最近つくられたその施設は、甘い香りで満たされていた。
「ようこそ、おいでくださりました」
 年配の男が一人、立ち上がって少女を迎え入れる。
 その出迎えに、少女は恐縮気味にぺこりと頭を下げた。
「すいません、ご多忙の折に無理をいってしましまして」
「いえいえ、構いませんよ」
 営業用の笑顔が男の唇に浮かぶ。
「では早速ですが、先日のお約束どおり、今日はうちの施設についてご案内いたしますね」
「お願いします」
 簡潔な了承を得て、男は施設の奥へと少女を伴って歩き出した。
 ついていこうとする少女。
 ふと、真鍮のプレートが視界に入る。
『ゆっくり加工所』
 そこが、少女の目的の場所だった。


「ここが、捕獲した『ゆっくり』の貯蔵庫です」
 男が背の高い柵を指差していた。
 柵の隙間には、押し付けられて膨らんだ顔が並ぶ。
「ゆゆゆ……」
 少女が上から覗くと、中にひしめき合う「ゆっくり霊夢」と「ゆっくり魔理沙」の一群。三十匹はいるだろうか。
 これは、最近幻想郷で見かけるようになった奇矯な生き物たち。
 発生源や種のあらましもまったく不明だが、よく似た顔の実在人物とは関係がないことと、中身が餡子などでできていることだけは知られていた。
 幻想郷の甘いものが好きな庶民にとっては、甘味を手の届きやすい値段に押し下げた恩人たちといっていい。
 そのゆっくりたちは押し込められ、柔らかい体をひしゃげながら、視線の定まらない瞳で虚空を眺めていた。
「ゆっくり?」
 が、その瞳に少女の姿が映し出されるなり、一斉に騒ぎ出す。
「おねーさん、ここからだして! おなかすいたよ! おうちかえる!」
 ぽろぽろと涙をこぼしながら、柵をぎしぎしと揺らすゆっくりたち。
「ここにいるのは、全て捕獲したものですか?」
「ええ、お客さんの中には天然ものがいいという方もいるので」
 少女と男の会話に、ゆっくりの必死の言葉を意に介した様子はない。
「私なんぞは味にうといものですから、繁殖したものと天然ものの違いなんてわからないのですがね」
 ハハハと乾いた笑い声を上げる男。
 少女も、お愛想の微笑で応じる。
 男は冗談が通じたことに一応の満足。
「では、次はその繁殖場面へご案内します」
「はい」
 二人、ゆっくりに背を向ける。
「ゆ! ゆっくりしていってよー!!!」
 柵をびりびりと震わす声も、扉を閉めるとかすれて消えていった。


