元ネタ語録 > 嗚呼、崩壊の夜は明ける ―顕正会破折の経緯―
喧嘩をしている部分は聞き取りにくいためほぼ空耳です。分かる方は修正お願いします。
「バカ野郎!」
「出ろこの野郎!」
「おい!」
「そうだよ!」
「バカじゃないよこの野郎、この動いたとき、大事な時に」
「出ろよ!!!」
「これが四日間、あんたがたにしたんだよ」
「じゃあ一回勉強しろがっつり、そこまで」
「そうだよ!今度誘ってきたのはそっちからだろー!」
「やっぱりお前適当なこと言って、そこでじゃあ池田みたいだろ」
「ねぇ、ちゃんと見たんだろ!」
「そうだよ!」
「卑劣なこと言ってんじゃないよ」
「卑劣だってこと忘れたのか!」
「オラッ!入れろよ!」
一万法城を目指し破邪顕正の戦いに邁進する妙観講に、昭和63年突然顕正会破折の機が訪れた
顕正会は元々の名称を妙信講といい日蓮正宗の一信徒団体あったが、総本山66世 日達上人猊下の本問会談に関するご至難に異議を挟み昭和49年修文より破門された
異流儀の門外漢である
平成元年の3月現在、顕正会は妙観講側からの痛烈な破折攻撃によって、失速状態を余儀なくされているがここに至るまでの経緯を以下に追ってみよう
(タイトル:嗚呼、崩壊の夜は明ける ー顕正会破折の経緯ー 平成元年 制作)
妙観講が講中を上げて顕正会破折に乗り出すに至った直接の発端は昭和63年9月16日 顕正会会長、浅井昭衛の息子で同会男子部長、浅井克衛が本部に押しかけ、法論と称して御法主商人や妙観講を口汚く誹謗して帰ったことにあった
この日、夜8時過ぎ、朝井克衛ら顕正会員は何の予告もなしに突然、ヤクザの襲撃のごとき勢いで妙観講本部に乗り込んできた
元より、顕正会の無節操かつ暴力団的性質を熟知する妙観講では人数を頼んでの法論など成り立たぬと判断。2、3名なら入室を許可するがそれ以外は退去するように。と通告した
彼らは事前に申し合わせてきたらしく、妙観光側からのこの通告を聞くか聞かないかのうちに全員が大声で怒鳴り始めたのである
「お前らだぁ、顕正会で逃げまわったってよぉ、」
「頭の中で話してもしょうがいから」
「なぁ!」
「どっちだ」
「お前が頭に入るんだろぉ!」
「人間だから」
「黙れよもう、もう!」
「やかましい!」
「卑劣なことを!させろぉ!」
「やかましい」
「まぁいいや」
「しってるかお前もう」
「やめなさいもう、やったと思いますけど。そうか、ほれ見ろ」
「やだ」
「いい加減にしましょう」
「じゃあどっちが礼儀を知らないんだ呼んでおいて」
「なにこれ出すのが礼儀か、じゃあ答えなさいもう」
「何いっぱいいってんだぁ?」
「おいおーい」
「全然事情の知らないものが話を」
「そうだよ!飲んでろ!」
「飲んでろってことないでしょ」
「だからお前バカ田大学だろ、大草さんいるかじゃあ、大草さんよんでこいここに!」
この罵声は近所中に響き渡り、不安を抱いた住民が警察に通報。パトカーが出動する事態にまで至った
警察官が立ち去った後も彼らは妙観講側からの退去勧告を無視して玄関に居座り続ける
夜もすでに10時近くになっていた
「デカい声出すよ~まもなく。早くしないと」
「もう何分待ってんだ」
「あと何分。もう待てないぞ、10時になるからもう待てないぞ」
「もう1回警察沙汰になるぞ。こちら嫌だけども」
「子供じゃないんだから、もうちょっと待ってて」
「何だ」
「何があるんだ」
「いつまで待たせる気だ?礼儀しろよ、理由。」
押しかけてきてからすでに、2時間近くを経過しており何か彼らに対して哀れさを感じた妙観講では一応用意してきたとかいう話だけは聞いてあげよう。ということで
彼ら全員を中に入れてあげることにした
