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ひぐらしのなくころに(中編) - (2007/04/30 (月) 19:41:02) の最新版との変更点
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*ひぐらしのなくころに(中編) ◆B0yhIEaBOI
峰不二子は、ぼんやりと川のせせらぎを眺めていた。
時刻は、もうすぐ不二子の設定した時間――9時にさしかかろうとしていた。
9時になれば、不二子が今いるこの地域も禁止地域になってしまう。
つまり、不二子がこのままここでのんびりしていれば、いずれ彼女の首輪の爆弾が起動し、起爆するのだ。
そう、不二子が嘗て利用した、あの少年のように。
――それもいいかもね。
「フフッ」
そう心の中で呟いた不二子はしかし、自分のジョークに堪えきれずに破顔する。
なにせ、不二子にはそんな気持ちは毛頭無いのだ。
不二子は、自分に得があることなら、そしてここで生き延びるためならどんなことでもするだろう。
他人を騙し、幼子を殺し、善人を踏み台にして――そう、実際にそうしてきたのだから。
不二子はただなにげなく、そんな自分にも嘘をついてみたくなっただけなのだ。
時の移ろいに身を浸し、世の無常を憂う……
――駄目。やっぱりこういうのは柄じゃないわ。さて、さっさと温泉にいくとしますか。
誰に見られたわけでも、聞かれたわけでも無かったが、なんとも気恥ずかしそうに頭を掻いて不二子は立ち上がる。
だがそこで、不二子は初めて気付いた。
本当に、自分を見ている者がいることに。
黒い、巨鳥――鷹。
それが、不二子が感じた、その男の第一印象だった。
男はその全身を、漆黒のプロテクターのようなもので覆っていた。
まるで中世の騎士――いや、それよりももっと幻想的な――悪魔、とでも言うのが適切なのだろうか?
悪魔……いや、そんな分かりやすいものでもない。
もっと曖昧で、複雑で、簡潔な何か……。
そう、『言葉では言い表しにくい』という言葉が、その男に最も相応しい。
ただ、その目だけは……今までに見たことが無い程に、深く、深く……
「失礼。お声を掛ける機会を伺っていたのですが、驚かせてしまいましたか?」
男を凝視したまま言葉を失っていた不二子に、男が話しかけてきた。
その外見のにしては、礼儀正しく、知性に溢れる声で。
いや、それは寧ろ外見通りと言うべきなのだろうか。
「貴方……誰?」
「ああ、これは失礼しました。私のなはグリフィスと申します、ミス不二子」
「――えッ!?」
グリフィスと名乗るその男の挨拶が余りにも自然だったので、不二子の反応が一瞬遅れる。
この男は、私のことを不二子、と呼んだ。不二子とは初対面であるはずなのにも関わらず。
そして、そんな不二子の驚きすらも予想通りと言わんばかりに、グリフィスの言葉は滑らかに続く。
「驚かせてしまって申し訳ありません。ですが、これも当然のこと。
何故なら私は貴方のことならなんだって分かるのですから。お待ちしておりましたよ、峰不二子」
――この男は、一体何を言っているんだ?
知るはずの無い私の名前を知っていて、それどころか私の全てを知っている?
……馬鹿らしい。
この男はただ私の名前を知っているだけ。まあ、それでも不思議なことではあるが。
私の全てを知るだなんて、そんなの私の心でも読まない限りは……
そのとき、グリフィスの目を見た不二子の背筋に、ぞくりと悪寒が走る。
――ま、まさか?
「フフ、貴方が疑うのも無理はありません。貴方程の聡明な方ならば、私を疑うのも当然のこと。
どこかで名前を知る機会があっただけ――そうお思いでしょうが、そうではないのです」
グリフィスの言葉には、絶対的な自信と確信が満ち溢れている。
――で、でも、この男が知っているのは名前だけ。それじゃあ証拠には……!
「ええ、そうですね。名前だけでは、私が貴方のことを全て知っているという証拠にはならない。
ですが……何を言えば、貴方は私の言葉を信じてくれるのか。これは少々難しい問題ですね」
グリフィスは、不二子の言葉を待たずに話を続けていく。
実際、不二子はほとんど言葉を口にはしていない。
だというのに、この場では明らかに『会話』が成立しているのだ。
「例えば……貴方は仲間の死を大して意にも介さず、それどころかそれを如何に利用するかに苦心する冷静さを持っている。
また、自身の目的の為には、例え相手が力を持たない子供でも容赦はしない意思の力を持っている。
それも、最初は少し迷っておられたようですが……貴方はもう覚悟をお決めになっているようだ。
まったく、貴方の強さには感服するばかりです」
「――!?」
グリフィスがさも当たり前であるかのように口にする言葉の一つ一つに、不二子の心は激しく揺れる。
「そして、貴方の目的は……単純明快。『最後の一人になること』……そうでしょう?
その為には他の強者には潰しあって欲しい。だから自分は彼らが潰し合っている間の避難と、
先ほど浴びた刺激物を洗い落とすためにC-8地区にある温泉を目指していた……。
とはいえ、こちらの都合で恐縮ですが、温泉には何人たりとも近づかせるワケには行かないのですがね。
……どうです? 少しは私のことを信じていただけましたか?」
――どういうこと!?
このグリフィスという男は、まるで見てきたかの様に私の全てを正確に言い当てていく。
ありえない。何かトリックがあるはずなんだ。
例えば……そう、この男は、ずっと私に気付かれること無く私を観察し続けてきたとしたら?
……いいえ。それはありえない。私が今まで監視されていることに気付かないなんてありえないし、
そもそも車を使ったり禁止地区を横切ったりする移動についてこれるはずが無い。それも私に気付かれること無く。
では何故……?
やはり、この男は……私の心を読む能力がある……?
「フフ、やっと私のことを信じてくれる気になってくれましたか。ですから――」
そう言いながら、グリフィスは懐から一丁の軽機関銃を取り出し、その銃口を不二子に向ける。
「不意打ちで私を倒そう、などという無駄な考えはお捨てになるべきですね」
不二子の体が――グリフィスに見えないように拳銃を取り出そうとする右腕が、びくりと震える。
――ああ、駄目だ。この男には、全て読まれている。
どういう理屈か、どんな魔法を使っているのかは分からないが、確実に分かることが一つある。
……この男は私よりも一枚も二枚も上手で、私はこの男の掌の上で踊らされているだけなのだ。
だが、一つだけ分からないことがある。
「一つ、質問してもいいかしら? ……といっても、私が喋らなくても貴方にはお見通しなのかも知れないけどね。
貴方の目的は何? 殺し合いがしたいなら、その力でさっさと私を殺してしまえば良いのに、貴方はそうしない。
貴方は……一体、何がしたいの?」
不二子の問いかけに、グリフィスの口元がにやりと歪む。
『笑う』という所作の根源は、獣が獲物に牙を剥く動作に由来するという話を、不二子はその身を持って実感する。
「素晴らしい。貴方はやはり私が見込んだ通りの方だ。私が貴方に望むこと、それは……
単刀直入に申し上げれば、私に協力して欲しいのです」
「協力……? 手下になれ、っていうの? この私に?」
「いえ、あくまで協力です。上下関係の無い対等な……ね」
「対等? 何を言ってるのよ。協力だなんだって言っておきながら、どうせ最後には始末されるんでしょ?
アンタに顎で使われて、その挙句にはいさようならだなんて、まっぴら御免よ!
それとも私自身が目当てなのかしら? それなら話は別なんだけど」
心を読まれているかもしれない、という不安と焦りに、不二子は追い詰められていた。
普段ならば決して口には出さない思案や姦計をもが、不二子の口から滑り落ちてゆく。
――この男には、チンケな小細工は通用しない。下手に動こうにもコイツの考えが読めない。それどころか逆に……
どうする? どうすればいいの!?
対するグリフィスは、不二子と対照的に静かに言葉を紡ぎだす。
「いえ、私には貴方を殺すつもりはありませんよ。私には貴方を殺しても何のメリットも無い」
「何言ってるのよ! 最後の一人になるためだったら、アンタはいずれ私を……!」
「いいえ。そんなことをする必要はないのです。冷静になれば貴方にもわかるはずですよ」
グリフィスは、極めて優しく、そう言った。
「なにしろ私はもう既に死んでいるのですから」
「……えっ?」
「私の名前……どこかで聞いた覚えはありませんか?」
「な、グリフィスなんて聞いたこと…………あっ!」
「思い出していただけたようですね。そうです。私の名前は先の放送で既に呼ばれているのですよ。
勿論、私が死者の名前を偽り騙っているわけではこざいません。貴方と違って、ね」
――思い出した。確かにグリフィスってのは、さっきの放送で呼ばれた名前だ。
私としたことが、最初に名乗った時に気付けなかったとは……
でも、一体どういうつもりなのだろうか? わざわざ死者として読み上げられたばかりの名前を名乗るだなんて。
そのうえ、自分でそのことを暴露するなんて……全く意図が読めない。
本当にこの男が幽霊の類ならば……寧ろ、その方が全てを上手く説明できるのではあるまいか?
