(タイトル:ヒューマントーク4)
人と人との出会いから新しい旅立ちのドラマが生まれます。
ミュージシャンの木根尚登さんの場合も。
(Get Wildのアレンジ?)
1984年、木根さんは小室哲哉さん、宇都宮隆さんと共に、TM NETWORKとしてデビュー。彼らの熱い魂はまたたく間に若者の心を掴んでいきました。全国ツアーの成功・アルバムの大ヒット。そして木根さんが書いた夢と勇気のファンタジー小説は40万部を記録。そして94年たくさんのファンに惜しまれながら終了しました。
木根尚登「半分から、2番のサビの半分でいこうか。半分だから・・・どこだ。はい、」
ソロのミュージシャンとしてスタートした木根さんは、これまでの自分の殻を破ろうと、アルバム作り・コンサートツアー・本の執筆など全てに挑戦していきます
木根尚登「そうしようか、じゃあ何、で、でビブラート入れつつ1、2、3・・・」
(テロップ:1979年 東京・多摩地域に住む仲間と共に“スピードウェイ”を結成、デビューする)
木根さんのプロデビューは、21歳の時。まったく売れずじまいで大きな挫折感を味わい、家業の水道工事店を手伝うようになります。崖っぷちに立って、幼い頃創価学会に入会していた彼は、もう一度原点に帰ってミュージシャンを目指そうと、自分自身を磨くために信仰に真剣に励むようになります。
そしてこの中でTM NETWORKが誕生しました。信仰は新しい挑戦へのエネルギー源と語る木根さん。
(テロップ:木根 尚登 ソロ・コンサート)
それはソロのミュージシャンとして、またテレビラジオのパーソナリティとして。
(テロップ:テレビ放送のパーソナリティー)
小説家エッセイストとして活躍する今も変わりません。初めて小説を書くことになって悩んだ時も、池田名誉会長のスピーチに触れて啓発されることに。
(テロップ:池田先生の指導にふれて・・・)
木根尚登「なぜか僕がその本を書くことになって。それで悩んでる時に、┏(^o^)┓聖教新聞の中で、あの先生のスピーチに、を読んで、で、挑戦と応戦っていう先生が指導、なさってて。もうなんか悩んでてぐちぐちしてもしょうがないからとにかく飛び込んでごらんなさい!という。その中で、ね、あの応戦していく中で自分の成長あるんだよっていう指導がなんかしらないけどスッと入ってきて。その時にふっと、あ、本書こう。よし、やってみなきゃわからないじゃないか。つって。で、1冊、まぁ、1年以上かかりましたけども、書き上げたんですよね。それが今ではもう本当に、十何作という本を書く、えー人間になってしまいまして。あの時僕が悩んで、で、何気なくその先生のスピーチを僕は読んでなければ、僕は今本を書いてなかったことになんですよ。」
自らを鍛え、磨くために木根さんは寸暇を惜しんで創価学会の活動に励みます。
そんな活動のさ中に、TM NETWORK時代の音楽仲間だった、日詰昭一郎さんから3年ぶりに電話をもらいます。木根さんにとって日詰さんは気合う仲間だっただけに、日頃から気になっていたのです。
木根尚登「ポンと電話もらって『あー元気?』って時に『うーん、あのー、あ、元気だよ』って言ってるんだけども、なんかちょっとあっ、元気じゃないなってちょっと思って。でやっぱり、うん、あのー、なんかいつも仲間だったのに。うん、その時だから絶対なんかちょっと会いたいなってすごく思って。」
日詰昭一郎「僕の中ではその、もう10年、10年ちょいの仲、仲になりますけど、その最初にTMやってた頃とそのブランクがあってまた会ったっていう時に、あ、なん昔の、その、腹割って話せる、すごいいい友達じゃん!っていうところをまず、確認した上で、それでなおかつ自分の夢であるその音楽ってを一緒のものにしてくっていうことを着実にちゃんとここまでやってきてるし、っていうところでー、なんかね、あの、無理がないんですよ、その生き方に。それをー、なんか、どこにそんなあれがあるのかなっていうところは前から思ってたんで。それをなんか改めて、木根君の言葉から、聞いたっていうところが1番感じたことですね。」
