とある境界警備の兵隊さんの話。 後編

※ やっぱり軽く流血表現です。

※ フィロパパまともに出たのこれが二回目なんですけど、威厳って何処だ。


 再生や起き上がる隙はおろか、声さえも上げることを許されず、更にその身体は蒼い血を撒き散らして裁断されて行き──レッサーデーモンたちと同様に限界する力を喪い霧散していった。

「──其処のご婦人、ご無事ですか」

 場違いなほどに涼やかな声音が、自分の安否を尋ねてくる。答えるより早く、反射的に視線が声の主に向いていた。部下たちや、レッサーデーモンも突然の闖入者に驚いた様子だ。
 そして、一度目を向けてしまうと引き剥がせない。まるで、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。戦場のすべてが一瞬静止したように静かになる。
 どうして、こんなにも存在感のある相手に声をかけられるまで気づかなかったのか。不思議でならない。グレーターデーモンが湧き出てきたのかと、思った。それくらいの、圧倒的な重圧感。寒気が止まらない。

 何時の間にか自分の直ぐ傍に、大きな力を持った"何か"が立っていた。

 少なくとも外見はほぼ人の形をしている──そう見えた。英雄譚の挿絵を想起させる、非人間的なまでに整った美貌。弱弱しさのない精悍と清冽が同居する玲瓏たる面差しとバランスよく鍛えられた長身。
 全身が煌らかな虹で彩られたかのような夢か幻めいた、三十前ほどの見目の男だった。
 虹色のうつくしい髪をしたアルコ・イリスの街妖精という奴を見たことがあるが、色彩は多少似ていてもあの儚くやさしい生き物とはとても比べることが出来ない。
 膨大な力を持った図り難い慮外の"何者か"を、人間という器に無理矢理押し込めたらこういう風になるのではないか、目の前に居るのはそう思わせる存在だった。
 蛋白石(オパール)を細い糸にして紡いだような遊色の長い髪を背でゆったりと括り、足元近くまで流している。服装は古風な貴人を思わせるゆったりした白基調の衣服。袖から覗く白い手を小さく振ると僅かに青黒い雫が飛び、その端から青色が消えうせていく。──つまり、先刻ミドルデーモンに一切の抵抗を許さず切り刻んだのは、この男だ。素手でデーモンを寸刻みにするなどなどまともな人間ではありえない。
 左の瞳だけがひとがましく透き通る青色をしているが、右の眼はそもそも人間の形をしていなかった。縦長の細い瞳孔、宝石細工のような虹彩。遠目にも吸い込まれてしまいそうに見えるのは、それ自体が強烈な霊性を帯びているからだろう。
 以前に似た瞳を見たことがあったと思い出す。確か、以前──議会の命で『特区』から来たとそう言っていた黒髪の少年がこんな目を、していた。だが、あの時の少年の目とは比べ物にならない。
 宝石が台座によってはまるで輝き方を変えるように、男の右眼はこれがこの目の本来の在り方なのだと思わせる、異様なほどの力があった。

 あの時の少年と関係があるのだろうか? ならば『特区』の者か。地下勤めの境界警備職につくものは、接触する可能性の高さから『特区』がどういう場所であるのか──その真実を守秘義務と共に議会から知らされている。
 彼ら『特区』の住人はアルコ・イリスへの協力義務を持つ。それゆえ、ダンジョンの境界を守るこの場所の人手が足りない時、派遣されてくることもあるのだ。
 だがまだ確定したわけではない。敵ではないと思いたいが、安易に信用も出来ない。

