元ネタ語録 > 離脱僧も驚く創価学会の悪業 やっぱり合成写真だった!!
Parn1
(タイトル:離脱僧も驚く創価学会の悪業 やっぱり合成写真だった!!)
(テロップ:椎名法宣師は、この時点では離脱僧でしたが創価学会の写真合成が判明した後、日蓮正宗に再び帰伏されました)
合成写真事件の起きたそもそもの発端、それは創価学会ら機関誌紙上に縁石写真を掲載しあたかも日顕上人猊下が芸者遊びに興じているかのごとく罵ったことから始まった
(テロップ:それは、寄席写真から始まった ・・・)
この学会の誹謗記事に対し妙観紙が写真は招待された宴席であって何も猊下が芸者を読んで豪遊した場面などではないと反論。
これによって返答に窮した学会ら、まだまだあるよ妙観
日顕上人と芸者の対話などと称して持ち出してきたのがこれら2枚の、いわゆる芸者写真であった
学会はこの2枚の芸者写真を使い、ともかく考えつく限りの悪口誹謗日顕上人猊下に向かって浴びせ始めたのである
曰く、「日顕上人が芸者を上げて放蕩三昧している写真」「堕落した業態」「遊蕩と邪淫」 「放蕩写真」「芸者遊びにうつつをぬかすもの」 「芸者漬け」「花柳界で散財した額も相当なものだろう」「芸者遊びにふける日顕上人」「とどのつまり淫乱」「芸者に囲まれ鼻の下を伸ばす」「芸者衆を侍らし悦に入っている」「一夜数百万円の戯れである」「日顕上人は骨の髄まで腐敗している」「これだけの芸者をはべらして写真に納まるには、相当な花代が芸者にわたっている。そもそも芸者が簡単に写真に納まるはずもなく、」「放蕩法主」「日顕猊下」「日顕上人が欲すは「カネ、酒、色」の堕落道」「婢に酒の相手をさせるどころか、自分のほうから出掛けて行って遊び狂っているん」「日顕堕落宗」「遊蕩魔の地獄遊びの姿」「これぞ極めつけ『ワシ、もう"成仏„しそう』」
こうして学会はこれら2枚の芸者写真が日顕上人猊下の遊蕩・邪淫・淫乱の現場写真であると大宣伝を繰り返したのだが、しかし、宗内からはこの2枚の写真に対し疑惑の声があがった
写真家 原 進 氏「えー創価新報、平成4年11月4日付および11月18日付。掲載写真の疑惑の点を説明します。1枚目の写真です。猊下のお顔が異様に背景から浮き上がっており不自然極まりない。ここです。」
(テロップ:顔が異様に浮き上がっている。)
原進「2点目、猊下の(不明)をやるべきとストロボ発行のための影が全く見えない。この女性の右側には影があります。しかし猊下の右側には影がありません。」
(テロップ:ストロボの影がない。)
原進「3点目、一枚の写真の中に振れとピンボケと鮮明な部分とが混在している。ここがボケております、左に行きましてここがピントが合っています、さらに右奥に行きましてここがボケております、ほぼ同じ距離のこの御膳がピントが合っています。こんな写真はありません。ブレですね!この女性の膝のところがぶれております、しかし猊下のお体は、ぶれておりません」
(テロップ:ブレ、ピンボケ、鮮明が混在。)
原進「4点目、猊下の耳の形は実際は下側が小さいのにこの写真では逆に下側が大きくなっている、ここです」
(テロップ:猊下の耳の形が違う。)
原進「5点目、猊下が部屋の中央ではなく 隅に座っているのは不自然。このように、隅に座っております。猊下が、隅に座られるようなことはまずありません」
原進「2枚目の写真です」
原進「1点目。わざわざ背景が塗りつぶされている。ここです」
(テロップ:背景が塗りつぶされている。)
原進「2点目。猊下の左後ろの芸者の襟元に自然な黒い部分がある。こことここです」
(テロップ:襟元に不自然な黒い部分)
原進「3点目。猊下の袴の柄の大きさが実際に持たれているものと少し違う」
(テロップ:袴の柄の大きさが違う)
原進「4点目。猊下のあごの下の影が異様に濃くて不自然。ここです。」
(テロップ:顎下の影が異様に濃い)
原進「以上の点がこの写真の疑惑の点です」