かくて、浅井克衛の命がけの法論なる1人芝居が始まったのである
(テロップ:顕正会男子部長・浅井克衛)
浅井克衛「宿泊くらいすごいつまんなかったすねぇ」
妙観講側「うるさいなぁ」
克衛「細井管長と同じになるぞ?」
妙観「うるさいなぁ」
克衛「細井管長はな、バケツ三杯の血を吐いて死んでったんだよぉ」
顕正会の仲間「でもそそのいてないからなぁ・・・」
浅井克衛「お前見てないだろ?」
?「何言ってんだよ」
浅井克衛「こんな勝手な動画取りあげやがって!」
妙観講側「だから顕正会折伏したんでしょ」
克衛「罰当たるぞ!」
不明「違う!」
浅井克衛「池田大作のような、アル中になる、血を吐くようなことじゃすまないぞ!池田大作のような、大罰を食らうぞ!よくこれを命に叩き込んでおけ。分かったか。お前らのような大馬鹿が通用するんじゃない。こうがしくなる。お前本当、再起不能になる。推看板ヘルニアとか網膜が剥がれるなんていうとこじゃお前すまなくなるよ。失明するだろ。なぁ、血をどんどん吐くだろ。細井管長と同じように吐いてしまうだろ。この間のようなあんなアル中の、人生崩れた、博打にあけくれるようなそういった生活以下に陥るからな!これがげんしんに受ける、罰だ。こんな大馬鹿は通用するからよく言っとけ、よく覚えとけ。行こう。」
妙観講側「情けない男たちだな~」
浅井克衛「お前だろ!それは!」
?「すいません、じゃあどうするんですか、じゃあさっきの手をつかむって」
「いやそんでもって周りの者はな、さっぱりするもんはもういいよ分かんないから。それ言ってるだけで、分かってない」
「分かってるわけないです」
「玄関なんで、ここは出てって大丈夫ですから」
「お前そんなことわかってんだよ、わかってないとおもってんのか」
「静かにしましょう」
「静かにしろ!」
「渡辺、今日の大草に伝えとけよ、いつまでも長野に着込んでないで、さっきからこっちに出て来いって」
「馬鹿」
「お前信者にいったら今日の話わかるぞ?こんど近いうちに長野行くから大草さんに言っとけよく」
「おい常識わきまえて」
「ちゃんと着替えていくってよ、大草に行っとけよ、長野に言っとくって」
「深夜だから騒がないようにしてね」
「誰がこんな遅くしたんだ、お前たちだろぉ!俺たちは7時丁度に来たんだろ!チッお前らだろ!」
「おいお前出さないから帰れよ」
「見えたんだよ」
「はよ帰れ、むさ苦しいから」
「逃げんなよな」
さて、この様子をVTRで見た大草講頭は、浅井克衛の妄説と暴言の全てを木端微塵に粉砕した文章を書き上げ、9月25日 これを内容証明郵便にて、顕正会責任者 浅井昭衛当てに送付した
文中、大草講頭はかかる、讒謗をなせるもの、及びこれに与同せるものを大御本尊がお許しになるはずもなく、貴君等が順次生に無限に沈み、阿鼻の炎にむせぶことは必定であるが、御報恩のため、また後の人々を迷わせぬためにも、もはや容赦はせぬ。徹底的に追撃するゆえ、覚悟せられたい。と宣告したのである
さらに、妙観講の男子講員12名はこの9月25日付け文書が浅井親子の手で隠蔽されぬよう、10月2日顕正会本部のある板橋区常盤台に赴き駅前と本部会館前の2手に分かれ、顕正会員たちに対し同文書コピーの配布を断行した
だが、ここでパンフレット配布を妨害せんとする浅井克衛ら顕正会会員4、50名が会館内から飛び出し、突如、集団暴行を加えてきたのである
「やめろお」
「やあだああああああ」
「お前よう、だれが言ったんだこの野郎」
「暴力はやめろぉ!!!」
「おら!」
「出ろぉ!」
「暴力はやめろぉ!!!」
「うるさい!聞かない!」
「そしたら断固だこの野郎!」
「誰も言ってないだろてめぇは」
