陶晴賢

【元ネタ】戦国時代
【CLASS】アサシン
【マスター】
【真名】陶晴賢
【性別】男性
【身長・体重】158cm・46kg
【属性】混沌・善
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷C 魔力D 幸運C 宝具C
【クラス別スキル】
気配遮断:D
 サーヴァントとしての気配を絶つ。隠密行動に適している。
 ただし、自らが攻撃態勢に移ると気配遮断は解ける。

【固有スキル】
加虐体質:C
 戦闘において、自己の攻撃性にプラス補正がかかるスキル。
 プラススキルのように思われがちだが、これを持つ者は戦闘が長引けば長引くほど加虐性を増し、普段の冷静さを失ってしまう。
 バーサーカー一歩手前の暴走スキルと言える。
 攻めれば攻めるほど強くなるが、反面、防御力が低下てしまう。

紅顔の美少年:D
 人を惹き付ける美少年としての性質。
 男女を問わずに魅了の魔術的効果として働くが、抵抗の意思があれば軽減出来る。
 対魔力スキルで完全回避が可能。

【宝具】
『大寧寺の変(てんどうのはからい)』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:10人
 本能寺の変と並ぶ『下克上』の代名詞たる逸話が宝具になったもの。
 特殊結界『大寧寺』を対象の周囲に形成。
 結界内にいる全ての者に対し、1ターン毎に精神干渉による自害判定を強いる。
 自害判定の成功率は、アサシンが対象に諫言した回数が多ければ多いほどに上昇する。
 精神干渉に対する耐性で回避可能。

【Weapon】
『若楓』
 薩摩波平の作刀。刃渡り一尺五寸。
 煎海鼠酒を大量に飲んだ帰りに、乳兄弟の伊加賀采女が揶揄するような冗談を口にしているのを聞いて激怒し、
 その首を切り落とした時に用いられた。

【解説】
 戦国時代の武将。大内家に仕えた。西国無双の侍大将の異名を持つ。吉川元春と義兄弟だったとも。
 彼が起こした『大寧寺の変』は『本能寺の変』と並ぶ下克上の例として挙げられる。

 大内家の重臣にして名将・陶興房の次男として生まれる。
 美貌の持ち主であったことから主君・大内義隆に寵童として夜な夜な通われるほどに寵愛された。
(戦国時代、衆道――すなわち同性愛は珍しいことではなかったが義隆は重度であった)

 当時、大内家の傘下にあった毛利元就が尼子晴久に攻め寄せられた時には
 若干21歳で救援軍の総大将となり、元就とともに尼子軍を撃退することに成功している。 

 しかし、続いて尼子攻めの全権を託された際には、意図せぬ長期戦の末に国人衆が次々と寝返り大敗。
 義隆の養嗣子である大内晴持も帰路で溺死し、以後、軍事は控えるようになっていった。

 この失態によって晴賢(当時の名は隆房)ら武断派は中枢から遠ざけられ、大内家は文治派に牛耳られることとなる。
 義隆は公家や寺社の保護や芸事に没頭し「末世の道者」として対外的には名君と讃えられたが、
 一方で重税により民や土豪は苦しんでいたとも言われる。

 晴賢(当時の名は隆房)は幾度となく義隆に諫言するが退けられ、
 文治派の重鎮・相良武任を除くべく暗殺を計画するも事前に発覚。
 窮地に陥った晴賢(当時の名は隆房)は軍事力を背景にクーデターを決行し、義隆を大寧寺に追い詰め自刃させた。

 以後、大内晴英(後に大内義長に改名)を大内家の当主として担ぎあげ実権を握った晴賢だったが、
 対外的には名君として通っていた義隆を除いたことで大逆人となり、明との貿易も停止させられてしまう。
(これにより銅銭の輸入が止まり、戦国の経済は通貨ではなく米を対価に用いる石高制へ以降したという。
 また南蛮貿易の隆盛の遠因ともなっている)
 また、性急すぎる改革が傘下の勢力の反発を生み、吉見正頼や毛利元就の裏切りを招いてしまった。

 毛利の裏切りに激怒した晴賢は3万とも5万とも称される大軍を率いて毛利討伐に向かうが、
 元就の策略により、死地である厳島へと誘引されてしまう。(これを諌める家臣もいたが、晴賢はこれを処断してしまった)
 厳島の戦いでは、毛利軍の奇襲による混乱に加え、村上水軍の包囲により退路も無くしてしまい、晴賢は敗北を悟って自刃した。
 実質的な支配者を失った大内家は外敵の侵略と内乱の末に滅亡した。

『大寧寺の変』については毛利家は非難する一方で、大友家の名将・立花道雪
「思慮を欠いた義隆が、道理を説いている陶隆房より、無道を企てた相良武任を贔屓した」結果であると述べている。
最終更新:2016年06月20日 21:11