「わーるい。ちょっと用事」
「よ、用事!?」
こんな山に、一体なんの用事が。問おうとして、ふと、気づいた。
「その、お、お早く……」
政宗はひらひらと手を振り、どんどん奥に進んでいく。ついていこうとする従者を止めた。
「厠だ」
「あ」
従者は間の抜けた声を上げるとくるりときびすを返し、馬の元に戻った。
政宗の姿が見えなくなると、幸村は後ろを向いた。愛馬の首に顔を寄せた。
お館様より賜った馬だ。よく走り、戦場でも怯まない。この馬を駆って、
何度も奥州に入った。
「残月、今日は随分とおとなしいな」
今日の愛馬はおとなしい。幸村が乗ると走ろうと急かすが、今日は政宗の乗る馬に合わせる様に
ゆっくりと歩んだ。
「……お前も、分かるか」
馬はゆるゆると首を振る。鬣が幸村をくすぐり、幸村は小さく笑った。
馬に草を食ませ、ふと政宗が消えた方向を見る。
遅い。
腹の調子でも悪いのだろうか。
「佐助」
名を呼ぶと、ざっと枝が揺れ、忍びが姿を現した。
「伊達夫人なら、用をすませるとさっさと上っちゃったよ」
「上った?」
幸村は残月を従者に預け、草の中に入った。政宗の辿った道を探す。
ほんの僅かな跡を見つけ、少しずつ辿っていく。しかし、小さな川に出るとそこで跡が途絶えた。
「政宗殿!」
名を呼ぶ声がこだまするが、返事はない。
ちろちろと川が流れている。上った、という佐助の報告を信じて川に沿って山を登るが、
すぐに壷装束では登れそうもない岩に辿り着く。
政宗はその岩の下で困ったように見上げていた。
「政宗殿!」
幸村が呼ぶと、政宗は振り向いた。ばつの悪そうな顔をしているのが、
垂れ衣越しでも分かった。駆け寄って肩を掴む。
「何故、お一人で行かれたのですか! 御身に何かあったのではないかと……」
「悪い。……木犀の、匂いがしたから」
「木犀?」
甘い匂いを嗅ぐ。顔を上げて匂いの元を探す。
「あそこだ。この岩を避けて進めればいいんだけど……ほら、こんな格好だし」
政宗は背を向け、白い指を持ち上げて指をさす。その先に白い花をつけた木犀があった。
小さな花だが、ぷんと甘い匂いを漂わせている。秋の匂いだ、と幸村は目を細めた。
「まだ、残っていたのか……」
「……いい匂いだ。見られただけで満足だよ」
政宗は笠を取った。軽く頭を振り、髪を抑えた。
白い首が見えた。髪と襟で影が作られ、白い肌がより白く見える。
この肌を、信玄は撫でて嬲るのだ。跡を刻み付けて、女にしていく。
「政宗殿……戻りましょう。従者が心配しております」
肩に手を置いた。
「……若い紅葉の褥に、木犀の香。これ以上、風流な閨はないな」
「政宗殿」
「どうする。真田幸村」
政宗の声が、不遜な響きを持つ。――かつて、奥州の独眼竜と呼ばれていた頃のように。
「お館様は、お前と俺がどうなっても構わないって思ってるみたいだぜ?」
「政宗……」
「俺に必要なのは「伊達と武田の名を持つ子供」だ。父親は、正直誰だろうと構わない。
――さあ、どうする?」
振り向く政宗の顔には、不敵な笑みが浮かべられている。
幸村は首を振った。
たとえどんなに思いを募らせても、その領域に踏み込んではいけない。
この体を抱きしめてはいけない。
「あなたの夫は、それがしではありませぬ」
「……HA、ただのjokeだよ。――もう、俺は満足した。屋敷に戻りたい」
政宗は茂みに入っていく。元の道を探しながら、幸村を振り返ろうともせずに進む。
抱きしめたい。口付けたい。肌に溺れたい。
けれど、それをしてはいけない。何もかもが不幸になるだけだ。
ただ、時々顔を合わせればいい。政宗が子を産み、その子を傍で見るだけでいい。
