや、ちょっと今後の生活を」
「なんだ、もう知ってたのか」

え、本当に離婚?

「仕事の都合で転勤することになった」
「よかった、転勤か」
「……他に何があるんだ?」
「さあ?」

とりあえずそう嘯いておく。
しかし、また転勤か。父さんも大変だな。

「それじゃあ、まあ頑張って」
「おいおいそれだけか?」

「いや、それだけかと言われても……」と返しつつも、ふと嫌な予感がした。
少し前の会話に、どこか真剣な父親の表情。
この二つが意味すること。

「……要するに父さんが転勤するんだから、また一人引っ越すんでしょ? 浮気相手作らないでね」
「作るわけないだろ。少しは親を信用しろ」

茶化しても不安は全く拭えない。
それどころか、僕は次に父さんが何を言うか理解してしまう。


「今回はお前と母さんもつれて、一家総出での引っ越しだ」


「……そう。いつごろ引っ越すの?」

我が家は転勤族のため、引っ越しはそう珍しいものではなかった。
ここ最近無かったとはいえ、普段から覚悟するべきことである。

「大体二週間から一ヶ月後と言われている。今のうちに友達とかの交友関係を整理しておけ」

交友関係―――そう言われて真っ先に緑色のツインテールを思い浮かべたが、すぐに馬鹿らしいと思いなおした。
確かにここに転校してからは一番仲が良くなったが、あれはゆっくりだ。
野良猫のようなものといくら仲が良くなったって、それを交友関係とは言わない。

「解った、準備するよ」





とは言っても、そう簡単に割り切れたら誰も苦労しないわけで。

「……おにーさん、ゆっくりしてないね」

次の日、きすめと会った時の第一声がそれだった。
どうやらゆっくりの目に見えて解るほど憔悴しているらしい。

「僕はいつも通りのつもりなんだけど」

嘘ではない。
本当に、いつもと同じように振る舞っているつもりだったのだ。

僕は引っ越すまでの間きすめにどう接するか、まだはっきりと決めていなかった。
正直な気持ち、僕はそれなりにこのきすめを大切に思っている。
でもだからと言って、一介の中学生に何ができるのだろう。
飼いたいとお願いしてみようか?
野良ゆっくりを飼おうだなんて、まちがいなく良い顔はされない。

「ねえ、もし僕が突然来なくなったらどうする?」
「……ゆっくりできないよ」

ゆっくりできない、か。
それはきすめにとって、僕はゆっくりできる人ということかな。
毎回飴玉あげるからかもしれないけれど。

「じゃあ、僕が飴玉をあげなくなったらどう? ゆっくりできる?」
「…………」

返事は無言だった。
所詮はゆっくりだし、そこまで崇高なことを求めるのは酷なのかもしれない。
『ゆっくりできない』と言われなかっただけ良しと思おう。

とりあえず僕はきすめに嫌われていないことが解ったところで、考えるのをやめることにする。
大丈夫、まだ最低でも二週間はあるのだ。その間にゆっくり決めればいい。

(突然いなくなった場合はごめんな)

そう思いながら、僕はきすめの頭を撫でてやった。
ゴミを漁っているゆっくりの頭は汚いため普段はしてやらないが、今は特別だ。
撫でられているきすめは、まるで猫のように気持ち良さそうな顔をしていた。

「……おにーさん」
「ん?」
「……ゆっくりしていってね!」

笑顔でお決まりのセリフを言うきすめ。
きっと考えていたことがまた表情に出ていたのだろう。
だから心配させないよう、僕も笑顔で答えてやった。


「そうだね、ゆっくりしようか」


そして僕は引っ越す直前まで、何もしないままゆっくりすることになる。



   ◇ ◇ ◇



天気は篠突く雨。ゆっくりが最も嫌う天気です。
きすめは灰色の空から降る雨粒を憎々しげに見ながら、横倒しになったバケツの中でじっとしていました。

「……あめさんはゆっくりできないよ」

当然ですが、こんな天気では餌をとることができません。
もう三日も続いている雨にきすめは少し不安げな表情でつぶやきます。
ゆっくりの体は餓えに強いため数日くらいは持ちますが、
三日間水だけだとさすがにごはんが恋しくなっていたのでした。

