疾走する超能力者のパラベラムⅠ ◆hqt46RawAo
◆ 『全て終わった後/迷いと怒り』 ◆
わからないことだらけであった。
自分がいったいどれ程の距離を流されてしまったのか、わからない。
あれからどれ程の時間が経過したのか、わからない。
己が正しいのか、わからない。
それとも、何かを間違えているのか。
――わからない。
「わ……っかんねぇよ……くそッ……!!」
上条はわからなくなっていた。
明白であるのは、流れ着いた何処とも知れぬ場所を踏み締める感覚と、ここが下流の河川敷であるということ。
川に溺れて長らく気絶していたこと、流されている間にデイパックを無くしてしまっていたこと。
じくじく痛む膝の熱、身体中を濡らした川の水の冷たさ、そして己が
ファサリナに陥れられた事実。
それだけだ。
具体的なことは、重要なことは何もわからない。
「わかんねぇよ……!」
ぼたぼたと水を滴らせながら、上条は河川敷を進んでいた。
川の上流、かなり遠目に倒壊した橋の残骸らしきもののシルエットが見え。
下流、海までの距離を鑑みるに、薬局よりも少し南に流されたようであった。
現在位置はおおよそ見立てられたものの、正確な位置はわからない。
さらにどうしようもないのは時間だ。
黒い空色を仰ぎ見れば、まだ夜であることだけは確定だが、自分はどれ程の間気絶していたのか、その正確な時間がわからない。
だがおそらく、短時間ではすまないだろう。
今から薬局へ向かったところで誰もいない可能性もある。
「……不幸だ」
結局、このセリフを吐きだしてから、上条は薬局へ歩きだした。
他に目指す場所も無く、もしまだ誰かが残っていればファサリナの危険性を伝えねばならないからだ。
なにもわからない状況の中で、そこまで行動方針が定まっているのに。
「……あああああッ……わかんねぇッ……!」
上条はこの場で最も優先順位が低い疑問で頭がいっぱいだった。
「それじゃあ……どうすれば良いってんだよッ……!」
川辺から離れ、入り組んだ住宅街の中を北上し始めても。
「誰かを犠牲にする事が最善の道だからって……そうやって割り切っちまうのがっ……」
激痛に悲鳴を上げる片足を引きずりながらも。
「そうやって諦めちまうのが……正しいってのかよ!?」
その疑問に、迷いに囚われていた。
「俺は認めねぇ!認めたくねぇんだよそんなこと!」
――お前の言葉は毒だ。
――君の願う世界は、自分に優しい世界だ。
――私は貴方の犠牲になるわけにはいきません。
そう言って。
お前の言葉はただの独りよがり、お前の生き方はただの我が儘なのだと。
彼らは上条の叫びを切り捨てた。
そして、彼らは彼らなりの解答を示した。
上条とてその意味が理解できないわけではない。
とはいえ、彼らが示す残酷な摂理を、上条は納得できるほど物分かりが良くはなく。
くだらない戯言だと切り返すには、彼らの言葉はあまりに重かった。
当然である。
彼らの言葉は彼らが長い戦いの中に生きて、そして見いだした彼らなりの答え。
結論なのだ。
完結している。不動と言っていい。
それを知ってなお否定するのならば、相手どるのは彼らの人生全て。
彼らが生きた長き戦いの歴史そのもの。
たった十と数年生きてきただけの、しかもその大半の記憶を失った上条には荷が勝ちすぎる。
彼にあるものは、正義心ですらない、自分なりの生き方だけなのだから。
しかし、それでも。
上条にはそれしかないのだ
転じて言えば、それこそが彼にとっての支柱であったのだ。
自分が守りたいと願った者を守る。
間違っていると断じた者を殴り飛ばす。
それを迷い無く実行できる意志こそが彼の強さ。
そして、自分を知らず、決して己を強い人間ではないと知る上条であっても、
倒すべき敵を目前にした時、為すべきと信じたことを見つけた時は己の道を行き、そして己の世界を守ってきた自負があったのだ。
「俺は……」
故に今、迷いに揺れる彼は。
幻想殺しでも、喧嘩慣れした身体能力でもない、真実最強の意志が揺らいでしまった彼は。
誰よりも、弱い存在に成り下がっている。
「俺は、間違えてるのか……?」
方向性の定まらない迷いと疑問。
優しく答える者はいない。
こんな時、彼を肯定しつつも厳しく、信頼して送り出してくれる仲間が今はいない。
「俺は……!?」
ただし、彼に答えを授ける者は、彼の大切な仲間だけとは限らない。
「……くッだらねェなァ……」
その声に、漸く顔を上げる。
足の痛みと疲労感に気をとられ、下ばかり見ていた上条はここに至るまで気づけなかった。
進む住宅街、その先にいる少年の姿に。
「ほンッとォに……くだらねェわ」
「……な、にやってんだ……お前……?」
間抜けな事を言ったものだと上条にも分かっていた。
だが、問わずにはいられなかった。
――立っていた。
十メートルほど前方、住宅街の交差点に、ゆらりと。
幽鬼のように、悪鬼のように。
一方通行(アクセラレータ)が、血みどろで。
「はァ? 何をしているかァ? 見てわかンだろ?
