46◇おはなし(序)
そして、おはなしの時間。
◆◆◆◆
おはなしの時間を設けます、そう言われた直後――――。
まばたきを一つして、目を開くとそこは廊下だった。
コンクリートの床は灰色で、中央に白のライン。
壁は上下に黒のラインが入った白壁で、等間隔に四角窓が空いている。
窓の外は雑木で遮られ、明かりは天井からの蛍光灯。それも等間隔。
少年が抱いた第一印象は、どこかの施設だ、というものだった。
蛍光灯によって照らされた廊下の奥には、洋風の大きな木扉がある。
大きな部屋があの奥にあるとすれば、
ここはおそらく――最初に集められた講義室のような場所に続く廊下だ。
「とすると……これは、夢から醒めたって、ことなのかな?」
「いえ、まだ夢の中ですよ」
後方から声がして、少年は振り向く。
長く続く廊下の、少し離れた場所に、一人の男が立っていた。
少年は水色のシャツを着たその男の姿に、目を丸くした。
見覚えのある人物だった。
「……え?」
そしてそれは、そこにいるはずがない人物だった。
……いていい人物では、なかった。だって、死んでいるはずなのだから。
銀の髪を横に撫でつけた男は、いつか聞いたものと同じ、キザな口調で話し始める。
「お久しぶりです、紆余曲折くん。
優勝……おめでとう、というべきなんですかね……」
「……えっと……すいません、……まさかあなたが、“主催”?」
「いいえ、違います」
「でも……じゃあなんで――いや……そういえば……」
そういえば。
と少年はその人物が死んだ瞬間のことを思い出す。
そういえば、あのとき、爆発音は聞いたけれど。
死体は確認、してなかった。
この人の死体は、禁止エリアへ飛んで行って、車の向こうに、落ちたから。
「じゃあ……まさか、爆発が……」
「ええ、フェイクだったんですよ」
男は少年の解答を先回りする。
「あのときボクの首輪は確かに爆発したけれど、それはボクを殺すようなものではなかった。
爆発音が大きく聞こえたのは、内蔵スピーカーによるもの、だそうです。
そしてボクは、……「先手必勝」は、“文字だけ死亡扱いになって”、あの場から退場させられた」
そしてここにいる。
ここに、ずっといたのだと。
あの悪夢の娯楽施設にて「先手必勝」の名を与えられていた男は、早口にそう言った。
爆発した、という首輪は、彼の首からはすでに外されている。
代わりに首輪が巻かれていた首筋の一部分に、ケロイドじみた焼け跡がある。
どうやら首輪は、“実演”した焼肉定食のもの以外は、
一部だけが小爆発するものだったようだ。
男の容姿をさらに見れば、
死ぬ前にかけていた銀縁のメガネは、今は外した状態になっている。
娯楽施設に置いてくる形になってしまったのか? 聞くと、どうやらその通りだった。
「あのメガネが、ボクの遺品ということになるんでしょうね」
「……遺品、って……あなたはまだ、生きてるじゃないですか」
「いいえ、死んだんですよ。「先手必勝」はあそこで。生きているのは紆余曲折くん、君だけです」
「リョーコさんみたいなことを言わないでください……大体、」
「一刀両断に会いたいですか?」
「……は?」
また唐突に、銀髪の男は言った。
「会えますよ。あの扉の向こうに、彼女は居ます」
「何を」
「ボクと違って、死体は確認した、ですよね。ええ。分かります。
でも、居ます。一刀両断はあの向こうにね。そして、主催も。
脱落し、落ちのびてここにいるボクの役目は……あの扉の向こうまでのエスコート。
ちょっとしたサプライズ用の、案内役……ボクはそれだけの存在、というわけです。
最後に登場する奴に先手必勝なんて名前が付いていたなんて、まったく笑えませんけどね……」
「……すいません。把握が追いつきません、というかそもそも、」
「首輪をそんな仕様にする意味が分からない、ですか?」
先手必勝だった男は、そこだけは与えられた文字通りに、
常に少年の思考を先回りしたかのような言葉や問いかけを少年に投げた。
先手を打たれて二の句を継ぐタイミングを外された少年を前に、男はさらに先回りをする。
少年のほうへと近づいて、その首にまだ嵌まっている銀の首輪に手を伸ばしながら、言葉をこぼす。
「そうですね。そうでしょう。普通に爆発するように作ればいいものを、どうしてそうしたのか。
普通に考えたら分かりませんよね。ボクだって分かりませんでした。
あんなお別れまでしておいて生き残らされて……恥さらしにもほどがあるって話だ。
でもね、それは前提からして間違っている思考なんです。守られたのはボクの命じゃない。
単純な別解。
主催者の側に立ってみれば、すぐ分かることだったんです。
先手を打って、言っておきましょう。答えは……首輪が“参加者”を管理するものだから、です」
「……?」