「繁殖の成功と効率化は、この事業が成り立つための最大の課題でした」
 しみじみと男は呟く。
 男と少女の二人が並んで立つのは、背の低い柵の前。
 その中には、ゆっくり霊夢とゆっくり魔理沙が一匹づつ紐で結ばれて転がっている。
「最初に繁殖に成功したのは、この組み合わせです。ですが、問題がありまして」
 言うなり、男は無造作に柵に手をつっこむ。
「ゆっ!?」
 そのまま、二匹をわしづかみにするなり、手首をぶるぶると小刻みに振るわせ始める。
「ゆー!!! ゆー!!!」
 揺すられるがまま、甲高い声を上げ始める二匹。
「ゆー、ゆー、ゆーっ!」
 やがて、声がとろんと艶をはらんでいく。
 男の手首がさらに激しく蠢動を重ねると、ゆっくりの口がだらしなく開かれ、赤みが濃い色彩を帯び始めた。
「ゆゆゆゆゆゆゆ」
 目つきが熱を帯びたところで、男は手を止めた。
「ゆ? ……ゆっくりしていってー!!!」
 切なげな声が男の手を追いかけるが、すでに男は少女と向き合っていた。
「こうやって発情させた後、二匹だけにして暗がりに放置しないと繁殖を始めないので、手間がかかる上、数を増やせないという欠点がありました」
「なるほど」
「ですが、ここで繁殖力旺盛なゆっくりアリスという新種を発見したのが事業の転機となりました。今日、ちょうどその繁殖予定日となっています」
 男が部屋の奥に視線を投げると、その視線を受けた従業員らしき男が両手にゆっくりを二匹抱えて近づいてくる。
 ゆっくり魔理沙より短めの金髪で、赤いヘアバンドが目を引く、珍しいゆっくりだった。
 従業員は、柵の中へゆっくりアリスを放り投げる。
「ゆっくりしていってね!!!」
 本能なのだろうか。
 突如あらわれた同類を見るなり、ゆっくり魔理沙は大きな声でご挨拶。
 だが、次の瞬間、表情が固まる。
「まっまっまっ、まりさ!!!」
 弾けるように、二匹のゆっくりアリスは魔理沙の元へ。
「ゆ゛っく!?」
 定番の台詞も、密着したアリスの頬に邪魔されて満足に動かない。
「ゆ゛っ……ゆ゛っゆゆっ!!!」
 それでも懸命に台詞を口にしようと足掻くゆっくり魔理沙の上に、もう一匹のゆっくりアリスが容赦なくのしかかる。
 もはや聞こえてくるのは、ゆっくりアリスの荒い息遣いのみ。
 ほほをすりあわせて、よだれをこぼしていたアリスも、ぐいぐいと魔理沙を壁際に押さえつけて動けなくする。
 壁に押し当てられた魔理沙は、苦しいのかようやく涙がぽろりとこぼれ、間近でその様子を見るはめになったゆっくり霊夢は柵の隅でガタガタと震えだす。
「い゛、い゛や゛あああ」
 ゆっくりしていられない、ゆっくり魔理沙の悲鳴。
 それも、アリスの声でかき消されていた。
「ゆっくりイってね!!!」
 紅潮した声でそろって叫ぶアリスたち。
 途端に、ぶるぶると小刻みに震えだした。
「あ、ちょうど繁殖がはじまりましたね」
 こともなげに解説をはじめる男。
「もうすぐ、押さえつけられている方が白目を見開いて、裂けそうなほど口を開いた驚愕の表情で固まってしまいます。
そうなると、この個体は徐々に黒ずんで朽ちるのみですが、その頭から蔓のようなものがのび、その先に複数の同種が実ります。ゆっくりアリスの素晴らしい点は、そうなるとすぐに次にゆっくり霊夢で生殖行動を続行することですね」
 手馴れた口調で説明を重ねるが、一向に少女の反応はない。
「あ、お嬢さんにはちょっと嫌な光景でしたか。申し訳ありません」
 少女の肩が心持ち震えていることに気づいて、男は慌てて謝罪する。
 気丈に、少女は微笑んだ。
「いえ、そのことではありません。それに、お願いしたのはこちらですから、お気遣いなく」
 男は頭をかきつつ、少女の気遣いに痛み入る。その間にも「ゆっゆっ」と気ぜわしい声が聞こえていた。
「では、こちらはここで切り上げましょう。次は繁殖に成功して増産したゆっくりを使った飼育事業についてご案内します」
 異存はない。
「んほおおおおおおおおおおおおお!」
 切なげな絶叫が響く部屋を後にする二人だった。