……馬鹿な。ありえない。
でも……
不二子の思考が、オーバーヒート寸前にまで加熱してゆく。
不二子が常人よりも遥かに知恵が回ることは、自他共が認める、まごう事無き事実である。
だが、だからこそ、不二子の混乱は加速する。
不二子しか知るはずの無い事実を語る、死者の名を名乗る男。
その、不二子の理解を超えた存在そのものに対して、不二子は徐々にある感情を芽生えさせてゆく。
……恐怖を。
死霊の濡れた唇が、ゆっくりと動きだす。
「これは、少し混乱させてしまったかもしれませんね。
勿論、私は肉体的には生きていますよ。御覧の通りね。この首の装置もまだ動いている。
ですが、私は社会的には、つまりこの殺し合いゲームの上では、既に死んだと判断されているのですよ。
つまり、私はもう既にこのゲームの盤上から一歩外に踏み出している。
だから、私は貴方を殺す必要は全く無い。
もし最後に貴方と私の二人が生き残ったのなら、その時は貴方の優勝でこのゲームの幕が閉じるだけのことです」
「死んだと判断って……ギガゾンビのミスってこと?」
「いいえ。ギガゾンビ様は一切のミスなど犯しておられません。寧ろ賢明なご判断を幾つもなされておいでだ。
その一つが……私を徴用したことなのですよ」
「徴用……? それってつまり……ギガゾンビとアンタが手を組んだ、ってこと!?」
「御明察です。実は、このゲームを根底から破壊しようと目論む輩が居りましてね。
そういった不貞の輩を懲らしめる役を買って出たのが、この私だったのですよ。
そして、ギガゾンビ様は私の申し出を受け入れ、私にこの特別な役目をお与えになったのです」
――成程。それならまだ、納得できる。
この男は、ただギガゾンビの命令を遂行することだけが目的なのだ。
だから、私たちがどこで殺し合おうが、誰が最後に生き残ろうが、どうでもいいのだ。
むしろ心配なのは、その殺し合いがちゃんと行われるかどうか。
「だから、私は貴方にとって都合が良いのね。私は最後の一人になるのが望み。
その為に、参加者を殺し、不和をバラ撒いてきた実績も十分……ってワケね」
「ご理解が早くて助かります。
そして、ご理解が早い貴方ならば、貴方には私達――ギガゾンビ様に、言いたいことがあるはずですね?」
「ええ、その通り」
不二子の顔に、久方ぶりに笑顔が戻る。
「私も、貴方達の仲間に入れて下さらないかしら?」
「貴方は本当に期待を裏切らない方だ」
グリフィスも、不二子に笑みで答える。だが。
「しかし、残念ながら、今はまだ貴方の願いを聞き入れることは叶いませんね」
「あら、つれないわね。でも、“今はまだ”ってことは、いずれは考えてくれる、ってことなのかしら?
それが貴方の言う協力、ってのに関係してるのね?」
「ええ。その通りです。私にはどうしても手が離せない用件を抱えておりましてね。
ですから、貴方には他の地区の参加者同士の殺し合いを促進させて戴きたい。
具体的に言えば……C-4地区にある民家と、C-3地区にある病院。
この二箇所が、殺し合いを是としない集団の拠点となっています。
ですから、それらを何らかの形で崩壊させてやって欲しいのですよ。
無論、手段は問いません。物理的、精神的、そのどちらでも、お好きなように」
「……なによ。結局、私にも殺し合いを真面目にしろ、って言いたいわけ?」
「いえいえ、何も貴方が直接手を下す必要は有りません。結果的に人が死ねば、何でも良いのです。
それこそ、貴方のもっている爆発物でも使えば、彼らは動揺し、その結果思わぬ事態が生じるかもしれない。それだけでいいのですよ。
私は、参加者達が殺し合いを放棄して、みんなで仲良く脱出を図る……という状況を好ましく思わないのでしてね。
その為なら……限りはありますが、私の知る情報を貴方に教えてもいい。
それが、“協力”ですよ」
――やっと分かりやすくなってきた。
つまり、コイツはただの現場監督で、ゲームにおける審判のようなもの。
そして、私がルール通りにゲームをすれば、贔屓目の判定をしてくれる……って事なのだ。
「情報以外に、私に援助なんかはしてくれないの? 強力な武器とかがあると助かるんだけど」
「残念ながら、私にそこまでの権限はございません。それに、貴方はもう既に幾つも強力な武器を持っているじゃありませんか」
「あら、ホントに何でもお見通しなのね。まあいいわ。それなら、くれるって言う情報ぐらいは奮発してよね?」
「ええ、出来得る限りに」
――やっと、やっと運が向いてきた。やっぱり私の悪運も捨てたもんじゃない。
ここまで裏目ばかりだったけれど、ここに来て主催者陣営に取り入れるのは僥倖に尽きる。
ここで新たな情報を得られるだけでも私にとってはプラスだし、なにより主催サイドの人間と接触できたのはなにより大きい。
これでコイツの言う通りに動いて適当に恩を売っておけば、後々になってからこいつらに取り入る際には絶対に役に立つ。
それに、もしもの時には、参加者をコイツに押し付けて、主催者側に駆逐してもらうのも悪くない。
脱出を図ってる連中には、こいつらの存在そのものが、私にとってのこの上ない交渉材料になり得るんだから……
その時の不二子は、浮かれていた。やっと自分の持ち味を生かせる状況になったことに、舞い上がっていた。
だが、それも長くは続かなかった。
不二子は、うっかり見てしまったのだから。
グリフィスの目を。
――!!! 見られてる……読まれてる!?
そのグリフィスの目は、先ほどと同じく深く、そして、冥い。
先ほどまでと同じく、神秘的で、吸い込まれそうで……だが、それを見て生まれる感情は唯一つ。
……恐怖。
「断っておきますが、ここで私と会い、話した内容は、一切他言無用でお願いします。
我々の存在を触れ回るのは勿論、今更になって脱出派陣営に寝返る、というのも許しません。
もし、それを破って我々に仇成すと判断された時は……貴方の首にあるそれが、貴方の罪を罰してくれるでしょう」
いつの間にかグリフィスの声は、今までとは全く違う声になっていた。
威圧感と有無を言わせぬ迫力が言葉の間から溢れ出し、不二子の心臓を握りつぶしてゆく。
不二子の心拍数が上がり、不二子の息が、乱れる。
――駄目だ。取り入るとか、利用するとか、そんな次元の話じゃない。
コイツは危険だ。これ以上関わっちゃいけない。そう私の本能が叫んでる。
今は、今はとにかく早くコイツから離れるべきだ!
「わ、分かってるわよ! それよりさっさとその“脱出派の拠点”とやらの場所を教えなさいよ!
さっさと仕事済ませてくるから、アンタはちゃんとギガゾンビに私のこと伝えておいてよ!?」
「ええ。それは貴方の働きしだいです。」
そう言って微笑むグリフィスの顔も、今の不二子にとっては凶暴な獣の威嚇にしか見えない。
――嫌だ。食べられるのは、死ぬのは嫌だ。
「コンラッド! いるか!?」
「ここにギガ~」
グリフィスの呼び声と共に、一体の土偶が姿を現す。
「コンラッド、ミス不二子を例の民家にご案内しろ。どこでもドアを使っても構わん。
その間に、出来る限りの情報を伝えて差し上げろ。無論、お前に許されている範囲内でな」
「御意ギガ~」
するとコンラッドと呼ばれた土偶は、どこからともなく巨大な一枚の扉を取り出した。
「どこでもドア~! このドアを使えば、どんなところでも一瞬で行けるギガ~。
では、まずは……って、ちょっとアンタ、人の話は最後まで~~!」
コンラッドの言葉が終わるよりも前に、不二子はドアに飛び込んでいた。
一分一秒でも早く、グリフィスの視線が届かない場所に逃げたかったからだ。
獣に追われる、兎のように。
◆
「……というワケなんだギガ。分かったギガ?」
「…………」
「ちょっと? ダマの話をちゃんと聞いてたギガ!?」
「え、ああ、御免なさい。一応聞いてたわよ。結局、あの家と病院をどうにかすればいい、ってことでしょ?」
「その通りだギガ。因みにダマの調査によれば、今あの民家にはたいした奴は居ないハズギガ。
つうことで、健闘を祈るギガ。オマエが死ぬのはダマにとっても損失ギガ~」
そう言いながら、コンラッドは再びドアを取り出して、そのドアを開ける。
しかし土偶は扉をくぐる時に、一言ぼそりと呟いた。
「オマエはダマが監視しているギガ。くれぐれもおかしなことをしないようにギガ」
コンラッドの去った後も、暫くの間不二子は思考の渦から抜け出せなかった。
――つい今しがた私が体験したことは……一体なんだったのか?
あの男が言った言葉――ギガゾンビに取り入って、私に殺し合いを助長させる――その言葉だけなら理解できる。
だが、あの男……あの男そのものについてはどうだろう。
あの男は一体何だったのか?
私の事を仔細に渡って知り尽くし、私の思考を全て読みきって……。
いや、思考をただ読んでいるだけならまだ良い。寧ろ、私の思考を完全に把握し、コントロールされたかのようにすら思えてしまう。
あの時の私は……私の思考は、感情は、果たして本当に私のものだったのか?