(テロップ:日詰さんに信仰を勧めた理由)
木根尚登「な、彼はきっと、なんか、今までいろんな自分がこう何年かあって、いろんな風に変わろうとしてて、でー行き詰まったりしてて。っていうのをなんかすごく感じたんで。で、自分もー、じゃあ、自分は、あの、この信心をしてね、完璧な、もう、本当に立派な人間革命ができて、えー、今ここにいるのかつったらそうではない。その時に、やっぱり自分に置き換えた時に、あ、これもしかしたらもうね、これもちろん彼のことですけども自分のことでもあるなってすごい思って。でーまぁ、彼と一緒にちょっと真剣に、もう一度真剣に頑張ってみようと。で、彼も変われて、なんか自分もこう宿命転換できたら、これはすごいなと思ったんで。やっぱり1人でやるよりは2人っていう気持ちでね。うん。」
日詰さんは、木根さんの生き方に共感し、対話を重ね、また座談会に参加する中で、創価学会への理解を深めてきました。
(テロップ:SGI交流座談会)
信者「(英語)」(拍手)
そして本年2月、日詰さんは晴れて入会しました。
(拍手)
木根尚登?「・・・じゃあ一言だけ、(不明)、びっくりしてますけど一言だけ、じゃあ、あのー、ね!えー勤行、今どんな感じでしょうか?」
日詰昭一郎?「えー、とりあえず、2月のーえっ?26日に入信してー、えー、それから結構あのー、木根くんに色々と教わりつつ、えー、できるところから一つ一つ、やって、えー、頑張って、木根君と同じ、あの、ところみ、見れるように、あの頑張ってやっていきたいと思います」
(拍手)
(テロップ:木根尚登ファンクラブにて)
木根尚登「それではですね、そしてもう1人、えーベースの、日詰、昭一郎君でーす」
熱き思いを胸に、新たな旅立ちへ2人の挑戦のドラマが始まります。さらなる飛躍の時を求めて。
木根尚登「僕が誘ってここに来てるわけ。」
日詰正一郎「うーん・・・。」
(テロップ:入会して今思うことは・・・)
日詰昭一郎「自分に、いい風にちゃんとこう働くような形でチョイスできるように自分がその人間形成でできてきたら、物の判断間違えないんじゃないかな、と思うんで、そこら辺はやってるうちにきっと分かるんじゃないかな、とは、思いますけど。」
木根尚登「あとはやっぱり、まぁ色々いろんな人たちいると思うんですけど、そういう人たちに、が、あぁヒヅ変わったなと、あとやっぱり僕は、やっぱそれが1番、うん、目標にしたいですね。そういう時にきっと自分は、きっと自分も、変われてるんじゃないかなっていう。なんか、そんな気がします。」
チェロ奏者、珠希真利さん、彼女は、千葉大学大学院在学中にオーケストラの指揮者に勧められて、アマチュアからプロのチェロ奏者になりました。
珠希さんと創価学会との出会いは音楽関係の知人から誘われて参加した座談会でした。しかし、当時珠希さんが抱いていた創価学会のイメージはというと・・・。
(テロップ:入会前の創価学会の印象)
珠希真利「組織がすごく大きくて、ま、人数もたくさんいますよね。週刊誌とか月刊誌の内容で、池田先生が非常にカリスマ的な人間で、で、なんて言うのかな、教祖、池田先生に傅く会員と教祖っていう関係で成り立ってる非常に大きな不気味な宗教団体っていうようなイメージでした。」
珠希さんは座談会に出て、大変なところへ来てしまったと思いながらも語り合ってみると、世間で言っていることとかなり違うな、でもどうなんだろうと心が揺れ動くようになっていきます。
珠希真利「心って通じるものなのか、皆さんの真心が、もう私の中にも、槍のようにどんどん突き刺さってきて、本当に全然知らない赤の他人に対して、この人をとにかく救おう、なんていうか本当に温かい心っていうのを切に感じたんですね。