「いえ……違いますね。どちらかといえば」
こちらに近寄ってくる男の手に。鍵、のような形状のものが、握られていた。
その鍵が、いまだ状況把握に手間取っている少年の首輪に触れると、
首輪は首の左側からぱきりと開いて、半円孤二つが連結したものになった。
見栄えの悪い「3」か「ω」のような状態になったその筒状物体を掴んで、
その裏側――首に触れていた部分に、さらに男は鍵のようなものを当てる。
するとさらに筒がズレて、中身が露出した……いや、開かれて、落ちてきた……。
「首輪それ自体が」
首輪の筒の中に入っていたのは、
「実験の“参加者”の、本体だからです……と言った方が、近いんでしょうね」
「……!!」
丸められた、紙だった。
男は紙を開く。
四角い紙を、巻物を垂らすようにゆっくりと開く。
そこに書かれていた文字は――「紆余曲折」。
虹色の文字で描かれた……本当に最初の最初に少年が見た、文字紙だった。
「それ、……!」
「これが、“君”です。大事に持っておいてください」
男は少年に文字紙を押し付けると、扉へ向かってすたすたと歩き出した。
少年は受け取った紙を見つめて、四秒間ほど停止した。
・
・
・
・
逃げではない。
頭の中で色々な問いと回答が砂嵐のように廻った結果、動くことができなかったのだ。
首輪。の中に、四字熟語。紆余曲折。首輪。文字紙。
七色のインク。世界の規則を揺るがすルール能力。首輪の中に。首。脊髄。脳。
ルール能力を使っていたのは。
そう、これは実験。ここは夢の中。その中に、脱出しても爆発しない首輪。
(そうだ)
少年は後追いで組み上がっていく論理パズルに操られるように脳内で声を出す。
(奇々怪々はこれは実験だと言った。そして実験には、「観測するもの」が必須だ。
モニターで観測できるのは外部の情報だけ。対象の内部を観測するものは……
実験対象の近くになければいけない。それが首輪だったんだ。
ルール能力も通じないほどに首輪が頑丈に守られていたのも、
主催や
殺し合いに反抗しても脱出してしまっても首輪が爆発しなかったのも、
首輪が壊れてしまうことが一番ダメなことだったなら納得できる。
傍若無人が首輪を集めていたのだって、首輪については言及できなかったのだって、
首輪が最重要アイテムかつ最機密アイテムだったのなら、より筋が通りやすくなる。
ルール能力が使い手が死んでもしばらく残っていたのも、
そもそもルール能力が僕たちではなく、首輪から発生していたのなら、理由がついてしまう……)
「来ないんですか」と、その場で止まっていた少年に男が発破をかける。
考えに俯いていた少年はその言葉に打たれて慌てて銀髪の男の方へ歩き出す。
顔を上げて前を向くと、突き当たりにある洋風の大扉に再び視線が向いた。
(そうだ、扉。……まだその先は未知だった)
新たな情報で塗りつぶされかけていたが――他にも考えなければいけないことはあった。
あの扉の向こうには何が居ると、先ほど男は言った?
少年にとって、最も重要な情報を漏らしていたのではなかったか?
首輪の真実は明かされた。だがそれらについては、まだ不透明なままだ。
一刀両断がいる、などと言った意味も、男が自らをもう死んでいると称した意味も分からないまま。
少年は早足で男に追いつくと、ひと息を整えてから刺すような声で尋ねる。
「……色々なことに、今、説明がつきましたが、」
「まだ分からないことのほうが多いでしょう?」
「……っ」
問いかけにはまた先手の回答。その間にも早足で廊下は歩かれて、
もともとそう長くはなかった扉との距離がぐんぐん縮まっているのに、少年は気付く余地が無かった。
「でも、ボクは結局、エスコート役。ボクから得られるものは、多くは望めません。
どうせ扉の向こうには、全てを知る者がいるんです。そちらに聞いてみればどうでしょう」
あるいは、扉をくぐる前に推理してみても面白いでしょうね。どちらを選ぶかは君に任せます」
たたたたたたんと勢いよく歩いていた男の足は、
そこまで言い切ると扉の直前で、ピタリ、と止まる。
「ボクは。この扉の向こうには行きたくないので、ここで、終わりです」
「っ、行きたく……ない?」
急な停止に危うく追い抜きかけて、振り返るように少年は男を見る。
「行きたく、ないって……なんで、」
「……」
「え?」
眼に入ってきたのは、やや下を向き、
諦めと寂しさを残してほかを全て失ったような目をした銀髪の男の姿だった。
その瞳を覗いた少年は、推理してしまう。
これもまた、ヒントなのだと、気づいてしまう。
迂回の思考回路を焼き切って直接推測が脳にまわる。
扉の前で意味深に止まった男。「行きたくない」は、「会いたくない」、だろう。
一刀両断が扉の奥に居ると男は言った。では一刀両断に「会いたくない」、だろうか?