「うるさい!!!」
「覚えとけ!」
(聞き取れない)
「おいうるせえうるせえ、うるせえ!帰れお前ら!」
「帰れてめえら」
「帰れ帰れ!」
「おらぁ!」
「なんでだよ!」
「なんなんだよ!さらわれた!公明!てい!高麗に!」
「うるせい!とっとと・・」
「うわあああああああああ、あああああああああああ」
「大丈夫ですか、ちょっとくらい、池田大作じゃないかもう」
「やるなよこの野郎!」
「早く引き揚げろ!!!!」
「暴力やってんじゃないか」
「バカ野郎!!!!」
「帰れ!」
「お前らもう帰」
「かえれ!!!」
「暴力奮ってんのやめてくれ」
「帰れ!!!!」
「やめてください暴力を」
「岡野幹事!」
「早く帰れよお前らが」
「創価学会に!」
「なんかの暴力だろ単純に」
「いい加減に」
「考慮できないんだろ」
「暴力だろ」
「暴力じゃない!お前らがみぃっつ・・・何言ってんだ!」
「何言ってんだお前新聞読め!!!!帰れ!!!」
「何言ってんだよー!」
「良いから帰れ!」
「帰れつってんだろ!!」
「良いから貴様は帰れ!!!」
「帰れ!読んでやるから帰れ!」
「良いから帰れっつってんだろ!」
「帰れ!」
「また暴力奮うのか」
「あ"ぁ"!!!」
「帰れよ!」
「また暴力奮うのか」
「貴様帰れ!」
「天下のな・・・・」
「帰れよ!!!」
「なんでお前に命令されなきゃいけ」
(ゆっくりになり遠くの人物に矢印が付く)
「帰れ!!!」
「なんで。なんでお前に命令されなきゃいけない」
「帰れ早く」
「なんで命令されなきゃいけないんだ」
「読んでやるから帰れ!!!」
「どこにやるっつってんだろ!」
「法論で逃げるなら探してこい!」
「来てやるから」
「お前らのちゃんと新聞読め!お前らが出してる新聞読め!」
「お前らが来てる」
「みんな帰れ!」
「帰れよもう!」
「バカ!」
「立派な幕をあてがうなこの野郎!」
「ちゃんとこれ読んで、」
「帰れ!!!」
「帰ろう!!!」
「いいから」
「違う帰れ!!!」
「帰ろうっつってる」
「帰れ!」
「とるんじゃねえよ」
「読めよ」
「並んで読めばわかること書いてあるから!」
「読めよ」
「だぁ分かったよ帰れよ!」
「読もうから帰れ!」
「えぇ?」
「読んでやろう帰れ」
「良いから帰れ!」
「いいか?」
「よんでねえよ!」
「穏当だよ党だよお前は!」
「帰れよおおおおおおおお」
「お前らだろ」
「分かってるから」
(聞き取れない)
「ばあああああああああ」
「暴力しかねぇなのか」
「うるさい帰れ!」
「暴力しか振るえないのか」
「帰れこのぉ!」
「うるっせえ!こんなんの」
「こんなんに推しなの」
「推しなんかだけてないよこんなん」
「帰ってみろバカ野郎」
「何言ってんだよお!!!」
「暴力しか」
「女を!!!!」
「よーし喋ってみろぉ」
「ふざけるな」
「おめぇ帰れ!」
「おらぁ!」
「暴力はやめましょうや、ねぇ、毎回言ったって」
「おぉ!」
この状況がまた、顕正新聞の記事になると次のようにすり替えられてしまう
顕正会機関紙・顕正新聞「渡辺は顔を引きつらせ、恐怖の色を表した。よほど怖かったのであろう、彼は足がもつれ、3度もつまづいては、自ら地べたにへばりつくという醜態を演じた。渡辺のこの姿を見て他の青年らもおどおどし、それぞれ抱き抱えていた印刷物を献上するように顕正会男子部に引き渡してしまった」
白も黒と言い切ってしまう顕正会の体質たるや誠に無惨という他ない
なお、この騒動の最中、逃げ場のなくなった浅井克衛は「会長当てに来た手紙だから会長が答えるのが筋だ!」「会長が書面で答えてやる」と9月25日付け文書に対し、浅井昭衛が文書で回答することを大衆の面前で確約している。