ふと思いだすのは、きすめが一番好きな物の味。
とろけるほど甘い飴玉の味。

思わず唾を飲むきすめ。
最後に食べたのはいつだったでしょう。
なんだか、ずいぶん昔のような気がします。



そうしていると、どこからか音が聞こえてきました。
バシャバシャという、長靴が水たまりを蹴り飛ばす音。
人間の足音です。
やがて小さな長靴がきすめの目の前で止まると、その人間はしゃがみこんでバケツの中をのぞいてきました。

「生きてるか?」

そこにあったのは、間違うはずもない少年の顔。
三日ぶりに聞いた声はどこか疲れているようにも感じられますが、
その顔は何か吹っ切れたような、すっきりした表情です。

「……おにーさん、ゆっくりしすぎだよ。……きすめはおこるよ、ぷんぷん」

口ではそう言いつつもきすめは内心大喜びでした。
飴玉とかが一切関係なくても、純粋に少年と出会えたことだけで嬉しいのです。

「おや、僕にそんなことを言ってもいいのかな?」
「……?」
「ふっふっふ、今日は大サービスだ。これを見るがいい」

そして少年がバケツの中に入れたのは―――色取り取りのお菓子。
いつもくれる飴玉だけではなく、チョコレートやラムネなど、きすめの知らないお菓子が山のように出されます。
野生のゆっくりにとって、それらはどれほどの価値を持つのでしょう。
バケツの中でお菓子の山が積み上がっていくのを、きすめは目を丸くしながら見つめることしかできませんでした。

「どう? すごいでしょ」
「…………」
「いや、そこまで固まらなくても。今食べていいよ」

三日間何も食べてない状況で、目の前に突然現れたお菓子の山。
さらに『食べてもいいよ』というお墨付き。
あまりに出来過ぎている状況に、固まるなという方が無理なことです。

ためしに近くにあったチョコレートをちょっと食べてみると、
飴玉とは比べ物にならない速度でとろけていき、今まで感じたことがないような甘さが広がりました。
初めて食べるお菓子の味に『しあわせ~♪』というどころか、驚きの余り呆然とするしかありません。
どうやら、これは夢ではないようです。
きすめは空腹に耐えきれず、目の前のごちそうを夢中になって食べ始めました。

「……むーしゃむーしゃ、しあわせぇ~♪」

一口食べれば夢のよう。二口食べれば天にも昇る心地。
生ゴミなどとは比べ物にならない味に、自分自身もとろけそうな笑顔で食べ続けます。
本当に幸せそうに食べるので、少年もにこにこと笑顔になってきすめを眺めていたのでした。



「さて、食べながらでいいからちょっと聞いてくれない?」
「……?」

しばらくして、少年がそんなふうに話を切り出しました。
いつも通りの会話かなと思ったきすめは、お菓子を食べながらも耳をそばだてます。
一体何の話だか解りませんが、きすめはいつものようにきっとゆっくりできる話だろうと根拠もなく考えていました。


「実はさ、明日遠くに引っ越さなきゃいけないんだ」


引っ越し。おうちを別の場所に代えること。
その意味を少し遅れて理解したとき、もう一度食べようとしていたチョコレートの欠片を、ぽろりと落としてしまいます。
先ほどまで感じていた幸せな気分はどこへやら。
目の前に有るお菓子の山が突然虚しくなったような錯覚まで感じられました。
この衝撃の事実に、いかにも驚いてますといった表情のまま硬直するきすめ。それを見た少年はあわてて付け加えます。

「それで、良ければきすめもいっしょに連れていこうと思うんだ」
「……きすめもいっしょ?」
「まあ、もし良ければだけど……」
「いっしょだとゆっくりできるよ……ゆっくりさせてね」

まるで断られたらどうしようかという風に話す少年に向かって、きすめは即座に答えました。
それどこか先ほどの表情を一転させてまた幸せそうな笑顔に戻ります。
おにーさんと一緒に暮らせるようになるうえ、飼いゆっくりにもなれる。
一体どこに断る要素があるのでしょう。
さらに言えば最近おうちが本格的にきつくなってきていたため、まさしく渡りに船といった状況でした。