私の精神が、あの男に操られ、弄ばれ、捻じ曲げられていたのではないのだろうか?
――私は、これまでにいろんな化け物共を目にしてきた。
鋼鉄を切り裂く化け物。数km先の米粒を打ち抜く化け物。あらゆるものを盗み出す化け物。
残虐な殺戮人形を操る化け物に、全てを粉砕する拳を持った化け物。
だが、そんな化け物共など、恐れるには値しない。
道具は、使うものなのだから。それを恐れるなんて、ナンセンス。
ただ強さを誇るだけの猛獣なんて、飼いならしてしまえばどうということはない。
だが……あの男は道具ではなく、道具を使う側の存在だ。
今までにも、そういった側に立とうとする者は沢山いた。
だが、そのどれもがそうと気付かぬうちに私に使われ、飼いならされていった。
でも、あの男には……それが出来ない。いや、そういう問題ではない。
あれは、道具でも、獣でもない。もっと恐ろしい何かだ。
死霊。あの男は自分のことをそう例えた。
実体を持たず、人の心に入り込み、内側から食い殺すゴースト……まさに、あの男はそれだ。
歯向かえない。既に死んだ人間を殺すことなんて、出来るはずがない。
ただ、その存在を恐れ、逃げ隠れるだけ……それだけが、生きた人間に出来ることじゃないのか。
――いや……そもそも私は、本当にまだ生きているのか?
知らないうちに、あの死霊に食い殺されてしまっているんじゃないのだろうか……?
不二子の心は、グリフィスから離れた今もまだ、グリフィスに侵食され続けている。
グリフィスにつけられた傷から染み込んだ毒が、不二子の心を蝕み続けている。
そして、それはいずれ不二子の心を丸ごと飲み込んでしまう。そんな確信が、不二子にはあった。
――逃げなければいけない。
――でも、どこへ?
――どこでもいい。出来ればこの殺戮ゲームの外へ。
――でも、どうやって?
――簡単なこと。さっさとこのゲームを終わらせてしまえばいい。
――グリフィスは、確かに私に言った。“協力”だと。私を殺す理由など無いのだと。
そしてギガゾンビにしても、自分の望みどおりの働きをする者ならば、わざわざ殺す必要も無いはずだ。
ならば、私のすることは――他の参加者を殺すこと。
いいえ、何も私が手を下す必要は無い。それはグリフィスも言っていたこと。
殺し合いを、させればいい。そして、弱りきった最後の一人を、私が殺してしまえばいい。
そう、最初から考えていた、単純明快なその答えで十分だ。
そうすれば、私はあの男から逃れることが出来る。晴れて自由の身になれる。
だけど……出来るならば、早く自由になりたいものだ。
不二子は、目下に目を下ろす。木々の隙間から、何件かの民家の屋根が顔を覗かせている。
土偶の言うことが正しいならば、あの中の一軒が脱出派の拠点になっているということになる。
この殺人ゲームからの脱出。それは、余りにも狭い道だ。
それが成功する確率など、どう考えても低すぎる。
だが、その気になってしまった頭の弱い人達がそのことに気付き、絶望するまでには、なかなかの時間がかかるだろう。
――無駄な時間だ。
そんな時間の浪費をしている間に、一人でも多くの人間を殺してくれれば、それだけこのゲームが終わるのが早まるというのに。
そんなことにも気付かず、いや、寧ろそのことから目をそらし、自分は時間が経つのをただただ隠れて待っている。
私が一刻も早くこのゲームを終わらせようと躍起になっているのに、そいつらはダラダラと時間を浪費しているだけ。
……なんて迷惑な。
そいつらがいなくなれば、私がここから逃げ出せるのも早まるというのに。
そもそもそんな受身の弱虫が最後まで生き残れるとでも考えているのだろうか?
ああ、だったら早いうちに引導を渡してあげるのも、良いかもしれない。
そいつらにとっても、真面目に殺し合いをしている人達にとっても。
不二子は自分の苛立ちと、その怒りがただの八つ当たりであることを、本当は自覚していた。
グリフィスに感じた恐怖を、他者に対する怒りで誤魔化しているだけなのだ。
だが、不二子はそれでも良いのだと考えていた。
少なくとも、グリフィスの恐怖から少しでも気が逸らせる。
そして、どっちにしろこれからする行動は同じ。ならば、すこしでも良い気分になれた方が良い。
不二子は、デイパックを空ける。
その中には、彼女が今までに掠め取ってきた、様々な道具が入っていた。
そのうちに幾つかは使い方の分からない道具ではあったが、使い道の明確な、有用な物も数多く入っている。
不二子はそのうちの一つを取り出し、それを肩に担ぐ。
――さあ、さっさと仕事を片付けるとしますか。
不二子が引き金を引くと、轟音と共にRPG-7の弾頭は、民家の一角に飛び込んでいった。
――ドオォォン
爆音が響き渡る。
だが不二子はそれにも動じず、第二、第三の砲撃を加えていく。
向うからの反撃が無いように、煙幕弾も射出しておく。反撃で自分が死んでしまったら身も蓋も無い。
――ドオォォン
不二子の放った砲撃は、全て狙い通りの民家に着弾していった。
だが、不二子は何の達成感も得られなかった。
標的となる人間を確認したわけでもなく、ただ言われるがままに民家を砲撃しただけなのだから、当然といえば当然なのだが。
そして、すべきことを終えてしまうと、行き場の無くなった感情がまたその鎌首を擡げだす。
それは、不意に不二子の脳裏を掠めた、一つの疑問であった。
しかしその疑問の真意は、不二子を大きく動揺させる。
――これで、グリフィスは許してくれるのか?
「許す!? 何言ってるのよ! これは対等な協力関係、ただのギブ&テイクなのよ!? 私がなんであの男に許しを請わないといけないのよ!」
だが、不二子は理解している。
グリフィスと不二子との力の差を。両者の間の、力関係を。
グリフィスは主催側の人間であり、底の見えない力を持ち、不二子はそれに恐怖している。
明らかに、グリフィスが絶対的な優位に立っているのだ。
協力などといっても、実際はグリフィスが齎した情報に従って、不二子が命令を遂行しているに過ぎない。
それを不二子が是としているのは、要はグリフィスを恐れているからなのだ。
『私はこんなに役に立つんだから、殺さないでくれますよね?』
不二子の行動を意訳すれば、そう言い換えることが出来てしまうのだ。
――でも、それじゃ……私があの男のことを、逆らえないほど心底恐れてるみたいじゃないの!!
その通り。
グリフィスの命令に従ったのだって、要は彼グリフィスが怖かったから。
そして、結局不二子はグリフィスの掌の上で踊るのだ。
最後の一人になるその時まで。
「――トちゃあん!!」
――!!
懊悩する不二子の耳に、何者かの声が聞こえた。
とっさにその場に伏せて身を隠した後、不二子は声のした方向に目をやった。
もうもうと立ち込める黒煙が、風に流され少しずつ晴れてゆく。
そこには、一人の幼児が、ベソをかきながら立ち竦んでいた。
「サトちゃあん! おねぇさあん! どこ~~~!?」
子供。
一人で行きぬくことの出来ない、生きるために他者の庇護が必要な存在。
きっと、彼が探しているのは、その保護者なのだろう。
「ねぇ~~! オラはここにいるよぉ~~!? みんな、どこにいるの~~~!?」
彼は必死に誰かを探しているようだ。オロオロと。
だが、彼の呼びかけに応えるものは居ない。
恐らくは先ほどの砲撃が功を奏したのだろうが……どうやらあの子供は運がよかったようだ。
――しかし、この子供……どうする? 殺すのは簡単だろうが……
では、この子供を放っておけばどうなるのか?
この子供が誰か非道な人間に見つかり、殺されてしまうのならそれでいい。
だが、この子供が脱出派とやらに保護されればどうなるのか?
当然、この子供が死ぬ危険は大きく減る。
その上、この子供を守るために、その集団全体が危険の少ない消極的な行動をとるかもしれない。
そんなことになれば……また私がこのゲームから逃れられるまでの時間が延びてしまう。
冗談じゃない!
あんな餓鬼に、これ以上迷惑かけられてたまるものか!
