元ネタ語録 > 平和の心 風にのせて アルベルトの挑戦
字幕(♪オキナワ・ラティーナ/DIAMANTES)
!Que おもしろい! !Que おもしろい! 沖縄ラティーナ! !Que おもしろい!
覗いてごらんよ ここが噂の楽園 不思議なメロディーに 町は染まっているよ
言葉の違った 愛が溢れてる 平和だね 手を振り皆で踊ろう!
平和の心
風にのせて
~アルベルトの挑戦~
字幕(沖縄県 那覇市)
ナレーター(以下ナレ)「日本最南端の大都市、那覇。その中心街の一角に、新しいライブハウス「パライソ」がオープンした。」
字幕(ライブハウス パライソ)
ナレ「今夜も陽気な音楽を求めて、若者たちが集う。」
字幕(♪勝利のうた/DIAMANTES)
アルベルト「勝利のうた―!」
字幕(ディアマンテス)
ナレ「ステージに立つのは、ディアマンテス。ラテンサウンドをベースに、沖縄民謡やロックを織り交ぜ、J-POPに新風を送り続けるバンドだ。」
字幕(アルベルト)
(アルベルトの歌声)
ナレ「パワフルな楽曲を作り出しているのは、ボーカルのアルベルト。彼の国籍は、南米のペルー。祖父母が沖縄出身の、日系三世だ。」
ナレ「彼は、抜群のリズム感と歌唱力で、社会で頑張っている人や、逆境に挑戦する青年たちへの、応援歌を歌い上げる。」
字幕(勝利のうたを歌おうよ! (平和と命に乾杯) 生きてる喜び感じよう!
字幕(Hay mucho por hace(今 やることは たくさんあるんだ) La・La・la・・・)
アルベルト「ありがとうございました」
ナレ「"沖縄から音楽を発信することに意味がある"と、アルベルトは語る。」
ナレ「彼は、全国ツアーやテレビ出演など、活躍の舞台を広げても、東京には進出せずに、沖縄を拠点に活動している。」
アルベルト「それは君でしょ!ハハハハハ(笑う」
ナレ「彼は何故、沖縄に拘り、沖縄で活動を続けるのか。その想いを求めてみた。」
アルベルト「ちょっとラテンが入ってるんで。うん。ねぇ~」
字幕(♪コンドルは飛んで行く)
字幕(南米大陸 ペルー・リマ市)
ナレ「アルベルトの祖国、ペルーは、政治や経済など、不安定なことも多かった。」
ナレ「彼は学生時代、そんなペルー社会に、心を痛めていた。」
アルベルト「学校にも行けない・・・働かなきゃいけない子供たち」
(ここで浜辺をバックに喋るアルベルトに変わる)
アルベルト「どうやったら皆、ホントに幸せになれるのかな?って一生懸命かん、考えてたんですね」
アルベルト「毎週日曜日、教会行って、それでもやっぱり、自分たちの生活は良くはならない・・・」
アルベルト「約1年間ぐらいかな、引きこもって、もう大学も、行けなくなっちゃって・・・」
アルベルト「気づいたら自分はもう精神科、に通っている。うん・・・」
ナレ「そんな彼を支えたのは、音楽だった。」
字幕(全米歌謡コンクール 優勝)
ナレ「彼のパワフルな歌唱力は、全米の歌謡コンクールで優勝。副賞で手に入れたのは、日本への航空券だった。」
ナレ「二十歳の青年は、演歌歌手を目指し、東京へ旅だった。」
ナレ「しかし、夢に描いた世界は厳しかった。僅かひと月で挫折した彼は、自身のルーツを求めて沖縄を訪れた。」
字幕(♪沖縄ミ・アモーレ)
ナレ「そこは、美しい自然と豊かな文化、人々のあたたかさが魅力的な島だった。初めて訪れるのになぜか懐かしさを感じる。」
ナレ「この島で、僅か数十年前に戦争があり、たくさんの人が犠牲になった悲しい歴史も知った。」
ナレ「彼は、琉球音楽と日本語を学び、弾き語りをして暮らした。」
ナレ「そして、彼が沖縄にとどまったもう一つの理由、それは創価学会との出会いであった。」
字幕(創価学会 沖縄国際平和会館)
アルベルト「あ〜、清二郎さん。久しぶり〜。」
米須「久しぶり〜。ご苦労様でした。」
字幕(元ライブハウス・オーナー 米須 清二郎さん)
ナレ「当時、ライブハウスのオーナーをしていた、米須清二郎さん。米須さんは、アルベルトのバンドを作り、ステージに立つチャンスを与えてくれた人だった。」
アルベルト「四ヶ月…その間さー。」
字幕(ライブハウス ヒューマン・ステージ)
ナレ「初めてのライブを前に、アルベルトが緊張していたとき、米須さんは、仏法の話をした。」
アルベルト「米須さんがね「お題目三唱」をやりましょう!って言うんですよ。」