ただ歩いてただけだよ。したら、オマエが前から歩いてまいりましたッつー単純な話だ」
交差点の中央線上で、なんでもないように語る一方通行は、しかし誰の目に見ても異様な姿だった。
彼はただでさえ普段から異質な気を放っていたが、血に濡れた今の彼はそれに輪を掛けて剣呑である。
黒い服にべったりとこびり付いた赤黒が街灯に照らされて、蠢くようにテラテラと光る。
そして白髪を染める紅。
交じり合い完成した、あまりに暗すぎる紅滴る白の頭髪は、上条に鬼を連想させた。
「い、いや……まてよ、その血は……?」
「ン、あ? ……あァ、なるほど、こりゃ確かに誤解もするか、俺の能力知ってる奴なら尚更だな」
そして、紅に染まった少年は告げる。
決定的な、一言を。
「こいつは俺の血じゃねェよ。ははッ! やっぱ俺らしくねェよなァ……? 返り血を浴びるなンざよォ?」
上条の視界が、一気に歪んでいく。
「それならよォ、オマエは質問を変えねェと駄目だ」
まるで、見えない鈍器で後頭部を殴られたような衝撃だった。
「オマエが知りたいのは俺が何をして『いる』か、じゃねェ……。何を『してきた』か、だ。そうだろ?」
上条は、間違えていたのか?
「そこで、だ。――さァて、問題です」
では今こそ、その疑問に答えよう。
「一方通行(アクセラレータ)は、いまさっき薬局で、いったい何人ぶち殺してきたンでしょうかァ……?
……ははッ! ははははッ! ひゃははははははははははははははははッッッ!!」
悠然と、目の前の宿敵は物語る。
上条当麻は、決して取り返しのつかない間違いを犯していたのだと。
「…………は……あ?」
一瞬、呆気に取られ。
数秒後、一方通行の言葉を漸く飲み込んで。
「……テ……メエ……ッ、テメエェェェェェッ!! ッざけんなァッ!!」
脳髄で爆発した怒りに突き動かされ、上条は地を蹴った。
目の前の少年が悪ふざけでもなんでもなく、真実、上条の仲間を殺した事。
最後に見た時から変わり果ててしまったことを、上条は理解してしまった。
故にこの瞬間、彼は己を縛る疑問を一瞬だけ忘れた。
痛む足の熱を忘れ……。
「……はァァッ? ……ふッざけてンのはオマエだろォがァァァァッァ!!」
「――ッ!! ……ガ……ァ……ハァッ!?」
それ以上の怒気によって、大きく後ろへと弾き飛ばされていた。
吹き飛ぶ、交差点のコンクリート。
へし折れる電柱。
粉砕される民家の塀。
住宅街を震撼させる。
一方通行を中心に、交差点を薄いクレーターに変えるほどの衝撃。
効率を完全に無視したベクトル変換の能力行使は、純粋な怒りによってもたらされていた。
十メートルほど後方に転がった上条はそれに出鼻をくじかれる。
「なに……を?」
なぜ目の前の敵が、これほどの怒りをぶつけてくるのかを理解できない。
「間違ってるだのなンだのとォ! オマエは何を勝手に腐りきってやがる? いいかァ? オマエはな……! オマエ……は……なァ……!!」
しかし、一方通行もまた己の怒りの正体を正確に捉えることができないのか、その言葉は小さなものとなっていった。
「あァくそッ……まあいい、とりあえず答え合わせといくか?」
上条は亀裂の入った塀を掴み、足の痛みに耐えながらなんとか立ち上がる。
その二十メートル先に未だ立つ人物は、血に濡れた白髪を左手でがしがしと掻きながら、右手の指を数本立てて上条に示した。
「……こんなところだ。無様だろォ?」
そして、自嘲気味に笑って、一方通行は語り始めた。
もうすでに終わってしまった、絶対にやり直す事のできない、
とある戦いの結末を。
◆ 『はじまりのはじまりに/終わりの足が向かう場所/救いの足が飛翔する』 ◆
――時系列は過去へと巻き戻る。
その時、一方通行は少し考えていた。
