05「andante 前編」

※ 超人病でちゅうに病なのは仕様です。


 気がつけば私は──フィロスタインは、荒涼たる白い漠野に立っていた。

 それまで私がいたはずの酒場の一室とはまるで異なる光景。果ても見えぬ一面の、雪原。
 露出している部分の肌が痛み、息が白く染まる極低温が、これがただの幻視でないと──現実かさもなくば触覚を騙す程度には高位の幻術であると──伝えてくる。
 ぬかった。内心で舌打ちする。ヴェイを庇って受けた"何か"の所為であることは想像に難くない。
 咄嗟、投げ込まれた投擲物が魔力を有した何かであることを察してしまえば、ついつい考えたり、剣たちに命ずるよりも速く割って入ってしまった。

 幸か不幸か単純な攻撃ではなく、接触と同時に込められた術式を発動するタイプの呪具だったようだ。
 それを受けて、私は見事にヴェイと分断されてしまった。先ずは状況把握に努め、周囲を把握するべく耳目を澄ませ、同時に思考を巡らす。

 分析するに、転移で異界や遠方に飛ばされたという可能性は概ね除外する。同意したものや意識がないものを運ぶ物なら兎も角、強制的に他者を移動させる転送術式は希少で繊細、かつ複雑だ。移動距離が増えれば増えるほどにその手間は加速度的に増していき、また人体の反発も強くなる。
 アルコ・イリスの地下遺跡を初めとする太古のダンジョン類には罠として設置されていることもあるが、それとて頻繁にあるものではないし、大掛かりな魔術紋や法陣などを必要とする。目視した限り室内に投げ込まれた物品は、子供の掌で容易に握りこめる程度の極小さな宝珠だった。あのサイズで他者を容赦なく転移させられる呪具なぞ存在する可能性がゼロだとはいわないが、ほいほいあってもらっても困る。
 また、アルコ・イリスから遠く引き剥がされた感じがしないというのも私が転移を可能性から除外した理由の一つだ。どちらかというと何か薄い壁かなにかに隔てられている感じがする。

 可能性として高いのは幻術か、結界術の類。前者よりは恐らく後者であろうという公算が高い。
 なぜなら、風景が塗り替えられてより、体感として感じられる事柄があったからだ。

「……禁術領域、か。"黒帳(ドゥンケルハイト)"、"六道薙(フラートゥス)"、大事無いか?」

 油断なく周囲を窺いながら、小さく尋ねる。忠実な愛剣たちの応えは直ぐにあった。

《問題ありません。ただ万事普段通り──とは流石にゆきませぬが》

《禁域たぁ、面倒くさいもんひっぱり出して来たこって。坊(ぼん)お気をつけくだせえよ》

 "黒帳"と"六道薙"の言葉に頷いて返す。先刻から竜眼で見る景色は、限りなく静止して見えた。通常ならば多かれ少なかれ存在する、魔法的な力の流れというものが限りなく抑制されている。ここではおよそ、術らしい術を編むことは叶わず、魔法がかりの品も常のようには働くまい。

 世界を構成する要素の動き、力の流れが活発な土地、根源の影響を強く受ける土地は、魔法に関わるものにとっては限りない価値を持つ。霊地として保護、管理下に置かれている場所も少なくなかった。
 そんな霊地の真逆といえる存在が禁術領域。禁域とも呼ばれるその場所では魔法や術具の使用が限りなく制限される。
 おおよそ万物に何らかの神秘が及ぶこの世界にあって、根源と無縁の場所と言うのは存在しえないが、それでも力が届き難い土地、働きづらい場というのは皆無ではない。
 各方面に大きな影響力を持つ魔法が働き辛い土地と言うのは不便ではあるが、やりようによっては霊地とはまた別の価値が生まれることから時に取り沙汰されたという。 
 とはいえそれらは世界の果てや僻地といっていい場所にうることが殆どで、霊地以上に不安定な禁域は、容易く消えうせ、また性質を取り戻すといったことが大いにありうるあやふやなものであった。恒久的に性質が固着した禁術領域というのは、知られている限り五指にも満たない数しか存在していない。