「本当はもっと早く訊くはずだったんだけどな……」
「?」
「いや、なんでもないよ。」

そう言ってから何か誤魔化すかのようにキスメの頭を撫でる少年。
わしゃわしゃと撫でるその手は冷たい雨の中でも暖かく、こうしているとなんだか不思議と安心できます。

「じゃあ、ちょっと早いけれど今日はもう帰るよ」
「……ゆっくりしていってね」
「ちょっと時間がないから無理かな。すぐに説得しないといけないし」

少年はバケツを覗きこんでいた顔を引っ込めて立ち上がりました。
気がつけば天気は小雨になっており、長かった雨の終わりを感じさせます。
ほんの少しだけきすめは不満げでしたが、明日からもっとゆっくりできることを思い出し、今は我慢することにしたのでした。

「うまくいったら明日の朝にここに来るから! そのときゆっくりできるよ!」
「……ゆっくりりかいしたよ!」

元気よく返事を返すきすめ。
一体何がうまくいったら少年がやってくるのか解りませんでしたが、
とりあえず明日になれば、いっしょにゆっくりできることだけは理解していました。
きすめにとってそれだけ解れば十分です。


少年が帰って行ったあとも、きすめの興奮は冷めません。
残ったお菓子の山を食べながら、一人呟きました。

「……きすめはおにーさんといっしょだよ」






その日の夜、きすめは夢をみます。
見たこともない不思議なゆっくりプレイスで、おにーさんと一緒にゆっくりする夢。

ゆっくりできるごはんをたべて。
ゆっくりできるお話をして。
ゆっくりできるおうちで眠る。

ただそれだけの、ゆっくりできる日々。


それは飴玉のように甘い夢でした。






翌朝、きすめは今まで感じたことがないほど清々しい朝を迎えます。

「……ゆっくりおきたよ!」

晴れ渡る青い空に、白い雲。
絶好の引っ越し日和でした。

「……きすめはゆっくりまつからね。……きすめはがまんづよいよ」

そう自分に言い聞かせると、きすめはバケツの中でゆっくりと少年を待ち始めます。
しかしその実、一刻も早く会いたいに違いありません。
体はじっと動かなくても、その表情からは待ちきれない様子がありありと伝わってきました。
けれど少年が迎えに来るまで無事に過ごせなければ元も子もないのです。
きすめは逸る気持ちを抑え、今はバケツに隠れることに専念したのでした。


ドキドキしながら待ち続けるきすめ。
普段ならあっという間に過ぎるこの時間も、今日はゆっくりと流れています。


近くの道から足音が聞こえるたびに、きすめは少年かと思いそわそわと反応しました。

「! ……ゆっくりちがったよ」

だけど足音は通り過ぎるばかりで、一行にこちらへと向かってくる気配がありません。
一人、また一人と通り過ぎていくたびに、ちょっと残念な表情になります。

「……!!!」

そんな中、一つの足音が聞こえました。
まっすぐと迷いのない規則的な歩調。
間違いありません、その足音は確実にゴミ捨て場へと向かってきています。
そのことに気づいたとき、きすめの胸は一気に高鳴りました。

(ゆ、ゆっくりどうしよう?)

待っていたとはいえ、いざ来るとなるとどうすればよいのか解りません。
別に何をする必要もないのですが、どんどん近づいてくる足音にそわそわと落ち着きがなくなります。

(……とりあえずえがおだよ。えがおはゆっくりできるよ)

何が『とりあえず』なのかは解りませんが、ゆっくりなりに考えた結果なのでしょう。
ここは一番ゆっくりできる笑顔で迎えようと、きすめは太陽のような眩しい笑顔になって―――


ゴミが捨てられる音が響きました。


「よし、ゴミ捨て終わりっと!」

男性はそう言うと、どこかに去っていきます。
当然ながら少年ではありませんでした。

「…………」

何とも言えない空気に、目と口を細めてものすごく微妙な顔になるきすめ。
先ほどからこんな調子です。



   ◇ ◇ ◇



僕は、引っ越しの荷物と一緒に車に乗っていた。
今頃きすめはどうしてるだろう?
気がつけば太陽はもう真上まで来ていて、もう朝とは言えない時間だ。
いつまで待っても僕がこないことに泣いているかもしれない。