さらに大草講頭は徹底追撃するとの宣言通り、10月13日浅井昭衛の御遺命守護に名を借りた邪偽大枠の全てを木端微塵に粉砕した一書、摧破異流義考を執筆。顕正会部宛てに送達した
そして、前に送付した9月25日付け文書と合わせ浅井昭衛からの反論を待った
一方妙観講としては、9月16日の真相や9月25日付け文書及び10月2日の顕正会集団暴行事件を大々的に報道した『妙観』顕正会糾弾特集第1弾を10月15日付けで発刊。これを大量印刷し、各地の顕正会拠点に配送するとともに検証会員が多く居住する板橋区のほぼ全域に広く配布した。
さて、大草講頭は浅井昭衛からの回答を今か今かと待ち詫びた。だが、元より彼らに回答できようはずがない。いくら待っても何の音沙汰すらなく、浅井昭衛はほっかむりを決め込んだまま。そこで10月30日付で再度、浅井昭衛及び浅井克衛のそれぞれに当て厳しく回答を要求する文章を内容証明郵便て送付した。
それでも何の音沙汰もないゆえ、11月21日には浅井昭衛宛てに回答期限を12月13日と定める最終通告書を送付その文中でもし期限までに異議回答なき場合は君が全面的に誤りを認め、配送したものと認定するゆえあらかじめ了承せよと告したのである
これに対する浅井親子の対応たるや、見るも無惨聞くも哀れなものであった
そもそもは、自分たちから仕掛けてきた法義論争であったにもかかわらず、会員に向けて妙観講ごときの相手をする必要はないなどと言い訳をし、中途敗走を正当化するための根回しを始めた
12月10日には『妙観』顕正会糾弾特集第2弾を発行。大量配布し一閻浮提の座主、日目上人再誕の詐称をもくろむ浅井昭衛の醜悪なる正体を暴くとともに12月13日の回答期限を広く知らしめた
かくて迎えた12月13日。ついに浅井昭衛は一言の反論すらできぬまま逃避を決め込んでしまったのである
浅井敗走が確定した翌日、12月14日の本部講習会の席上、大草講頭は法義論争の全面勝利を宣言。さらに今後とも徹底して顕正会撲滅の活動を続行することを選した
大草講頭「本日、えー顕正会会長浅井昭衛との法義論争に全面勝利したことをここに宣言をいたします」(拍手)
さらに12月22・23日の両日にわたり、浅井敗走の事実を一般紙に掲載。首都圏全域に公告するとともに『妙観』顕正会糾弾特集第3弾で報道し、12月30日に一斉配布した
なお、浅井が逃避を決め込んでる間、妙観講では妙観の大量配布の他、顕正会の各地事務所に赴くなど、講中あげて勢力的に破折活動を展開していた
顕正会員は相手をするなとの本部からの指示によって逃げ回るだけであったが、中には妙観や摧破異流義考を読み、顕正会の主義主張に重大な疑問を抱く人も現れてきた
そして浅井敗走が決定的となった時、ついに男子部支隊長の職にあったしばのりとしさん。こうちやすとさんらが200名の会員を率いて顕正会を脱会することを決意
年が明けた本年、1月15日顕正会本部宛てに脱会表明文を送付したのである
これに衝撃を受けた顕正会は、このまま逃げ続けていけばさらに脱会者が増えるばかりと思ったのであろう
いきなり法論の通告をしてきた。すでに顕正会は法議論争を敗走したのであるから、今更法論だなどと大上段に構えてくること自体無節操の極みというものであるが、妙観講では検証観光が汚名挽回のために申し入れた対論としてなら受けてたとうとこれを受諾した
かくて1月29日に大阪府高槻市市民会館で対論が行われることになったのであるが、ここで顕正会側は会場に入室してくるやいやいきなり妙観講員に飛びかかり、またしても集団暴行事件を引き起こすという醜態を演じたのである
(多数の人物が同時にしゃべるため聞き取れず)