 禁術領域が軍事利用できれば莫大な益を生むだろうことから、活用が考えられたことも一度や二度ではなかったそうだが、土地柄、あるいは性質柄運用は難しかった。
 そのため、人為的に禁域を生み出そうとする試みが何度か行われたが、尽くは失敗、あるいは悲惨な結末しか生まなかったという。根源の力が行き届かず、神霊の恵みを引き剥がされた土地は不毛に歪み、ひとの住みえぬ死の荒野と化したとか。
 ゆがみに対して世界が反発する力、自浄作用は強く、それゆえ、禁域を作り出して利用しようとしたものたちは、まず隔離空間を作る術を応用し、根源というものから場を切り離すことで、ほかに歪みを生むことなく禁術領域を再現することにした。そして、この試みはさる小国にて続けられ、成功したのだという。──採算と安定性に目を瞑れば。

 禁域作成技術は一応の完成を見たものの、ひとつの禁域を生み出すのに莫大な予算と力が必要とされ、安価に置き換えることが叶わなかった為、採算が取れぬと計画は凍結されたらしい。
 しかし、その技術はひそかに闇の世界に流れ、高価で稀な、魔術師や聖職者殺しの空間兵装として利用されるようになったという。

 ──私が禁術領域に関して知っている事柄は大体以上だった。そして、恐らく今こうして私がいるこの場所が"それ"か、その類似品なのだ。
 眉唾のような話ではあったが、ここは確かに禁域であり、同時に鎖された空間でもある。参考にする程度なら問題はあるまい。

 もし此処が結界術を駆使して構築された空間兵装であるならば、核がどこかに存在する筈だ。当面の目標としてはそれを発見し、破壊する。
 空間系の術具の類は、周囲の力を吸い上げて呪を構築展開、核が作り上げられた空間を維持するというパターンが多い。こういう手合いは核を砕いてしまえば、それ以上世界にとっての異物である空間を保てず、瓦解する。その上、禁域というのは先にも述べたが不安定なものである。空間を繋ぎとめる要である核を失えば、世界の自己回復能力によってこの場は修正され、あるべき姿を取り戻す、はずだ。

 一人残される形になっているだろうヴェイのことは気懸かりだし、寒さは刻一刻とこの身体から体力を奪っていくが、だからこそ焦ってはいけない。
 左目に意識を集中する。どこまでも静謐として、凪いだ白い禁域の中、少しでも力あるものを感じたならばそれこそが核だ。

 方向の把握が怪しくなる上に、迅速な移動は困難、更に寒さでもって人を死に誘う氷雪の空間と禁術領域の組み合わせは、成る程それだけで捕らえたものを殺せる。魔法も何の準備もなく、出口のない極寒の空間の中に放り出されれば、あとは当てなく彷徨い死んで行くことになるだろう。
 斯様に物騒なものを持ち出してきたことからも、襲撃者はヴェイを確実に殺す気であったことが窺える。拉致などを考えているならばこんなものを部屋に投げ込まないだろう。急がなければならない。

 そうして急く心はあるが、ここが必殺の領域ではないことを私は理解している。
 この空間兵装は詰めが甘い。元々禁域は等しくあらゆる神秘を殺すほど絶対的なものではないが、人工的に再現されている空間は尚性質が弱まる。あくまで己の内から外なる世界に働きかける術が使い辛いだけであり、自身の力を増幅する類の補助術や常時効果を発揮する類の呪い、異種の生来有する機能などは制限できないのだ。
 証拠に私が父上から借りている眼は、通常通りに魔力や生命力の類を読み取る力を失っていない。それは魔法器物である魔剣たちが口を利くことや、普段から権能でもって軽くしている"黒帳"を私が取り落としたりしていないことからも解かる。

 澄ませた感覚に引っ掛かる魔力の波動。遠く彼方に感じるそれを追うべく、私は雪原に踏み出す。
 方向など解からなくてもいい。私はただ、この感じ取った波長を目印に、只管そこに近づいていくまでだ。
 かかる時間は短ければ短いほど良い。雪風吹き付ける白原は、私には未知の領域。だが、降り積もった雪のほかは、一切の障害物がないという点だけは私にとって都合が良かった。

 踵が、雪に埋まるより早く、爪先を出す──次の一歩に移る。そうすれば、沈まない。雪は私の足を取らない。
 水面を駆ける労苦に比べれば、雪上を走ることなど易いものだ。

