ヒューマントーク5

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(タイトル:ヒューマントーク5)
(テロップ:私と創価学会との出会い)

信仰をベースに、希望あふれる人生をはつらつと生きる創価の友達。その中にはこの2、3年の間に入会したメンバーも数多くいます。
創価学会との出会いが自分自身をどう変えたのか。
それをこれからご紹介します。

沖縄の恩納村に住む陶芸家の下方直樹さん。大阪芸術大学で学んだ青春時代。その時期に様々な挫折感を味わう自己不信に陥りました。
そして本当の自分の道を探す旅に出て。沖縄の陶芸と出会ったのです。同じ陶芸家の仲間功さんと知り合い、それが下方さんの創価学会との出会いとなりました。
仲間さんは、今沖縄の若手陶芸家のホープとして大きな期待を寄せられています。
そんな仲間さんに下方さんは仏法の話を聞いたのです。
仲間功「信心するようになってやっぱり気づいたことは「人間性」なんですよね。そのまま出てきたんですよね。」
下方直樹「ああ、出てると思う。」
仲間功「そういうことはだから、自分は信心してるんだから、信心して磨いた分、自分のものは形が良くなる。それ確信できましたよね。」
下方直樹「上手になりますかね。」
仲間功「もちろんです。途中の僕が言うのもなんですけども。」

下方直樹「僕が、あの下方さんが言うようにしっかりしてたりとか、見えたりとか、あの技術があるのはこの信心したからですよってものすごい確信をもって言ってました。あんな姿見ているとどんどんどんどん興味出てきますし、創価学会について理解できる本があったら、読んでみたいなということで持ってきた本が、が法華経の智慧なんです。はい。日蓮仏法の凄さ、創価学会の運動の素晴らしさ。正しいことが書かれているんだーっていうのがよくわかりました。本当に求めてたものですから。読み始めた時には。もう、バーンて入ってきた。すごいぞーって。あの本当に、僕を正しい軌道に切り替えてくれた、きっかけの一冊であるから、いう気持ちの本なんです。はい。」

平成9年に創価学会に入会した下方さんは配達員の東さんのアシスタントとして聖教新聞の配達を手伝っています。
配達を終えて七時に仕事場へ。日課となっている新聞の熟読30分。声を出して御書を読む事30分。そして8時。今日1日の仕事が始まります。
下方さんの作品の評判をお店のご主人が語ります。

若い割にはやっぱり。これだけっ手の込んだものを作るものですから、あのお客さんのほうがやっぱり、その温もりとかその手の込んだものがよくわかるもんですから。それで買っていかれる方が多い。彼本来の持っているものがですね、表に出てきてまして、そうとどこか洋風な感じで、彼はそれを飽きることなくどんどんまた新しいもの新しいものって作ってかれるんで、それが受けているものだと思いますけど。

信者「まずは手と、耳を・・・」
創価学会に入会し、心に潤いを感じられるようになった下方さん。
真面目な性格に明るさも加わり、陶芸の技法にも一層磨きがかかりました。

中村和子「こんなに変わったってやっぱしあの信仰の力。うん学会の人通りにやっていれば、こんなに人間変わるんだなって改めてあの学会の素晴らしさ、ご本尊様の素晴らしさをね、をですね、彼らの姿を通してみんなが実感していると思いますね。」

金城比富美「沖縄のこの陶芸の世界においてですね、やはりこう、外からの評価をねこう、勝ち取るというか、そういうものを目指してね、ぜひ頑張ってもらいたいなと。仕事で実証を示すということだと思うんですけどもね。ともに頑張っていきたいなと思っております。」

入会後の手応えについて下方さん。
落ち着いて考えてみれば凄い無力感に支配されていましたけれども、そういう物を取り組めば、自分も元気になるし、あー、成長できたな、強くなったな、人を思いやられるようになったかなーみたいな。ねぇ、そういう点があとからあとから、ねぇ、見えてきて自分だけ良ければいいっていうのは幸せじゃないし、周りの皆が幸せになって、本当の幸せ。うん、やっぱりそうじゃないかなーって思います。

