02 戻れない理由 前編

 天空に風は止まず。
 天使の羽音は聞こえても、その姿はない。







 夕煌(フィアンマ)通りの昼。

 職人達が交代で休憩に出始め、槌が鋼を打つ音も緩やかになる頃。


 青い空に映える、テラコッタの年月を経た肌色と真新しいオレンジが揃いで作る特徴的な瓦屋根を、濃淡二棟構えた武防具工房「グリューエン」。
 ここはその作りで、工場と卸の店舗とを分けて運営している。

 名は武器防具屋でも、扱う鋼は生活一般から特注品まで多岐に渡る。複雑ながらも丈夫な金属全般の加工、および切れ味の良い刃の精製を得意とするこの工房は、親方を含めた幾人かの職人でそれらを一つ一つ、手で打ち作っては注文客へと卸す。
 故に、裏手の釜は軒を連ねる工房の中でも特に、常から煌々と作業場を朱く照らし続けて。殺風景ながらも小奇麗にしてある店側はというと、こちらも足元から天井まで、整然と飾られた様々な形状の鋼が工場から漏れてくる熱光を反射して煌いている。
 グリューエン(白熱)のその名の通り、ただ息をする熱のみで輝き続ける陽光のような。夕煌通りきっての老舗鍛冶屋だ。

 そんな工房の店側、木目の粗野なカウンターに、三つの茶が並んでいる。


「だから…何でここんトコ、しょっちゅう来るんですか。旦那ぁ…」


 自ら並べ終えた茶のうち一つを掴んで、居心地の悪そうな弱り声と共に啜っているのは、いつぞやの黄土髪をした小男だ。やや煤けた服で指の長い手をぬぐい、隅にある軋んだ作業台に乗っかって、肩をすくめる。


「親方は元々俺の知り合いだぞ。茶を飲みに来てはいかん理屈があるのか?」


 カウンターの向こうでは旦那と呼ばれたウィドが、一応は来客用らしいがやはり軋んでいる革張り椅子に腰を下ろしていた。銅のカップに手を伸ばし、またいつものように苦笑している。


「ふぁっは、世話ぁ任しといてタダで茶ぁ飲みに来る客が居るのは一体、誰の素行が悪いせいかね。ええ?ギアッロよ。」


 作業場からのっしとやってきて、太く響く声で笑ったのは、この工房の親方だ。ぼさぼさの黄色頭を睨むようにして名を呼びつつ、ドワーフ特有の編み髭をたくわえた口元をニヤリと曲げ、最後の茶を引っ掴む。彼の椅子だけ軋まないのは、椅子というよりもはや土台のような、彼専用らしい金属台だからだろうか。


「ま、真面目にやってますよぉ!やってますってば、だから最近ようやく正式に親方に雇って貰えたってぇ旦那に…ぃあだっ!?」


 すっかり気圧されて、身を縮めていた黄色頭ことギアッロのその足元に、いつの間にかあの黒犬がいた。クズ鋼を曲げたような皿を前足で出し、彼のズボンの裾を噛んでしきりに引っ張っている。


「だっだっ肉!肉一緒に噛むな!わーった、わーったよお前も水だろ!?水な!」

「おお。どうやらダニーもすっかり懐いたらしいな。」

「ちゃんと飲ましとけやぁ、ただでさえ炉の熱で喉も渇くだろうに、近頃は散歩の距離が倍になっとるんだ。飲んでも飲んでも足りんだろうよ。」


 茶を啜ってその様子を微笑ましげに眺めるウィドと、意地悪げな顔で釘を刺す親方に、ギアッロは何やら言いたげな顔で、ダニーと呼ばれた黒犬を引きずって横の桶から水を汲む。


「確かに要領は悪いが、その分走るんでなぁ。ダニーの奴も、コイツに配達任せがてら散歩させるようになってからは縄張り回りに満足しとるのか、大人しいもんだよ。いや、重宝しとる。」

「そいつは頼もしい。これの散歩は俺も随分くたびれさせられたものだ…それで毎日、大通り全部をほぼ一往復ずつ駆けずり回っていると。ずいぶん働き者になったじゃないか。」