不二子は、物陰から姿を現し、まっすぐに少年の下へと向かってゆく。
不二子の心には怒りが溢れていた。
一人だけでは何も出来ない弱者への怒り。
そしてその怒りは、恐怖という感情を誤魔化すための詭弁。八つ当たりだ。
それでも、不二子にとってはそれでもいいのだ。
今、グリフィスに対する恐怖を感じなくて済むのならば、何でも良かったのだ。
「坊や、誰かさがしているの?」
「え? お姉さん、だれ? そ、それよりオラはサトちゃんと魅音お姉さんを探してるんだゾ! お姉さんも手伝ってよ!」
「手伝ってあげてもいいけど……でも、お姉さん、その子達がどこに行ったのか、多分知ってる気がするなあ」
「え!? どこどこ!? みんな、どこに行っちゃったの?」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。だって、貴方も、今から同じところに行けるんだから」
そう言って不二子は、手にした拳銃を構え、引き金に指をかける。
「さようなら。あの世ではお幸せにね」
「ダメ―――――っ!!!!!」
不二子が引き金を引く、まさにその瞬間に、一つの影が子供の前に躍り出た。
――パァン
銃声が、周囲に木霊する。
「さ、サトちゃん!」
「ご……ご無事でして? しんのすけさん」
飛び出してきたのは、これもまた小さな少女だった。
少女は少年を胸に抱えて蹲る。どうやら、少年を庇うつもりのようだ。
少女の肩の、今しがた出来たばかりの銃創から溢れた血が、服を赤く染めてゆく。
「サトちゃん、血が、血が出てる!」
「大丈夫、こんなのかすり傷ですわ。心配ございませんわよ」
それは、一目で分かる、明らかなやせ我慢だった。
少女の顔には冷や汗が浮かび、その体は震えているようにも見える。
そして、少女の足には何らかの傷の治療痕。
成程、だからこの少女には“逃げる”という選択肢が浮かばなかったのだ。
このまま身を潜められては厄介だったが、このように死にに来てくれるのは不二子にとっては有難い。
だが……ある一つの疑問が、不二子の感情を苛立たせる。
――コイツ、怖くないの? 私のことが、死ぬことが怖くないの!?
この少女は、躊躇無くこの死地に飛び出してきた。
足を怪我したこの少女では、わざわざ死にに来たのも同然だ。
しかも、それによってこの少年が助かるとも思えない。精々、僅かに死ぬのが遅れるだけだ。
だというのに、この少女は身を挺して飛び出した。
――これも、若さ……いえ、幼稚さの成せるわざ、って事なのかもね。
――でも、それなら……
――最後に、“教育”しておいてあげる。
それは、不二子が思いついた、ちょっとした“余興”だった。
向こう見ずで蛮勇を奮う子供に、最後に冷酷な現実というものを叩き込む。
不二子の感じる恐怖を、ちょっとだけおすそ分けしてあげる。
そんな、不二子の悪魔的な悪戯だった。
「フフフ、勇敢なお嬢ちゃんね。お姉さんも驚きだわ。でも、ちょっと無謀だったわね」
不二子は、銃を構えたままゆっくりと二人の元へと歩いてゆく。
「お嬢ちゃん、折角飛び出してきてくれた所で悪いんだけど、あなたのソレ……全然意味無いわよ?
だって、そうやってお嬢ちゃんがいくらその坊やを庇ったって、先にお嬢ちゃんを殺しちゃえば、無意味でしょ?
それなら、お嬢ちゃんは一人で隠れていた方が正解だったんじゃないかしら?
ほら、それなら少なくとも貴方一人だけは生き残れるワケなんだし」
不二子は、二人の子供を見下ろした。
少年を抱えて丸まった少女の背中しか見えず、その顔は伺えない。
――はてさて、どんな顔をしているのやら。
「ああ、きっとうっかり間違えちゃったのよね。
もしかしたら、何とかなるんじゃないかな、って思っちゃったのよね?
でも、残念。現実って、そんなに都合よく何とかなるものじゃ無いのよ?」
不二子は、自分の声が上ずってゆくのを自覚する。
――ああ、こんないたいけな子供を苛めて喜んでるなんて、私も悪人ねえ。でも、やっと調子が出てきたきがするわ。
「でも、お姉さん優しいから、一回だけチャンスをあげちゃう。
もし、お嬢ちゃんがこの坊やを助けたのが間違いでした、って自分で認められたら、お嬢ちゃんだけは助けてあげる。
そうしたら、貴方はどこかに隠れちゃえば、もう少し長生きできるかもしれないわね。
どう? ちゃんと聞いてた?」
もちろん、不二子は少女を見逃す気なんて毛頭無かった。
不二子はただ、死の恐怖に少女の理性が押しつぶされる様が見たかったのだ。
そう、自分と同じように。出来れば、自分よりも醜く。
「サトちゃん……?」
少年の不安そうな声が漏れる。
これから自分の命が私に捧げられることを理解したのだろうか。
「ほら、言って御覧なさい? 『私が間違っていました。命だけは助けてください』って」
「――れ」
「え? 何て言ったの? もっと大きい声で言ってくれないと――」
「黙れ! この悪魔め!!」
――――!!
振り向き、不二子の顔を睨みつける少女の表情は……不二子の望んでいたものでは無かった。
恐怖。絶望。諦め。そんなものは微塵も感じられなかった。
それどころか、その目は、その目を見た不二子は、思わず思ってしまう。
――怖い……!
「私は間違ってなんかいない! しんのすけさんを見捨てたりもしない! 間違ってるのはお前だ! 悪魔め!!」
「ひっ……!」
不二子は、少女の気迫に押され、後ずさる。
――なんだ? これは一体何なんだ?
私は、この少女を怖がらせたかったんじゃないのか?
なのに、何だこれは? この少女は、少しも怖がってはくれないじゃないか。
それどころか、私の方が、この少女を怖がって……?
「退けっ! 悪魔めっ!!」
「だ、黙りなさい!」
――パァン
思わず、不二子は引き金を引いてしまう。
弾丸は少女の体に命中し、少女が小さなうめき声を上げる。
「サトちゃん!」
少年が悲痛な叫びを上げる。そうだ。それでいい。
「ほら、大人に生意気な口聞くとそうなるのよ? 大人しく、私の言うことを聞きなさい。
ほら、言うのよ! 『私が悪かったです。許して下さい。どうか命だけは』ってね!」
だが、少女は屈しない。
「大丈夫ですわ、しんのすけさん。私は、負けたりしない」
いや、それどころかその目には、より一層強い光が灯っている。
「私は、もう逃げたりしない。間違ったりしない!
今までは、ずっとにーにーが私を守っていてくれた。
だから、次は私の番! 私がしんのすけさんを守る番!!
しんのすけさんは、お前なんかに、絶対、絶対、指一本だって触れさせやしない!!」
「こ……こいつ……!」
思い通りにならないことに、不二子の神経が昂ぶってゆく。
怒り。苛立ち。憎しみ。焦り。迷い。……そして、恐怖。
溢れ出す感情が、不二子を飲み込んでゆく。
「あんた、自分の置かれてる立場がちゃんと分かってるの!? あんたがその子を守るだなんて……無理に決まってるでしょ!?
それじゃ、私はアンタを先に殺して、あとでゆっくりその坊やを殺してあげるから!」
「さっ、サトちゃぁん!!」
「怖がらなくても大丈夫ですわ、しんのすけさん。貴方は私が、絶対に、命に代えても」
「こ、この糞餓鬼がぁっ! なら、さっさと死になさいよおぉっ!!!!」
――パァン
銃声が響く。
――パァン、パァン
何度も、何度も。
破裂音が響くたびに、少女の体から赤い血が吹き出し、その口からは苦痛に喘ぐ声が漏れる。
だが、少女は、諦めない。
「大丈夫……しんのすけさんは、大丈夫……」
自らは苦痛に耐えながらも、必死に少年を励まし続けている。
「さ、サトちゃあん! サトちゃぁああん!!」
少年の叫びが、涙にまみれた痛々しい嗚咽が、少女の体の隙間から漏れ聞こえてくる。
それらの声が、激しく不二子を苛立たせる。
だから、不二子は焦る。早く終わらせてしまいたいから。
「死ねっ! 死ねっ! さっさと、死になさいっ!!」
――パァン、パァン、パァン……
◆
――カチン、カチン、カチン……
不二子が気が付くと、もう手にした拳銃に弾は残っていなかった。
――呼び弾を含めて十二発、全て打ちつくしてしまったということか。私としたことが、無駄な消耗だ。
だが、まだ拳銃はもう一丁ある。
坊やを殺すのには、それで十分だ。
「サトちゃあん! お返事してよぉ! おめめを開けてよぉ、サトちゃあん!!!」
少年は、もう言葉を発しなくなった少女に向かって、必死に呼びかけを繰り返している。
少女は、この少年を守り通したのだ。命を懸けて。偉いものだ。
だけど、それも無駄に終わるのだ。
「そんなに泣くことなんて無いのよ、坊や……」
不二子は拳銃を少年に向け、照準を合わせる。
「すぐに、向うで会えるんだから……」
そして、不二子はその指に、ゆっくりと力をかける。
――パァン
――?
不二子は、自分が銃を撃ったものだと思っていた。確かに銃声もした。
だが、目の前の光景には何の変化も無く……手にした銃の撃鉄も上がったままだ。
どういうことだ……? なら、今の銃声は……?
――パパァン、パパパァン
再び、奇妙な銃声が聞こえる。しかも、今度は何発も連続で。
そして、不二子のすぐ横の地面が爆ぜる。
――これは……違う! 私が、狙われているんだ!!