「誰、だ……?」

 声を絞り出すようにして尋ねれば、男は安心したようにひとつ息を吐く。

「ああ、お話できるくらいには無事ですね。──私はエラバガルス。貴方がたの味方です」

 援軍ですよ、と微笑みながら、いち早く硬直から復帰し、本能的に男を敵と察したのか襲い掛かってきたレッサーデーモンの頭蓋を抜き手であっさりと貫いてみせる。
 同時に反対の手が宙空に精緻な呪紋を描きあげたかと思うと、自分の腹からじくじくと続いていた痛みが引いていく。出血が止まり、肉が盛り上がって──皮膚が元通りに張り巡らされている。
 傷を確かめてから驚いて顔を上げれば、部下たちも同じようにきれいに傷が消えたことに驚愕しているようだった。ゾランが立ち上がるのと、意識の戻ったハリエッタ、その無事に涙ぐむクレシュの姿が見える。
 自分たちの様子に小さく顎を引いてから、エラバガルスと──この名前何処かで聞いたことが歩きがするのだが思い出せない──そう名乗った男は、相変わらずデーモン湧き出す昇降点を眺め、鬱陶しそうに眉根を寄せた。

「"災厄門"というのは本当に厄介ですね。一体ずつ沈めていくのでは埒が明きませんか。何しろ数だけは多いのだから。吾子が留守で、よかったかもしれません」

 そう独りごちた後、男は未だ溢れかえるデーモンら──最早目の前の男に挑もうという恐れ知らずはいない様子だ──を一瞥。

「『還りなさい』」

 古代語ではあったが、詠唱というには余りに短い一言だけでエラバガルスは戦場を一変させた。
 男を中心として、辺りに広がる虹色の極光、としか表現できない波動。その輝く虹色に触れた端から、悪魔どもの身体がほどけていく。ほろほろと、指先が触れた砂糖菓子が崩れるようなあっけなさで、消失していく。
 逃げようにも光はあっという間に一帯を満たしてしまった。自分たちは光に触れてもなんともない。だが、レッサーデーモンにとっては、この光に触れることは致命傷となるようだった。瞬きほどの時間で、雲霞の如く群れていたレッサーデーモン、我々に死を覚悟させ、数の暴力で圧倒し続けた怪物は──欠片も残さず消し去られていった。
 法術の"死人還し(ターンアンデッド)"と似た術式だが、構成の緻密さと迸る力の膨大さは自分の理解できる範囲を超え過ぎている。
 塔の導師ですらここまであっさりとレッサーデーモンを消去できはすまい。自分と部下たちは目を見張る──否、虚勢は止めよう。最早指一本動かせず慄くばかりだ。敵でないことに感謝するしかない。こんなものとは戦いにならない。

「完全に適合する器を得て受肉したなら兎も角。所詮、このプレーンでの彼らの身体は概ね魔素を媒介に生み出した紛い物にすぎませんからね。解体(バラ)して根源に還しておきました。これで暫くは安全です」

 やがて可視範囲からひとまず悪魔の姿が掃討され、いなくなったことを確かめると、エラバガルスは自分たちの方を見遣り、小さく礼した。

「貴方がたの奮闘は無駄ではありませんでしたよ。皆さんの稼いだ時間が、私をここに呼んだ。私は貴方がたの働きに報いているまで。あとは詰め所で待機していてください。──これから、"門"を破壊してきます」

「……あ、ああ」

 男は決して馬鹿にしている様子はなく、心から言葉通りに思っているらしい様子だった。何処までも真面目な表情と声色。だが、あの一方的な蹂躙を見た後では小さくうなずくのが精一杯だ。手伝おうにも邪魔にしかなるまいと解かるから、このまま送り出すほかない。部下たちも恐らく同じ気持ちだろう。

「それでは、これから下に降りますけど──見ていないほうがいいですよ?」

 どういうことかと問う間もなかった。ひょい、と実に軽い仕草で男は結界を越えて昇降点である穴へと飛び込んでいく。
 この場にいたレッサーデーモンどもが掻き消え明らかになった穴の下には、今だデーモンどもが大量に、おぞましいほどの密度でうごめいている。
 そんな中に飛び込んでも平気なのか──先程の戦いにもならなかった様子を見るに平気だろうに、それでも自分も部下たちもつい、下を覗き込んでしまって後悔した。