D-5南部、都市部を進みながら。
コンクリートを踏みしめながら身体を慣らす。
十分な休息を経て、能力行使の準備も十二分。
体調も万全。
後はもう捉えるべき目標(薬局)へと進むのみだ。
「計算能力もやっぱ絶好調だよなァ……。 あの煩わしい声が聞こえなくなってからか?」
レベル5である彼ですら、未だかつて体感した事のないほどに頭の回転率が上昇していた。
しかし彼は気づけない、気づく必要すらない。
声は聞こえなくなったのではなく、ただ彼の意識がその声に同調しただけなのだと。
そんな瑣末な事には思い当たらない。
「まあ細かい要因なンざどうでもいいか……。ようはブッ殺せばいいンだからよ。
ああ……そうだ、そうだとも、全員ぶっ殺して、アイツを……ッ……!」
ズキリと、頭に鈍い痛みを感じた気がした。
それは彼を汚染した存在の意にそぐわない思考であったからか。
「チッ、今は……、それよりも、だ」
実の所、一方通行にそれほど悩む要素などない。
やる事は決まっているのだ。
装備も準備も体調も万全、目的地も明白。
ならば、後は出向いて殺しつくすのみ。
ここに及んで選択するべき事項など一つである。
「ンじゃまァ、どォいう経路で移動しましょうかねェ……?」
目的地までの道筋。
馬鹿正直にいったん北上して橋を渡るのもよしだが、一方通行ならばその常識的移動経路には縛られない。
「ちっとばかし、試してみンのもいいかもな」
彼がそう呟いたのはE-5北部の川辺だった。
エリアE-5を袈裟に裂くように伸びる川、その向こうに見える西側の岸。
彼の能力――ベクトル変換をもってすれば、一瞬にして川を飛び越える事など造作もない。
いちいち北の橋から回り込んで薬局に向かう時間を大きく短縮できるのだ。
普段の彼なら即決であった、だがこのときばかりは少し思慮を強いられた。
理由はやはり彼だけに設けられた制限であろう。
これから戦場へ向かうというのに、移動のためだけに貴重な残り時間を行使してしまうこと。
川を渡る間だけならば、ほんの少しの消費で済むであろうが、そのほんの少しが戦場で死につながるかもしれないのだ。
「……ンっと、でもま、やるか」
しかし、彼はその選択をした。
二本の足が地を蹴る、その力のベクトルを操作する。
タンッ、という小気味よい音とは裏腹に、一方通行の身体は凄まじい勢いで上空に舞い上がった。
風を切る感覚は、しない。
肌に触れる全ての有害事象は遮断する。
このスピードでは吹き付ける風すら、ダメージとなるからだ。
(なるほどな、はッ……こンなもん、首輪の解析にくらべりゃ、格段にちょろい。……やれそうだな)
普段の一方通行ならば、この選択はしなかったかもしれない。
おそらく時間を掛けてでも橋に向かって歩を進めていただろう。
だが今の彼には、一つ試してみたい事があったのだ。
川の向こう岸へと飛ぶ、一方通行の身体。
やがて勢いは無くなり、空中を踊るように回転しながら自由落下する。
恐れる事もなく。
その時、彼は能力行使を完全にやめた。
空中で目を閉じて、全ての『反射』設定を停止して。
どうしようもなく無防備なまま、ただの脆い人間のまま、落ちていく。
硬い地面の上に五体が突き刺さり、全身を粉々に粉砕される。
一方通行の身体は原型を留めず四散し、鮮血の飛沫が地を染め上げる。
「………ッおッとォォッ!!!」
その寸前に、彼は予定通りに再発動した能力によって落下の衝撃を殺しきった。
しかしそれも最低限の能力行使であったのか、地面からさらに跳ね飛び、
数メートルほど転がってようやく、命がけの幅跳びは仕舞いとなった。
「てッとッ……がァ……ッ……ッつゥゥゥゥ……。
……は……はッ……ははははッ。い、いまちょっとタイミングが遅くなかったかァ!?
