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胡 烈
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asaahingaeaw
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生年 | 225 |
没年 | 272 |
所属 | 魏国(曹魏)→西晋 |
出生地 | 雍州安定郡臨涇県(現甘粛省白銀市雍陽郡) |
父 | 胡 遵 |
母 | 司馬懿の娘(本名不明) |
兄弟 | 胡 広、胡 奮、胡 岐 |
子女 | 胡 淵、胡 信 |
詳細
正史では生年没年が不明とされるものの三国志演義では生年は225年。没年は272年である。諸葛 誕の反乱軍を鎮圧する軍に参加。鐘 会と姜 維の反乱軍も同僚の田 続や龐 会と共に鎮圧軍に参加。その際に鐘 会に囚われて幽閉されるも子の胡 淵が鎮圧軍に参加し、難を逃れた。西陵で呉国(孫呉)の陸 抗に包囲された羅 憲を救援し、陸 抗を撃退した。襄陽太守、荊州刺史を歴任し、秦州刺史まで出世。魏国(曹魏)が禅譲により滅亡し、西晋に代わっても胡 烈は生きた。272年、胡 烈は異民族である鮮卑の禿髪樹機能との戦いに敗れ、戦死した。胡 烈の敗因は救援がなかったためとされる。扶風王司馬 亮は配下の劉 旂・敬 琰らに胡 烈の救援を命じていたが、両者は敵軍を恐れて進軍しなかったため、孤立無援となった胡 烈が戦死することになったという。
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