政宗は、壷装束で馬に乗った。己の手で馬を駆るような真似はせず、
従者に手綱を預け、傘を深く被って空を覆う木々を眺める。
ふわふわと、青い飾り紐と虫の垂れ衣が揺れた。青い紐は、佐助が織った紐だ。
なんでも器用にこなす忍びは、紐織りもうまい。
「……いいところだな」
幸村は頷き、山に分け入る。
あまり知られていない道だが、よく踏み分けられ、下草も刈られている。
草いきれが濃く香るから、刈られて間もないことがすぐに分かった。
佐助だな、と幸村は佐助を探した。無論、見つかるはずもない。
「その、ご自身で馬を駆られぬのですか」
「……はしたないだろ」
すげなく答え、政宗は顔を伏せる。
「はしたない、などと申されるな。武家に生まれた者は、馬を駆れば刀を持ちまする。
我が姉も、よく馬を駆っておりました」
「そうか」
馬に揺られる度に、虫の垂れ衣と紐が揺れて顔がちらちらと覗いた。
肌を焼く程の日差しではないが、政宗は頑なに取ろうとしない。
「政宗殿?」
「……少し、休みたい」
政宗は顔を従者に向けた。従者は馬を止め、政宗を下ろした。
ぱりぱりと枯れた草を踏み、政宗は虫の垂れ衣越しに木々を眺める。
紅葉狩とは言ったものの、紅葉にはまだ早い。ほんのわずか、調子が違うだけだ。
「その、笠をお取りになられてはいかがでしょう」
「――ああ、そうだな」
笠を取り、政宗は従者の引いた茣蓙の上に腰を下ろした。ぼんやりと木々を見上げる
様子を見て、やはりどこか悪いのではないかと思った。
「――は」
「は?」
「木犀は、もう終わったのか」
「屋敷には、ありませぬか」
「あるのか? 俺は知らないけど」
幸村とて、躑躅が崎の屋敷を熟知しているわけではないが、木犀は強い匂いがある。
そういえば、屋敷の中で嗅いだ覚えがない。
「あの匂い、好きなんだけど……もう、終わりか」
「それがし、探して参りましょう」
馬を駆ろうとする幸村を止め、政宗は薄く笑った。
儚く、消え入りそうな笑み。ちりちりと胸が痛む。
正室は優しいと言うし、他のご側室との間に不和は聞かない。なのになぜ、
政宗は幸せそうではないのだろう。
幸せなら、この痛みを忘れられるだろうに。
「Thanks。でも、いいよ。山の中は屋敷より早く咲いて早く散る。去年は見る暇が
なかったから、今年は見たかったんだが……諦めるよ」
政宗は顔を伏せる。さらりと髪が揺れた。
見事な髪だ。まだまだ短いが、その分よく揺れて綺麗だと思う。
髪の揺れる様子を眺めていると、政宗が顔を上げた。ばれた、と思わず顔をそらす。
「鬱陶しいな……。幸村、悪い。これで髪を結ってくれ」
女中の類は連れてきていない。政宗は懐から紐と櫛をを取り出し、幸村に渡した。
従者が動こうとするが、政宗は目で制する。
紐と櫛を受け取り、幸村は政宗の背に回った。
ゆっくりと髪に触れる。それだけで心の臓が跳ねた。手を取るより緊張する。
「その……それがし、不調法者にて、うまく結うことができませぬので」
「いいよ。動かなかったら、それでいい」
櫛で丁寧に髪を梳く。何度も梳いたが、髪は櫛に絡まない。
見事な髪だ。こんな風に綺麗に伸ばそうと思ったら大変だろう。
うなじの辺りで束ね、紐で括った。何か結び方があるのかもしれないが、
幸村はよく知らない。ただの蝶結びだ。
生成り地に、青い線の入った紐。竜の鱗を思わせる模様。
上田では、紐を「編む」のではなく「織る」。そのため、他の紐とは違う風合いが出る。
だから、すぐに分かってしまう。
「……お使い頂き、有難き幸せ」
「お前の持ってくる紐、丈夫だし、伸びないからな。便利だから、またくれよ」
政宗の首に、指が触れた。
「――――!」
思わず飛びのいた。
政宗はゆっくりと振り向く。髪が揺れ、紐が髪に絡まってすぐに解けた。
「What?」
幸村はゆっくりと息を吐き出した。また新たな息を吸い込む。政宗の焚き染めた香を嗅ぐ。
甘い匂い。これはなんだ。
くらくらする。
「なんでも……ござらぬ。その、虫が」
「虫? どこに?」
「その、逃げ申した」
政宗は不思議そうな顔をした。笠を被りなおし、奥に入る。
「まさ――」
幸村はぐっと奥歯を噛んだ。もう名前を呼んでいい相手ではないのだ。
「伊達殿!」
夫人とは呼べなかった。