 男に案内されたのは、屋外の小屋だった。
 いや、二階建ての家屋に等しい大きさでは小屋と言い難い。むき出し木の骨組みと、壁の代わりに金網で覆っただけの粗末なつくりは、小屋そのものではあったが。
 男は、ここを厩舎と呼んだ。
「今日は曇り空なので何も覆っていませんが、この生き物は日差しに弱いので、晴天時は上にシートをかぶせています」
 そんな説明を聞き流しながら少女が厩舎に近づくと、中から獣のうなり声が聞こえてきた。
「うー! うー!」
 奇怪かつ陽気な声に近づいてみれば、ゆっくりの顔の両脇に蝙蝠の翼を生やした、謎の生き物がふわふわと飛んでいる。
「肉まん種の、ゆっくりれみりゃです。ご覧の通りある程度飛べるので、この厩舎は全体を金網で覆っているのですよ」
「ずいぶんと機嫌がよさそうですね」
 少女の言葉のとおり、れみりゃは鼻歌が出そうなニコニコ顔で飛び回っている。
「さっき、餌のゆっくり霊夢を与えたからでしょう」
「ゆっくりを?」
「ええ、出荷間近なのでゆっくり霊夢を餌に与えています。味がよくなるとのことで。れみりゃは高級食材などで引く手あまたですから、十分元がとれるといわけです」
 なるほど、少女はれみりゃの毛並みの良さの理由がなんとなくわかった。
「大切に育てられているのですね」
「ええ、肉の質を高めるために運動も欠かさずやっています」
 男の言葉が合図だったかのように、突然れみりゃが動きを止めた。
 れみりゃの視線の先には、れみりゃよりも一回り小さな金髪のゆっくりが一匹。異様さでは類を見ないゆっくりだった。
翼らしきものはあったが、宝石を並べたような代物。瞳は見開いた真紅。
「ゆっくりフランです。」
 男にその名を紹介された異種は、れみりゃの周りを満面の笑みで飛び回る。
 れみりゃもあどけない笑顔で向き合ってはしゃぎまわっていた。
 傍目には、仲睦まじい姉妹かナニカのように見えるのだが。
 しかし、それは突然だった。
「ゆっくりしね!!!」
 フランの口から拳のようなものが伸び、れみりゃの顔面中央に突きささる。
 その拳に顔面をへこまされたれみりゃは呆然と身動き一つしない。
 拳がフランの口に戻ってから、ようやくぽろぽろぽろと、とめどなく流れる涙。
「……! ……!!」
 口は嗚咽にゆがんで、動転を言葉にする術を知らぬよう。
「うー! うー!」
 ただ一匹、フランのみが楽しげに笑っていた。
 フランは、再びれみりゃの正面に向きなおる。
「うあー! うあー!」
 泣きながら逃げ回るしかないれみりゃ。
「ご覧の通り、なぜかフラン種の方が強いので、フランにはれみりゃを追っかけ回す役をさせています。他にもれみりゃの誘導など、とても助かる存在ですよ」
「牧羊犬みたいなものですか」
 少女の言葉に、我が意を得たりといいたげな男の微笑み。
「さて、お次は最後。ゆっくり霊夢、魔理沙からの餡子の回収方法です」
 ついにその時がきた。
 少女は腕に抱えるそれをぎゅうと抱きしめる。