「…し、しゃあねぇでしょう…最近じゃ通りじゅうの工房が、あれもこれもついでに配達しろって言うし…親方も引き受けさせるモンで。嫌でも走りますって…」


 じゃぷじゃぷと水音を立てる皿を下に置いて、褒められた事に困惑したか、ギアッロは所在なさげに目線を泳がせまた座り込んだ。それを見て親方が再度、豪快に笑う。


「ぶぁっはっは。炉の火花にも近寄れん度胸ナシのお前に、工場の仕事はしばらく教え込めそうにねぇからな。諦めて、キリキリ走れや。」

「…言われなくても走ってますってばぁ…」


 肩を落とした様子をウィドにくつくつと笑われ、ギアッロはふと思い出したように、首をあげて彼を見た。


「…そういや、竜は今日も街の外で留守番で?」

「ああ。ペルシェなら今頃一人で飛び回ってるぞ。それがどうかしたか?」

「…飛竜ってのは…その、中央でしか飼われてないとか。何で旦那の、あの竜は街の外で暮らしてるんです?」


 尋ねられて、深緑の眼がぱちくりと瞬く。


「ほう。乗用竜と区別もつかなかった奴が、そこまで勉強したか。偉い偉い。」

「はぐらかさねぇで下さいよ。…あの、そろそろ教えてくれたって良いんじゃねぇですか?

 旦那、アンタ本当に―――何者なんです?」


 おずおずと、しかし食い下がるような問いに、当の本人は呑気に茶を煽っている。


「何者と、言われてもなぁ…前にも言ったろう。ただの元とび職見習いだ。」

「だからぁ、ただの元とび職が飛竜に乗ってるワケねぇんでしょう?…それだけじゃねぇ。一体全体、旦那の本職は「どれ」なんです。」

「どれ、というのは。つまりどれだ?」

「…配達して回ってると、必ず行く先々で聞かれンです、ウィドの旦那は元気かって。それで、旦那を知ってるのかって聞いたら…
 パン屋のユネ婆はここの工房手伝いだろって言うし、衛視のゼノは馬屋の世話番じゃねぇのかって言うし、エド神父は左官の職人だって言うし酒場のコルッシは喧嘩試合の大穴選手だって言うし宿のグランツ親父は市場の下働きだって言うし琥珀館のゲルババアに至ってはアタシのラ・マンとか言いやがるしああああああああ最後のは思い出したくねぇえ!!!!」

「何だ、お前、あんな所に入ったのか。」

「違ぇんすよぉおダニーが無理矢理引っ張ってくんです!!!何っでわざわざあんなトコ行きたがんでコイツは!!?おかげで怖ぇ奴らに囲まれるわ見たくもないモンに遭遇するわ旦那にヨロシクぅとかアンタもいつでも来てねぇとかお願いされちまったしよぉおぉおお!!!」

「はは、犬の事を俺に聞かれてもな…それにお前、ソイツはからかわれてるだけだ。俺はあそこで何を買った事もない、まぁ主人はいい女だし世話にはなったが。」

「       アンタ、目、いや頭大丈夫か?」


 思わず素に戻って抱えた頭を上げるギアッロに対し、ウィドはカウンターに肘を付いてカップを置いた。いつもの苦笑が返る。


「冗談だ。いや商売とあの見た目はともかく、仁義が通るという意味では間違っていないと思っているがな。少々聞きたい事があったもので、金の代わりに働いた事があるだけだ…だからもし、俺の名前だのを使ってあそこで遊ばせて貰おうと思ったとしても、無駄だからな?残念ながら金を落としていった事はない。」

「しませんよ、ンなぁ事!…じゃ、ない。…百歩譲って客ならまだ解るんで、旦那がホントに…騎士様だってんなら。金だって身分だって足りないこたぁねぇでしょうし、でも客でもないのに…何であんなトコ入れて、主人と顔見知りなんで…?」


 ギアッロが首を捻る。娼館などというものは、客が正面玄関をくぐる分には金さえ持っていれば(場所によってはそれ以外も必要だろうが、あそこでは他に要る物など無い)、誰だろうと歓迎するが。そうでない裏側の話となると別だ、内部関係者か訳アリでもなければ、部外者は勝手口の一歩すら踏み入る事は許されない。特にあそこはそういう所だ。生半可な顔の広さでは関われない。