ひはははッ! し、死ぬとこだったッ……!」
何故だかは分らないが、彼はそれに対してとても笑えた。
恐怖は無かった。
しかし今、たった一人で無駄死にしそうになったというだけで、なぜか笑えたのだ。
「はははッ……オーケイ、オーケイ。テスト結果は良好だ」
立ち上がる。
外傷は、無し。
なんにせよ、最低限の消費で川を横断し、時間も短縮された。
加えて、制限時間の縛りをほんの少しだけ緩くする貴重な経験も得られた。
これから先は徒歩になるが、それほど時間を掛ける事もなく、目的地に着くだろう。
進む足に迷いもない、己の戦いに疑問もない。
殺し尽くす、殺し尽くす、殺し尽くす。
その思考に違和感すら感じない。
「さァてェ、それじゃ行こうか……」
なぜならばこの瞬間、己が保つべき思考など、一つしかないのだから。
「アイツを……守りになァ」
■
エリアE-4中心近くの都市部。
ヒュン、という空を裂く音と共に直進する影が一つ。
それは駆けると表現するべきか、跳躍すると表現するべきか、飛ぶと表現するべきか。
その人物には、決められた道など無い。
通常の道路上はもちろん、民家の内部、庭、その上空、全てが彼女の通り道。
右折左折交差点、煩わしい回り道を一切合財を無視して、ショートカット。
ただ、真っ直ぐに、真っ直ぐに、一直線に進み続ける。
白井黒子は空間を突き抜けて目的地へと急ぐ。
瞬間移動の連続行使。
彼女がもてる全力だ。
距離はもちろん最大限の81.5m、行使の速度も最大最速。2秒にも満たない。
疲労感など度外視して前へ、前へ、前へと。
「………っ」
若干息が上がっている事など自覚しているが、止まるなど考えられない。
「時間が……ありませんのに……!」
黒子の直線での移動は時速に換算すると288km/hにも及ぶ、にも拘らずである。
彼女はこの時ほど自分の力を矮小だと感じたことは無かった。
「遅い……! 遅すぎますの!」
何故、もっと長い距離を移動できないのか。
何故、もっと短い時間で移動できないのか。
何故、己の能力(チカラ)はもっと強大なものではなかったのか。
時間が無い、時間がないのだ。
救うべき人物は今にも死に掛けているという。
その人を救うために、自分を救ってくれた少女は覚悟を示し、そして自分はその救いを託された。
なのに……。
「もっと、速くッ!」
叶わぬ願いを口にする。
一人になると、どうしても考えてしまう。
もっと強ければよかったのだ。
そうすれば、すぐに救えるのに、今すぐに目的地に辿り着いて、
そしてこの、
天江衣が命を掛けてまで得た救いの手段を届けられるのに。
「もっと……!」
叶わぬ願い。
一人になると、どうしても考えてしまう。
もっと強ければ、何も失わずにすんだのだ。
あの人を失う事も無かった。
彼を、一人にする事も無かった。
なのに――
「…………ッ!」
悔しさと焦りは、心のブレは、ただでさえ制限を受けている転移精度を更に落とす。
白井黒子はこのとき、進行が遅れていた。
自分では気づかないほどに、僅かではあったが……。
■
二人の超能力者が薬局を目指して歩を進める。
二つの手がそこへと伸びる。
一つは救いの手。
一つは破壊の手。
辿り着くのは果たして、どちらが先か。
◆ 『行間:橋の端にて』 ◆
「お話を、しましょう」
その言葉が会話の切り口となった。
崩壊した橋のとなりで、
戦場ヶ原ひたぎはファサリナと対峙する。