94年11月、珠希さんは入会しました。
やると決めた以上はと唱題を重ね、書籍を読み座談会や芸術部の会合にも積極的に参加します。
(テロップ:創価学会に入会して・・・)
珠希真利「周りの友達からなんかこの頃すごく明るくなったね、とか元気になったね、とかそれからいつも貧血でクラクラしてたんですけども、なんか顔色が良くなったんじゃないっていう風に言われるようになって、そういうものがいつの間にか消えていて。で自分でも不思議なくらい健康に、な体になっていました。」
しかし突然起こった仕事上のトラブルに一生懸命信仰に取り組んできたのになぜという思いが心をよぎり、珠希さんは大きく落ち込んでいきます。
その時、日頃から信頼を寄せていた創価学会の芸術部の先輩がプロの仕事の厳しさを通し、励ましてくれたのです。
舞踏集団「菊の会」代表 畑 道代さん(尾上 菊乃里)「こういった仕事を一生懸命やって、一流になっていくにはもう、当然考えられないようなことが起こるわけですから、えー、内容はかなりあの厳しいものだったんですけれども。その問題点をよく話をしまして、えー、信心で乗り越えていくには、とにかく、えー祈っていくところにも大きく開けていくんだとそういう話をしましたら、えその後2度お手紙くださいまして、本当にあの自分の思ったこと、そして実践してることをあのお知らせくださいまして、本当に素晴らしい変化をしていかれることがよくわかりました。」
珠希真利「畑先生から、信心の上で強いアドバイスを受けまして、まぁ、多少何日かは落ち込んでいたんですけれども、でも悩んだ時こそ本当にご本尊様に向かって思いっきり唱題できて、唱題しているうちにまた力がこうどんどん中からこう湧いてきたって言うんですか。こんなことで負けてられないっていうような気持ちと、から、そんなこと思ってる間にまた一曲でも作曲しようっていうような前向きな気持ち、だから人を恨むとか、仕事をなくしたことで落ち込むとかではなくて、もういつもいつも、毎日毎日、前を向いて自分の作品を作ることだけを考えよう、そういうような気持ちに変わっていったんです。」
昨年の5月3日珠希さんはオーケストラのメンバーとして創価学会の日の記念式典に参加しました。そこで池田名誉会長のスピーチを聞いたのです。
(テロップ:池田先生にお会いして・・・)
珠希真利「もう本当に手をのばしたら、あっ!池田先生と握手できる!ってようなところで、聞かせていただいたんです。もう本当に、なんて言ったらいいのかな心温まるというか、あの親しみのある方で、決してこうなんか、権威者とかそういうものでは全くありませんでした。先生はこう全員に満遍なく話しているんだけれど、まるでこうテーブルを囲んで、何人かに一生懸命話していような、そういうような身近な感じの、お話の仕方で、私にも、隣の人にも、皆にも、分かりやすい、とても心あたる、温まるお話をしてくださったんです。」
仕事の面でも大きく開けた珠希さん。将来は、チェロの演奏だけでなく、オペラや、ミュージックでの作曲も手掛けていきたい、と夢は大きく膨らみます。
群馬県の高崎市に隣接する玉村町。この地に住み、高崎市内の総合病院に勤務する、小児科の医師、深沢信博さん。深沢さんは、96年1月妻一枝さんの勧めで入会しました。
深沢さんは、自治医科大学を卒業、後主に医療過疎地域の診療に携わってきました。82年に一枝さんと結婚。一枝さんはこの時すでに創価学会に入会していました。以来、彼女は夫の願い続け玉村の地に移り住むようになってからはその思いは一層強くなっていきました。
(テロップ:入会前の宗教観について)