違うはずだ。確かに先手必勝が戦いに敗れて死んだのは一刀両断の乱入の影響が大きかったが、
短い中で感じた先手必勝の印象からして、彼はずいぶん論理的で負けず嫌いだ。
負けた相手に会うのが怖いだとか、みじめだとかの、逃げの感情を持つとはあまり思えなかった。
では同じく扉の奥で待っている主催に「会いたくない」? こちらはありうる。
なにしろ殺し合いの首謀者で、そしてきっと底の知れない超越的な存在であろう。
いくら負けず嫌いといっても、人間の範囲の話だ。絶対的なものの前では人は竦み上るしかない。
男が主催を怖がり、会いたくないと思っている可能性は否定できない。
だがしかしそれも何か違うと少年は思った。
男の目が、どこか懺悔をしているようなその目が、主催に向けられたものだとは少年には思えなかった。
では例えばその目が「ごめんなさい」だとしたら。
誰に向けての、「ごめんなさい」?
心当たりは、あった。
「……分かりました」
「分かりましたか」
「はい。何が起きているのかは、大体。
そしてそれを理解するためには、扉を開けないといけないってことが、分かりました」
臆病思考を振り払って、少年は扉の取っ手に手をかけた。
「さすが、いい察しの早さですね」
「褒められるような話じゃないですよ。場合によっては、
あなたが会いたくないその人にひどいこともするかもしれないですし、
それでも何も出来ずに終わるかもしれない。そっちの可能性のほうが、むしろ高いです」
「いいんですよ」
銀髪の男は、卑屈にも聞こえる言葉を吐いた少年の肩を、ぽんと叩いた。
そして、いつか自分が掛けられた言葉を、今度は自分から掛けた。
「ダメだったら、次の作戦を考えればいい。
君は優勝した。“負けたボクと違って”、実験からの解放を約束された存在だ。
今、全世界で君以上に、主催と対等な存在は居ない。驕らず、焦らず、無理せず戦って下さい」
「……!」
「だから――頼みましたよ」
少年は扉を押し込みながら、
最後の最後に一つ気付いて後ろを振り返ろうとした。
だけどその動作よりも、男が少年を扉の奥へと押し込む動きの方が早かった。
少年は、男の顔を見れなかった。
負けたがゆえに、実験からいつまでも解放されない、
永久凍土の中の化石のような、
永久の冷たい夢の中へ閉じ込められた男の姿を眼に焼き付けることは、ぎりぎりで叶わなかった。
・
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その代わり、広がった視界の先は。
扉が閉じる音と共に、少年が見た光景は。
・
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・
「“こんにちは”。いや、“こんばんは”?