そんなことをぼんやりと考えていると、不意に車が停車した。
目的地に着いたのだ。

「おい、着いたぞ」

言われなくても解ってる。僕は適当に相槌を打ちながら車から降りた。
降りた場所は――ゴミ捨て場の近く。

「言っとくが、いなかったら昨日の話はな無しだからな」
「解ってるって。たぶんいるよ」

昨夜の数時間にも及ぶ説得により、僕は両親にきすめを飼うことを許可してもらっていた。
夜中にまで説得が続いた結果、まさか家族全員が寝坊することになるとは思わなかったけれど。
おかげで朝にきすめを迎えに行くはずが昼になってしまったのである。

車からは僕だけでなく、父さんも付いてきた。
母さんはそのまま運転席で待つつもりらしい。

「ゆぐっ……ゆぐっ……」

ゴミ捨て場に響く小さな泣き声。
きすめはいつもの古バケツにいたため、当然ながらすぐに見つけれた。

「ごめん、きすめ。ちょっと遅れた」
「!」

しゃがんでバケツを覗きこみながらそう言うと、きすめも僕に気づいたのか泣き声を止める。
とても不安だったんだろう。目を真っ赤に腫らして、頬にいくつもの涙の跡を作っていた。

「……おにぃーざん! おにぃーざん!! ぼうごないがとおもっだぁぁぁ!!!」」
「ああ、本当にごめん。ちょっと寝坊しちゃってね」

さすがに遅れた自分が悪いので、しばらくの間できるだけ優しい声をかけてやる。
その甲斐あってか、きすめは徐々に落ち着いてくれた。

しかし、その様子を見ている父親はあまり良い顔をしていない。
それもそうか。どこの親だってそこら辺の汚い野良ゆっくりを飼うぐらいなら、ペットショップで新しく買うことを選ばせるだろう。
現に何度も妥協案としてそう提案されたが、かなり無理を言って説得させたのだ。
家族全員が寝坊するほどの時間まで続けたことからも難しい説得だったことが伺えるはずである。

「おい、その汚いバケツまでは持っていかんぞ」
「……きすめのおうちだよ。ゆっくりできるおうちだよ。……ゆっくりていせいしてね」
「なんだこの饅頭、俺とやる気か?」
「ちょっと、押さえて押さえて」

なんだか険悪な雰囲気になりそうだったので、慌てて父親を止めた。
これは、早く車に連れて行った方がいいかもしれない。
この期に及んで『やっぱり駄目だ』とか言われたら本気で困ることになる。

「きすめ、引っ越しにはそのおうちは持っていけないんだ。少しだけ我慢してくれない?」
「……ゆっくりりかいしたよ」
「じゃあバケツから出すよ。……って、あれ?」

僕はバケツからきすめを取り出そうとした手を、思わず止めてしまった。
別に、砂糖水の涙の跡がベタベタしているとかそういう理由じゃない。
もっと物理的な問題だ。


きすめとバケツの間に―――隙間が無い。


「どうした? 早く行かなきゃ今日中に引っ越せんぞ」
「う、うん、もうちょっと待って。きすめ、そのバケツから出れる?」
「……ちょっとまってね」

バケツにピッチリと嵌まった体をむにむにと動かすきすめ。
けれども昨日もただでさえ少なかった隙間が今では完全に埋まっており、自力で出れないのかきすめは困った顔を返してきた。

「……でれないよ」

仕方ないのでバケツを持ち上げ、空中でひっくり返す。
きすめがバケツから落ちて――こない。
念のため上下に振ってみる。

「ゆっゆっゆっゆっゆっゆ……」

ダメだ。まるで接着剤で張り付けたかのように全く落ちない。
いくら振ったところで何の進展もなく、その振動できすめがちょっと頬を染めるだけだった。

「……おちないね」
「……そうだね」
「…………」
「…………」
「…………」

二人と一匹の間に、気まずい空気が流れる。
そこに僕がぽつりと一言。



「きすめ……太った?」



瞬間、きすめの顔が火でも出るんじゃないかという位に真っ赤になった。

「き、き、きすめはおでぶさんじゃないよ! ……ちょ、ちょっとおおきくなっただけだからね! ゆっくりていせいしてね!」

すごい恥ずかしいのだろう。今まで見たことがないほど慌てている。
僕はその可愛らしさににやにやと笑いながらも、ちょっとからかってみることにした。

「そっか、太っちゃったのか」
「ちがうからね! きすめはすまーとだからね! おでぶさんじゃないからね!」
「バケツから出れないほど太るだなんて……おお、おでぶおでぶ」
「そんなこといわないでね! ゆっくりていせいしてね!」
「やっぱり、昨日のお菓子がいけなかったのかな。一度に全部食べればそりゃ太るよね」
「きすめおでぶさんじゃないぃぃぃ!!!」