やっとそのことに気付いた不二子が振り向くと、
そこには銃を構えた一人の女が――
――いや、違う。
――あれは、人なんかじゃない。
――あれは……鬼だ。
*時系列順で読む
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*投下順で読む
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|271:[[ひぐらしのなくころに(前編)]]|園崎魅音|271:[[ひぐらしのなくころに(後編)]]|
|271:[[ひぐらしのなくころに(前編)]]|野原しんのすけ|271:[[ひぐらしのなくころに(後編)]]|
|271:[[ひぐらしのなくころに(前編)]]|北条沙都子|271:[[ひぐらしのなくころに(後編)]]|
|271:[[ひぐらしのなくころに(前編)]]|峰不二子|271:[[ひぐらしのなくころに(後編)]]|
|271:[[ひぐらしのなくころに(前編)]]|グリフィス|271:[[ひぐらしのなくころに(後編)]]|
*ひぐらしのなくころに(中編) ◆B0yhIEaBOI
峰不二子は、ぼんやりと川のせせらぎを眺めていた。
時刻は、もうすぐ不二子の設定した時間――9時にさしかかろうとしていた。
9時になれば、不二子が今いるこの地域も禁止地域になってしまう。
つまり、不二子がこのままここでのんびりしていれば、いずれ彼女の首輪の爆弾が起爆するのだ。
そう、不二子が嘗て利用した、あの少年のように。
――それもいいかもね。
「フフッ」
そう心の中で呟いた不二子はしかし、自分のジョークに堪えきれずに破顔する。
なにせ、不二子にはそんな気持ちは毛頭無いのだ。
不二子は、自分に得があることなら、そしてここで生き延びるためならどんなことでもするだろう。
他人を騙し、幼子を殺し、善人を踏み台にして――そう、実際にそうしてきたのだから。
不二子はただなにげなく、そんな自分にも嘘をついてみたくなっただけなのだ。
時の移ろいに身を浸し、世の無常を憂う……
――駄目。やっぱりこういうのは柄じゃないわ。さて、さっさと温泉にいくとしますか。
誰に見られたわけでも、聞かれたわけでも無かったが、なんとも気恥ずかしそうに頭を掻いて不二子は立ち上がる。
だがそこで、不二子は初めて気付いた。
本当に、自分を見ている者がいることに。
黒い、巨鳥――鷹。
それが、不二子が感じた、その男の第一印象だった。
男はその全身を、漆黒のプロテクターのようなもので覆っていた。
まるで中世の騎士――いや、それよりももっと幻想的な――悪魔、とでも言うのが適切なのだろうか?
悪魔……いや、そんな分かりやすいものでもない。
もっと曖昧で、複雑で、簡潔な何か……。
そう、『言葉では言い表しにくい』という言葉が、その男に最も相応しい。
ただ、その目だけは……今までに見たことが無い程に、深く、深く……
「失礼。お声を掛ける機会を窺っていたのですが、驚かせてしまいましたか?」
男を凝視したまま言葉を失っていた不二子に、男が話しかけてきた。
その外見にしては、礼儀正しく、知性に溢れる声で。
いや、それは寧ろ外見通りと言うべきなのだろうか。
「貴方……誰?」
「ああ、これは失礼しました。私の名はグリフィスと申します、ミス不二子」
「――えッ!?」
グリフィスと名乗るその男の挨拶があまりにも自然だったので、不二子の反応が一瞬遅れる。
この男は、私のことを不二子、と呼んだ。不二子とは初対面であるはずなのにも関わらず。
そして、そんな不二子の驚きすらも予想通りと言わんばかりに、グリフィスの言葉は滑らかに続く。
「驚かせてしまって申し訳ありません。ですが、これも当然のこと。
何故なら私は貴方のことならなんだって分かるのですから。お待ちしておりましたよ、峰不二子」
――この男は、一体何を言っているんだ?
知るはずの無い私の名前を知っていて、それどころか私の全てを知っている?
……馬鹿らしい。
この男はただ私の名前を知っているだけ。まあ、それでも不思議なことではあるが。
私の全てを知るだなんて、そんなの私の心でも読まない限りは……
そのとき、グリフィスの目を見た不二子の背筋に、ぞくりと悪寒が走る。
――ま、まさか?
「フフ、貴方が疑うのも無理はありません。貴方程の聡明な方ならば、私を疑うのも当然のこと。
どこかで名前を知る機会があっただけ――そうお思いでしょうが、そうではないのです」
グリフィスの言葉には、絶対的な自信と確信が満ち溢れている。
――で、でも、この男が知っているのは名前だけ。それじゃあ証拠には……!
「ええ、そうですね。名前だけでは、私が貴方のことを全て知っているという証拠にはならない。
ですが……何を言えば、貴方は私の言葉を信じてくれるのか。これは少々難しい問題ですね」
グリフィスは、不二子の言葉を待たずに話を続けていく。
実際、不二子はほとんど言葉を口にはしていない。
だというのに、この場では明らかに『会話』が成立しているのだ。
「例えば……貴方は仲間の死を大して意にも介さず、それどころかそれを如何に利用するかに苦心する冷静さを持っている。
また、自身の目的の為には、例え相手が力を持たない子供でも容赦はしない意志の力を持っている。
それも、最初は少し迷っておられたようですが……貴方はもう覚悟をお決めになっているようだ。
まったく、貴方の強さには感服するばかりです」
「――!?」
グリフィスがさも当たり前であるかのように口にする言葉の一つ一つに、不二子の心は激しく揺れる。
「そして、貴方の目的は……単純明快。『最後の一人になること』……そうでしょう?
その為には他の強者には潰し合って欲しい。だから自分は彼らが潰し合っている間の避難と、
先ほど浴びた刺激物を洗い落とすためにC-8地区にある温泉を目指していた……。
とはいえ、こちらの都合で恐縮ですが、温泉には何人たりとも近づかせるワケには行かないのですがね。
……どうです? 少しは私のことを信じていただけましたか?」
――どういうこと!?
このグリフィスという男は、まるで見てきたかの様に私の全てを正確に言い当てていく。
ありえない。何かトリックがあるはずなんだ。
例えば……そう、この男は、ずっと私に気付かれること無く私を観察し続けてきたとしたら?
……いいえ。それはありえない。私が今まで監視されていることに気付かないなんてありえないし、
そもそも車を使ったり禁止地区を横切ったりする移動についてこれるはずが無い。それも私に気付かれること無く。
では何故……?
やはり、この男は……私の心を読む能力がある……?
「フフ、やっと私のことを信じてくれる気になってくれましたか。ですから――」
そう言いながら、グリフィスは懐から一丁の軽機関銃を取り出し、その銃口を不二子に向ける。
「不意打ちで私を倒そう、などという無駄な考えはお捨てになるべきですね」
不二子の体が――グリフィスに見えないように拳銃を取り出そうとする右腕が、びくりと震える。
――ああ、駄目だ。この男には、全て読まれている。
どういう理屈か、どんな魔法を使っているのかは分からないが、確実に分かることが一つある。
……この男は私よりも一枚も二枚も上手で、私はこの男の掌の上で踊らされているだけなのだ。
だが、一つだけ分からないことがある。
「一つ、質問してもいいかしら? ……といっても、私が喋らなくても貴方にはお見通しなのかも知れないけどね。
貴方の目的は何? 殺し合いがしたいなら、その力でさっさと私を殺してしまえば良いのに、貴方はそうしない。
貴方は……一体、何がしたいの?」
不二子の問いかけに、グリフィスの口元がにやりと歪む。
『笑う』という所作の根源は、獣が獲物に牙を剥く動作に由来するという話を、不二子はその身を持って実感する。
「素晴らしい。貴方はやはり私が見込んだ通りの方だ。私が貴方に望むこと、それは……
単刀直入に申し上げれば、私に協力して欲しいのです」
「協力……? 手下になれ、っていうの? この私に?」
「いえ、あくまで協力です。上下関係の無い対等な……ね」
「対等? 何を言ってるのよ。協力だなんだって言っておきながら、どうせ最後には始末されるんでしょ?
アンタに顎で使われて、その挙句にはいさようならだなんて、まっぴら御免よ!
それとも私自身が目当てなのかしら? それなら話は別なんだけど」
心を読まれているかもしれない、という不安と焦りに、不二子は追い詰められていた。
普段ならば決して口には出さない思案や姦計をもが、不二子の口から滑り落ちてゆく。
――この男には、チンケな小細工は通用しない。下手に動こうにもコイツの考えが読めない。それどころか逆に……
どうする? どうすればいいの!?
対するグリフィスは、不二子と対照的に静かに言葉を紡ぎだす。
「いえ、私には貴方を殺すつもりはありませんよ。私には貴方を殺しても何のメリットも無い」
「何言ってるのよ! 最後の一人になるためだったら、アンタはいずれ私を……!」
「いいえ。そんなことをする必要はないのです。冷静になれば貴方にもわかるはずですよ」
グリフィスは、極めて優しく、そう言った。
「なにしろ私はもう既に死んでいるのですから」
「……えっ?」
「私の名前……どこかで聞いた覚えはありませんか?」
「な、グリフィスなんて聞いたこと…………あっ!」
「思い出していただけたようですね。そうです。私の名前は先の放送で既に呼ばれているのですよ。
勿論、私が死者の名前を偽り騙っているわけではこざいません。貴方と違って、ね」
――思い出した。確かにグリフィスってのは、さっきの放送で呼ばれた名前だ。
私としたことが、最初に名乗った時に気付けなかったとは……
でも、一体どういうつもりなのだろうか? わざわざ死者として読み上げられたばかりの名前を名乗るだなんて。
そのうえ、自分でそのことを暴露するなんて……全く意図が読めない。
本当にこの男が幽霊の類ならば……寧ろ、その方が全てを上手く説明できるのではあるまいか?
