※まだ編集中です。
京都市
ウィングス京都
イベントホール
筑前琵琶「日本橘会 宗範」
きょくすい
山崎旭萃さん
ナレーター「琵琶演奏の第一人者として、今もハツラツと活動する山崎旭萃さん。今日も、京都での演奏会に臨みます。筑前琵琶「日本橘会 宗範」である山崎旭萃さんは、明治39年大阪生まれの92歳。」
(テロップ:筑前琵琶日本橘会
山崎旭萃一門師範会)
ナレーター「琵琶という古典芸能の世界で、初めて人間国宝に認定されました。」
求道で
生涯青春
(拍手)
(琵琶を演奏する山崎旭萃さん)
ナレーター「山崎旭萃、本名、永井ハルさんは、8歳の時より筑前琵琶を習い始め、16歳で旭萃会を設立し、40人からの弟子を持つはながたり。そして18歳で結婚。芸の精進を続ける中、ご主人の事故やリュウマチによる右腕の変形、さらには琵琶の衰退から、経済苦、生活苦に襲われ苦悩の日々が。そんな折、56歳の時に創価学会と出会ったのです。」
(テロップ:入会した理由)
山崎旭萃「あの豊中の、あのある私のお友達がね、あの、この、ありがたいお話、あんた聞かしてあげるわゆうてね、ほで、その学会連れてもらいました。その時にね、同業者の配布なられて自分が一番あなたから、兄あや姉や、あ弟やら妹があるの、自分が見てきてその時でも二十歳までのことやと、その家族の体験談を聞いたの。それ聞いて私感動しましてね、そんなあとその家族がね、もう始終にね、笑い顔で、もう楽しそうにその、話しなさるのね。あの、そないに楽しい宗教かしらと思いましてね、ちょっといっぺん入ってみようかしらあのもすぐに決まりました!」
ナレーター「不幸な境遇の人がそれに負けず、ハツラツと輝いている姿を見た山崎さんは、自らも行動を起こしたのです。唱題しては学会活動に、さらに唱題しては舞台にと、自らの命と芸を磨き上げていったのです。地道な実践から10年目、山崎さん66歳の時に、願い続けてきた大きなチャンスが訪れました。」
'71 関西文化祭
(昭和46年:神戸市立中央体育館)
ナレーター「昭和46年、兵庫で開催された関西文化祭に、出演者の一人として参加し、大楠公を演奏。この時初めて、願い続けてきた池田先生との出会いが実現し、真心からの激励を受けたのです。」
(テロップ:池田先生との出会い)
山崎旭萃「先生にいろいろと、あのあの『大楠公は良かったね』って、言って頂きましてね、嬉しかったし、ほいであの時、先生は私、あの、その年はあの、アメリカのほうに参りますんですって申し上げたら、先生が、ハァ、『それは良かったね』と仰って、もうその時嬉しかったですね。」
(テロップ:アメリカ・サンフランシスコ)
ナレーター「先生の激励を胸にアメリカへ。到着した空港で盛大な歓迎を受けました。さらには、舞台公演の折々に数々の応援が。それらは全て池田先生のご配慮だったんですねと、山崎さんは述懐します。」
(テロップ:池田先生との出会い)
山崎旭萃「先生は、なんていうのかな…そんなには、わずかのね、あの人数じゃないでしょう。全国に数多す、分かるほど、あの、ね、あの、ま言った先生の、おそようければ、弟子たちが、おるわけです。たった一人のね、私みたいな、な、分からん者を、参ってるのに、先生のそのご配慮くださることは、ほんっとにね、嬉しかったですね。それもちょっといやwハッwハッw…スー...」
ナレーター「一人の弟子を大切にする。弟子の成長を心から祈る。池田先生の出会いにより、弟子は自分の全生命を傾けて育てるものである。自分を乗り越えて成長してほしいと願うようになった山崎さん。今日も、若い孫弟子たちに、諭すように優しく、ときに厳しく、稽古をつけていきます。師匠山崎さんのことを、直弟子の奥村さんにきいてみました。」
筑前琵琶「日本橘会 師範」
きょくすい
奥村旭翠さん
奥村旭翠「子供を育てて、ミスをして、それでなおかつお稽古が続けられたっていうのも、全て先生の人柄やと思うんですね。あの、家で子守りしながら、あっ先生が待ってはると思うと、やっぱし 一も二も無くお稽古行きたいなと。家をあの離れる嬉しさとね、それから先生の顔が見れるという嬉しさと、もう、ほんとに十年間はお稽古であとお稽古でなりませんでした。
あのー、着くとね、子供二人を連れていってましたんで、着くとまず疲れるんですね。でーあの先生ちょっと子供寝かせますからて言うて、隣の部屋いって、寝てったら、自分も寝てしまって先生がゆる動かして『ほれ、起きなはれや、稽古しまっせ』って、いう風に先生に起こされて起きましたら、子供も全部一緒に起きましてね、そのままさよなら言って帰って来たのが5年ぐらいは続きました。でもそないな嫌な顔一つなさらずに、お家の方も、皆さん何にも、あの後で聞きましたら非常に悪いことしてたみたいなんですけどね、あの家の中を散らかしたりした、らしいんですけれども、一言も先生私に仰いませんでした。
だからその人柄に魅かれて、今まで、来たみたいなもんですね。ぇぇ…」
(テロップ:シルヴァン・ギニャール氏(スイス人)。大阪学院大学助教授。ショパンの研究をして音楽学博士となる。 琵琶の魅力にひかれて、師・山崎旭萃のもとで15年間指導を受ける。)
(山崎旭萃さんから指導を受けるシルヴァン・ギニャール氏)
(テロップ:大阪学院大学)
ナレーター「スイス人の弟子、ギニャールさんはこう語ります。」
シルヴァン・ギニャール「山崎先生の素晴らしさ、はあの人間と芸が一緒になってます。あの、いろんな芸術家も西洋でもそうですも、やっぱ技術が素晴らしけれども、ちょっと難しい人間です。またあの、人間のほうで良いんですけどちょっと技術はないです。
あのー山崎先生の素晴らしさはあの、その親切さ、あの考え方、あの人柄、あの相手の出会い、もうそして芸もひ、ひとつの、h,h,やっぱひとつのパーソナリティですね、それが非常に魅力的です。」
(テロップ:関西戸田記念講堂)
ナレーター「関西戸田記念講堂で、晴れやかに第22回本部幹部会が開催されました。」
(テロップ:第22回 本部幹部会
(平成10年5月) )
ナレーター「関西に池田先生を迎えた喜びが、会場いっぱいにあふれています。席上、先生から”栄光の人”、それは、信心のひかっている人との指導があり、信仰の大切さと持続の重要性が語られました。琵琶と共に生きてきた、苦悩と挑戦の日々。その晴れやかな勝利の姿は、第一、第二の人生です。今、確かに力強く生き抜く第三の人生。それは、信仰を根本にした輝きの人生です。そして、貴重な伝承芸能である琵琶を身近なものに、」
(テロップ:東京・紀尾井ホール)
「親しみのあるものにとの思いから、日本全国、北から南へエネルギッシュに東奔西走を続けているのです。幾つになっても前向きの挑戦の人生。たゆまない演奏の活動。」
(西ノ宮駅の電車)
(テロップ:兵庫県・西宮フレンテホール)
「常に磨きゆく演奏家としての姿勢が高く評価され、平成7年には、重要無形文化財保持者、人間国宝に認定されたのです。自己の使命に目覚め、自己の使命を果たしていこうと、今日も舞台にあがります。」
最終更新:2025年10月03日 18:35