――そのはずだ。
「よ、用事!?」
こんな山に、一体なんの用事が。問おうとして、ふと、気づいた。
「その、お、お早く……」
政宗はひらひらと手を振り、どんどん奥に進んでいく。ついていこうとする従者を止めた。
「厠だ」
「あ」
従者は間の抜けた声を上げるとくるりときびすを返し、馬の元に戻った。
政宗の姿が見えなくなると、幸村は後ろを向いた。愛馬の首に顔を寄せた。
お館様より賜った馬だ。よく走り、戦場でも怯まない。この馬を駆って、
何度も奥州に入った。
「残月、今日は随分とおとなしいな」
今日の愛馬はおとなしい。幸村が乗ると走ろうと急かすが、今日は政宗の乗る馬に合わせる様に
ゆっくりと歩んだ。
「……お前も、分かるか」
馬はゆるゆると首を振る。鬣が幸村をくすぐり、幸村は小さく笑った。
馬に草を食ませ、ふと政宗が消えた方向を見る。
遅い。
腹の調子でも悪いのだろうか。
「佐助」
名を呼ぶと、ざっと枝が揺れ、忍びが姿を現した。
「伊達夫人なら、用をすませるとさっさと上っちゃったよ」
「上った?」
幸村は残月を従者に預け、草の中に入った。政宗の辿った道を探す。
ほんの僅かな跡を見つけ、少しずつ辿っていく。しかし、小さな川に出るとそこで跡が途絶えた。
「政宗殿!」
名を呼ぶ声がこだまするが、返事はない。
ちろちろと川が流れている。上った、という佐助の報告を信じて川に沿って山を登るが、
すぐに壷装束では登れそうもない岩に辿り着く。
政宗はその岩の下で困ったように見上げていた。
「政宗殿!」
幸村が呼ぶと、政宗は振り向いた。ばつの悪そうな顔をしているのが、
垂れ衣越しでも分かった。駆け寄って肩を掴む。
「何故、お一人で行かれたのですか! 御身に何かあったのではないかと……」
「悪い。……木犀の、匂いがしたから」
「木犀?」
甘い匂いを嗅ぐ。顔を上げて匂いの元を探す。
「あそこだ。この岩を避けて進めればいいんだけど……ほら、こんな格好だし」
政宗は背を向け、白い指を持ち上げて指をさす。その先に白い花をつけた木犀があった。
小さな花だが、ぷんと甘い匂いを漂わせている。秋の匂いだ、と幸村は目を細めた。
「まだ、残っていたのか……」
「……いい匂いだ。見られただけで満足だよ」
政宗は笠を取った。軽く頭を振り、髪を抑えた。
白い首が見えた。髪と襟で影が作られ、白い肌がより白く見える。
この肌を、信玄は撫でて嬲るのだ。跡を刻み付けて、女にしていく。
「政宗殿……戻りましょう。従者が心配しております」
肩に手を置いた。
「……若い紅葉の褥に、木犀の香。これ以上、風流な閨はないな」
「政宗殿」
「どうする。真田幸村」
政宗の声が、不遜な響きを持つ。――かつて、奥州の独眼竜と呼ばれていた頃のように。
「お館様は、お前と俺がどうなっても構わないって思ってるみたいだぜ?」
「政宗……」
「俺に必要なのは「伊達と武田の名を持つ子供」だ。父親は、正直誰だろうと構わない。
――さあ、どうする?」
振り向く政宗の顔には、不敵な笑みが浮かべられている。
幸村は首を振った。
たとえどんなに思いを募らせても、その領域に踏み込んではいけない。
この体を抱きしめてはいけない。
「あなたの夫は、それがしではありませぬ」
「……HA、ただのjokeだよ。――もう、俺は満足した。屋敷に戻りたい」
政宗は茂みに入っていく。元の道を探しながら、幸村を振り返ろうともせずに進む。
抱きしめたい。口付けたい。肌に溺れたい。
けれど、それをしてはいけない。何もかもが不幸になるだけだ。
ただ、時々顔を合わせればいい。政宗が子を産み、その子を傍で見るだけでいい。
――そのはずだ。