アルベルト「「南無妙法蓮華経」って聞いたことある?」
アルベルト「…?」
米須「ペルーを変えれるアル…」
ナレ「米須さんは、ペルー時代の悩みを聞き、「この信仰で平和な社会を築いていこう」と訴えた。」
アルベルト「「アルベルト 自分の国を変えたいって思うんなら──」」
アルベルト「「あなたを変えなさい!」って。あなた一人が変わることで、環境も変わる、そして社会も変わっていく。」
アルベルト「その言葉にね、感動して──」
米須「「ペルーを変えたい」とか「友人を救いたい」とか」
字幕(小説「人間革命」 池田大作 著 (スペイン語版))
米須「その中で、「人間革命」のスペイン語版をですね、読んで。すごい確信を持ってですね、本当にその深く、この仏法に共鳴した。」
字幕(創価学会に入会(22歳) 1989(平成元)年1月14日)
字幕(♪フィエスタ)
ナレ「人生は、大きく回転をし始めた。居酒屋のアルバイトから、リゾートホテルのミュージシャンへ、そして、瞬く間にそのセンターステージに立っていた。」
字幕(リゾートホテル専属のミュージシャンへ)
字幕(コザ(沖縄市))
ナレ「彼は、オキナワンロックの中心地・コザのライブハウス「パティ」で、ディアマンテスをスタートさせた。」
字幕(ディアマンテスのライブハウス Pa'ti(パティ))
ナレ「その人気は口コミで広がり、ライブはいつも満員。デビュー曲はCMソングにも採用され、一気にメジャーへと駆け上がっていった。」
ナレ「以来、ヒットを重ね、現在ソロ活動やプロデュースも手掛ける。それでも、活動の拠点はあくまで沖縄。ホームグラウンドは、コザのパティだった。」
字幕(読谷村 長浜 長浜地区座談会)
(唐揚げを揚げる音)
ナレ「アルベルトは、近隣の座談会に参加する。座談会は、地域の創価学会員が集う交流の場だ。」
ナレ「彼はこの集いが、とても大切だと語る。」
アルベルト「座談会っていうのは本当に、「社会そのもの」ですね。みんな本当に一人ひとり、「幸せになっていこう!」って。」
アルベルト「この信仰の体験も語る喜び合えるっていうかね、本当にこれは最高の…「最高の場」ですね!」
アルベルト「これは全国、全世界で行っているわけですよね。素晴らしい運動だと思いますね、素晴らしい平和運動だと思いますね。」
(波打ち際でギターを弾くアルベルト)
ナレ「信仰を始めて、彼が作る音楽は変わった。希望や勇気、勝利などポジティブな心をストレートに表現するようになっていった。」
ナレ「そして彼は、平和という願いを歌い始めていった。」
戦闘機(ゴォォォォォォ…)
ナレ「沖縄には、米軍の基地施設が点在する。世界のどこかで紛争が起こるたびに、基地は動く。」
ナレ「今も戦争と無関係ではない。それが「沖縄」だ。」
字幕(創価学会 沖縄研修道場)
ナレ「アルベルトは創価学会と出会い、平和の心を深くしたという。」
字幕(平和記念館・展示室)
ナレ「創価学会の初代牧口会長は戦時中、軍国主義と戦い、牢獄で亡くなった。」
字幕(創価学会 牧口 常三郎初代会長)
字幕(創価学会 戸田 城聖第二代会長)
ナレ「戸田第二代会長は戦後、先見性をもって原水爆の禁止を訴えた。」
ナレ「ここ沖縄研修道場は、かつて米軍の核ミサイル基地であった。」
字幕(米軍「核ミサイル基地」跡地)
ナレ「それを永遠平和の要塞として蘇らせたのが、池田SGI会長であった。」
字幕(創価学会インタナショナル 池田大作会長)
字幕(沖縄記念総会 1995(平成7)年3月)
ナレ「アルベルトは、SGI会長と出会い、その平和の心を自分の使命に変えたという。」
アルベルト「池田先生が「戦争で一番苦しんだ沖縄(このしま)が一番幸せになる権利がある」。このメッセージをやっぱり伝えなきゃいけない。」
アルベルト「その手伝いをやっぱり…ね、私たちしなきゃいけない。」
字幕(♪片手に三線を DIAMANTES 沖縄戦終結50周年に制作(1995年) ※三線(さんしん):沖縄三味線)
ナレ「1995年、沖縄戦終結50周年の節目に、アルベルトは『片手に三線を』という歌を作った。」
ナレ「この歌は、かつて琉球王朝の先人達が海を渡り、世界に友好を広げたように「沖縄から平和を築こう」と呼びかけた歌だ。」