「だから、ちょっと仕事をした事があるだけだ。他も変わらん。どれが正解だと聞かれたら、俺にはどれも正解だとしか言いようがないな。」

「…工房手伝い、馬屋の世話番、左官の職人、喧嘩試合の大穴選手、市場の下働き、それから… …あー、いや、最後のは無いとしても。節操なさすぎやしねぇですか…」


 身もフタもない答えに、彼はまた黄土髪を抱えて唸った。


「…でもって…そんでもって一番、わっかんねぇのはそれだけ聞いてもだーれも、旦那の宿や定住場所は知らねぇって事だ。それさえ分かりゃあ、まだ検討つきそうなモンなのに…旦那、ホントは何処に住んでんだ?」


 肩をすくめる様子に、問われたウィドの深緑の眼が初めてまっすぐ彼を見据えた。


「それこそ、お前が知っている通りだ。他の皆も何人かは知っていたろう?」

「…街の、外。ですかぁ?竜と一緒に。んなバカなぁ…ホントに安宿の一つも取ってねぇってんで?だって、ほっとんどメシ代と同じだけ払やぁ、泊まれるようなトコだってあるじゃねぇすか。実際、話を聞いたおやっさんの宿なんかもそうじゃ…でも泊まった事は一度も無いって、確かに言ってましたけd――― ん がっ 。 」


 そこまで言った直後。
 脇から伸びた親方の極厚の掌が、がっしと黄色頭を掴んで揺さぶった。


「おう、コラ、それすら払えた事も無いような生活しとった奴が、何言ってやがる。そろそろ戻るぞ、いいからとっとと配達の準備してこい。ん?返事は?」

「ぃぢぢ、わ、わわ分かりました分かりましたハイィ…!」

「おっと…では、俺も今日は帰るか。
 ―――お前も頑張れよ、ギアッロ。それじゃ、邪魔したな親方。また来る。」

「おおよぉ、茶ぁぐらいなら出してやるから何時でも来い。またな。」


 親方は片手でギアッロの頭をわし掴んだまま、笑顔で手を振って出て行くウィドを見送って。のち、ようやくぺいっと不出来の下働きを投げるようにして離した。


「ぅあだっ。…うぅ、首、首が…何すんですか親方ぁ…」

「余計な詮索するモンじゃねぇ、馬鹿野郎。アイツの世話になった自覚があるんなら、何も言わずにおけ。そのうち分かるだろうさ。」

「そのうち、ったって…こうもあちこちで聞いても分かんねぇんじゃ、とにかく気になるだけで… …親方は、ウィドの旦那が何者か、知ってるんで?」

「ウィドはウィドだ。他の何者でもねぇ、そうだろうが。ほれ、さっさと纏めろよ。ダニーの鎖もちゃんと持ってけ、でないとまた結ぶ前に飛び出すぞ。」


 親方にけしかけられ、ギアッロは茶の用意を片付けると、渋々そのままカウンターで荷を纏め始めた。

 もう昼過ぎだ。作業場の槌の音も、また賑やかになり始めている。時間に敏感な犬はまだかまだかと足元を引っかいてきて落ち着かないし、急がなければ、また噛み付かれるのが目に見えていた。


 ―――と。そのダニーの動きが、突如ぴたりと止まる。

 はて何だろうか、とギアッロが鎖を結んでいた顔を上げると、見慣れない軽装鎧姿の兵らしき人物が、店に向かって歩いて来ていた。慌てて犬の鎖を近場の柱に結ぶと、腰を上げて出迎える。


「い、らっしゃい…その、何か御用で?」


 無言のまま扉をくぐるその人は、卸が中心でほとんどが常連の商人や職人ばかり来客する店に珍しく、個人客のように見えた。

 全体が綺麗に真っ直ぐ刈り込まれた、金の髪の鋭さが目立つ。鎧の下の体躯は鍛えられてはいるがやや細身で、何より青い目の吊りあがった面立ちは、まだ青年を過ぎていない歳に見えた。しかし胴と関節にのみ宛がわれた青白い鋼と、それ以外を守る革の上等な色合いに、一目で上客だと下働きでも分かる。


