- 古くは『竹取物語』で帝が不死の薬を焼き捨てるところから、
近年では多くのエンタメ作品、はては歌謡曲にいたるまで、
「死という終わりがあるから生が輝く」というメッセージのもと不老不死、不老長生が退けられる話は枚挙に暇がない。
けど、こんな躍起になって不死であることを忌避してるの日本人くらいなのでは?
- ギリシャ神話などには、不死を後悔する逸話もあるにはあるが、「不老という要素を付け加え忘れたため」といった理由であって、
老いる心配もなく不死であることを否定する文脈はあまり見かけない。
そもそもギリシャ神話の神々は不死であるし。
- スウィフト『ガリヴァー旅行記』のラグナグ王国には不死の人間たちが出てくるが、彼らも老いにより衰え続ける皮肉が描かれる、
が、つまり不老かつ不死であるならスウィフトの皮肉もあたらないという事に。
- 中国では不老不死は歓迎すべき事柄であった事は言わずもがな。
不老長生を逃してしまった事をネガティブな事として描いているので、この時点では不老長生は忌避されるものではなかったように読める。
- が、前述の通り『竹取物語』では帝はせっかくもらった不死の薬を飲まずに焼いてしまうし、
また不死の存在である月の都の「穢れ無い」人々もどこか親近感を持てない超越的な人々のように描かれている。
関連:皇極天皇三年
644年に、駿河国不尽川(富士川)で常世虫騒動。貧しい者は富み、老いた者は若返るとされた。
秦河勝が
大生部多を討伐した事で鎮圧。
→回春をもたらす常世神と、富士山の南を流れる富士川周辺という場所柄。一応関連を頭の片隅に置いてもいいのかも
- 民間信仰でも、八百比丘尼の伝説なども、せっかく不老不死となり得たのに、むしろその事を悲しむような話になっている。
- この件について、以前、「日本で不老長生が忌避されるのは、共同体からドロップアウトすると再加入する事が困難なため」と
考察した事があった。
中国などでは、一度共同体からドロップアウトしても、符牒によっていつでも加入できたり、同じ姓なら無条件に相互扶助にあずかれる
秘密結社といった加入条件の緩い共同体があったが、
日本ではそうしたセイフティーネットは弱く、村落共同体などは部外者に対し閉鎖的な傾向があるため
不老長生を得た事により顔見知りが居ない状態=共同体からドロップアウトした状態に一度陥ってしまうと
再加入の可能性が極めて低い。
(これは、不死のキャラと寿命を持つキャラが死に別れるという二次創作テーマが今日でも散見されるという形で現在でも生きている)
だからこそ、竜宮城から帰って来た浦島太郎や、『遠野物語』の寒戸の婆も共同体から去るしかなかったのではないか、という話。
最終更新:2017年03月16日 00:51