 それに今、私の身体は常より軽く動く。別段何かしらの術や呪具の補助を受けている訳ではない。この状態が本来あるべきもの。普段が──重いのだ。

「……備えあれば憂いなし、だな」

 外套を翻し、雪片を薄く散らしながら、目標を目指して私は直走る。小さな独白は、魔剣たちに拾われた。

《最後に頼るべきは己の身体と、皇子(みこ)はよく解かっておられる》

《とはいえ、普段から"黒帳"に荷重をかけさせて生活するたぁ、酔狂だと思いやすがねえ》

「事実、こういう場面では役立っているのだからとやかく言われる筋合いはないぞ」

 疾駆する足は止めぬままに言葉を返す。修行法としては然程珍しいものでもないと思う。重石をつけて稽古に励むなどよくある話だ。
 私の場合は、"黒帳"に頼んで身体にかかる重さを増やしてもらった状態で生活することを鍛錬の一つとしている。流石に非常時や体調不良、睡眠の際は避けるが、それ以外では概ね私は"黒帳"の生み出す過重の下だ。内務が忙しく修練の時間をあまり取れぬときなどは特に重宝していた。

 別段このような修行を行わずとも、"黒帳"の権能を持ってすれば幾らでも身軽に動くことは可能だが、何もかも魔剣に頼りきり、というのは情けない。ただでさえ私は、父さまから目を借り受けたり、剣たちに助けられたりと借り物の力に守られているのだ。勿論、必要ならば頼らせてもらうことに躊躇はないが、必要以上に頼ることは避けたかった。
 例えばこのような禁術の領域に放り込まれたとき、ろくろく動けない、戦えないという事態に陥るわけにはいかぬ。私は、私自身も一振りの剣となるよう砥ぎ上げると決めていた。未だ、完成とは言い辛いが。

 思考に沈みきらぬよう注意しつつ進むうち、少しずつ感じる魔力が強くなってきた。更に急ごうと加速をかけようとした瞬間だった。

「……ッ」

 不意に周囲から大きな"何か"の気配を感じ、私は疾走から急停止。間をおかず大きく後ろに飛び退く。
 次の瞬間、私がそれまで居た雪面は、突如姿を現した巨大な腕によって薙ぎ払われた。

 私の回避を察したのか、次いで腕の主はその全体を吹雪く風の中にさらけ出す。
 それは──氷雪で形作られた巨大な人型であった。一帯を埋める白雪が凝り、寄り集まった体躯。所謂ゴーレムの一種なのだろう。スノウゴーレムとでも呼べばよいか。
 以前に私はストーンゴーレムとの抗戦経験があるが、その時対峙したもの──私の二倍以上の大きさであった──よりさらに大きい。眼前に隆起しつつある姿は私を縦に三人並べたよりも大きく見えた。天に届く巨躯は巨人族を連想させるが、四肢が妙に長く、目鼻立ちは頭部と思しき箇所の表面に幾つか穴が空いている程度と平坦で人間離れしている。全体が流動的であり、水や砂の塊にも似ていた。

 成る程、禁術領域の影響を殆ど受けぬ自立型の魔術兵器を配している辺り、禁域と氷雪の中に閉じ込めただけでは必殺には足りぬとこの兵装の製造者も考えたのだろう。

 始めは一体かに思われたが、似たような姿をした雪巨人たちが其処彼処から沸いてくる。
 気づけば私は、白い巨人の群にすっかり取り囲まれていた。
 今しも襲い掛かってきそうな巨躯の大群を見据えつつ、私は腰の二刀に手をかけた。辺り一帯の氷温は如何ともしがたいが、此処までの移動で身体は温まってきている。問題なく、動く。

「ヴェイには申し訳ないが、少し、待っていて貰わねばならんな──」

 蜜月の長の無事を願う呟きは、冷たい空気を震わせ轟く雪巨人の方向に掻き消される。波濤の如く迫る雪塊どもへと此方からも距離を詰めるべく、私は白い地面を蹴り飛び出した。


 ※※※


 ──ずっと話してみたかった子供が、ようやく少し気を許してくれたと思ったのに。
 俺ことヴェイバロート・ベイルが少し前まで抱いていた和やかな気持ちは、空気を読まない闖入者によってあっさり粉々になった。

 あのちびちゃんは俺が顔役だからか自然守るように動いてたが、自分だって何かあったらヤバイ人間だというのを自覚してるんだろうか。虹竜の旦那は基本的にゃ温厚にできてるが、身内が絡むと苛烈になる性分で──特に養い子は目に入れても痛くない位可愛がってる。もしもの時にはロゼばあさんだって黙っちゃ居ないだろう。