 遠めにもわかる、巨大なゆっくりが部屋の中央の檻に鎮座していた。
 その体躯は、高さだけでも少女の背を越していた。
 横幅も広く、その重量は計り知れない。
「あれが、巨大種。ゆっくりレティです」
 ぷっくりと膨らんだその生物を、男は指差す。
「雑食性ではゆっくりユユコに及びませんが、許容量ではゆっくり一でしょう」
 この巨体を前に、男の声は説得力に満ち溢れている。頷くしかない少女。
 ゆっくりレティは眠っているのか、目を閉じてくうくうと静かな呼吸音を奏でていた。
 遠目には可愛らしいのだが、巨体の異様さは拭いがたい。
「今、先ほどの食料を消化中なのでしょう。そろそろ、お腹が空いて起きる頃です。ちょっとお待ちください」
 その言葉を残して、男が部屋から姿を消す。
 しばらくして、男はゆっくり霊夢を一匹抱えて戻ってきた。
「おじさん、今日もゆっくりしようね!!!」
 その言葉と、黙って抱えられている様子に、ゆっくり霊夢の男への信頼が伺える。
 恐らく、その無垢な信頼感は繁殖から育てたゆえだろう。
 推察を重ねる少女へ、男は静かに語りかけてきた。
「では始めますよ」
 少女の頷きを確認するなり、レティの檻に放り投げられるゆっくり霊夢。
「ゆっ、ゆっくり!?」
 遠ざかっていく、ゆっくり霊夢の驚愕の表情。
 レティの体躯にあたり、ぽよんとはねて転がる。
 同時にのっそりと動き出すレティ。
「ゆゆゆゆゆゆっくりしていってね!!!」
 一目散に檻の入り口へ。
 しかし。
「早く扉を開けてね!!! 」
 すでに男によってロックされた後だった。
 地面が揺れる。
 ゆっくりレティが飛び跳ねながら近づいてきていた。
「おじさん! ここから出して! もっと、ゆっぐりじだい゛いいいい!!!」
「レティ種は鈍重なので扱いやすいのが利点となります」
 扉越しの哀願も、男の穏やかな眼差しを動かすことはできない。
 やがて、ゆっくり霊夢の上に差す巨大な影。
 レティが、真後ろにいた。
 ゆっくり霊夢の顔がくしゃくしゃに歪むのと同時に、開けっ放しのレティの口から分厚い舌がのびる。
 霊夢は瞬時に舌に巻き取られた。
「ゆっくりした結果がこれだよ!!!」
 悲しげな絶叫を残して、ぺろんとレティの口の中へ。
 少女は見た。
 飲み込もうとしたレティの口の中にうごめく、何匹ものゆっくりたちを。
 レティのベロに抑えられて身動きもできず、滂沱の涙を流して視線を男に向けている。
「レティ種は、リスのように食べきれない分を頬に貯蔵して蓄える癖があるんです。最長で二週間は保存されていますね」
 ゆっくりたちの視線に、男は興味を示さない。少女に自らの事業を説明することの方に傾注している。
「餡子の回収は、レティが熟睡した後に、後ろに穴をあけて搾り出します。定量を絞ったら、塞いでまたゆっくりを与えるのです。秘伝のタレを継ぎ足し、継ぎ足し使っている焼き鳥屋を思い浮かべてください」
 言われてみれば、寝床に戻るレティの後頭部に隆起部分が。
「ちなみに、一度レティ種に消化させることで、甘味がまろやかになって質がよくなることと、混ざり合うことでの品質の均一化が図れます。生産者にとって大切なことは、量産性と高品質、そしてその維持です。このシステム構築は、私の
ゆっくり業者としての矜持なのですよ」
 誇らしげな男の言葉が少女の印象に強く残っていた。


 職業人魂。
 男の言葉を、少女は強く理解できる。
 なぜなら、自分も人形という分野で職人的な魂に触れているからかもしらない。

 そう。少女は、アリスだった。
 可憐な彼女には場違いなその加工所を後にしたアリスは、夕焼けの空に時間の経過を知る。
「今日はずいぶんと大人しかったわね」
 一息ついて、見学の間中、両手に抱えていたソレに今日初めて話しかける。
「それにしても、いいお話が聞けたわ、魔理沙」
 アリスの腕の中でぶるぶる震えているその生き物は、正確には魔理沙ではない。
 数ヶ月前、魔法の森で捕まえたゆっくり魔理沙だった。
「でも、今から震えてどうするの? 魔理沙をあそこに預けるのは、明日よ」
 アリスの真顔に、冗談のニュアンスは欠片もない。
「い゛や゛あ……」 
 ゆっくり魔理沙からこぼれる弱弱しい悲鳴を聞きつけて、アリスは嬉しげな顔を紅潮させる。
「だって、私があんなに優しくしてあげているのに、あなたは逃げ出そうとするんですもの」
 言いながら、息も荒くなる。
「だったら、あそこでゆっくりしていってもらうだけよ」
「い゛や゛だあああ! ゆ゛っぐり、じだくない、じだぐないよおおおお!」
「あらあら、ゆっくりにあるまじき言葉ね」
 涙やらなにやらで醜く濁ったゆっくりの言葉を、恍惚の表情でまぜかえすアリス。
「どうしても嫌だというのなら、仕方ないわね。その代わり、わかっているかしら?」
「うん! つねったり、踏んだり、……しても、いいから!」
 しゃくりあげながらのゆっくり魔理沙を、アリスは一転して慈母の笑みで見つめる。
 ぎゅうと、愛情をこめて抱きしめつつ話しかける。
「そこは『いいんだぜ』にしなさい」
「わっ、わかったぜ!!!」
「ああ、本当に可愛い、魔理沙!」
 宵闇が迫る夕べを背景に、一つに重なる影。

 何やら、それなりに幸せそうな一人と一匹であった。

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最終更新:2022年04月16日 23:36