少なくとも、まだ夢から醒めていないから“おはよう”じゃないね――」
そこは、大学の講義部屋のようなところだった。ただし机はなくて、イスがある。
何もない白い空間の中、前方のステージに大きなイスがひとつあった。
その上にちょこんと、椅子の大きさに不釣り合いな小ささで、
白衣を着たちょっと地味目な女の人が座っている。
奇々怪々ではない。もっと毒気が少なくて、装飾品も何もなくて、
髪もぼさぼさではないし、体格も小さい、いたって普通の女の人だった。
「はじめまして、は微妙にニアイコールって感じだけど……とりあえずはそれでいいかな?」
超然とした何かを想定していた少年からすると軽く拍子抜けなくらい、
外見は普通に見えるその少女めいた女性は、ほほえむ。
それはどこか人間味を欠いているような表情であるように、少年には思えた。
「ともかく、待ってたよ。さあ、おはなしをしよう。楽しい、おはなしを。
ああ、君と話すのを、ずっと前から楽しみにしていたような気さえするなあ……
対等な会話は、久しぶりなんだ。他の実験仲間は慕ってしかくれないし、“ひとりあそび”は楽しくないしね」
だって。
こんな状況で、どうして笑えるんだ。
椅子に座る彼女の周りに、「居る」のに。
すでに死んだはずの人が――人たちが、幽鬼めいた無表情で、部屋の中に、「居る」のに。
傍若無人が。
優柔不断が。切磋琢磨が。
東奔西走が。青息吐息が。鏡花水月が。破顔一笑が。
洒々落々が。先手必勝が。
軽妙洒脱が。一望千里が。心機一転が。猪突猛進が。
一刀両断が。
実験で死んだはずの十四人が。
しかも先ほど外にいたはずの先手必勝まで含めて。
人形みたいな表情で、人形みたいに動かずに。
あるモノは床に倒れあるモノはだらんと腰を床につけて座り
あるモノはぐちゃぐちゃの体勢で放置され、あるモノは棒立ちでポーズを取って。
人形みたいに扱われ、人形みたいに置かれているのに。
その真っ只中に、
その中心に彼女は、それが当たり前であるかのように座っている。いた。
おもちゃ箱をひっくり返してあそぶ、王様気取りの子供のようにだ。
人間。人形。おもちゃ。文字。遊ぶ、娯楽。……娯楽施設。
「あたしの名前は、「天飼千世」。
文字を愛して文字になった、最初の幻想言語学者。
ようこそ、あたしの部屋(りょういき)へ。歓迎するよ、紆余曲折(ゆうしょうしゃ)くん」
「――ッ!!」
少年は手を後ろに回し、扉に張り付くくらい、その場から後ろに下がった。
分かってしまったのだ。比喩でもなんでもなく。
目の前の彼女は、人ではない「べつのそんざい」で。
娯楽施設は、実験は、彼女のための娯楽でもあるのだと、理解できてしまったからだ。
「ああ……予想はしてたけど予想以上だった?」
分かりやすい顔をしていただろう少年を優しい目で見て、主催の女性は言った。
「うん。うんうん。驚いてるけれど、それは目の前の光景、状態に対してだけで、
死んだはずのキャラクター(文字)がここに揃っている状況は予測していたってところかな?
君ならきっと内心は、そのくらいのリアクションだと思うんだよね。
でもまあ、びっくりして、退いちゃうよね。そりゃあそうだ。
落ちつくまで待ってもいいけど……どうだろう。そろそろ会話をしてくれると、嬉しいんだけど?」
「……、……ッ」
「あれ? 思ったよりショックうけてるのかな? うーん、でも、そっか。
他はともかく、ここには君が殺した文字も、「居る」ものね。当然、一刀両断も。
さっき別れたばかりの相手とこんな形で再会ってのは……予想出来てても辛いものがあるか。
じゃあちょっと、サービスしてあげよっかな。時系列、も最後の最後に合わせたげるよ」
指鳴らしぱちり。
狭くない部屋にも響くような音が広がると、床に垂直に立っていたポニーテールのジャージ女が、
少年の知るところの一刀両断が、瞳に朱い光を灯らせて、がたたんと静止状態を崩すように動いた。
彼女は表情は変えないまますぐに自分の両手を見て、次に周りの風景を見る。
そして一瞬のうちに現況を把握したらしい。
眉間にしわをよせ、口の端を引きつらせて困ったような表情をした。
一刀両断のそれは、やってくれたな、という感じの表情であることが、少年には分かっていた。
だから少年はそこまで察すると、そこでようやく、言葉を発することに成功した。
「リョーコ、さ、ん……」
「……」
呼びかけにはいろいろな想いが含有されていた。
例えばあれだけ思い切り今生の別れみたいなことをやっておいて、