……馬鹿な。ありえない。
でも……
不二子の思考が、オーバーヒート寸前にまで加熱してゆく。
不二子が常人よりも遥かに知恵が回ることは、自他共に認める、まごう事無き事実である。
だが、だからこそ、不二子の混乱は加速する。
不二子しか知るはずの無い事実を語る、死者の名を名乗る男。
その、不二子の理解を超えた存在そのものに対して、不二子は徐々にある感情を芽生えさせてゆく。
……恐怖を。
死霊の濡れた唇が、ゆっくりと動きだす。
「これは、少し混乱させてしまったかもしれませんね。
勿論、私は肉体的には生きていますよ。御覧の通りね。この首の装置もまだ動いている。
ですが、私は社会的には、つまりこの殺し合いゲームの上では、既に死んだと判断されているのですよ。
つまり、私はもう既にこのゲームの盤上から一歩外に踏み出している。
だから、私は貴方を殺す必要は全く無い。
もし最後に貴方と私の二人が生き残ったのなら、その時は貴方の優勝でこのゲームの幕が閉じるだけのことです」
「死んだと判断って……ギガゾンビのミスってこと?」
「いいえ。ギガゾンビ様は一切のミスなど犯しておられません。寧ろ賢明なご判断を幾つもなされておいでだ。
その一つが……私を徴用したことなのですよ」
「徴用……? それってつまり……ギガゾンビとアンタが手を組んだ、ってこと!?」
「御明察です。実は、このゲームを根底から破壊しようと目論む輩が居りましてね。
そういった不貞の輩を懲らしめる役を買って出たのが、この私だったのですよ。
そして、ギガゾンビ様は私の申し出を受け入れ、私にこの特別な役目をお与えになったのです」
――成程。それならまだ、納得できる。
この男は、ただギガゾンビの命令を遂行することだけが目的なのだ。
だから、私たちがどこで殺し合おうが、誰が最後に生き残ろうが、どうでもいいのだ。
むしろ心配なのは、その殺し合いがちゃんと行われるかどうか。
「だから、私は貴方にとって都合が良いのね。私は最後の一人になるのが望み。
その為に、参加者を殺し、不和をバラ撒いてきた実績も十分……ってワケね」
「ご理解が早くて助かります。
そして、ご理解が早い貴方ならば、貴方には私達――ギガゾンビ様に、言いたいことがあるはずですね?」
「ええ、その通り」
不二子の顔に、久方ぶりに笑顔が戻る。
「私も、貴方達の仲間に入れて下さらないかしら?」
「貴方は本当に期待を裏切らない方だ」
グリフィスも、不二子に笑みで答える。だが。
「しかし、残念ながら、今はまだ貴方の願いを聞き入れることは叶いませんね」
「あら、つれないわね。でも、“今はまだ”ってことは、いずれは考えてくれる、ってことなのかしら?
それが貴方の言う協力、ってのに関係してるのね?」
「ええ。その通りです。私にはどうしても手が離せない用件を抱えておりましてね。
ですから、貴方には他の地区の参加者同士の殺し合いを促進させて戴きたい。
具体的に言えば……C-4地区にある民家と、C-3地区にある病院。
この二箇所が、殺し合いを是としない集団の拠点となっています。
ですから、それらを何らかの形で崩壊させてやって欲しいのですよ。
無論、手段は問いません。物理的、精神的、そのどちらでも、お好きなように」
「……なによ。結局、私にも殺し合いを真面目にしろ、って言いたいわけ?」
「いえいえ、何も貴方が直接手を下す必要は有りません。結果的に人が死ねば、何でも良いのです。
それこそ、貴方のもっている爆発物でも使えば、彼らは動揺し、その結果思わぬ事態が生じるかもしれない。それだけでいいのですよ。
私は、参加者達が殺し合いを放棄して、みんなで仲良く脱出を図る……という状況を好ましく思わないのでしてね。
その為なら……限りはありますが、私の知る情報を貴方に教えてもいい。
それが、“協力”ですよ」
――やっと分かりやすくなってきた。
つまり、コイツはただの現場監督で、ゲームにおける審判のようなもの。
そして、私がルール通りにゲームをすれば、贔屓目の判定をしてくれる……って事なのだ。
「情報以外に、私に援助なんかはしてくれないの? 強力な武器とかがあると助かるんだけど」
「残念ながら、私にそこまでの権限はございません。それに、貴方はもう既に幾つも強力な武器を持っているじゃありませんか」
「あら、ホントに何でもお見通しなのね。まあいいわ。それなら、くれるって言う情報ぐらいは奮発してよね?」
「ええ、出来得る限りに」
――やっと、やっと運が向いてきた。やっぱり私の悪運も捨てたもんじゃない。
ここまで裏目ばかりだったけれど、ここに来て主催者陣営に取り入れるのは僥倖に尽きる。
ここで新たな情報を得られるだけでも私にとってはプラスだし、なにより主催サイドの人間と接触できたのは大きい。
これでコイツの言う通りに動いて適当に恩を売っておけば、後々になってからこいつらに取り入る際には絶対に役に立つ。
それに、もしもの時には、参加者をコイツに押し付けて、主催者側に駆逐してもらうのも悪くない。
脱出を図ってる連中には、こいつらの存在そのものが、私にとってのこの上ない交渉材料になり得るんだから……
その時の不二子は、浮かれていた。やっと自分の持ち味を生かせる状況になったことに、舞い上がっていた。
だが、それも長くは続かなかった。
不二子は、うっかり見てしまったのだから。
グリフィスの目を。
――!!! 見られてる……読まれてる!?
そのグリフィスの目は、先ほどと同じく深く、そして、冥い。
先ほどまでと同じく、神秘的で、吸い込まれそうで……だが、それを見て生まれる感情は唯一つ。
……恐怖。
「断っておきますが、ここで私と会い、話した内容は、一切他言無用でお願いします。
我々の存在を触れ回るのは勿論、今更になって脱出派陣営に寝返る、というのも許しません。
もし、それを破って我々に仇成すと判断された時は……貴方の首にあるそれが、貴方の罪を罰してくれるでしょう」
いつの間にかグリフィスの声は、今までとは全く違う声になっていた。
威圧感と有無を言わせぬ迫力が言葉の間から溢れ出し、不二子の心臓を握りつぶしてゆく。
不二子の心拍数が上がり、不二子の息が、乱れる。
――駄目だ。取り入るとか、利用するとか、そんな次元の話じゃない。
コイツは危険だ。これ以上関わっちゃいけない。そう私の本能が叫んでる。
今は、今はとにかく早くコイツから離れるべきだ!
「わ、分かってるわよ! それよりさっさとその“脱出派の拠点”とやらの場所を教えなさいよ!
さっさと仕事済ませてくるから、アンタはちゃんとギガゾンビに私のこと伝えておいてよ!?」
「ええ。それは貴方の働きしだいです。」
そう言って微笑むグリフィスの顔も、今の不二子にとっては凶暴な獣の威嚇にしか見えない。
――嫌だ。食べられるのは、死ぬのは嫌だ。
「コンラッド! いるか!?」
「ここにギガ~」
グリフィスの呼び声と共に、一体の土偶が姿を現す。
「コンラッド、ミス不二子を例の民家にご案内しろ。どこでもドアを使っても構わん。
その間に、出来る限りの情報を伝えて差し上げろ。無論、お前に許されている範囲内でな」
「御意ギガ~」
するとコンラッドと呼ばれた土偶は、どこからともなく巨大な一枚の扉を取り出した。
「どこでもドア~! このドアを使えば、どんなところでも一瞬で行けるギガ~。
では、まずは……って、ちょっとアンタ、人の話は最後まで~~!」
コンラッドの言葉が終わるよりも前に、不二子はドアに飛び込んでいた。
一分一秒でも早く、グリフィスの視線が届かない場所に逃げたかったからだ。
獣に追われる、兎のように。
◆
「……というワケなんだギガ。分かったギガ?」
「…………」
「ちょっと? ダマの話をちゃんと聞いてたギガ!?」
「え、ああ、御免なさい。一応聞いてたわよ。結局、あの家と病院をどうにかすればいい、ってことでしょ?」
「その通りだギガ。因みにダマの調査によれば、今あの民家にはたいした奴は居ないハズギガ。
つうことで、健闘を祈るギガ。オマエが死ぬのはダマにとっても損失ギガ~」
そう言いながら、コンラッドは再びドアを取り出して、そのドアを開ける。
しかし土偶は扉をくぐる時に、一言ぼそりと呟いた。
「オマエはダマが監視しているギガ。くれぐれもおかしなことをしないようにギガ」
コンラッドの去った後も、暫くの間不二子は思考の渦から抜け出せなかった。
――つい今しがた私が体験したことは……一体なんだったのか?
あの男が言った言葉――ギガゾンビに取り入って、私に殺し合いを助長させる――その言葉だけなら理解できる。
だが、あの男……あの男そのものについてはどうだろう。
あの男は一体何だったのか?