深沢信博「え、まぁ、宗教というものは、うん、まぁ、自分とか家族とかの、えー健康、それからまぁ生活の安定・安泰。ま、そういうものを願うもんかなと思っていました。あの、まぁ、家族は幸い五体満足でみんな生まれてましたし、健康でしたし、えー私も職業として医師という職を持っていました。それから、えーどんな場所でも、どんな僻地でも、どんな山奥でも、やってけるだけの自信ありましたので、えー、自分には必要ないだろうとあのそういう風に思ってました。」
深沢さんは、ブロック担当員という創価学会の役職を受け、地域に住む会員や人々の幸福を願って祈り、行動するようになります。
信者「・・・1番なことね、お願いしてんだよ~って私が言ったらぁ、ねぇ・・・」
(妻の信仰活動について)
深沢信博「妻が動いてること行動してることというのは、あの、ま、地域の人々の、あ、健康のことだとか、職場の関係だとか、えーまぁ、親子の関係とか、そんな悩みが多かったようですね。ですから自分のことでなく、そういう人たちの悩みというものを解決するために、えーまぁ、祈、祈り、行動してたと。」
理解を深めた深沢さんは創価学会の会友になり座談会にも参加するようになります。しかしそれ以上には進展しないまま1年が過ぎ、2年が過ぎ、一枝さんの心にどうして夫は分かってくれないのだろうとの思いが募ります。さらに祈り続ける一枝さん。そんなある日。
(テロップ:創価学会への共感について)
深沢信博「えーちょうど平成7年ですから、えー、えー、1月の17日阪神大震災、がありましたね。はい。で、ちょうどうちの叔父が、神戸に住んでるんですが。おじ夫妻も被災しました。たくさんのボランティアの人々が、あの、色々なことをしてくれましたよね。えーで、今思いますと、創価学会のやっていることは、なにしろ大きなボランティアであると。そんな風に思って、私の医療だって小児だって、えー大きな意味ではボランティアである。ですから一致したわけですね。そんなことで、あの、より近づいてったと。そういう風に思いますwww。」
95年の秋、深沢さんは先輩の励ましで仏法哲理を学ぶ、教学の任用試験を受験することになり、週3日間の学習を1ヶ月半続け合格します。さらに勉強してみたいと思うようになり、地域のメンバーと共に法華経の講義を学び続けました。そして、96年1月、地域の人々と、一枝さんの真心に包まれて入会したのです。
(テロップ:入会の動機について)
深沢信博「あの一番、上戸が高いとすればやはり、えー妻が、私の入会を強く願い、思い、それを続けていたということでしょうね。はい。」
深沢一枝「私はこの人に本当は何を求めているんだろうと思った時に、やっぱりご本尊様の前に座って一緒に手を合わせて題目あげられたら、一番幸せだなって、うん、思って。で、そのことを伝えたらあそういうことなら僕できるよ。って言ってくれたもんですからそれから。あーやっぱりあの正直な気持ちを打ち明けて話したのが一番いいんだなって思いまして。」
深沢信博「あとは、うん学科員の方々の温かさ、真面目さ、優しさですかね。はいま、一生付き合ってて付き合いに足る人たちばかり。そういう風に思いました。」
(テロップ:入会後の心境について)
深沢信博「はい、信心をして、えーより一層、あの広い範囲から深く、あの感じることはできたのかもしれませんけれども、あの、患者及びその家族に対してのどうくということができるようになりましたし、えー仏法用語でいう慈悲ということですか。まぁそれを患者さんだけでなく家族の方にも伝えてあげたいなとそういう風に、えー思っています。」
信者「功徳爛漫の春を、我が拠点に我が地域にですね、迎えていくぞと。」(拍手)
入会して、改めて医師の使命の重さを実感しという深沢さん
人が健康であり幸福であり続けるために、今日よりも明日へと使命ある道を歩み続けます。
幸と希望の道を歩む新入会の友。今新世紀へ向かって歓喜の波動が全国に広がっていきます。
最終更新:2024年12月20日 18:58