卑劣な顕正会は顕正新聞にこの時の模様を痴犬・妙観講またも法論で醜態という見出しをつけて、またまた次のような捏造とすり替えの報道をした
顕正新聞「男子部長が「許可なくして一方的なビデオ撮影はやめよ」と静止したところ、待ち構えていたかのごとく、痴犬どもは暴れだし、いきなり乱闘に持ち込んだ。渡辺繁夫の態度に業を煮やした妙観講員の本田が突如もし大草講頭が間違っていたら自分は腹を切ると叫んで男子部長の答弁を促した。この時仲間割れが起きたのである。なんと渡辺は本田に対し殴る蹴るの凄まじい暴行を加えた顕正会員29名の眼前で行われた凄惨なリンチあったこの仲間割れを機に痴犬側は一斉に顕正会男子部めがけて襲いかかり、乱闘となった」
一体どこにそんな事実があったというのか。ここまで来ると検証会の嘘つきぶりには頭破七分の様相すら感じられて何やら背筋が寒くなってくるではないか
さて、この日本部にいて顕正会から集団暴行を受け女子行員を含む10名が怪我をしたとの報告を受けた大草講頭は、その場から、直接浅井昭衛に電話をかけた
そして顕正会がまたも対論に敗走したことを通告するとともに彼らの卑劣さを責めたのである
浅井昭衛「もしもし?」
大草一男「あ、もしもし?」
浅井「ハイハイ!」
大草「浅井さんですか」
浅井「ハイハイ!」
大草「浅井昭衛さんですね」
浅井「ハイハイ!」
大草「妙観講の大草です、こんにちは」
浅井「ハ~イハイハイハイ!」
大草「何か今、大阪の件で連絡が入ってるんですけどね」
浅井「ウンウン」
大草「なんかまた乱闘事件になったらしいですよ」
浅井「ほ~ほうほうほう…」
大草「で…」
浅井「お前達が起こしたんだろ!」
大草「全部…全部ね全部ねぇ、あなた方ですよ」
浅井「お前達が起こしたんだろ」
大草「な~に言ってるんですか。ビデオに全部入ってますよ」
浅井「貴様てめぇ…やったのう!」
大草「おお良いですよ」
浅井「ええ?」
大草「女子会員も怪我してますからね。またこれ告訴しますから」
浅井「やりなさい」
大草「うん」
浅井「やりなさい」
大草「お~やりますよ」
浅井「やりなさい」
大草「やりますよ」
浅井「そんなこといちいちお前が断るまでもない」
大草「うんそれでねぇ、結局おたくら全然答えられなかったから。全面敗走ってことで終わりましたからね。」
浅井「お前バカだのう」
大草「それだけ通告しときます、ね?」
浅井「貴様バカだのう」
大草「よろしいですか?」
浅井「お前はバカだのう」
大草「フハハハハハwwwwへぇ?ww何がバカなの?」
浅井「お~お前はホントにバカだ」
大草「あなたねぇ、そうやってねぇ喚いてるだけじゃない。ちゃんと法議上から反論してくださいよ。あなたの名前で堂々とやってみなさい」
浅井「貴様のようなものを」
大草「恥ずかしいなぁ全く」
浅井「私はな」
大草「うん」
浅井「池田大作と細井管長を訂正せしめてるんだぞ。貴様のような痴犬が何だっていうんだ!」
大草「逃げるんじゃない逃げるんじゃない」
浅井「顕正会が相手してるのはな」
大草「逃げるんじゃない」
浅井「阿部管長であり、池田大作であって」
大草「何を言ってるんだ、妙観講の息の根を止めるって自分達で言ってるじゃないか。あなた自分で言ってるじゃないか」
浅井「これから止めるぞ?」
大草「あぁ止めてみろよ」
浅井「止めるぞ?」
浅井「そのうち男子部派遣してやる。息の根を止めてやる」
大草「おー楽しみだな、楽しみだな」
浅井「逃げるんじゃないぞ?」
大草「おーおめぇ…」
浅井「よろしい。今すぐ覚えてろ!」
大草「おい、待て、待て、待て、待て」
浅井「よろしい、今すぐ覚えてろ!」
