概要
戦闘に至るまでの背景
準備を整えると、10556年に大規模な軍を派遣、首都でもあり、
ル・マンティス国の聖地でもある
シャロッツ攻略に取りかかる。
一方、
ル・マンティス国は
ハンドレー要塞から引き上げた部隊、その他の地方から集めた部隊、物資を首都に集中、備蓄させ、何年でも戦う籠城戦の準備を整えていた。
両軍の戦力
戦闘経緯
野戦及び城壁での攻防戦の末に
クリート国軍は城門を突破。
市街地に雪崩れ込むが、戦略拠点を制圧しようとする指揮官、宗教拠点を破壊しようとする指揮官、
シャロッツそのものを焼き払ってしまおうとする指揮官などが激しく対立し、指揮系統が混乱、分断する。
クリート軍が突入した日の午後、宗教拠点の破壊に走った部隊が壊滅。
同刻、戦略拠点の制圧に向かった部隊がかろうじて議会堂や軍本部を制圧し、首都陥落を宣言するが、野戦から取って返してきた
ル・マンティス軍による反撃に遭う。
日が変わって翌日明け方、議事堂を制圧していた
クリート軍の一団が、
ル・マンティスの攻撃に端を発した議事堂の崩壊に巻き込まれ部隊ごと壊滅。
同日午前、
クリートの「浄化」派の部隊が中央広場を占拠するが、正午すぎに
ル・マンティス軍が中央広場で正面衝突、大規模な衝突により多数の犠牲を出すも決着はつかなかった。
この様に、市街地を舞台に両軍ともに統制を欠いた混戦になり、
クリート軍の中から略奪等に走る者が目立ち始める。
これに対して市民も徹底的に抵抗し、市街地はさらなる混乱状態となる。
もはや混乱を収拾できないと察した
クリート軍は、
シャロッツからの撤退を決意、野戦軍と合流する。
戦いの結末
この戦いは、
クリートの強行突破のために野戦と市街戦が同時並行で行われることとなった。
シャロッツ市街にも多大な被害が出たが、首都機能が失われることはなかった。また、特に重要な光臨の地(市街地のシャロッツ大神殿)は護りきったことは
ル・マンティスの誇りである。そのため、「陥落などしていない」という人間もいるが、議員のほとんどが殺され、軍本部も一度は
クリートに制圧されたことから、陥落と見て間違いは無いというのが通説である。
首都を落とすことだけにとらわれていた
クリートの被害も大きく、その後の小規模な戦いも含めて国境線を旧来の位置まで押し戻されることになる。
また、
ル・マンティスはこの戦いの準備段階で軍隊の中央集中体制を強化。その後もこれを維持し、それを南部にすべて投入したために、後の
シャクティアナの侵攻に充分な対応できなかったと言われている。
最終更新:2024年07月25日 02:05