ちなみに、その推測はあながち間違っていなかった。
きすめと出会ってからかれこれ二月ほど。その間に大きくなっていた体は、本当にバケツぎりぎりだったのだ。
そして昨日のお菓子の山、僕は来れなかった三日分くらいのつもりで持っていったのだが、
どうやら野良ゆっくりにとって一週間分の食事量にも及ぶらしい。
それほどの量を一度に食べたのだから体形に影響を与えないわけがなく、
ただでさえ限界だった体は一気に成体間近くらいの大きさまで太っ――成長したというわけだ。

今思えば先ほどまで涙を流していたのも原因の一つかもしれない。
つまり乾いた砂糖水がベタベタと引っ付いて、接着剤の代わりをしているというわけである。
……いや、さすがにこれは無理があるかも。
とりあえず、きすめがこのバケツから出られないという事実には変わらなかった。

「……もういわないでね! きすめはおでぶさんじゃないよ!」
「あっはっは。いやー、しかし困ったな。このままバケツに入っていたらいっしょに引っ越せないよ」
「!」

そう言った途端、きすめの恥ずかしがっていた顔がみるみる涙目になり、今にも泣きそうな表情になる。
まずい、ちょっと言い過ぎたかも知れない。
慌ててからかったことを謝ろうとしたとき、僕の肩に手が置かれた。


「そうだな。バケツから出れないなら連れていかん」
「……え?」


手の持ち主は父さんだった。
その顔はどこか嫌な笑みを浮かべている。

「でも飼ってもいいって」
「おいおい、さっきお前が自分で言ったじゃないか。『このままバケツに入っていたらいっしょに引っ越せない』ってな」
「そ、それは冗談で――」
「言っておくが、誰のかも解らんような古バケツなんて一緒に持ってかんぞ。もしバケツの持ち主がいた場合、立派な窃盗罪だからな」

話の流れから僕は悟った。
父さんは、これを口実にきすめを飼うことを諦めさせようとしている。

「第一そのまま連れて行ったとして、その後はどうする? 無事にバケツから出せるのか?
無理やり引きはがすとしても、もし動物病院とかに行って高い治療費が出たら払うのは親なんだぞ。
そういえばゆっくりは食費がかなり必要だと聞く。飼うとなったら避妊手術も必要だ。どれだけ金がかかることやら」
「うぅ……」

反論したいのだが、こういうお金の問題に僕は反論できなかった。
きすめの餌代くらいなら毎月のおこづかいから払えるだろうが、前にどこかで避妊治療には数万もかかると聞いたことがある。
残念だけど僕の貯金程度では足りないだろう。
となると、必然的にその費用は親が払うしかない。
いくら卑怯だと思っても、親が全ての金銭を管理しているのには変わらないのだ。

一方きすめは、この様子を不安そうに見守っていた。
会話の内容が難しい単語ばかりで何を話しているか解らないかもしれないが、それでも最初の『連れていかん』という言葉ぐらいは解るだろう。
ゆっくりできない事態になりつつあることは漠然と理解しているはずだ。

「別れの時間ぐらいはやるから、あきらめろ」
「…………」

僕は無言になる。
このとき、頭の中では必死になってこの状況をどう切り抜けるべきか考えていた。
ここが最後の正念場だ。あきらめるわけにはいかない。

しかし父さんが言っていたことはどれも正論で、とてもではないがまともに反論することはできなかった。
考えても考えてもただの中学生である自分に良い案が浮かぶわけもなく。
―――だから僕は、最終的に頷いてしまう。

「………うん」
「そうか、じゃあ早く済ませろ」


結局、僕は無力だった。


「……おにーさん、どうしたの? ゆっくりしてないよ?」

頷いた今、きすめの一言一言が心に突き刺さる。
この問いかけが信じたくない一心で僕に訊いてるのが理解できたからだ。
でも、今の僕にはどうしようもない。
後ろめたく思いながらも、目を伏せながら事実だけを言う。