かくて、妙観紙および慧明紙は、これを創価学会による悪辣な写真捏造事件として厳しく追及を開始した
なぜ、写真を撮影した日時と場所を隠すのか。偽造でないというならその日時と場所を明らかにしてみる
この厳しい追及に抗しきれなくなった学会ではとうとう2枚の芸者写真の撮影者が離脱僧の椎名法昭であることを明かしたのである
椎名法昭は、「実は、あの芸者写真を撮ったのは私なんです。時は昭和61年11月22日、場所は東京赤坂の川崎というところです。日顕が主催し、(不明)が招待された席だったと思います」
などと述べ、偽造写真疑惑に対し懸命に次のような言い訳を行った。
「その写真について一言言っておきますと、実は日顕の奥にもう1人僧侶が映っているんです。しかしその人に迷惑がかかるといけないのでこれは新聞に出すときはその人を消してくださいと頼んだんですよ。集合写真も初めは背景の絵なども消してもらいました。せめてもの配慮だと思いまして、写真の影なんていうのはごうせんの具合ですよ。部屋の照明もある、ピントや暮れの事は素人の私は取ったんだからいろいろありますよ」
これで一気に形勢逆転できると思ったのであろう。学会は椎名の撮影した芸者写真のうち、二枚目のものについて、今までおおい隠してきた背景を出してみせ、「これぞノーカット版 これでも偽造というか」などと息巻いた。
そしてそれが自らの首を絞めるとも思わず、機関紙に色つきで掲載したりして、物に狂ったかのごとくはしゃいだのである。だが「悪は多けれども一善に勝つこなし」学会が迂闊にも勇者写真を撮影した日時・場所を明らかにしたため、かえって学会の思惑が白日のもとにさらされることとなった
まず、この写真をご覧いただきたい
昭和61年11月22日包丁赤坂の料亭、川崎で持たれた宴席とはなんと椎名法昭の父で、同じく離脱僧である椎名法宣氏と、故阿部法胤氏との合同主催による古希の祝いの席であり、猊下はそこに招かれてご出席なさったに過ぎなかったのである
この事実が慧明紙から指摘され、慌てた学会では「日顕上人が2人および古希の祝いをして何の不思議があろうか。日顕上人は主催者である可能性は十分にある。」などと無理な言い逃れをし、また椎名法宣氏の名前を使って、これは猊下が故阿部法胤氏とわたくし自身の古希にあたりお祝いしてくださるとのことで、夫婦でお招きいただいたものでありますなどと言い繕うとした。だが、発見された当日のスナップ写真によれば椎名法宣氏・故阿部法胤氏はこの祝宴の主催者であるが故に会場下場の主催者席に座っているし、またこれを裏付ける当日参加者の証言もある。
法生寺住職・高木法賢尊師「えー私の師匠は、前、先の川崎遊行寺ご住職であった、阿部法胤御師範であります。ええ。」
「えー、椎名法昭が、61年の、11月の20、にじゅに、えー個の芸者の写真が写された云々という話が、えー実は私の方で、そのことを秋分、聖教新聞等でみまし、『あっこれは、うちの師匠の古希のお祝いだ』ということが、ピンときましてね。それで実は、この、その通りのことを思い出し、また、先に写真もいただいておりましたから、そういうもののー、調べてみましたら、詳しくの、古希のをお祝いって言う記念の席」
(テロップ:椎名法昭が日時を明かしたことから、故・阿部尊師らの古稀の祝の席であると気づき、捜したら当日の写真も出てきた。)
「まあ、そういうことがありましたから、ずっといろんなことは思い
出してまいりました。つまり、この猊下の方から、あの70歳の、あの内祝いをいただいて、ある品物をいただきました。まあそういうことで、なんとかお礼をしたいと言うことが先々にありました。場所をこれから、提示するから、手伝ってもらいたい。かということで、そういうことがずっと思い出されました。ですからあくまでもうちの師匠が、この古希のお祝いの、猊下様へのお返しも含んで、兄弟・弟子・公園の陰陽師のご住職、ご夫妻等々を、お招きするという意思で、実は人も受けておりました。そういうことに吹く付随して色々とも当日お手伝いをしたという経緯がございました。」