私の事を仔細に渡って知り尽くし、私の思考を全て読みきって……。
いや、思考をただ読んでいるだけならまだ良い。寧ろ、私の思考を完全に把握し、コントロールされたかのようにすら思えてしまう。
あの時の私は……私の思考は、感情は、果たして本当に私のものだったのか?
私の精神が、あの男に操られ、弄ばれ、捻じ曲げられていたのではないのだろうか?
――私は、これまでにいろんな化け物共を目にしてきた。
鋼鉄を切り裂く化け物。数km先の米粒を打ち抜く化け物。あらゆるものを盗み出す化け物。
残虐な殺戮人形を操る化け物に、全てを粉砕する拳を持った化け物。
だが、そんな化け物共など、恐れるには値しない。
道具は、使うものなのだから。それを恐れるなんて、ナンセンス。
ただ強さを誇るだけの猛獣なんて、飼いならしてしまえばどうということはない。
だが……あの男は道具ではなく、道具を使う側の存在だ。
今までにも、そういった側に立とうとする者は沢山いた。
だが、そのどれもがそうと気付かぬうちに私に使われ、飼いならされていった。
でも、あの男には……それが出来ない。いや、そういう問題ではない。
あれは、道具でも、獣でもない。もっと恐ろしい何かだ。
死霊。あの男は自分のことをそう例えた。
実体を持たず、人の心に入り込み、内側から食い殺すゴースト……まさに、あの男はそれだ。
歯向かえない。既に死んだ人間を殺すことなんて、出来るはずがない。
ただ、その存在を恐れ、逃げ隠れるだけ……それだけが、生きた人間に出来ることじゃないのか。
――いや……そもそも私は、本当にまだ生きているのか?
知らないうちに、あの死霊に食い殺されてしまっているんじゃないのだろうか……?
不二子の心は、グリフィスから離れた今もまだ、グリフィスに侵食され続けている。
グリフィスにつけられた傷から染み込んだ毒が、不二子の心を蝕み続けている。
そして、それはいずれ不二子の心を丸ごと飲み込んでしまう。そんな確信が、不二子にはあった。
――逃げなければいけない。
――でも、どこへ?
――どこでもいい。出来ればこの殺戮ゲームの外へ。
――でも、どうやって?
――簡単なこと。さっさとこのゲームを終わらせてしまえばいい。
――グリフィスは、確かに私に言った。“協力”だと。私を殺す理由など無いのだと。
そしてギガゾンビにしても、自分の望みどおりの働きをする者ならば、わざわざ殺す必要も無いはずだ。
ならば、私のすることは――他の参加者を殺すこと。
いいえ、何も私が手を下す必要は無い。それはグリフィスも言っていたこと。
殺し合いを、させればいい。そして、弱りきった最後の一人を、私が殺してしまえばいい。
そう、最初から考えていた、単純明快なその答えで十分だ。
そうすれば、私はあの男から逃れることが出来る。晴れて自由の身になれる。
だけど……出来るならば、早く自由になりたいものだ。
不二子は、目下に目を下ろす。木々の隙間から、何件かの民家の屋根が顔を覗かせている。
土偶の言うことが正しいならば、あの中の一軒が脱出派の拠点になっているということになる。
この殺人ゲームからの脱出。それは、あまりにも狭い道だ。
それが成功する確率など、どう考えても低すぎる。
だが、その気になってしまった頭の弱い人達がそのことに気付き、絶望するまでには、なかなかの時間がかかるだろう。
――無駄な時間だ。
そんな時間の浪費をしている間に、一人でも多くの人間を殺してくれれば、それだけこのゲームが終わるのが早まるというのに。
そんなことにも気付かず、いや、寧ろそのことから目をそらし、自分は時間が経つのをただただ隠れて待っている。
私が一刻も早くこのゲームを終わらせようと躍起になっているのに、そいつらはダラダラと時間を浪費しているだけ。
……なんて迷惑な。
そいつらがいなくなれば、私がここから逃げ出せるのも早まるというのに。
そもそもそんな受身の弱虫が最後まで生き残れるとでも考えているのだろうか?
ああ、だったら早いうちに引導を渡してあげるのも、良いかもしれない。
そいつらにとっても、真面目に殺し合いをしている人達にとっても。
不二子は自分の苛立ちと、その怒りがただの八つ当たりであることを、本当は自覚していた。
グリフィスに感じた恐怖を、他者に対する怒りで誤魔化しているだけなのだ。
だが、不二子はそれでも良いのだと考えていた。
少なくとも、グリフィスの恐怖から少しでも気が逸らせる。
そして、どっちにしろこれからする行動は同じ。ならば、すこしでも良い気分になれた方が良い。
不二子は、デイパックを開ける。
その中には、彼女が今までに掠め取ってきた、様々な道具が入っていた。
そのうちの幾つかは使い方の分からない道具ではあったが、使い道の明確な、有用な物も数多く入っている。
不二子はそのうちの一つを取り出し、それを肩に担ぐ。
――さあ、さっさと仕事を片付けるとしますか。
不二子が引き金を引くと、轟音と共にRPG-7の弾頭は、民家の一角に飛び込んでいった。
――ドオォォン
爆音が響き渡る。
だが不二子はそれにも動じず、第二、第三の砲撃を加えていく。
向こうからの反撃が無いように、煙幕弾も射出しておく。反撃で自分が死んでしまったら身も蓋も無い。
――ドオォォン
不二子の放った砲撃は、全て狙い通りの民家に着弾していった。
だが、不二子は何の達成感も得られなかった。
標的となる人間を確認したわけでもなく、ただ言われるがままに民家を砲撃しただけなのだから、当然といえば当然なのだが。
そして、すべきことを終えてしまうと、行き場の無くなった感情がまたその鎌首を擡げだす。
それは、不意に不二子の脳裏を掠めた、一つの疑問であった。
しかしその疑問の真意は、不二子を大きく動揺させる。
――これで、グリフィスは許してくれるのか?
「許す!? 何言ってるのよ! これは対等な協力関係、ただのギブ&テイクなのよ!? 私がなんであの男に許しを請わないといけないのよ!」
だが、不二子は理解している。
グリフィスと不二子との力の差を。両者の間の、力関係を。
グリフィスは主催側の人間であり、底の見えない力を持ち、不二子はそれに恐怖している。
明らかに、グリフィスが絶対的な優位に立っているのだ。
協力などといっても、実際はグリフィスが齎した情報に従って、不二子が命令を遂行しているに過ぎない。
それを不二子が是としているのは、要はグリフィスを恐れているからなのだ。
『私はこんなに役に立つんだから、殺さないでくれますよね?』
不二子の行動を意訳すれば、そう言い換えることが出来てしまうのだ。
――でも、それじゃ……私があの男のことを、逆らえないほど心底恐れてるみたいじゃないの!!
その通り。
グリフィスの命令に従ったのだって、要は彼グリフィスが怖かったから。
そして、結局不二子はグリフィスの掌の上で踊るのだ。
最後の一人になるその時まで。
「――とちゃあん!!」
――!!
懊悩する不二子の耳に、何者かの声が聞こえた。
とっさにその場に伏せて身を隠した後、不二子は声のした方向に目をやった。
もうもうと立ち込める黒煙が、風に流され少しずつ晴れてゆく。
そこには、一人の幼児が、ベソをかきながら立ち竦んでいた。
「さとちゃあん! おねぇさあん! どこ~~~!?」
子供。
一人で行きぬくことの出来ない、生きるために他者の庇護が必要な存在。
きっと、彼が探しているのは、その保護者なのだろう。
「ねぇ~~! オラはここにいるよぉ~~!? みんな、どこにいるの~~~!?」
彼は必死に誰かを探しているようだ。オロオロと。
だが、彼の呼びかけに応えるものは居ない。
恐らくは先ほどの砲撃が功を奏したのだろうが……どうやらあの子供は運がよかったようだ。
――しかし、この子供……どうする? 殺すのは簡単だろうが……
では、この子供を放っておけばどうなるのか?
この子供が誰か非道な人間に見つかり、殺されてしまうのならそれでいい。
だが、この子供が脱出派とやらに保護されればどうなるのか?
当然、この子供が死ぬ危険は大きく減る。
その上、この子供を守るために、その集団全体が危険の少ない消極的な行動をとるかもしれない。
そんなことになれば……また私がこのゲームから逃れられるまでの時間が延びてしまう。
冗談じゃない!
あんな餓鬼に、これ以上迷惑かけられてたまるものか!