常に即決、即行動であった彼女にしては珍しい様子見という選択。
とはいえ状況は慎重さを要求している。
ひたぎは十中八九、目の前の緑髪の女が危険人物であろうと見切りを付けていた。
速攻で攻撃を仕掛けるのも一つの手ではある。
C.C.に一撃加えたような躊躇いのない先制打。
上手く決まれば、危険要素を速やかに解消できる、かもしれない。
しかしそれはあくまで確実に不意を突けるか、または相手に何らかの隙を見出した場合のみである。
目の前の手合にはそれが無い。
当然、ひたぎに戦いの心得など無いが。
ファサリナが突然現れたひたぎを警戒していることは明らかだ。
無造作に握られている真っ赤な槍は、しかして油断無くこちらに狙いを定めているように感じる。
「お話、ですか……?」
故に慎重に言葉を選ぼうとしていたとき、ファサリナから反応が返ってきた。
表情を伺えば、少しばかり意外そうな顔色である。
「あなたには、聞きたい事があるのでは?」
今度はひたぎの方が少し驚かされた。
目の前の女性はとぼけもしない。
彼女も直球だった。
つまり、悪びれていない。最低でも、悪い事をしたという意識はないようだ。
ただ面倒な事になったという、自分と同質の感想が伺える。
「そう……ね。じゃあ聞かせて貰いますけど。貴女は、上条君を殺したの?」
ならばこちらも直球で答えることにした。
警戒心が臨界点を突破するのを感じながらも、ひたぎは未だに冷静だった。
否、冷静などありえない。
このとき、この選択に
阿良々木暦の命が関わるかもしれないと思えば……。
「……いいえ」
「嘘ね」
否定の言葉を切って捨てる。
頭ごなしに。
それは冷静でない事のあらわれか、それとも確信があるのか。
「嘘ではありませんよ。私は彼を殺してはいません。
少し、説明させてもらってもよろしいでしょうか?」
「……、……わかったわ」
そうしてファサリナはひたぎに語った。
自分が上条当麻を陥れた理由。
この殺し合いにおける、かの少年の危険性。
そして、この行為をなせる要員が自分しか居なかったということ。
おそらく上条は下流に流されただけであり、そこから動けなくなるであろうが、命に別状はないだろうということ。
「…………」
ひたぎは暫くの間、なにかを思考して。
「嘘ね」
やはり、切り捨てた。
「何故ですか? 私は何一つ嘘など……」
「あなたの言葉には一つだけ嘘が在る。いいえ、黙っている事があると言った方が正確かしら?」
そう言って、ひたぎはある一点を指差した。
「貴女は本当に、上条くんを殺すつもりまでは無かったかもしれないけれど、殺してもいいとは思ったのでしょう?
そうでなければ、川に突き落とすだけでなく、槍で刺したりはしないはず。
溺れて死ぬかもしれない。動けなくなって、誰かに襲われて死ぬかもしれない。
その可能性を考えなかったわけがない」
ファサリナもその一点を見る。
紅槍の穂先から、一滴の赤が流れ落ちる所であった。
「私にとっては――」
そして、ファサリナが顔を上げた時、既にひたぎとの距離は数メートルも無かった。
「貴女と敵対する理由なんて、それだけで十分!」
両手に握るは数え切れないほどの文房具(凶器)が握られていた。
「――!?」
ひたぎは完全に、不意を突いた。
武器は殺傷が目的ではない。
これで相手が怯めばいい。
少しでも怯んで後ろに下がれば、そこに陸は無い、川なのだ。
(――突き落とす!)