 特に身構えるでもなく自然体で落下していく男の身体から虹色のヴェールが剥がれ落ちる。はらはらと光の薄片が舞う中で、見る間にその姿は輪郭からして別物へと変じていく。
 誰もが言葉を喪う。魂を掴むような、畏怖すべき美しさと恐ろしさを兼ね備えた姿だった。
 燦然と煌く幾万幾億色とりどりの宝石めいた鱗と鬣が鎧う虹色の巨躯。四肢はどこまでも強靭で、長くしなる首と尾は何処までも優美。剣など及びもつかぬだろう鋭い爪と牙、角。鋭角的な線で構成されたその姿は蜥蜴に似ていながら、比べ物にならない神々しさと力強さに満ち満ちている。風を大きく切る虹鱗が羽根の代わりに連なる特異な翼は、ただの爬虫類には持ちえまい。炯々と光る万色の右眼だけが、大きさこそ違っていたが男が人の姿をとっていたときからそう変わらないもの。狭苦しい器から開放されたことを喜ぶかのように身を震わせた威容は、うっすらと淡い虹色の光を纏っている。それは先程男が行使してみせた、あの輝きに良く似ていた。

 ドラゴン──!!

 そう叫んだのは誰だったか。だが、この場全員の心に、幻想種の王たる神獣の名が浮かんだのは確かだった。
 同時に全てが腑に落ちる。あの違和感も重圧感も、圧倒的な力も。エラバガルスと名乗った彼がドラゴンだというのなら、なにもおかしいことはない。
 竜種は例えば下位のレッサードラゴンであってさえ、人知の及ばぬ怪物だ。エルダーともなればグレーターデーモンをも凌駕するという。レッサーなど鼻歌交じりに片付けられる雑魚でしかないのだろう。恐ろしいことに。
 しかも、だ。この圧迫感(プレッシャー)。かつて、エルダードラゴン討伐部隊の後始末に借り出された折──当然ながらその部隊は全滅で我々がしたのは万一の生き残りを形式だけでも捜索することだった──"竜"という生き物を遠目に見かけたことがあるが、近いということを差し引いても、エラバガルスの方が恐ろしい。あの時自分が見かけたのがエルダードラゴンであったと仮定するならば──それよりも位の高い竜だということになる。
 遠ざかっていくばかりだというのにまともに見ているとそれだけで心が折られそうになって、どうにか視線を階下からもぎはなした。
 先刻の竜の忠告に素直に従っておくべきだろう。どれ程数がいようとレッサーデーモンなど、あのドラゴンには有象無象にすぎまい。"門"は間違いなく破壊される。行く末を見ずとも確信があった。

「……そう、か。あれが『特区』の長か……」

 部下たちには聞こえぬように小さく呟きながら、自分は止まってくれない冷や汗を必死にぬぐう。漸く思い出す。エラバガルスという名前を何処で聞いたか。
 『特区』の長。かつて、黎明期のアルコ・イリス議会と盟約を交わしてこの遺跡の一角に住むようになった穏健な魔物たちを束ねるという古代竜。
 そして、以前長の代理人だと名乗ったフィロスタイン少年と同じ片目をしていることから考えても──先程の男こそが真実、『特区』の頂点に立つものなのだろう。

「なんたる化け物を送ってきやがる……いや、一番早く動かせる札を切ってくれたと、感謝するべきか」

 下手に軍を動かしたり人材を集めるより、一番中継点に近い『特区』から援軍を動かしたほうが確かに早い。それにしたってまさかエンシェントドラゴンを動かしてくるなどは予想もしていなかったが。
 部下たちになんと説明するべきか。物凄く悩ましかったが、片手で顔を覆いつつも、どうにか平静を取り戻す。自分の心から漣が消えるのを待ってから手を下ろした。そして部下たちを見遣る。