浅井「逃げたら承知しないぞ!」
大草「ハハハwww」
浅井「よろしいな!」
大草「おい浅井さんあんたの…」
顕正会男子部約60名による妙観講本部襲撃事件が勃発したのは浅井昭衛が男子部を送り込んでやる、息の根を止めてやると宣言してから1週間後、2月5日の昼であった
宣伝カーを押し立てて嵐のごとき勢い襲撃してきた彼らは、妙観講本部の入り口敷地を人がきによって完全封鎖した上でメガフォンを使い、大声で大草講頭と妙観講を誹謗する文書を読み上げ全員でシュプレヒコールを始めた。そして狂気のごとく玄関扉を蹴破ろうとし、いよいよ乱入の構えを見せたのである
これに対し妙観講では、数名が表に出て、全員の退去を命じたが、顕正会員たちは待ってましたとばかりに力づくで押しやる、殴るなどの暴行を加えてきた
これを本部玄関内で見守っていた妙観講男子講員約20名は彼らの建物乱入も時間の問題と判断。それを阻止するため、表に飛に出したが、いかんせん多勢に無勢。あっという間に1人また1人と群れの中に引き込まれ、人に抑えられ、四方八方から殴られ、蹴られ、あるいは数人がかりで髪をつかまれ、頭部をけられるなどなどの狂気の暴行を受けたのである
パトカー出動の知らせをいち早くキャッチした彼らは波が引くように妙観講の敷地から離れたが、この時すでにも妙観講側には怪我人が続出しており、犯人のうち障害行為が特定できた1名が現行犯逮捕され主犯の浅井克衛ら3名が事情聴取されるという結末となったのである
しかるに顕正新聞ではこれを次のように報道
「20数名の講員が一斉に飛び出し顕正会男子部にかるという暴力行為に及んだ。先頭に立つ渡辺は海老原幹事に対しいきなり飛び蹴りを放ち、殴りつけ、首を締め上げた。男子部の自制をいいことに知見どもの乱暴狼藉は目に余った。その手慣れた乱闘ぶりを見れば痴犬の本性は歴然であり、策略をこととする暴力集団なること白日のもとにさらした」
よくぞこれだけのすり替えができるものだと呆れるばかりである。ちなみに自分たちの側に逮捕者が出た事実については一言も触れていないところに顕正会の情報操作ぶりがよく現れている
なおこれら1年の暴行事件についてはすでに妙観講では国訴という厳しい措置を取っている
当初は妙観講ごときは男子部の手で断固粉砕し蹴散らしてではありませんかなどと息まいていた顕正会であったが、妙観講から9月25日の破折文書に始まって摧破異流義考の発刊。顕正会糾弾特集号の大量配布。地方事務所への波状攻撃の折伏戦。一般紙紙上における浅井昭衛敗走の告知。度重なる暴行事件の国訴などなど、矢継ぎ早に徹底追撃の弾丸を打ち込まれ、哀れ今や完全に失速しつつある
現在、窮地に立たされた顕正会は顕正新聞に過去に発表した邪説を焼き直しただけの御遺命守護の戦いなる特集を組んでみたり、自ら引き起こした暴行事件をあたかも自分たちの側が被害者であったかのごとくにすり替えて報道してみたりと、内部の動揺を抑えることに狂奔しているのである
最後にこの写真をとくと見比べていただきたい。浅井昭衛への走狗として妙観講攻撃の人頭指揮に立ち、御法主上人を口汚くののしり続けてきた浅井克衛の左は昨年9月16日の姿、右は本年1月29日の姿である。わずか4ヶ月の間のこの異常なやせ衰えぶりは何を語っているのか。彼は2月半ばにも倒れ、しばらく入院していた様子だが、獅子を屠る犬は腸くさるのご金言に照らしてみる時に、何やら慄然たる思いに駆られるではないか
御尊師日達上人、現御法主日顕上人両猊下に対し、危機讒謗の限りを尽してきた謗法集団顕正会が完全に機能停止に至る日は刻々と迫っている
(タイトル:嗚呼、崩壊の夜は明ける)
終
最終更新:2024年08月23日 22:20