不二子は、物陰から姿を現し、まっすぐに少年の下へと向かってゆく。
不二子の心には怒りが溢れていた。
一人だけでは何も出来ない弱者への怒り。
そしてその怒りは、恐怖という感情を誤魔化すための詭弁。八つ当たりだ。
それでも、不二子にとってはそれでもいいのだ。
今、グリフィスに対する恐怖を感じなくて済むのならば、何でも良かったのだ。
「坊や、誰かさがしているの?」
「え? お姉さん、だれ? そ、それよりオラはさとちゃんと魅音お姉さんを探してるんだゾ! お姉さんも手伝ってよ!」
「手伝ってあげてもいいけど……でも、お姉さん、その子達がどこに行ったのか、多分知ってる気がするなあ」
「え!? どこどこ!? みんな、どこに行っちゃったの?」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ。だって、貴方も、今から同じところに行けるんだから」
そう言って不二子は、手にした拳銃を構え、引き金に指をかける。
「さようなら。あの世ではお幸せにね」
「ダメ―――――っ!!!!!」
不二子が引き金を引く、まさにその瞬間に、一つの影が子供の前に躍り出た。
――パァン
銃声が、周囲に木霊する。
「さ、さとちゃん!」
「ご……ご無事でして? しんのすけさん」
飛び出してきたのは、これもまた小さな少女だった。
少女は少年を胸に抱えて蹲る。どうやら、少年を庇うつもりのようだ。
少女の肩の、今しがた出来たばかりの銃創から溢れた血が、服を赤く染めてゆく。
「さとちゃん、血が、血が出てる!」
「大丈夫、こんなのかすり傷ですわ。心配ございませんわよ」
それは、一目で分かる、明らかなやせ我慢だった。
少女の顔には冷や汗が浮かび、その体は震えているようにも見える。
そして、少女の足には何らかの傷の治療痕。
成程、だからこの少女には“逃げる”という選択肢が浮かばなかったのだ。
このまま身を潜められては厄介だったが、このように死にに来てくれるのは不二子にとっては有難い。
だが……ある一つの疑問が、不二子の感情を苛立たせる。
――コイツ、怖くないの? 私のことが、死ぬことが怖くないの!?
この少女は、躊躇無くこの死地に飛び出してきた。
足を怪我したこの少女では、わざわざ死にに来たのも同然だ。
しかも、それによってこの少年が助かるとも思えない。精々、僅かに死ぬのが遅れるだけだ。
だというのに、この少女は身を挺して飛び出した。
――これも、若さ……いえ、幼稚さの成せるわざ、って事なのかもね。
――でも、それなら……
――最後に、“教育”しておいてあげる。
それは、不二子が思いついた、ちょっとした“余興”だった。
向こう見ずで蛮勇を奮う子供に、最後に冷酷な現実というものを叩き込む。
不二子の感じる恐怖を、ちょっとだけおすそ分けしてあげる。
そんな、不二子の悪魔的な悪戯だった。
「フフフ、勇敢なお嬢ちゃんね。お姉さんも驚きだわ。でも、ちょっと無謀だったわね」
不二子は、銃を構えたままゆっくりと二人の下へと歩いてゆく。
「お嬢ちゃん、折角飛び出してきてくれた所で悪いんだけど、あなたのソレ……全然意味無いわよ?
だって、そうやってお嬢ちゃんがいくらその坊やを庇ったって、先にお嬢ちゃんを殺しちゃえば、無意味でしょ?
それなら、お嬢ちゃんは一人で隠れていた方が正解だったんじゃないかしら?
ほら、それなら少なくとも貴方一人だけは生き残れるワケなんだし」
不二子は、二人の子供を見下ろした。
少年を抱えて丸まった少女の背中しか見えず、その顔は窺えない。
――はてさて、どんな顔をしているのやら。
「ああ、きっとうっかり間違えちゃったのよね。
もしかしたら、何とかなるんじゃないかな、って思っちゃったのよね?
でも、残念。現実って、そんなに都合よく何とかなるものじゃないのよ?」
不二子は、自分の声が上ずってゆくのを自覚する。
――ああ、こんないたいけな子供を苛めて喜んでるなんて、私も悪人ねえ。でも、やっと調子が出てきたきがするわ。
「でも、お姉さん優しいから、一回だけチャンスをあげちゃう。
もし、お嬢ちゃんがこの坊やを助けたのが間違いでした、って自分で認められたら、お嬢ちゃんだけは助けてあげる。
そうしたら、貴方はどこかに隠れちゃえば、もう少し長生きできるかもしれないわね。
どう? ちゃんと聞いてた?」
もちろん、不二子は少女を見逃す気なんて毛頭無かった。
不二子はただ、死の恐怖に少女の理性が押しつぶされる様が見たかったのだ。
そう、自分と同じように。出来れば、自分よりも醜く。
「さとちゃん……?」
少年の不安そうな声が漏れる。
これから自分の命が私に捧げられることを理解したのだろうか。
「ほら、言って御覧なさい? 『私が間違っていました。命だけは助けてください』って」
「――れ」
「え? 何て言ったの? もっと大きい声で言ってくれないと――」
「黙れ! この悪魔め!!」
――――!!
振り向き、不二子の顔を睨みつける少女の表情は……不二子の望んでいたものではなかった。
恐怖。絶望。諦め。そんなものは微塵も感じられなかった。
それどころか、その目は、その目を見た不二子は、思わず思ってしまう。
――怖い……!
「私は間違ってなんかいない! しんのすけさんを見捨てたりもしない! 間違ってるのはお前だ! 悪魔め!!」
「ひっ……!」
不二子は、少女の気迫に押され、後ずさる。
――なんだ? これは一体何なんだ?
私は、この少女を怖がらせたかったんじゃないのか?
なのに、何だこれは? この少女は、少しも怖がってはくれないじゃないか。
それどころか、私の方が、この少女を怖がって……?
「退けっ! 悪魔めっ!!」
「だ、黙りなさい!」
――パァン
思わず、不二子は引き金を引いてしまう。
弾丸は少女の体に命中し、少女が小さなうめき声を上げる。
「さとちゃん!」
少年が悲痛な叫びを上げる。そうだ。それでいい。
「ほら、大人に生意気な口聞くとそうなるのよ? 大人しく、私の言うことを聞きなさい。
ほら、言うのよ! 『私が悪かったです。許して下さい。どうか命だけは』ってね!」
だが、少女は屈しない。
「大丈夫ですわ、しんのすけさん。私は、負けたりしない」
いや、それどころかその目には、より一層強い光が灯っている。
「私は、もう逃げたりしない。間違ったりしない!
今までは、ずっとにーにーが私を守っていてくれた。
だから、次は私の番! 私がしんのすけさんを守る番!!
しんのすけさんは、お前なんかに、絶対、絶対、指一本だって触れさせやしない!!」
「こ……こいつ……!」
思い通りにならないことに、不二子の神経が昂ぶってゆく。
怒り。苛立ち。憎しみ。焦り。迷い。……そして、恐怖。
溢れ出す感情が、不二子を飲み込んでゆく。
「あんた、自分の置かれてる立場がちゃんと分かってるの!? あんたがその子を守るだなんて……無理に決まってるでしょ!?
それじゃ、私はアンタを先に殺して、あとでゆっくりその坊やを殺してあげるから!」
「さっ、さとちゃぁん!!」
「怖がらなくても大丈夫ですわ、しんのすけさん。貴方は私が、絶対に、命に代えても」
「こ、この糞餓鬼がぁっ! なら、さっさと死になさいよおぉっ!!!!」
――パァン
銃声が響く。
――パァン、パァン
何度も、何度も。
破裂音が響くたびに、少女の体から赤い血が吹き出し、その口からは苦痛に喘ぐ声が漏れる。
だが、少女は、諦めない。
「大丈夫……しんのすけさんは、大丈夫……」
自らは苦痛に耐えながらも、必死に少年を励まし続けている。
「さ、さとちゃあん! さとちゃぁああん!!」
少年の叫びが、涙にまみれた痛々しい嗚咽が、少女の体の隙間から漏れ聞こえてくる。
それらの声が、激しく不二子を苛立たせる。
だから、不二子は焦る。早く終わらせてしまいたいから。
「死ねっ! 死ねっ! さっさと、死になさいっ!!」
――パァン、パァン、パァン……
◆
――カチン、カチン、カチン……
不二子が気が付くと、もう手にした拳銃に弾は残っていなかった。
――予備弾を含めて十二発、全て撃ち尽くしてしまったということか。私としたことが、無駄な消耗だ。
だが、まだ拳銃はもう一丁ある。
坊やを殺すのには、それで十分だ。
「さとちゃあん! お返事してよぉ! おめめを開けてよぉ、さとちゃあん!!!」
少年は、もう言葉を発しなくなった少女に向かって、必死に呼びかけを繰り返している。
少女は、この少年を守り通したのだ。命を懸けて。偉いものだ。
だけど、それも無駄に終わるのだ。
「そんなに泣くことなんて無いのよ、坊や……」
不二子は拳銃を少年に向け、照準を合わせる。
「すぐに、向こうで会えるんだから……」
そして、不二子はその指に、ゆっくりと力をかける。
――パァン
――?
不二子は、自分が銃を撃ったものだと思っていた。確かに銃声もした。
だが、目の前の光景には何の変化も無く……手にした銃の撃鉄も上がったままだ。
どういうことだ……? なら、今の銃声は……?
――パパァン、パパパァン
再び、奇妙な銃声が聞こえる。しかも、今度は何発も連続で。
そして、不二子のすぐ横の地面が爆ぜる。
――これは……違う! 私が、狙われているんだ!!
やっとそのことに気付いた不二子が振り向くと、
そこには銃を構えた一人の女が――
――いや、違う。
――あれは、人なんかじゃない。
――あれは……鬼だ。
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