「おい、手前ら意識は確りしているか?」

 傷に関しては先程治されるところを見ていたから心配はしていない。どちらかというと、自分たちの理解の範疇を超える大きなものを見てしまったことへのトラウマの方が怖い。
 ぼんやりしているもの、震えているもの、中々言葉がでてこないものなど様々だったが頷く程度の反応はある。少なくとも気絶したり、畏怖のあまり魂魄が破壊されるような最悪すぎる事態にはなっていないようだった。

「よし。なら引き上げるぞ。……何しろ、ひとり留守番させているからな? ぴいぴい泣いているかもしれん」

 待たせっぱなしの鑑定人は未だ事実を知らないだろう。自分たちのことを心配して気が気ではないかもしれん。
 そう思ったから、部下たちの緊張をさっさと解いてやろうとおどけて見せた。部下たちの顔にぎこちなくも笑みが浮かぶと、少し目頭が熱くなる。
 ああ、生きている。生きているのだ。
 誰一人喪わなかった。これ以上の奇跡があるだろうか?
 この愛すべき馬鹿野郎たちと、まだまだこの場所を守っていけるのだ。

 皆で連れ立って詰め所へと引き返していきながら、神に、議会に、あの竜に感謝したいと──心からそう、思った。


 ※※※


 それから幾ばくか後の詰め所内。二度と戻れぬと覚悟した職場に、自分たちは戻ってきていた。
 ──自分たちを出迎えた鑑定人は泣いて喜び、大げさだと笑ったが、皆照れくさいだけだった。
 さて、上にはまだ報告はいれられないなと少し考えていたら──もうあの竜が、エラバガルスが戻ってきた。
 部下や自分の心を砕くつもりはないようで、最初に姿を見せた時と同じ人の姿をとっていた。

「──終わりましたよ。もうデーモンは上がってこられません」

 あっさりと告げられた言葉に、まさかこんな短時間でと驚かされたが、"門"の核だったという闇色の魔石の欠片を渡されてしまえば、そこに残る魔力の残滓も相俟って確かなことなのだと解かった。
 戦場という場所を離れたからなのか、先程までとは違い、彼から感じる圧迫感は和らいでいた。

「いや、驚かせてしまってすみませんね。老骨が出張るべきではないというのは解かっていたのですが。普段色々がんばってもらっている息子が今お休み中なもので」

 流暢な大陸共通語でのほほんと穏やかに語る声音は、子煩悩な父親の其れでしかない。
 だが、この詰め所に走る雰囲気の張り詰めようといったらない。
 まあ仕方のない話だが。自分だって正直鳥肌が止まらない。

 何しろひとのかたちをした神代の化け物が目の前に居るのだ。

 ──エンシェントドラゴン。世界に唯七体しか存在しないという彼らは、神々がこの世に打ち込んだ世界の柱であるとも、守護者であるとも言う。
 超常の魔人妖物跋扈するアルコ・イリスにおいても比肩するような存在は、少なくとも自分の知る限りでは居ない。
 竜人は上の市街でも稀に見かけないこともないが、人型を取った竜種──それも古竜との接触など普通は皆無だろう。そもそもドラゴンというだけで畏怖の対象のはずだ。部下たちの反応は正常だ。

「ああ、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよぅ? 貴方がたを髪の一筋だって傷つけたりしません」

 ね、とおっとり小首をかしげる仕草は成人男性──というか竜なのだから百歳千歳でもきかないだろう──にあるまじきものだが、誰一人として失笑の一つも飛ばすことが出来ない。
 ソウナンデスカ、と片言混じりに頷くことができた自分を、部下たちが勇者を見るような顔で見ている。

