楠木正成

【元ネタ】史実、『太平記』
【CLASS】アーチャー
【マスター】
【真名】楠木正成
【性別】男性
【身長・体重】182cm・81kg
【属性】秩序・悪
【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷B 魔力C 幸運E 宝具B
【クラス別スキル】
対魔力:C
 第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
 大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

単独行動:B
 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
 ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。

【固有スキル】
破壊工作:A
 戦闘を行う前、準備段階で相手の戦力をそぎ落とす才能。
 遊撃(ゲリラ)戦の達人。
 ランクAならば、相手が進軍してくる前に六割近い兵力を戦闘不能に追いこむ事も可能。
 ただし、このスキルが高ければ高いほど、英雄としての霊格は低下していく。

軍略:C
 一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。
 自らの対軍宝具の行使や、逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。

仕切り直し:B
 戦闘から離脱する能力。
 不利になった戦闘を戦闘開始ターン(1ターン目)に戻し、有利な状況から戦闘を再開できる。

【宝具】
『七生滅敵』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人
 死の直前、アーチャーとその弟正季がお互いに掛け合った誓い(呪い)。
 蘇生魔術の重ね掛け。アーチャーが死亡した際に発動し、自動的に蘇生(レイズ)が掛かる。
 蘇生のストック数は最大7回。この為、アーチャーを消滅させるには実質8回殺す必要がある。
 また、この宝具による蘇生を繰り返す度、アーチャーの魔物・魔獣としての側面が強くなる。
「七生まで同じ人間に生まれて朝敵を滅ぼさばやとこそ存じ候へ」
「罪業深き悪念なれども我もかやうに思ふなり。いざさらば同じく生を替へてこの本懐を達せん」

『悪鬼夜行』
ランク:A 種別:対軍宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:500人
 生前『悪党』と呼ばれる山の民を率い、死後には悪霊・妖怪らを率いて現れた逸話のミックス宝具。
 英霊・楠木正成の霊格から魔物・魔獣、あるいは反英雄としての側面を乖離し、鬼や土蜘蛛、亡霊等といった妖怪の類を使い魔として生成・使役できる。
 アーチャーの英雄としての霊格が低下し、魔物・魔獣としての側面が強くなればなる程、強力かつ多数の使い魔を使役できるようになる。

 『悪党』とは当時、既存の支配体制に反抗する武力集団を指す言葉であった。
 多くはサンカ(山人)や祈祷・遊芸を生業とする漂白民等のいわゆる化外の民によって構成され、
 その正体はかつて大和朝廷に鬼、土蜘蛛等として追われた『順わぬ民』の末裔であるという。

【Weapon】
『無銘・弓』

『小竜景光』
 アーチャー愛用の太刀。銘は備前国長船住景光。
 小竜という号は磨り上げにより刀身が短くなった為、樋に彫刻された竜が拵えから小さく覗いて見える事に由来する。
 明治時代にはサーベル拵えに換装され、天皇陛下の御佩刀になったとの伝説を持つ。

【解説】
「正成一人未だ生きて有りと聞こし召され候はば、聖運遂に開かるべしと、思し召され候へ」
 くすのきまさしげ。楠正成とも。
 南北朝時代の武将。河内国(今の大阪府)に居城を持ち、「弓矢取って名を得たる者(武芸の道で評判が高い者)」と評された。
 その素性は明らかでないが、通説として悪党と呼ばれる山中の民の首魁であったと考えられている。
 倒幕計画の露見により京都・笠置山へと逃げ延びた後醍醐天皇の霊夢によって見出され、以後第一の忠臣として仕えた。
(邪教として名高い真言立川流の僧・文観と繋がりがあったともされ、彼によって後醍醐天皇に紹介されたとの説もある)

 戦闘においては「良将は戦わずして勝つ」を信条とし、直接戦闘よりも軍略と破壊工作を駆使したゲリラ戦術を多く用いた。
 その内容は巨石や巨木、熱湯、松明と油等を利用した罠、撤退したと見せかけての包囲殲滅、
 人形による偽装、虚偽の情報を流して混乱させる、奇襲により補給路を断っての兵糧攻め等である。
 『太平記』の記述によれば、千剣破城での防衛線では百万を越える敵軍をわずか千人足らずの小勢で迎撃したという。

 遂には朝敵となった足利尊氏軍を九州まで後退させる事に成功。
 その後、再び京に迫り来る尊氏軍に対し、初めは和睦を、次には一時撤退した上で京に引き入れての包囲殲滅を進言するが、
 どちらも天皇の権威をとぼしめる行為であるとして受け入れられず。
 死を覚悟した正成は湊川の戦いに赴き、上陸した敵軍五十万騎に対し手勢七百余騎を率いて奮戦の後、自刃して果てた。

 裏切り・転進の多かった多将と比べ、終始一貫した楠木正成の忠義ぶりは後世にも語り継がれる事となる。
 特に太平洋戦争時の皇国史観下における教育では、同じく南朝方の英雄である新田義貞、児島高徳らと共に忠臣の鏡として祀り上げられた。

 なお、弓兵というイメージではないが原作者の「アーチャーはレンジャーでもある」との発言からこのクラスを採用した。
最終更新:2016年10月01日 09:11