猫とちぇんの二匹が、ゆっくり5匹分ほどの距離を開けて対峙している。
猫はのんびりとした、だが若干の好奇心を感じている目で。
ぷくっと膨れ上がったちぇんは、凄まじい怒りの形相で。
相手をじっと見つめている。
猫の手からちいさなまんじゅうが落ちて、べちゃっとだらしなく潰れる。
それを合図だと決めていたかの様に、同時に両者は動き出した。
『ネコ×ちぇん』
なぜこの様な事態に陥ったのか。
話は、二匹の対峙から一時間前にさかのぼる。
「わかるよー、わかるー、わからないわかるわからなくなくないー♪」
珍妙な歌を歌いながら、ちぇんは自分の巣へ向かって、ぴょんぴょん飛び跳ねていた。
「わかるよー、きょうもいっぱいゆっくりできたんだよー♪」
満面に笑みを浮かべて、幸せそのものといった様子のちぇん。
このちぇんは、そこそこに頭が良く、そこそこに⑨であるため、人間たちに可愛がられている。
「わかるよー、らんしゃまはよろこぶってわかってるよー♪」
今日の人間は、気前が良かった。油揚げを手に入れる事が出来たのだ。
家で待っているはずの、つがいのらんしゃまや子供達は、皆喜ぶだろう。
油揚げを見た時の家族の反応を想像して、笑顔がより深くなる。
「わかるよー、いそいでかえるんだよー♪」
急ぐと言いつつ、人間から見るとひどくゆっくりと跳ねて、ちぇんは巣へと帰っていった。
「ゆっくりただいま! ……あにゃ?」
帰ってきたちぇんを待っていたのは、つがいであるらんしゃまと、子供達。
そして、一匹の猫であった。
「ちぇん、おかーちゃ……わがらっ……」
「ゆっぐりぢづぎだよ……おがーぢゃん、いぢゃいよ……」
可愛かった目はえぐり取られ、さらさらだった髪は乱雑に引き抜かれていくつも十円ハゲを作り、母親のらんしゃまに似てすべすべでもちもちしていた肌には、いたる所に引っかき傷が出来ていた。
二匹とも、既に中身の大半があふれ出てしまっていて、もう助からないだろう事は一目でわかる。
「ちぇ……ん……ちぇー……たす……」
更に猫の手には、小さなまんじゅう……ちぇんのつがいのゆっくりらんが握られていた。
元々はちぇんと同じ位の大きさだったのが、今では子供とほとんど変わらないほどになってしまっている。
ひゅうひゅうと弱々しく鳴いてはいるが、すぐにでも治療しなければ、命は尽きてしまうだろう。
「おぢびじゃんだじぃぃぃ! らんじゃまぁぁぁ!!!」
ぽとりと、油揚げが落ちた。
なぜ、ちぇんのおうちがこんなにめちゃくちゃになっているのかわからない。
なぜ、ちぇんとらんしゃまのかわいいおちびちゃんたちがにどとゆっくりできなくなりそうなのかわからない。
なぜ、らんしゃまがねこさんにいじめられているのかわからない。
「ねこさん」
何も分からないまま、ちぇんは静かに猫に向かって話しかける。
声に含まれる怒りを感じたのかは分からないが、猫はちぇんの方を向いた。
「わかるよ。いますぐここをでないと、にどとゆっくりさせないよ!」
ぷくぅっと膨れ上がるちぇん。
猫は、面白い遊び道具がもう一つ増えたとでも言いたそうに、にゃあと一声鳴いた。
「ゆっくりしないで、でていけー!!!」
ちぇんは、持てる力の全てをかけて、猫に体当たりを仕掛けた。
だが、その程度の攻撃では、猫には効かない。
らんしゃまを落とした猫は、ちぇんの顔面に向けて、タイミングを見計らったかの様に前足を突き出した。
「あ゛に゛ゃぁぁぁぁぁ!!!」
カウンター気味の猫パンチがキレイに決まり、ふっとぶちぇん。
ゆっくり6~7匹分は吹き飛ばされたちぇんは、すぐさま元の体勢に戻る。
それを見た猫は、遊び道具の丈夫さに目を輝かせつつ、四足で構えをとった。
ちぇんは、最初から猫に勝てるとは思っていなかった。
相手は、らんしゃまと子ども達の三匹がかりでも傷一つつけられなかった化け物である。
そんな化け物に自分一人で勝てるなどと楽観的な事を考えては、野生で生きていく事は出来なかっただろう。
では、なぜちぇんがこんな事をするのか。
「ちぇー……ん……にげ、て、ちぇー……」
「わかってるよ! それいじょうはなしたらしんじゃうから、なにもいわないでね!」
らんしゃまの弱々しい呟きをさえぎり、じっと真剣な目で見つめるちぇん。
らんしゃまは、その目を見てちぇんの真意を理解した。
その理由は、らんしゃまのためである。
ちぇんは、もう大事な家族を、つがいを失いたくはなかった。
それで選択したのが、この場かららんしゃまを救うためだけのおとりとなる事である。
「うにゃぁぁぁ!!!」
雄たけびを上げつつも、じりじりと後ずさるちぇん。
ちぇんは、自身の素早さと相手の動きを比較して、逃げ切れると判断していた。
少なくとも、らんしゃまが逃げるだけの時間稼ぎは出来ると考えた。
その考えが間違っていた事は、一秒にも満たない時間の後に知る事となる。
にゃあと一声鳴き、ゆっくりから見ると姿がブレるほどの素早さで飛び掛る猫の姿を、ちぇんは目で追う事すら出来なかった。
ぶしゃっという音とともに、ちぇんの中身であるチョコレートが辺りに飛び散る。
「わがらないよぉぉぉ……」
「ちぇぇぇぇぇぇぇぇん! ちぇぇぇぇぇぇん……うぐっ、ひぐっ……ちぇぇぇぇぇぇん……」
ぶちゃっと音を立てて、泣き顔のちぇんが『ちぇんだったもの』に変わる。
チョコレートの水たまりにふらふらと近づくらんしゃま。
その後ろから、ゆっくりと猫が近づいていく。
数分後。
ちぇん一家の巣には、四匹のゆっくりの死がいが残されていた。
ちぇんは、全くの無駄死にをした事になる。
だが、その死に顔は、とてもゆっくりとしたものだった。
そんな訳で、大貫さんお題のネコVSちぇんでした。
普通に考えたら、一瞬で終わるよね。
by
cyc=めて男
最終更新:2022年04月17日 00:15