「いや、ほんと! ほんとですから。私だって顔役さんたちに叱られるのは勘弁願いたいんですよ。うちには沢山、養わないといけない子たちがいますからね」

「──なんだ、ドラゴンといっても侭ならないんだな?」

 エラバガルスの必死に言い募る様子、冗談めかす物言いは自分たちのことを慮っているのだと解かったから──寒気もマシになってきたので、いい加減命の恩人におびえ続けるというのも恩知らず過ぎると、緊張を飲み込んで笑う。養い子がいっぱいいるらしいと聞くと少しだけ親しみがわいたのもあった。自分にも家に帰れば守るべき家族がいる。

 軽口で返してみると、竜はなんだか嬉しそうに頷いた。穏健派の魔物の長だというなら──こいつは普通に人間と話したいと、そう思っているのかもしれない。

「ええ。大変なんですよー。今日だってルーファスがですね、久しぶりの内政で死ぬほど忙しかった私に「デーモン退治してきてくださいね」って」

 ルーファス、というと"柘榴石(ガーネット)通り"の顔役だったか。そんなさっくりした頼み方だったのかと思うと、自分も部下たちも唖然とするほかない。
 しかし、実際其れに救われてしまったのだから──笑うも怒るもないのが複雑なところだ。

「そりゃ、書類仕事よりレッサーデーモン退治の方が気楽ですけど、あんなお使いにでも出すみたいに頼むとか……」

「お気の毒だな。書類仕事は自分もひいひい言わされてるし、上の割と無茶振りな命令には辟易したりするから、少しはその苦労理解できるよ」

 書類仕事より気楽とか言われてしまうデーモンは哀れすぎるな……というか、この竜は喋れば喋るほど威厳がなくなるというか、なんというか。親しみがあるのは確かだが。
 自分がごく普通に放しているのを見ていた部下どもは、とうとう会話に吹き出していた。元々肝の座っている奴らだ。「お気の毒になー」になんて軽口を挟む奴もいる。

「あ、でも、間に合ってよかったです。人の命は、取り返しがつきませんから。私はこういう事態でもなければ介入は控えるように定められています──だからこそ、何時も皆さんには感謝しているんですよ。あなたたちがいるから上と下は隔てられている。『特区』にとっても、デーモンみたいな問答無用の魔物は敵ですからね」

 空気がやわらかくなってきたのを察してか、あからさまにほっとしたような顔の後エラバガルスはふと真面目な顔で呟いた。
 力がある。というのも一概に良いことばかりではないのだろう。──こうして、人の街に寄り添いながら生きるような、面倒な在り方を望んだならなおのことだ。
 ひとは強すぎる力を、存在を疎むのだから。このアルコ・イリスはおおよそありのままを受け止める街だが、外が絡むと色々ややこしい。古代竜が議会の要請で動くなど大々的に知られれば──それもまたいらぬ紛争の種になる。
 だから、例えばもっと気軽に手を貸したいのだとしても叶わず、目の前の竜が歯痒い思いをすることもあるんだろう。その分、自分たちのような身軽に動ける存在に期待し、託しているのかもしれない。

「自分たちは職務を果たしてるだけだ。給料もおえらいさんから貰ってる。改めて感謝されることじゃねえよ。なあ?」

 軽く肩を竦めて首を横に振ったら、即座にツッコミが入った。

「──分隊長は照れてるだけですよ。僕たちのこの仕事、改めて感謝されることなんてそうそうないので」

「手前っ! レダ! ……余計なこと言うんじゃねえよ」

 顔が赤くなるのが解かる。……確かにそういう気持ちがあったことも否定はしない、が。そうはっきり言わんで欲しい。
 エラバガルスがなんだか微笑ましい目でこっちを見ているのが凄く困る。

「ってか、礼を言うのは自分たちの方だろうよ。エラバガルス、あんたが来なければ、自分も部下どもも今頃デーモンどもの腹の中だ──ありがとな」

 魂ごと貪り食らうというデーモンどもの餌食になるのはぞっとしない。苦戦した敵をさっくりと片付けられてしまったのは立つ瀬ないが、ドラゴン相手に張り合っても仕方のないことだ。ここは素直に礼を述べておくことにする。部下どもも、自分が礼したのを見ると倣って口々に古竜に感謝の言葉を告げた。