だが相手は、瞬時にその意図を見切っていた。
両の手に握った文房具だけを、槍の一振りで器用に粉砕される。
返す刃を首筋に突きつけられて、ひたぎは動きを止められた。
「あなたは、当麻の仲間なのですか? 彼の事が大切、だったのですか?」
冷や汗が頬をつたうのを感じつつ。
少し冷たい目で自分を見据えるファサリナに向かって、ひたぎは臆する事無く答えた。
「別に、割とどうでもいいわ」
「なら、なぜ?」
「なぜかしらね、なんだかんだで結構気に入っていたのかも……。
まあでも、私の彼氏に比べたらやっぱりミジンコ以下の価値も無いけれど。
私にむかって『阿良々木くんにぜってぇ会わせてやるから』なんて、無駄にカッコいいセリフ吐いたその矢先に、
味方に見限られて川に落とされるなんて、まったく片腹大激痛だけれど。」
本人が聞いたら、泣き出しそうなセリフであった。
「だけど少しくらいなら、怒ってあげてもいいわ」
本人が聞いたら、少しは報われそうなセリフであった。
「そして、なによりも……私の彼氏も、彼に負けないほどのお人よしだから……。
貴女みたいな、危険な人には近づけたくないのよ」
■
結局は彼氏かよ。
的なツッコミを脳内で呟きつつも、ファサリナは逡巡する。
この穂先をいかにするか。
目前の女性は強い。ファサリナが認めるほどに。それはこのやりとりで良く伝わった。
切り捨てる対象には至らない。
しかしこの状況はいかんせん不味い。
いま槍を突きつけている女性は明らかにこちらを敵視している。
自分が彼女を間引く選択を取らなくとも、彼女がファサリナを認めないと言うのだ。
いっそ、この場で消してしまうか。
それも一つの手では在るだろう。
自分にとっての危険要素である事は明らかなのだから。
揺れる穂先、その方向が定まる前に。
「待て、ファサリナ! 何をやっている!?」
結局はファサリナが結論を出す前に、外部からの介入があった。
前方から聞こえてきた
グラハム・エーカーの声にファサリナは辟易する。
これでまた、話がややこしくなるのだろう。
■
「君は……もしや?」
グラハム・エーカーは出向いた橋にて、その状況に遭遇した。
予想通りに倒壊している橋の前には、二人の女性の姿。
そこにファサリナは居たのだが、いるはずの上条当麻の姿がない。
代わりに見つけたのは、黒髪の少女であった。
今まで出会った事は無かったのだが、その外見的特長は聞き及んでいた。
「戦場ヶ原ひたぎと申します」
「やはりか」
黒髪の少女は、突きつけられた刃に臆する事もなく。
いや、内心では相当のプレッシャーを感じているのだろう。
だが少なくとも表面上は最大限の虚勢を張って、さらっと自己紹介をやってのけた。
グラハムの予想は的中する。
目の前の少女の正体は阿良々木暦の恋人、戦場ヶ原ひたぎ。
探し人の一人が見つかったことは喜ばしい。
しかし、この状況はどうやら、あまりよろしくないようだ。
ファサリナの得物は真っ直ぐに戦場ヶ原の首に向けられている。
加えて、倒壊した橋に消えた上条当麻。
経緯は不明だが、かなり込み入った事態に陥っている。
「事情を説明してもらう前に、ファサリナ。君は槍を下ろせ」
結局、グラハムはこの場で最も警戒するべき標的をファサリナに定めた。
理由はファサリナに対する信用よりも、戦場ヶ原の恋人である阿良々木暦への信用が上回っていたことに起因する。
「…………わかりました」
この場は全てを正直に話した方が良いと考えたのか。
一つ息を吐いて、観念したようにファサリナは槍を下ろした。
「それでは、これで私の話を聞いてもらえますか?」
「ああ、聞こう」
その矢先である。
「やれやれ、また人が増えているな。面倒なことだ」
この場において、三人目の女性の声が聞こえた。
「お前はまた人に突っかかっているのか? いいかげんほどほどにしておけ、と。悠長な事を言ってられるような時でもないか」
振り返る。
グラハムの更に背後から、
緑の髪が特徴的な、全身包帯だらけの女性が現れていた。
「……あら、まったくね。少しは空気を読みなさい。っていうか、ちょっとあなた達キャラ被ってない?」
「むしろ正反対だと思うが……」
槍の穂先から解放された戦場ヶ原は、答えながら後ろ足にグラハムを素通りして、その女性に近寄って行く。
どうやら二人は知り合いだったらしい。
「君は何者だ?」
グラハムの問いに包帯の女性は一瞬グラハムを見た。
「C.C.だ。悪いが素性を説明する時間もない」
それだけ言って、すぐに目線をそらして戦場ヶ原の瞳を見つめる。
「いいか、先程マンションの上から確認したんだが、阿良々木暦はここから少し南――薬局のある方向に移動したようだ。
それだけなら、良かったんだが……」
ここで、全員の表情が険しくなった。
「南側の窓から、凄まじい速度で、川を横断する影が見えた、ような気がする。
やはり阿良々木暦と同じ方向に移動している。嫌な予感がするんだ。