こんな速攻かつ異常な状態で再会だなんておいおい、みたいな気持ち。
その次に、これは、先手必勝と同じ気持ちなのだろうか、
彼もまた青息吐息と同じように会ってしまって同じようにこんな気持ちになったのだろうか、
という思いがやってきたし、多分そうなのだろうという肯定も同時に襲って来ていた。
でも初期感情の最初の10%くらいがそれだとしたら
そのあと70%くらいは「また会えてよかった」だった。
この先絶対に無い、それこそ地獄にでも落ちた時くらいにしかないと思っていた再会に遭遇してしまったのだから、
半信半疑で扉を開いた先に見覚えのあるポニーテールがあって、
それが見覚えのある赤いジャージを着た見覚えのある顔の人のしている見覚えのある髪型だと確認したその瞬間に、
驚きとか恐怖とか疑いとかの否定感情をどこかへ吹っ飛ばして感動とかそのへんのわっとくる思いが
紆余曲折の少年の脳地図を埋め尽くしてしまっていたのは確認するまでもない事実だったし、
人形のように動かなかったその身体が動かされて命のようなものが宿ったように見えた
その瞬間には思わず、安堵、のようなものを覚えてしまっていたのも確かだ。
もちろん残り20%で後追いで冷静に状況を把握しようとも努めていた、
だが少年は無意識的にそれを脇に置いた。
ありえないだとか罠だとか、まず思い通りの結果にはならないだろうとか、
そういう思考がきっと正解だということは脳のどこかで分かっていた、分かっていたけれど望んでしまう。
ただ「紆余」と、死ぬ前のあのときの最後に笑いあったように呟く言葉が聞きたくて、
聞いておきたくて聞いて何かを得たくて聞いて安心したくて、少年は呼びかけた。
「リョーコ……さん?」
呼びかけて、しまった。呼びかけて、しまったのだった。
「……」
「ふふ」
「……」
「ねぇ。答えてあげなよ、一刀両断。
知ってるでしょう? あそこにいるのは、君が惚れこんだ男だよ」
少年の呼びかけを見て、「天飼千世」は嬉しそうに、一刀両断へと語りかける。
一刀両断は、困ったような表情を崩さないままに、「天飼千世」のほうを見ると力の限り睨んだ。
・
・
・
・
何秒ほど睨んでいただろう、一刀両断は無言で首を下に振った。
一瞬それは肯定の頷きにも見えたけれど、少年が見た限りでは違った。
珍しいことだが、本当に始めて見たんじゃないかと思うのだが、一刀両断は迷うような表情で俯いたのだ。
迷ったのだ。うつむいて、どうすればいいのか、考え始めたのだ。
そしてすぐ、そこはやはり彼女に与えられた文字通りに瞬時に決意をしたようで、
主催を睨んでいた時間より明らかに短い思考時間のあと、一刀両断は少年の方を見て、
少年と目を合わせた。
「……」
「……」
そこまで時間を置いたから、少年の方も少しはもう、望みを捨てられていた。
こちらを向いた一刀両断が、これも初めて見たかのように泣きそうな表情をしていたので、
捨ててもいっぱい残っていた望みをさらにかいつまんで捨てた。
そしてさらに、軽く眼をつむりながら一刀両断が「うん」と頷いてそのあと、
象徴的に、首を横に振ったとき、
眉を八の字にしながら、ふるふる、と振って「ノー」を表した時にはもう、
捨てたあと残っていた中からかいつまんで捨てたあと、それでも残っていた願望を、
あり過ぎたそれを、極限まで減らしていた。
ああ、きっと望んだようなことにはならないのだと。
減らし切ってもう大丈夫だと思ったところに、不意打ちの言葉だった。
「はじめまして、“紆余曲折”」
と、彼女は言った。
「あたしは、“一刀両断”だ。“あたし”が、その、なんだ……世話に、なったな」
・
・
・
・
「 」
少年は、その言葉を呪わずにはいられなかった。
――「紆余」でもなく、「よぉ、」でもない、
――「久しぶり」でもなければ、「すまねーな」でもない、
――「なんだよ変な顔して」でもないし、「ああ、まいったな」でも、「ちくしょう」でも、
――なんならあって欲しかった、ひどい想像だろうとそれなら受け止められた、「誰?」でもなかった。
はじめまして。
あたしが、世話になったな。
だった。
「いまの回答の通りだ。お前の知るあたしは、もう死んだ。
ここにいるこのあたしは、
そのあたしを元にして人格を付加された、“四字熟語”の一刀両断。
リョーコさんじゃ、ない――擬似的な文字じゃない、本物の文字になった、存在だ」
「そして……これを作り出すことこそが、
この実験のふたつめの目的だったってことだ」、と。