まだ認めたくないという思いが勝ってしまう。
従者に手綱を預け、傘を深く被って空を覆う木々を眺める。
ふわふわと、青い飾り紐と虫の垂れ衣が揺れた。青い紐は、佐助が織った紐だ。
なんでも器用にこなす忍びは、紐織りもうまい。
「……いいところだな」
幸村は頷き、山に分け入る。
あまり知られていない道だが、よく踏み分けられ、下草も刈られている。
草いきれが濃く香るから、刈られて間もないことがすぐに分かった。
佐助だな、と幸村は佐助を探した。無論、見つかるはずもない。
「その、ご自身で馬を駆られぬのですか」
「……はしたないだろ」
すげなく答え、政宗は顔を伏せる。
「はしたない、などと申されるな。武家に生まれた者は、馬を駆れば刀を持ちまする。
我が姉も、よく馬を駆っておりました」
「そうか」
馬に揺られる度に、虫の垂れ衣と紐が揺れて顔がちらちらと覗いた。
肌を焼く程の日差しではないが、政宗は頑なに取ろうとしない。
「政宗殿?」
「……少し、休みたい」
政宗は顔を従者に向けた。従者は馬を止め、政宗を下ろした。
ぱりぱりと枯れた草を踏み、政宗は虫の垂れ衣越しに木々を眺める。
紅葉狩とは言ったものの、紅葉にはまだ早い。ほんのわずか、調子が違うだけだ。
「その、笠をお取りになられてはいかがでしょう」
「――ああ、そうだな」
笠を取り、政宗は従者の引いた茣蓙の上に腰を下ろした。ぼんやりと木々を見上げる
様子を見て、やはりどこか悪いのではないかと思った。
「――は」
「は?」
「木犀は、もう終わったのか」
「屋敷には、ありませぬか」
「あるのか? 俺は知らないけど」
幸村とて、躑躅が崎の屋敷を熟知しているわけではないが、木犀は強い匂いがある。
そういえば、屋敷の中で嗅いだ覚えがない。
「あの匂い、好きなんだけど……もう、終わりか」
「それがし、探して参りましょう」
馬を駆ろうとする幸村を止め、政宗は薄く笑った。
儚く、消え入りそうな笑み。ちりちりと胸が痛む。
正室は優しいと言うし、他のご側室との間に不和は聞かない。なのになぜ、
政宗は幸せそうではないのだろう。
幸せなら、この痛みを忘れられるだろうに。
「Thanks。でも、いいよ。山の中は屋敷より早く咲いて早く散る。去年は見る暇が
なかったから、今年は見たかったんだが……諦めるよ」
政宗は顔を伏せる。さらりと髪が揺れた。
見事な髪だ。まだまだ短いが、その分よく揺れて綺麗だと思う。
髪の揺れる様子を眺めていると、政宗が顔を上げた。ばれた、と思わず顔をそらす。
「鬱陶しいな……。幸村、悪い。これで髪を結ってくれ」
女中の類は連れてきていない。政宗は懐から紐と櫛をを取り出し、幸村に渡した。
従者が動こうとするが、政宗は目で制する。
紐と櫛を受け取り、幸村は政宗の背に回った。
ゆっくりと髪に触れる。それだけで心の臓が跳ねた。手を取るより緊張する。
「その……それがし、不調法者にて、うまく結うことができませぬので」
「いいよ。動かなかったら、それでいい」
櫛で丁寧に髪を梳く。何度も梳いたが、髪は櫛に絡まない。
見事な髪だ。こんな風に綺麗に伸ばそうと思ったら大変だろう。
うなじの辺りで束ね、紐で括った。何か結び方があるのかもしれないが、
幸村はよく知らない。ただの蝶結びだ。
生成り地に、青い線の入った紐。竜の鱗を思わせる模様。
上田では、紐を「編む」のではなく「織る」。そのため、他の紐とは違う風合いが出る。
だから、すぐに分かってしまう。
「……お使い頂き、有難き幸せ」
「お前の持ってくる紐、丈夫だし、伸びないからな。便利だから、またくれよ」
政宗の首に、指が触れた。
「――――!」
思わず飛びのいた。
政宗はゆっくりと振り向く。髪が揺れ、紐が髪に絡まってすぐに解けた。
「What?」
幸村はゆっくりと息を吐き出した。また新たな息を吸い込む。政宗の焚き染めた香を嗅ぐ。
甘い匂い。これはなんだ。
くらくらする。
「なんでも……ござらぬ。その、虫が」
「虫? どこに?」
「その、逃げ申した」
政宗は不思議そうな顔をした。笠を被りなおし、奥に入る。
「まさ――」
幸村はぐっと奥歯を噛んだ。もう名前を呼んでいい相手ではないのだ。
「伊達殿!」
夫人とは呼べなかった。
まだ認めたくないという思いが勝ってしまう。