「ごめん、一緒に引っ越せなくなった」
「!」

驚愕の余り固まるきすめ。
やはり、解っていても驚くものなのだろう。
……引っ越せないことか、僕が信頼を裏切ったことか、どちらに驚いてるかは知らないけど。

ポケットから一粒の飴玉を取り出し、いつものようにバケツの中へと投げ込んでやる。
今の僕にはこれが限界だ。
けれどもきすめは頬をふくらませて飴玉を端に押しやり、全く食べようとしなかった。
まるで、飴玉など食べてる場合ではないとでもいうかのように。

「あめさんなんかいらないからね! いっしょにゆっくりさせてね!」
「本当にごめん。でも、僕にはこれくらいしかできないから……」
「きすめはいっしょにゆっくりするよ! やくそくしたよ!」

約束。
その言葉を聞いたとき、僕の胸がさらに痛む。
だが、一方的に約束を破られるきすめの辛さはこんなものではない。僕なんかとは比べ物にならない辛さのはずだ。
そこまで解っているのに……あと僕がやることは、立ち去るだけ。

「やめてね! いかないでね!」

きすめの呼び止める声を背中に受けながら、後ろ髪を引かれるような思いで車に向かう。
次第に、僕を呼ぶ声に嗚咽が混じりはじめた。
泣いているのだ。

「おいでがないでね! ゆっぐりまっでね!」

やめて。泣かないで。
気がつけば目の前には既に開いている車のドアが。
僕は逃げるように車の中へと入りこむ。

「おにぃーざん!! おにぃーざん!!」

バタンと、扉が閉まる大きな音。
外と切り離された車内にはきすめの声が届くことはない。はずだ。たぶん。きっと。
そして車のエンジンが全ての音をかき消すかのような爆音と共にかかると、そのままもう用はないとばかりにゴミ捨て場から発車する。



―――ぎずめをおいでがないでぇぇぇ!!!



はるか後方でそんな叫びが聞こえた気がしたが、僕には耳を塞ぐことぐらいしかできなかった。



   ◇ ◇ ◇



少年が引っ越してから一ヵ月ほどたったころ。

住民の要請を受けて保健所の職員があのゴミ捨て場にやってきたとき、大量のハエが周辺を舞っていた。
職員はいったい何事かと周りを探索すると、古いバケツの中で無数のウジが蠢くのを発見。
中にはゆっくりの死体と思わしき物体があり、その体を餌にしていたのだと判断する。
とりあえず持ち帰って焼却処分することに。

バケツの中身をビニール袋の中にひっくり返すと、衝撃で死体の中にいたウジ虫が一斉に表面へと湧きあがった。
狂ったように暴れまわる白い幼虫の群れ。
この死体には腐った餡子を貪り食うウジがまだまだいるのだろう。
彼らが蠢くたびに死体がもぞもぞと蠢き、まるで部分的に生きてるかのような錯覚さえする。

死因を袋越しに確認してみようとしたが、頭髪や右眼球などすでに体の五割は失っており、生きていたころの面影は全く無い。
餡子も半ば液状化していたため、この死体からは確認できることは皆無だ。
仕方なしにこれが入っていたバケツを覗き込んでみる。


その中には一粒の古い飴玉が、未練がましく張り付いてるだけだった。












あとがき

昔、野良猫におにぎりをあげたていた時のころを思い出しました。学生って無力ですよね。

Q.よほどじゃない限りバケツの中で大きくなっても取り出せるんじゃね?
A.よほどだと思ってください。どうしてもこれが書きたかったので仕様です。

Q.なんで少年は引っ越し直前まで何もしなかったの?
A.きっと少年なりに悩んでたかもしれないし、なにか避けれない用事があったのかもしれません。
単に雨だから行きたくなかったのかも。人それぞれです。

Q.どうしてきすめは死んだんだ? 時間がたって痩せたら出れるだろ。
A.お菓子の山を一度に食べた結果、舌が肥え、生ゴミを食べようとも思わなくなりました。
だから朝食をとりに行こうともせず、少年に言われるまで自分が太ってることに気付かなかったのです。

さて、これで10作目。名前は『希少種の人』とでもしておきます。
わーわー、ひゅーひゅー。(棒読み)
……これを機に過去作読んでいだらなんだか恥ずかしくなってきました。読まないでください、死んでしまいます。


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最終更新:2022年05月19日 14:59