合流するなら、急いだほうが……っておいッ!」
聞き終わるや否や、すでに戦場ヶ原は走り出していた。
この場に居る全ての人間を置き去って。
背中で、もはやこの場に居る人間全てどうでもいいと告げるように。
事実としてどうでもいいのだろう。そうグラハムに確信させるほどの全力疾走だった。
それを追おうとするC.C.へと、グラハムは一瞬迷った後、告げる。
「彼女に伝えてくれ、阿良々木少年は薬局に居る、と」
「…………」
返事を返す事もなく、戦場ヶ原を追ってC.C.もまた走りだす。
若干、身体を動かす事に苦労している様子だったが、彼女にもある種の決意が伺えた。
残されたのはグラハムとファサリナの二人だけ。
三番目に動き出そうとしていたファサリナを、グラハムは視線だけでおし留めていた。
「私も、胸騒ぎがします。それに誤解されたままで彼女達を行かせたくはありません。
そこを通してはもらえませんか?
事の説明なら薬局にむかいながらでも……」
「…………いや、駄目だ。説明が先だ。追うならば、先に私への説明を終えてからだな。
君は上条当麻に危害を加えたのだろう?
相応の事情が在るとしても、それをハッキリと聞いて、納得するまではここを通す訳には行かない」
グラハムは譲らなかった。
上条当麻と戦場ヶ原ひたぎはグラハムにとって守るべき一般人。
どのような経緯であれ、守護対象に槍を向けたファサリナは、グラハムにとって十二分に警戒にするべき相手となっていた。
だから、まだ動けない。
切迫した事態かもしれない。焦りも在る。
だからこそなおさら、ミスは出来ない。
それらの事情から、グラハムはここで慎重になった。
「ふぅ……わかりました」
一つため息をついてからファサリナは語りだした。
挙動には本心からの焦りが見える。
その説明を聞きながらグラハムは、祈った。
どうかこの選択が、間違いであってくれるなと。
もしかすると彼とて、
無意識の内にその『悪い予感』を感じ取っていたのかもしれない。
◆ 『到着/救いの手』 ◆
早くも、やはり僕には適任ではなかったのだと、確信に至る。
むいていない、と言うかきっと慣れていない。
そりゃそうだ。
この僕――阿良々木暦の20年にも満たない人生の中で、こんな体験は始めてだ。
「…………まだ、か」
薬局の入り口付近で、僕は外の風景を眺めている。
所謂見張り番だ。
白井がここへ到着するまでに、
万一、殺し合いに乗った人物がここに現れた時の為。
重体のスザクはユーフェミアと協力して薬局の奥の奥に寝かせた。
ユーフェミアも奥でスザクと共に居る。
少し規模の大きいスーパーマーケット程度の広さを誇るこの薬局。
出入り口は今僕の正面にある一つしかないものの、薬局最奥には従業員と思わしき休憩室があり、そこには大きな窓が在る。
正面入り口から僕が危険を察知して知らせれば、そこから重傷のスザクもユフィと共に少しの逃げる時間が与えられるだろう。
でも正直、そんな事になったらもう、きっと枢木は助からない。
当然、枢木を見捨てられないユーフェミアも、そしておそらく逃げ場の無い僕も……。
ぶっちゃけ、この状況はかなりヤバイと自覚している。
このタイミングで危険人物に遭遇したりすれば、もう最悪と言い切って良しだ。
自ら背水の陣で待機している。
そこに白井が速く到着すればいいが……。
自分の命どころか、他人の命を背負っているような感覚だ。
しかもその命には時間制限がついている。
僕の力ではどうしようもない、重体だ。
加えて外敵への対応も、僕の力じゃ非力極まる。
ただ救いの手を待つのみ。
どうしようもなく、役に立てず、敵か見方を座して待つのみ。
そんな状況を押し付けられたようなもの。
確かに、確実に異常のあった橋の様子を見に行くよりかは安全かもしれないけど。
僕としてはそっちの方が遥かに気が楽だったし、
ここに残ってあの二人を守る役目は、やはりグラハムさんが適任だったに決まっているのだ。
悪いイメージばかりが先行する。
いけないいけないと、思いつつも止められない。
だからむいていないと言うのだ。
僕はこういう『間』において、すんなりと事が進んだためしがない。
裏目以外を引かない男とまで言われているのだ。
今回も一筋縄で解決する気がまったくしない。
「でも……ま、いまさら言ってもしょうがないよな……」
頭を振って気持ちを切り替える。
こうなってしまった以上はしょうがない。
「今の自分がやれる事をしよう」
今は万が一に備えて、万が一の事を考えよう。
「にしても、こんなもんを渡されてもな……」
ユーフェミアに預かっておいてくれと言われていた、二つの得物。
「どう使えばいいのか、全然分らないぞ」
ずしりと重い、二つの拳銃。
それをかざして見る。
当然、僕はこんな物騒なもの撃った事もなければ握った事もない。
「けど、いざとなったら使うこともある……のか?」
これを人に向けて、撃つ?