 そういう事情を差し引いても、目の前で子供に庇われて消えられるってのは結構キツイ。ひとまず無事だろうとわかっていることだけが救いだ。
 フィロの姿が掻き消える瞬間、境界が揺らぐのを感じていた。投げ込まれたブツには空間系の術が込められていたんだろう。
 しかし、効果範囲はごく狭いようだった。術具の欠陥かもしれないし、初めから、フィロを──俺と一緒に居る方を排除する為に使われたのかもしれない。流石に判別がつかなかった。
 推察するに擬似空間を形成して対象を取り込み、現界と切り離すタイプだ──そうなると下手に外から手出しはできない。
 ちょっとやそっとじゃあのおちびさんがどうにかなるとは思わないが、心配ではある。助ける当ては一応あるけれど、今はちっと動かし辛い札だ。
 俺には俺で目の前に危機が迫っている訳で。フィロが自力で、中から術を破って出てきてくれるのを願うしかなかった。

「あーあ、やってくれたじゃねえの」

 へらりと何時ものような笑みを浮かべたつもりだったが、声音は真逆だ。どこまでも冷えた。
 俺が置かれている状況は客観的に見れば詰んでるとしか言いようがない。
 だが恐怖はない。どちらかといえば怒りが先立つ。目の前で起きたことは全て気に食わなかった。

 馴染み酒場の奥まった密談用の一室。
 たったひとつしかない入り口を破って面貌を隠した黒衣どもが──絵に描いたようなクソッタレの暗殺者連中が──、給仕を務めていた猫妖精を人質に踏み込んできやがった。
 一応、これでも多少なりと顔役としての自覚はある。狙われる理由など掃いて捨てるほどある身だ。プライベートとはいえ護衛を何人か店の周囲に配置していたが、進入を許したということはそれも無力化されている──希望測を捨て、ドライに言い切れば生きてはいないだろう。
 また詣でるべき墓が増えたかもしれないことを嘆く暇なんてない。絶賛襲撃を受けてる真っ最中だ。
 それでもフツフツと腹の底から沸き上がって来る感情ってヤツは止めようがない。

 息を一つ二つ吐いて多少なりと気持ちを落ち着け、少し、下がる。後ろは当然壁。俺と敵方を阻むのは僅かにテーブルばかりでロクロク障害になりはしないだろう。
 部屋の中には俺の声ばかりが響く。一気に人が増えたというのに室内も廊下側も静かだ。異変を感じて誰かが来る、という兆候も見えない辺り、"沈黙(ミュート)"やら"幻影(イリュージョン)"でも張り巡らせているんだろう。用意周到なことだ。

「──で、要求は? 外交問題? 土地関係? 民族問題? 利権関係? 痴情の縺れって言われたら流石に驚くしかねえんだけど? 悪いね、心当たりがありすぎるんだわ」

 室内へと押し入ってくる相手に向けて口を開いた。答えがあるとは余り思っていないが、僅かでも反応があれば儲けものだ。
 軽く首を傾げて挑戦的な目を向ける。もっとも、相手さんは目元以外は紗に覆われて顔色も伺えやしない。
 表情が解かるのは、刃を突きつけられてぷるぷると震える、哀れなケット・シーばかりだ。本当に申し訳ない。完全に巻き込んでしまった。
 猫妖精は一瞬俺と目が会うと、泣きそうに目を潤ませた。尻尾がすっかり足の間に入ってしまっている。

「…………」

 一方で襲撃者は落ち着いたもんだ。何も言いやしない。ま、証拠を残さず殺すことが生業の暗殺者としては実に正しい態度だが。

「あー、問答無用ってヤツ? 爆裂術式を使わない辺り理性があるって言うべきかね、テロリストにしては。それとも、単に──"地域安全課の怪物連中(ラグナ・ガーディアン)"が出張ってくるのが怖いだけか」

 それでもペラペラと舌を止めずにいると、暗殺者の一人が黒ずくめの中で僅かに其処だけが覗く茶色の目がぎょろりと此方を見た。薄気味悪い、作り物みたいな目だ。

「…………沈黙セヨ」

 漸く口を利いたかと思えば実に端的だった。だが、言葉っていうのはそれだけでヒントになるものなんだぜ?
 術具か何かでいじってるのか男とも女ともつかない声。ごく僅かにぎこちなさがある大陸共通語──アルコ・イリスが存在する大陸中央部の出身じゃあない。
 騙ってる可能性もあるが、発音のクセからすると西方訛りを無理矢理直して中央喋りに寄せている感じがする。
 ま、アルコ・イリスは人の出入りが著しいから、他地方のヤツなんて全く珍しくないんだが。