兵庫県伊丹市。ここにも入会間もない友がいます
働く女性の味方になりたいとの思いから、阪急伊丹駅前に開園した「ちびっこランド伊丹園」。
朝日7時半から夕方6時まで、子供たちの面倒を見ます。
残業などで遅くなる女性のために武器には夜10時までも。園長である与野さんは、人のために尽くしたいとの思いで保育園は始めたのです。
与野さんが創価学会と出会ったのは知人で歌手のBOROさんご夫妻とのお付き合いによってでした。
今でも時間を見つけては近所に住むBOROさんのお宅を訪問します。
そんな予算になぜ創価学会に入会したのかを聞いてみました。

夜野美栄「うーん、あの今日はこのお稽古、あのお稽古、今日はあの人とショッピング、そういう時はそういう時にまたあの幸せだったんですけれども、なんとなく虚しいものがありました。このままこういう形で私は歳いっていくんやなっていうことを感じた時に、BOROさんに話を伺ったり新聞読ませていただいたりしたときに、すごい反省しました。やはち、自分のその時その時のあの充実感だけでは自分が幸せになれないんだと感じましてね。」

BOROー森本尚幸「宗教というのを、おそらくすごく四角四面の中にこう、入れるようなね、しゃっちょこ張った感じのその捉え方を
されてたと思うんですけれども、私たち夫婦に会ってからというのがあるんです。やっぱり、あ、そんなもっとフリーなんだ自由なんだ、あのもっと開放するもんなんだっていうね、あのー窮屈なもんじゃないっていうふうに再認識されたみたいです。」

信者「こんばんは」
BOROさんご夫妻を通し創価学会員の生き方や考え方をした与野さんは平成9年に入会。
今多くの友と喜びを分かち合っています。そして人のために尽くすには自分に何ができるかを考えるきっかけになったのが教学の任用試験だったのです。

森本優子「入会して3ヶ月ちょっと経ったときに、任用試験があったんですね。ずっと勉強していく過程で彼女が一言ね、優子さん私本当にこの信じて今回勉強して良かったって。何がわかったかというと、人生って人のために尽くすんやねぇって言ったんですね。その後彼女がこれをやろうと思うんだけどって言って持ってきたのが。この保育園のチラシだったんですね。」


就職難でお母さん困っている方がい、ちょっとでも子供を預けて、あの仕事をしたいなっていうあのお母さんのため、子供さんのために私は力になろうっとであの母の曲をね、何度も何度もその虚構きながら涙し、母の日に私は改変しようと、もう突貫工事をしていただいてwww、えー、5月3日に変えいたしましたはい

意義深い5月3日に開園した当初、園児は3名しかいませんでしたが現在は20名以上に。
園長の人柄を保育士の澤村さんは

澤村博子「すごいやさしくって、子供に対する姿勢もすごく子供の目線で、子どものこころ気持ちを尊重してあげているんですね。
ねぇ、何か困った時とか迷っている時があったら、頑張ろうねって子どもに接している姿は、すごく私も常日頃勉強させていただいて
いるんですけれども、はい」

さまざまな困難が起こる中もうやめようと思ったことも。そんなとき力づけてくれたのが周囲の人々の励ましだったのです。

あら、あらおかえりなさーい
お姉ちゃんお母さん呼んでー
すんごいお姉ちゃん大好きよー

今を迎えに来る家族に笑顔いっぱいで飛び込んでいく子どもたちを見るとき一番の幸せを感じると言います。

「はい9時からでも、ちょっと会社の用事で早く来てくれっていわれるときがあるんですけれども、そういうときも、に朝早いと出やすくなるので、すごく助かってます。」
「真の保育所とか思ったんだけど途中ぐらい。でもやっぱり子供もここで生まれてるし、園長先生もいい人なんで、やっぱり園長先生に見てもらいたいって言うのもありました」

今日も元気に子どもたちが集まってきます。自分のことしか考えなかった人生から、人のこと思い、人に尽くせる、人生への転換。
今与野さんは創価学会に感謝の気持ちでいっぱいですと明るく語ります。