「あ、いえ……私だって、古くからの約束に答えたまで、ですから。そろそろ、戻ります。お仕事を、放り出してきましたので──お別れの前に、ご婦人。皆さん、お名前、お聞きしても?」

 白皙の面が朱を帯びる。竜も照れるのだというのはなんだか新鮮だった。
 尋ねられてそういえば名乗っていなかったと思い出し、名前を告げて返す。

「そういえばご婦人とか呼ばれるのは何年ぶりだろうな。──ヴァレーリヤだ。此処、レッドポイントの分隊長をしている。なんなら、レーカでもいいぞ」

「分隊長は見た目も口調も態度まで、あつらえたように漢前ですからねえ。あ、僕はレダと申します」

 だからどうして手前は人が気にしていることをいちいち突っ込むのだ。そりゃ、自分は背も高いし筋肉質だし声も低めで、顔には傷も入ってる。可愛らしいご婦人には程遠いが、これでも昔は妻だと大事にしてくれた男もいたんだ。死に別れたけど。
 ぎろりと睨みつけてやってもレダは何処吹く風だ。小憎らしい性悪精霊使いめ。なぜこんな捻じ曲がった男があんなに大量の精霊を連れられるのか理解に苦しむ。精霊はドエムだったりするのだろうか?

 ──思考がそれた。自分たちが名乗ったのを皮切りに部下たちも名乗る。それをひとつひとつ覚えるように頷いて聞いてから、エラバガルスは微笑んだ。

「ありがとうございます、覚えましたよ。こんなに多くの人間とゆっくり話したのは久しぶりです。……もしよかったら、非番の時にでも『特区』に遊びに来てください。皆さんでしたら、歓迎しますよ」

 何処まで本気か知れないが、そんな誘いを残して、古竜は一礼し──その姿は掻き消えるように去っていった。
 "空間転移(テレポート)"を無詠唱で行使する。どんなにのんびりしてみえても、エンシェントドラゴンはエンシェントドラゴンだった。

「……ふう。終わったなあ、野郎ども! 報告終えたら多分休めるだろう。そうなったら今夜は自分のおごりだ。天空通りでも蜜月通りでも、好きな酒場につれてってやんぞ? あの修羅場を潜った打ち上げだ!!」

 連絡用のアーティファクトに向かいながら、振り返って部下たちをねぎらう。すると、手を叩いたりヒューと口笛が聞こえてくる。

「本当っすか?」「酒だ酒だー!」「いやっほーう! 俺、"踊る荒獅子亭"がいいでーす!」「分隊長太っ腹! 抱いてー!」「私は蜜月通りの"Bar『髪長姫(ラプンツェル)』"で一杯がいいですけど……」「ハリエッタがそういうなら、俺っちも『髪長姫』!」「分隊長、本当に男のなかの男ー! まじかっけー!」

 さっきまでがたがたしてたくせに現金な奴らだ。だがまあ、今はこの現金さもかわいいもんだ。……男の中の男とか言った奴はあとで自腹切らせるがな!
 余りにも濃密だった任務の時間はかくして、終わりを迎える。

 だがこの平穏も一時のものだ。また明日、その先には別の危機が訪れるんだろう。今日は運よく誰も死ななかったが、次はどうなるかなんてわからない。また死に掛けて、血反吐を吐いて。仲間が死んで嘆いたり、力の足りなさに絶望したり。そうして何時か、辞めてこの場所を去るかダンジョンに骸を転がす羽目になるんだろう。そんなことは知ってる。知っていて、今日は今日の勝利を喜ぶのだ。
 自分たちは此処で戦い続ける。ずっとずっと。何時か迷宮が全て明らかになる日まで、アルコ・イリスを守る為に。

 ──それが、境界警備の兵隊ってもんだからだ。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2011年07月05日 11:29
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。