ナレ「しかし当時、『平和』という言葉は堅い。『平和』という言葉がある限り、歌はヒットしないと言われた。」
アルベルト「僕は「平和」っていう言葉がとってもこう、「素敵」にね、聞こえるといいと思ったんですね。」
アルベルト「沖縄の人たちに合う笑顔でね、歌える歌にしたいなぁと思ったんですよ。ニコニコして大きな笑顔、太陽のようにね。」
アルベルト「堅い言葉じゃなくて素敵な言葉ですね。これはもう世界共通、どこいっても。平和っていいね!歌いましょう!恥ずかしくないよ!って。」
(アルベルトの歌声)
字幕(青年よ 三線を片手に弾き鳴らし 平和求めて 共に この船で旅立とう)
ナレ「歌は、記録的なヒットとなった。」
字幕(第3回 「世界のウチナーンチュ(沖縄人)大会」 写真提供:沖縄タイムス社)
ナレ「そして、5年に一度開催される沖縄の大きなイベント『世界のウチナーンチュ大会』で2回続けてテーマソングに採用された。」
ナレ「その理由は、この曲以上に沖縄の心を歌う歌は他にない、というものであった。」
アルベルト「「平和」っていう言葉の勝利だな。戦争が勝ったんじゃなくてね。平和が勝ったんだなって。」
字幕(平和求めて 共に この船で旅立とう)
字幕(創価学会 中頭文化会館)
字幕(読谷本部 男子部活動者会)
ナレ「平和の心を受け継ぐのは、沖縄創価学会の青年たちも皆同じ思いだ。彼らは平和について真剣に語り合う。」
ナレ「そんな一人に、平田太一という青年がいる。」
字幕(舞台演出家 平田 太一さん)
ナレ「彼はアルベルトの親友だ。」
ナレ「平田さんは、勝連町のきむたかホールで館長をしながら、郷土文化の舞台を演出している。」
ナレ「地域の青少年たちの劇団では、教育と文化を基にした町おこしでも貢献している。」
平田「僕はあのー、「沖縄の心」っていうのはね、やっぱ「平和の思い」だと思うんですね。特にそういう、一人ひとりの心の中に、「平和の種」を植えていく。でその種は、僕は感動体験だと思ってるんですよ。」
平田「ですから舞台を通して、人の心を育んでいくという。」
平田「そういった面でそのー、アルベルト君と共通のね、思いというのはまさにそういう、「平和の風」を吹かせる。」
平田「島人である僕らがね、やっぱりやっていかなきゃいけないんじゃないか。」
平田「夢は「一流の島人」になりたい、ということが僕の夢です。」
字幕(コザ(沖縄市)
ナレ「しかし、楽園が地獄になることもある。コザの街は状況も変わり、ライブハウス「パティ」は輝きを失っていった。」
アルベルト「まぁ12年間やってきた、ね?大切なホームグラウンドを、閉めることにしたんですね。」
アルベルトまぁやっぱり沖縄にずっと今までこだわってきてて、沖縄で、地元でライブできなかったら住んでる意味があるのかなぁ…。」
アルベルト「ほとんど1年間、一曲も作れなかったんですよ。こんなに辛い時期を迎えるとは思わなかったんですね、うん。」
字幕(創価学会 本部幹部会(沖縄総会) 東京牧口記念会館/2004年9月)
ナレ(2004年9月、アルベルトは辛い思いを胸に、池田SGI会長の元へ集った。」
(アルベルトの歌声)
アルベルト「また池田先生と、もう一度会って、その時もう一度誓いましたね。絶対負けないと思いましたね。」
アルベルト「やっぱり沖縄で、沖縄で頑張りたいなって。その時、思い出したというか、強く感じましたね。」
アルベルト「やー僕は沖縄でもう一度勝負かけると思いましたね。」
字幕(♪「風の歌」 作詞:平田太一 作曲:アルベルト城間)
ナレ「今、アルベルトは新たなホームグラウンドで、挑戦を開始した。『平和への誓い』、その心を風に乗せて。」
字幕(いつかどこかの風になる 平和の風になる)
アルベルト「「平和」っていうのはやっぱり、もう一人ひとりの心の中にやっぱり育てる事だと思いますね。」
アルベルト「その自分の心の中に「平和」を育てられれば、自分は本当に「平和」を創っているはず。」
アルベルト「絶対に「平和」はね、実現させるんだよって。笑顔で…。」
字幕(風の道を渡る 鳥よ 星たちよ 今 歩き続けるこの道を 風を感じて…」
アルベルト「風を…感じてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!
平和の心
風にのせて
最終更新:2018年03月24日 01:04