どうにもイメージできない。
だが思考を先に進めないと。
右手に握った拳銃の使い方はなんとなくだが、予想がついた。
こっちはテレビか漫画かなにかで見た記憶が在る。
ベレッタなんちゃら、とかいったか。
だが左手に握った方は、いまいちわからない。
少なくとも僕が居た世界ではこんな銃は見た事が無い。
第一印象をストレートに言うと、『おもちゃ』みたいだ。
試し撃ちは……当然よしておくとして。
今はせめて構える練習だけで……。
「――しッ、失礼しますの!」
その時、背後から聞こえた声と凄まじい物音に、
僕は思わず引き金を引いてしまいそうになった。
「うぉわああああああ! な、んだ……?」
振り返ってみれば……そこには商品棚をひっくり返して地面に尻餅をついている白井の姿が!
「もう、制限はこりごりですわ……」
うんまあ、中途半端なフリに乗ってくれてありがとう。
「ていうか、白井……?」
「ええ、お久しぶりですの。阿良々木さん。怪我人のもとに案内してくださいな」
突然背後に現れて商品棚をぶったおして、たくさんの薬ビンを一面に散らかしまくった白井は、立ち上がりながらお尻を払っていた。
えーっと今のが、テレポートってやつか。
なんか制限とやらのせいでミスったっぽいけど、いやそんな事はどうでもいい。
いやほんとはどうでも良くないけど、滅茶苦茶ビックリしたけど!
けど、今は兎に角、白井が速く着てくれたことに心底ホッとした。
これで僕も自分の役目が遂行できる。枢木を見殺しにせずにすむ。
……かも、しれない。
正直言って可能性は殆ど無いけど、明確に今できる事があるのだ。
「ああ、こっちだ白井!」
僕は心苦しくも、どこか救われた心地で、薬局の奥の部屋へと白井を案内した。
さっきまで胸中を占めていた嫌な予感は……まだあったけれど……。
■
「……不可能です。この方の怪我は致命傷にあたります。このサービスでは治療できません」
「まってくれよ、何をもって致命傷かどうかを判断するんだ? 分らないだろ?」
「はい、急遽導入した施設サービスなので、明確な規定はありません。なので私が直接出向いて判断する事になりました。
しかし私の目から見ても、この方の負傷は度を越えています」
「くっ……じゃあ、どうして白井の時は治療したんだ!? 白井だって命に関わる怪我をおってたって、僕は聞いているぞ」
「あの時は……、上から通達がありました。 致命傷にはあたらないと……」
「なんなんだそれは……!? いい加減過ぎないか!?」
「お答えできません。私の判断ではありませんので。それでは私はこれで―――、――!?
………………………………、……………………、………………了解しました。」
「……な、んだ?」
「上からの通達です。
枢木スザクの怪我は致命傷にはあたらないとする、と」
「な!? どうして急に……?」
「お答えできません。私の判断ではありませんので。それでは、これより治療を開始します。
ただしこの治療方法には協力者が必要になります。
どなたがなさいますか?」
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最終更新:2011年08月04日 11:42