高知県西部に位置する中土佐町。
今年の4月、医師が不在となった上ノ加江地域の診療所に、高知市内の総合病院から自ら願って赴任してきた院長の福島さん。
高齢化が進む上ノ加江地域。寝たきりのお年寄りも多いため福島さんはどこへでも気軽に往診に出かけます。その人柄と確かな医療技術が地域の人々の健康を今日も守っているのです

5年ほど前、福島さんは仕事先で知り合った現在のまり子夫人から創価学会の話を聞いたのです。

福島秀樹「私はまあ、あんまりその信仰というものは、まぁ少し静かにやるもんではないかなという感じがしてましたんで、あんまり大騒ぎでwww、になってしかも新聞出版して、までというようなのは多少信仰の道とは違うじゃないかなと言う感じをもっていまして、まあそれであまり、深入りはしたくないなぁという感じがあったんです。」

福島まり子「新興宗教の一種、一つだと思っていたと思います。好き嫌いで言うともう大嫌いだったと思います。」

アメリカの東テネシー州立大学で認められ、客員助教授を務めたほどの知性豊かな福島さん。しかし創価学会には強い拒絶反応が。それでもまり子さんはめげることなく仏法対話を続けました。そして、日蓮大聖人の仏法に強い関心を示すようになった福島さんに池田名誉会長の著作や方便・寿量品講義などを読んでもらうことにし
たのです。

福島秀樹「自分なりに勉強をしてみて、である程度理解はできておったんですけども。そこから先は信仰ですので、思い切ってここで踏み込んでみなければこれからの先はわからないなぁということで一方踏み込もうかという決心をしまして、入会しました。」

入会後福島さんは座談会や会合に進んで参加。創価学会の本当の姿を知り誤解を解いていったのです。

福島秀樹「飛行機に乗る機会が多いものですから。その時で週刊誌を手に取って読んでみますとですね、盛んにこの学会の悪口をかいてるのが、その、4,5年前にこの目に入ってたんですけども、まぁ見ると聞くとはそれこそ大違いでですね、中に入ってみますとですね、あれらよくこんな嘘をかけるなとwwww、いうことがわかるできましてですね、自分もその勉強させていただき、仲間と一緒に公の活動をさせて頂き、しているうちにですね、そういう週刊誌あるいは新聞のですね書いていることがですねまったく下らないことだなぁということがよくわかりました。」

学会活動を通し信仰を深めていく中で、福島さんは患者への接し方や、診療の姿勢が変わってきたといいます。
そんな福島産について地域の方々に聞いてみました。

地域の方々(まあ優しいね爺)「まあ優しいね。いつも笑ってはね、ほんでニコニコニコニコ。いつでもあーいうのがいちばんええわね。」

地域の方々2「先生の前きたら緊張するでしょ、誰でもね。緊張して(不明)うでしょ。それがないですね、この先生は。」
大高明「(不明)の病院でバリバリやりよった先生がねぇ、こういう過疎地へきてやねぇ、一生懸命、まあ地域の人たちの治療にあたってくれるということだね。最近僕がもう喜んだんですよ。」

法華経の智慧を学ぶ学習会。福島さんは、一層仏法への確信を深め、世界的な活動を続ける池田名誉会長への認識も大きく変化していったのです。

福島秀樹「自分の経験からして、私はあの、テネシーで客員教授にしてもらったんですが、あまり大変だったと思うんです。認められるということが。それで世界中からですねそう簡単にその認められるなどということが、はずがないという気持ちが非常に強かったんですけれども、新聞を読んだり本を読んだりあるいは池田先生のスピーチを聞いたり。して居るうちにですね、なるほどということが理解できるようになってきました。そしてその政治を超えて、文化の面で確実に実行されて居ると。そしてそれがですね、次に民衆の前に出られて、そしてだれにもわかりやすいような言葉で語りかけつつ、なお、文章は文章として書かれて発表されていくという。その姿勢を素晴らしいと思います。それが評価されてるんじゃないかと思います。」

創価学会に入会し、仏法を学び、新たな発見をする日々。
その可能性に富んだ人生をどう生き、いかに社会に貢献すべきかと今新入会の友は大きく羽ばたき始めています。

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最終更新:2025年07月05日 16:45
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