最初の文字とたくさんの人の形をした文字とひとつの悲しげな作られた文字と
たったひとりの人間だけがいる部屋の中で、一刀両断は、吐き捨てるように、呟いた。
その風景をにやけながら見ていた「天飼千世」は、そっと補足する言葉を置く。
「ちなみに。この実験の目的は、今彼女が言ってくれたものを含めて、主に“4つ”ある。
データ収拾がひとつ。四字熟語の形成がひとつ。
そして、因果の調整と……その収束による“勇者”の裁定。
おはなしは。それを今から、君に教えようってことなんだよ、紆余曲折くん。
反応を見てあたしが楽しむから、早く君も席に付こう? テーブルとイスは、今出すよ」
再度、主催は指を鳴らす。
一刀両断の目から朱色の光が消えてその動作が止まる。床に顔から崩れ落ちる。
同時に部屋の中央に小さなテーブル。少年の前に大仰なイスが出現する。
「君に君の名前を返すのは、そのあとだ。
さあ、座って。聞いてくれるだけだって構わない。欲しい理由を、全てあげる。
君たちを殺し合わせた文字が、なぜそうしたのか、
疑問に思っていることすべて、あたしが語る……種明かしの、時間だよ」
「そんなものいらないからあなたを殺すと言ったら?」
メインディッシュを前に主催が舌なめずりして少年を手招き口招きした、その時だった。
初めて少年が主催に言葉を返した。
返しながら少年は、右手を地面に平行な高さまで上げて、真っ直ぐに伸ばしていた。
その手には、黒い物体、
物体としか表現できないへんてこな形のものが握られている。
へんてこなそれは上側がまるで爆発したかのように裂けていて、そのくせ持ち手があって、
どこか銃みたいな形をしていて、しかし銃の機能はとても果たせないように見えた。
そう、
それは、少年が優柔不断を殺す際に使用した拳銃のなれのはて。
“リョーコさん”がしっかり回収し、そして最期の時に“紆余”に返したモノ。
「百発百中」の銘が入ったそれを少年は、「天飼千世」へと真っ直ぐ向けていた。
「僕は。僕は……あなたとおはなししに来たんじゃない、
あなたと戦いに来たんだ。あなたを」
「……」
「殺しにきたんだ」
「……《百発百中》。服の下に隠してたんだ」
「天飼さん。あなたは――生きているべきでは、ない」
少年はまじりけのない本音を撃ちこむ。
こいつは生きているべきではないというのが、少年の回答で、感情だった。
怒りは薄い。向ける感情は諦めが一番近かった。
目の前の存在は、人間ではなく、文字なのだ。
人間を文字へと変えてしまう、恐るべき化け物だったのだ。
人を拉致して殺し合わせ、
殺し合わされる人間が必死にもがく姿を笑いながら、
生き様だけを盗んで、自分の手元に置いた文字人形に降ろして遊んでいるような、そんな存在だったのだ。
充分だった。
目の前のそれが「べつのなにか」で、そこに対話の余地などないことは、もう十二分に分かった。
決断は、もうした。
そんな少年の言葉と行動に、「天飼千世」は呆れ顔をする。
「じゃあ撃ってみればいいよ」
「……」
「撃ってみれば、いいよ。その銃身のない銃でも、銘が砕けていないなら《百発百中》は機能する。
君に支給していた「鎧袖一触」の盾は文字部分を真っ二つにされて文字を失ったけれど、
あたしが見るにその銃はまだ、あたしの心臓を確実に貫くに十分な条件(ルール)が添加されている」
「……それは、挑発ですか」
「試験の申し込みだよ、紆余くん。きみが、人間が、あたしを。
文字を殺せるかの試験だ。まあ、合格か不合格か、
その結果をあたしはもう、知っているかもだから……試験するのは、君だけど」
「……」
「撃てないなんてことはないでしょう? 君はそれを乗り越えてここに来たんだから。
殺せるようになったから、殺しに来たんだから。だから、殺してみればいい。引き金を引くだけの簡単な作業」
「……」
「あたしは逃げも隠れも防御も、反撃もしないよ」
挑発的に主催は両手を挙げた。少年はごくりと唾を呑む。
――これで殺せるとは思えない。余裕綽々かつ挑発的な態度がなによりの証拠だ。
そもそもルール能力を通さない首輪を作れる主催側に《百発百中》の銃は、気休めでしかない。
それでも、この一撃でなにかが掴めれば。糸口の一つでも見つかれば。
「……分かりました。死んで、ください」
少年は引き金を引いた。
用語解説
【文字紙】
すべての参加者がこれを見てしまうことで実験に参加となった、
虹色のインクで文字が描かれた紙。
これこそが、ルール能力を発している存在だった。
最終更新:2015年03月15日 02:33