阿部尊師より、「猊下から古稀の祝の品を頂いた。御礼に一席設けたいから、手伝ってくれ」と言われて、当日、お手伝いした。
「で、宴会があのー、(不明)に猊下御夫妻をお招きいたしまして、えーその、執り行われましたけれどもその後、うちの師匠、それから(不明)と一緒にー、はい、あの会計の方に行かれてお支払いをしておったことを見ておりました。」
当日の会計は、阿部尊師が主催者として支払った。
万宝寺住職・小平法裕尊師「あの、祝縁会は僕はそのー、郡山の、寿海寺において、元首相であった、椎名法宣です、(不明)、猊下様より、阿部法胤氏と私が、うちのお祝いの品を頂いた。その、御礼として猊下様ご夫妻を招待して、えー、御礼の席を、全席を設けたいと言うので、ちょうど、僕の次回ついていった時に、お手伝いをしてくださいという風に、言われて、寿海寺の元師匠、寿海寺の椎名法宣とともに、法宣氏とともに、その、おー宴席の方に、出席をしてお手伝いを、した次第であります」
椎名法宣が主催して、猊下ご夫妻を招待した。
いやこれだけではない。何よりも、椎名法宣ち、自身が次のように語っているのだ
離脱僧椎名法宣「いい場所を選ばなきゃならん、ということになるから、それで、まーあのー、中央の、面識のある、そしてまた、そういう事を知っているー方々の世話を受けなきゃならん、というふうに思って、そして、そういう、(不明)真ん中に座っている方は(不明)本行寺という寺の住職をされている。(不明)企画は慣れてる方ですからね、本行寺さんという人は、色々と世話してくれる人だから、そのほうにお任せして、適当にやってくださいと言ったわけだ。こちらでは、とてもわからないから。」
これで明白だろう。当日の主催者は猊下ではなく椎名法宣氏だったのである。
—ここからParn2—
次に当日の写真を見るとこの縁石には猊下だけではなく猊下婦人、そして僧侶9名と僧侶婦人7名も招待されて同席している。要するにどこででも見られる一般的な祝宴の席だったというわけである。
これを悪意でねじ曲げ、「猊下と芸者の仲睦まじい放蕩」、「芸者遊びにうつつを抜かす遊蕩と邪淫、とどのつまり淫乱の現場」等などとはよくも言えたもの。そもそも、どこの世界に婦人同伴で芸者と仲睦まじく、邪淫・淫乱をする人間があろうか。でっち上げもいい加減にすべきである。
さらに、決定打となったのは学会の偽造した2枚の写真の原版が発見されたことだ。
まず1枚目。原盤写真と学会の偽造写真との最大の違いは猊下の奥に写っている人物を跡形もなく消そうとして全く別物の背景を重ね合わせて変造してしまっている点である。
これにつき、椎名法相は「実は日顕の奥にもう1人僧侶が映っているんです。しかし、その人に迷惑がかかるといけないのでこれは新聞に出すときはその人を消してくださいと頼んだんですよ」などととぼけたことを言っているが、それならその人物の顔の一部をこのように隠せば済むであろう。
それをわざわざこの人物を跡形のなく消したりそのために全く別な背景を重ね合わせてしまうなどという必要がどこにあろうか。
あえてその必要があるとすれば、それはこの写真を撮影した日時・場所・宴席名を隠し、あたかも猊下が芸者遊びに興じた現場写真であるかのごとく見せんがためだ。
他の僧侶方の姿が全て消してあることからしても、それ以外の動機は考えようがない。そして、このように別々な写真と背景を組み合わせて変造した写真を、普通は合成写真と呼ぶのだ。
次に2枚目。学会では当初隠していた背景を出してみせ、椎名法昭を使って次のような背景塗りつぶしの言い訳をした。「初めは、背景の絵なども消してもらいました。せめてもの配慮だと思いまして。」だが、いったいどこにせめてもの配慮として体系の絵なども消してもらう必要があったというのか。もし、消す必要があったとすれば、これまた日時・場所・宴席名を隠すため以外ありえないではないか。しかも学会はこれぞノーカット版、これでも偽造写真というかなどと息巻いたが、実はそれも真っ赤な大嘘だったのである。
