イザムバード・ブリューネル

【元ネタ】史実・イギリス
【CLASS】ライダー
【マスター】
【真名】イザムバード・ブリューネル
【性別】男性
【身長・体重】詳細なし
【属性】中立・中庸
【ステータス】筋力D 耐久D 敏捷C 魔力A+ 幸運E 宝具B
【クラス別スキル】
騎乗:C
 自らの召喚する乗り物に対してのスキル。操縦技術ではない。
【固有スキル】
概念改良:B
 神秘を有するものには適用されない。
天賦の叡智:A
 肉体面での負荷(神性など)や英雄が独自に所有するものを除く多くのスキルを、A~Bランクの習熟度で発揮可能。
道具作成:EX(D相当)
 生前の業績が昇華したもので、魔術に関する道具は不可能。規模の大きな近代建造、製造に限り召喚に近いレベルで可能。

【宝具】
『大西洋横断幻想・蒸気船革命(グレート・ブリテン )』
ランク:B 種別:結界宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1000人
 結界宝具。生前、彼が建造した3隻の有名な大型蒸気船が青空の下、大西洋を行く。
 全てが丸ごとその場に召喚されたひとつの世界であり、無限の創造からくる超長大な規模の幻想である。 
 神秘の薄い近代の英霊が、神霊の与える領域に達することはまずないが、彼の場合、生前の偉大な業績と、無限の創造力からその領域に肉薄することを許されている。
 とはいえ、神造兵装に比べればあちこちで構成や強度に支障をきたしているため、若干対抗は容易。
 とはいえたいていは対界宝具などの有効な手段で対抗しない限り、相手はこの小世界に溺れさせられ、押し潰されることになる。
『テムズ・トンネル掘削用シールド(サー・マーク・ブルネル)』
ランク:C+ 種別:結界宝具 レンジ:なし 最大捕捉:なし 
 結界宝具。彼の父親がデザインしたトンネル工事用のシールドであり、遺産。
 それをそのまま召喚し、防御に使用する。この技術が打ち抜いてきた業績がそのまま防御力に転化されており、C以下の武器・遠距離武器を防ぎきる。水害に類するものには特に効果を発揮する。
 また本来の用途として使用すると、一瞬でどこにでもトンネルを出現させる。このトンネルは物理法則を無視して維持される。

【Weapon】
『グレート・ウェスタン鉄道』
 特別製のエンジンで高速で走る蒸気機関車。丘であろうと海の真ん中であろうと召喚され、敷設されたレールを駆けて相手を跳ね飛ばす。上下左右や空中も無視して召喚できる。レールの幅は彼が考案した広軌のもの。
 屋内での使用の場合、広々としたトンネルが一緒に召喚され、そこから出てくる場合がある。
 もちろん普通に乗車するなどして移動することも可能である。
『蒸気船グレート・ウェスタン』『グレート・ブリテン』『グレート・イースタン』
 水上という条件でのみ召喚できる。操艦して巨大な質量そのままに相手に突撃させる。
 これも移動手段に使うことが可能。

【解説】
 イザムバード・キングダム・ブルネル。又はアイザムバード。姓のブルネルをブリューネル。ブルネルは英語読み。
 イギリスのエンジニア、技術者。同じく技術者であったサー・マーク・イザムバード・ブルネルの息子。

 優秀なデザインの鉄道車両や鉄道施設などに贈呈されるブルネル賞は彼に由来。
 1806 年イギリスのポーツマス生まれ。ミドルネームは母親の苗字。イザムバードは彼の父親のミドルネームである。

 フランスで教育を受け、20歳で父親のテムズ川のトンネル工事に技師として加わった。ブルネルの父のマークはその主任技術者で、この5年前、ブルネルが15歳の時に多額の借金により、 債務者監獄に送られているが、翌年8月英国にとどまることの約束と引き換えに政府が借金を清算した。
 トンネル工事は非常に困難で危険を伴うものであったが、マークによりデザインされた独創的なトンネル掘削用のシールドが陥没から労働者を守った。しかし、それでも2回の激しい洪水により、長期間工事が停止され、数人の労働者が事故死し、若いブルネルも重傷を負った。
 その後ブルネルは父親のアイデアに基づく Gaz 実験を継続し、しかし、これを失敗と判断し1834 年以後は継続を中止する。

 また、こののちに携わったブリストルのクリフトン吊り橋のデザイン、これは組織委員会の代表トーマス・テルフォードとの争いにより、ようやく勝利し、採用されるものの、サー・チャールズ・ウェザレルがクリフトンに到着したことにより引き起きたクイーン広場の暴動により、建設が中止され、ブルネルが生きている間は再開されることはなかった(1862年再開、64年完成。ブルネルの死の5年後)。
 その後、ロイヤル・アルバート橋、ウィンザー鉄道橋、メイデンヘッド鉄道橋などのデザインを手掛ける。

 1833 年にグレート・ウェスタン鉄道の主任技術者に任命。 鉄道はロンドンからブリストルまで走り、後にはエクセターまで走った。
 開通する前の 1835 年にブルネルは輸送網を延長して、 船によってブリストルから大西洋を横断してニューヨークまで至ることを提案した。
 純粋に蒸気動力の船で、このように長い航海をすることが、 商用的に存続できるか否かに関して広く議論されたが、ブルネルはビューフォーの実験による証拠を適用し、更に理論を発展させ、この理論をテストするために、グレート・ウェスタン鉄道に無料奉仕することを申し入れたため、会社は彼を建造委員会に加え、最初の船グレート・ウェスタンのデザインを委託した。

 グレート・ウェスタンは1838年4月8日にブリストル、エイヴォンマスからニューヨークに向け処女航海に乗り出し、しかし、ブルネル自身はこの最初の横断に乗りそびれた。この船をロンドンで艤装した帰途で、船上火災があり、これで負傷したからであった。さらに火災により進水が数日遅れたため、グレート・ウェスタンは蒸気力のみで大西洋を横断した最初の船であることを主張する機会を逸した。
 とはいえ、結果的には競合するシリウスに比較して、グレート・ウェスタンは大西洋を15日と5時間で横断し、 船が目的地に到着した時に石炭はまだ1/3が残っており、ブルネルの計算が正しかったことが実証された。大西洋横断の蒸気船輸送が商業的に実行可能であることを、これにより示したのである。
 その後外輪駆動に対するスクリュー駆動の蒸気船アルキメデス、グレート・ブリテンを建造、このグレート・ブリテンは最初の現代的な船とみなされ、木ではなく金属で建造され、風やオールではなくエンジンにより駆動した。
 もっとも、大西洋を横断した最初の鉄の船体を持つスクリュー駆動の船となったこの船は1845年の8月と9月、リバプールからニューヨークまで実施された処女航海で、ダウン州のダンドラムで座礁。サルベージされてオーストラリア輸送に使用された。
 1852年、グレート・イースタンを建造。1854年、クリミア戦争における仮兵舎の建設に携わる。
 1859年に病死。53才没。ブルネルはヘビー・スモーカーであり、この発作によるものとされる。これはグレート・イースタンがニューヨークへの最初の航海をする直前のことであった。
最終更新:2020年03月22日 21:37