「―――親方はいるか。」

「へ。親方ですか。ち、ちょっと待ってて下せぇ、えっと、」


 表情も変わらぬままに、冷たいアルトの声色で尋ねられたそれと同時。慣れぬ接客でもたつくギアッロの後ろから、呼ばれた当人が丁度現れた。


「何やってんだ、客か?―――おぉよ、お前さんか。久しいな。どうした?」

ダーウィードはまだ居るか?此処に寄ったと聞いたんだが。」


 問われた人のその名前に、ギアッロのヘーゼルの目が見開かれる。


「…ダーウィード…?ってぇ、あの…もしかして、ウィドの旦那の事で?」


 兵の青い瞳が、初めて疑問の表情を顕わにしながら彼を見た。眼光は鋭く、咎められたような気分になったギアッロは思わず身をこわばらせる。


「お前…奴の知り合いか何かか?」

「え、へ、へぇ。まぁ…その、旦那ならついさっき…」

「ウィドなら今日はもう街から出たぜ。丁度、北の川辺に向かってる頃だろうよ。」


 まさか盗みがバレて捕まった等とは言える訳もなく。答えあぐねているうちに、親方が返事をして店の外を指差した。それに兵は僅かに溜め息をつく。


「…そうか。分かった、行ってみよう。失礼した。」


 小さな角度正しい会釈をして、すぐさま踵を返すその人の背を追い、ギアッロは思わず配達の荷を抱えたままカウンターから出た。


「ま、待ってくれ、ええと…兄さん!アンタ、ウィドの旦那の知り合いで?」

「 …。」


 扉の取っ手を掴んだまま、振り返ったその人の顔は一瞬、店内で閃く刃よりも鋭く見えた。


「―――ただの同業だ。」


 それだけ言い放って、足早に出て行ってしまう。その後をやはり追うように、ギアッロはダニーの鎖を解いて共に飛び出した。

 すると、細い細い、笛のような音が耳に聞こえて瞬時。
 大きな何かが、店のすぐ目の前を跳ねるように横切って、彼らは飛びのくように立ち止まった。


 眼前を行き過ぎる、蜥蜴のような細身の体躯。鞭のようにしなる尾。

 見れば、先ほどの兵を乗せて、乗用竜が風を切り足早に駆け去っていく。


 否。鱗は見慣れたものよりも青緑に近く、何より見た事も無いような重厚かつ冴えた銀の乗用具がその胴を覆っていて、一番の特徴は見えなかったが。
 特有の細面の頭上に、白い角が二本、翻るのが過ぎる時に分かった。

 一度襲われたそれを、ギアッロが見間違える筈は無かった。

 乗用竜、ではない。翼は仕舞われているが、軽やかなあれは。


「… …飛竜(ドラゴン)…!」


 驚いて声を上げる彼を置いて、竜と主人はただの蜥蜴の顔をして走り去って行った。

 なるほど。どうりであれでは普段、見かけた事も無いと思った筈だった。翼が見えぬというだけではない、あんな立派な様相の重装乗用竜は、歩いているとすれば中央か、あるいは瑠璃通りでもなければ。

 色々と混乱して呆けている後ろから、親方も顔を出して、共に駆け出した竜の背を見送って呟く。


「いつ見ても立派な出来だ。われながら惚れ惚れするねぇ…どうだ?
 あの竜騎士(ドラグーン)専用の重装具はな、ウチを中心に
 老舗工房じゅうで合作しなけりゃ作れん、一級の特注品だぞ。」

「ぃ…え、ええ!?アレ、親方が!!?」


 降ってきた言葉に振り向けば。
 髭をたたえてニヤリと笑う誇らしげな顔があった。


「一応専門家の魔術紋も要るからな。手掛けられるのは何十年に一度っきりでよ。」

「…は。てか、んな事より…同業って、やっぱ、旦那ぁ…騎士様なんじゃねえか…」

「そんな事とは何だ、そんな事とは。自慢し甲斐の無ぇ奴だな、ったく…
 …それより、お前よぉ。

 ―――アイツが兄さんなんて呼べるタマに見えたか?」


「…へ?」


 誰もいなくなった道の先を指して問われた、その意味がしかしどういう意図か分からず。ギアッロはいつもの間抜けな返事をした。それに返ってきたのは、親方の呆れた声。


「その鈍さじゃあなあ…やっぱりお前、何も分からんままかもしれん。」


 やけに真顔のそんな言葉で。
 そのまま親方は、何事も無かったかのように店に戻ってしまう。



「え…ち、ちょっと、どう、どういう事だよぉ!?親方ぁ―――っ痛っでぇ!?」



 思わず追いかけて店内に戻りかけた彼の足に。
 とうとうしびれを切らしたダニーが、がっつりと食いついた。

 昼下がりの工房通りに悲鳴が響く。




 その日からしばらく、足の歯型は取れなかったという。

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最終更新:2011年06月13日 15:53
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