この原版写真をご覧いただきたい。呆れたものではないか。学会は原盤に写っている左右の人物を故意にカットし、それをわざわざノーカット版などと偽って機関紙に掲載。あたかも猊下が多くの芸者衆と遊んでいる、邪淫現場のごとく見せかけていたのだ。これを、捏造写真と呼ばずして何と呼ぶのであろうか。
このような、学会の悪質な写真偽造に驚かない人はいない。この事件に関し、学会側について猊下を誹謗しているはずの離脱僧、椎名法宣氏までが、写真を見比べて驚き呆れる。
(雑音が大きすぎるため聞き取れませんでした、字幕は以下の通りです)
「あっ!そうだ!そういえばそうだな」
「そうすると、これはわざと」
「そうだ!間違いない!背景も同じじゃない!」
「作ったんだね!今初めて気が付いた!!」
「わしはまた、芸者さん方、光栄の至りだから、猊下様の後ろに侍らせて頂いて一枚撮らせてもらいたいという特殊な願いのもとにこういう物ができたのかなと思ってたんだ。」
「そうじゃないね!」
「いやいや、どーも・・・」
「作り写真という事になるね」
「偽造だね!」
「両方合わせて見て、初めてこういう場面は、まるっきりないと」
気づいた。
椎名夫人登場
椎名法宣「改ざんだ!!」
椎名夫人「あー、改ざんか!?」
椎名法宣「だって、これが本当だもの」
椎名法宣「本当だよ・・・」
椎名夫人「カットしちゃったんだ!」
「う~ん、そうだ!」
「塗りつぶしてるんだ!」
「改ざんしてるよこりゃ。改ざんだ!!」
あ~あ、おしまいだ創価学会。最後に原版写真を実際に変造・合成して学会機関紙と同じ写真を作ってみよう。実験証明である。
1.複写して白黒写真にする。
【複写終了】
2.合成する背景を作成
3.合成した背景を仕上げる。
4.合成の終った写真を複写
【複写終了】
5.上下左右をカットして複写
【合成写真完成】
以上の合成作業で、創価新報と全く同じ写真ができた
1.複写して白黒写真にする。
【複写終了】
2.エアー・ブラシで背景を塗りつぶす。
3.塗りつぶした背景を仕上げる。
4.塗りつぶした写真を複写
【複写終了】
5.上下左右をカットして複写
【合成写真完成】
新報と全く同じ捏造写真ができた。これによって、宗門が指摘してきた3枚の写真に対する疑惑も全て解明された
すなわち1枚目については
1.猊下の御姿を残して、背景をすっかり変えてしまえば、猊下のお顔だけが異様に浮き上がって見えるのは当然
2.後から重ね合わせた背景であれば、ストロボ発行による猊下の影がなくて当然
3.何重にも撮影を重ねれば1枚の写真中にブレ・ピンボケ・鮮明が混在しても当然
4.背景を合成する際、作業が精密出なかったために猊下の耳の形が全く違ってしまった
5.実際には猊下が部屋の中央の位置におられたが、大がかりな変造によって遠近感までが変えられてしまい、部屋の隅に座っている形となった、というわけである
また、2枚目についても
1.椎名は言い訳にもならぬ、せめてもの配慮説明をしたことによってかえって不自然な理由で背景を塗りつぶしたことが明白になった
2.猊下の左後ろの芸者の襟元の黒い部分は、学会のいうようなストロボの影ではなく、背景の生花の一部を消し残していたものと判明した
3.背景を消し左右をカットするように伴う、多重撮影によって袴の柄が若干ブレて写り、実際お持ちの柄より少し大きく見えた
4.あごの下の影や特切っていたのは多重撮影によってコントラストが強調されたためであろう。
というようにすべては明らかとなったのである。さあ、学会よどうする!?潔く責任を取るしか道はないぞ
完
最終更新:2024年10月02日 18:00