 ただ、おかげで"アルコ・イリス純血派"の刺客じゃないことだけは解かった。あいつらは外部のヤツをまったく信用しないからな。
 あと気になるのは、言い回しか。「黙れ」でも「喋るな」でもなく「沈黙せよ」ね。気取ってるのか、こだわりがあるのか。後者だとしたら今思いつくのはひとつだ。

「こちとら口から先に生まれてきたようなもんよ。黙れって言われると息するなっていわれんのに等しいんだけどな。あと俺ってば反骨精神に溢れてるのよね。喋るなって言われると余計に喋りたくなるって言うか? あ、もしかしてアンタら五月蝿いの嫌いなのけ? そいつぁ悪いことしたわ。でもさ、揃いも揃って辛気臭く雁首並べて黙りこくって頭の天辺から爪先まで黒い服とか葬式か弔問帰りとでも思われるんでねえの? ていうか、そんな格好でうろうろウロウロ市街歩き回ってたらさあ、却って目立つんじゃ「沈黙セヨ、ト言ッタ。」」

 調子良く捲くし立てていたら問答無用で遮られた。

 ──ビンゴ。

 鎌かけは成功だ。こいつらはオシャベリが我慢ならないのだ。職業意識からではなく、もっと感情的な理由で。
 そりゃあ教義で沈黙を守ることが幸福への道だなんて教えてる所に喧嘩売ってる野郎がぺらぺら調子付いて喋ってたら面白くないよなあ?
 暗殺者としちゃ、仕事中にこんな簡単に私情が出ちまうやつはどう頑張っても一流といえねえケド。
 宗教がへたに絡むと、のめり込んでるほどにひとってヤツは盲目で頭が悪くなる。

 さて、この調子ならもう少し何かしら引き出せるかもしれないが、止めた。
 流石にそろそろお仕事思い出してケリつけようとするかもしれねえし、何より──

「ヴェ、ヴェイのだんにゃ……」

 猫妖精は未だ奴らの手の中だ。周りの賊も煽っちまったのか、猫を捕らえているヤツがナイフをもう少しふさふさの毛の中に近づけるのが見えた。
 俺がどんなに慮っても、人質の類ってのは目的を果たしたらさくっと殺されちまう可能性が高い。だからといって無視もできねえのが辛いところだ。俺は俺が住んでる、この"蜜月通り"の住人はできるだけ守ってやりたい。それが先代の親父との約束でもあるし、巻き込んじまったヤツをあっさり見捨てられるほど人間やめてない。
 悪いな、と目でケット・シーに伝えて一度口を噤む。大凡何処が駒を動かしたか解かれば十分な収穫だ。

 俺が黙ると先程口を開いた暗殺者は顎を引くような仕草を見せる。それで良いとでも言うかのように。
 猫妖精が人質として機能していることを確かめたようでもあった。

 茶色の双眸をした暗殺者は軽く片手を挙げて、腕で残りの連中に俺を示し、それから首を掻き切るような手まねをした。
 問答無用の処刑。制裁ってわけだ。探りを入れただけなのに過激なこった。

 命令の仕草に答えて、ケット・シーを捕まえている以外の連中──人数は四人──が動いた。
 ひとりが机を跳ね上げ、ひとりは刃物を手に一気に駆けて来る。残る二人は中途で足を止めて術の準備に入る。
 詰まる距離を見──俺は嗤った。自分の胸元を宥めるみたいに撫でながら、うっそりと目を細め、唇は弧を描く。

「俺はさ、これでも怒ってんのよ」

 迫る兇刃が他人事であるかのように。人質を忘れたかのようにまた口を開いた俺に、さっき指示を出したヤツの、茶色の目がだからなんだといわんばかりに向けられる。
 あーあ、こいつ、本当に暗殺者向いてねえわ。
 そう思ったからという訳でもないが、続いた言葉は陳言めいた。

「忠告する義理もねえけど一個だけ。……あんま虹の街の顔役を嘗めねえ方が良いぜ」

 幾らかの哀れみを込めて言う。それは場違いな響きであるように、思われただろう。
 此方に駆けて来る方の暗殺者との距離はもう幾らもない。
 遺言にしては強がりが過ぎるとでも思ったのか、茶眼の暗殺者は俺の言葉を一笑に付す。顔は見えなかったが、嘲ったような気配があった。
 猫妖精がぷるぷると震えて、見ていられなくなったらしくぎゅうっときつく目を瞑るのが見えた。

 刃はもう俺の眼前に来ている。
 兇刃は一度高々と見せしめじみて振り上げられ──まもなく風を切って振り下ろされた。

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最終更新:2011年07月06日 23:05
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