佐助は信玄を見た。
信玄は茶色い髪を手に取り、慈しむように撫でた。何を思っているのだろう。
「儂はのう、佐助」
「は」
「誰も苦しまぬ道を探した。儂も、そちも、幸村も――伊達も」
髪を三方に置く。ぱさ、と乾いた音がした。
「だが、それが間違いであったのか?」
「……欲張りですよ。みんなが幸せに、なんて。虫が良すぎます」
「結局、皆が苦しんでおるのう」
深いため息をつき、庭に目をやる。佐助も庭に目をやった。
麗らかな日差しだ。甲斐も上田も過ごしやすい時期に入る。桜も咲く。鳥も飛ぶ。
「――む」
ちぃちぃと鳥が啼いた。つがいの鳥が庭に下り、地面を啄ばんでいる。
雄鳥に雌鳥がついていく様子が微笑ましい。
「亡き跡を弔い給われば、怨みを捨てて千代のお守りとなるべし」
信玄は低くつぶやき、目を伏せた。
「能の、「恋重荷」の一節じゃ。身分違いの恋をした老人は、絶望して亡くなり、
最後には恋した相手の守り神となる」
「はぁ。そりゃまた……すごいですね」
自分だったごめんだなぁ、と佐助は思った。
身分の違う相手に思われた挙句、守り神になられてしまうのか。
「人の想いとはの、そういうものなのやもしれん。「恋重荷」の重荷とは、
思いの深さよ。思いが深ければ、恨むことすら忘れて神となる」
信玄は腕を組んだ。ふむぅ、と唸る。
「佐助。追手は出さずともよい。伊達は病で亡くなり、幸村は戦死いたした。
かように記録いたせ」
近習が頭を下げる。ふわりと袖を泳がせて近習は立ち去った。
「……追わないんですか?」
「詮無いことよ」
風が吹いた。甘い匂いを含んでいる。もう春だ。
越後が攻めてくるという情報が入っている。準備をせねばならない。幸村のいない今、
信玄は誰に先陣を任せるのだろう。
佐助は、忍びはどう動けばいいのだろう。幸村を援護したように、
先陣を援護すればいいのだろうか。それとも、誰かを暗殺すればいいのだろうか。
いや、一度里に帰るべきだろう。幸村との契約は途絶えてしまった。
上田は新たな武田の家臣が入るだろう。奥州は、片倉小十郎辺りが正式に奥州を治めることになるだろう。
幸村と政宗がいなくても、甲斐と奥州は動く。栄えようとする。
それがとても悲しかった。
信玄は茶色い髪を手に取り、慈しむように撫でた。何を思っているのだろう。
「儂はのう、佐助」
「は」
「誰も苦しまぬ道を探した。儂も、そちも、幸村も――伊達も」
髪を三方に置く。ぱさ、と乾いた音がした。
「だが、それが間違いであったのか?」
「……欲張りですよ。みんなが幸せに、なんて。虫が良すぎます」
「結局、皆が苦しんでおるのう」
深いため息をつき、庭に目をやる。佐助も庭に目をやった。
麗らかな日差しだ。甲斐も上田も過ごしやすい時期に入る。桜も咲く。鳥も飛ぶ。
「――む」
ちぃちぃと鳥が啼いた。つがいの鳥が庭に下り、地面を啄ばんでいる。
雄鳥に雌鳥がついていく様子が微笑ましい。
「亡き跡を弔い給われば、怨みを捨てて千代のお守りとなるべし」
信玄は低くつぶやき、目を伏せた。
「能の、「恋重荷」の一節じゃ。身分違いの恋をした老人は、絶望して亡くなり、
最後には恋した相手の守り神となる」
「はぁ。そりゃまた……すごいですね」
自分だったごめんだなぁ、と佐助は思った。
身分の違う相手に思われた挙句、守り神になられてしまうのか。
「人の想いとはの、そういうものなのやもしれん。「恋重荷」の重荷とは、
思いの深さよ。思いが深ければ、恨むことすら忘れて神となる」
信玄は腕を組んだ。ふむぅ、と唸る。
「佐助。追手は出さずともよい。伊達は病で亡くなり、幸村は戦死いたした。
かように記録いたせ」
近習が頭を下げる。ふわりと袖を泳がせて近習は立ち去った。
「……追わないんですか?」
「詮無いことよ」
風が吹いた。甘い匂いを含んでいる。もう春だ。
越後が攻めてくるという情報が入っている。準備をせねばならない。幸村のいない今、
信玄は誰に先陣を任せるのだろう。
佐助は、忍びはどう動けばいいのだろう。幸村を援護したように、
先陣を援護すればいいのだろうか。それとも、誰かを暗殺すればいいのだろうか。
いや、一度里に帰るべきだろう。幸村との契約は途絶えてしまった。
上田は新たな武田の家臣が入るだろう。奥州は、片倉小十郎辺りが正式に奥州を治めることになるだろう。
幸村と政宗がいなくても、甲斐と奥州は動く。栄えようとする。
それがとても悲しかった。
鳥が飛んだ。高く啼く声。酷く悲しい声に聞こえた。
<了>
補足。
木犀:ギンモクセイのこと。キンモクセイは江戸時代以降に入ってきたらしい。
恋重荷:世阿弥作の能。
白川院の女御に恋をした山科の荘司は、女御の臣下に
「荷物を持って百回、千回と庭を回ったら女御の姿を見てもいい」と言われて荷物を持つが持ち上がらない。
荘司は絶望して、恨み言を吐いて死ぬ。
不憫に思った臣下は荘司の死体を見て欲しい、と女御に言う。
女御は荘司を見て情けある言葉をかけるが、動けなくなってしまう。
荘司は怨霊になって恨み言を吐くが、やがて恨みを消し、自分を弔ってくれれば守り神になるという。
概要はこんな感じ。
木犀:ギンモクセイのこと。キンモクセイは江戸時代以降に入ってきたらしい。
恋重荷:世阿弥作の能。
白川院の女御に恋をした山科の荘司は、女御の臣下に
「荷物を持って百回、千回と庭を回ったら女御の姿を見てもいい」と言われて荷物を持つが持ち上がらない。
荘司は絶望して、恨み言を吐いて死ぬ。
不憫に思った臣下は荘司の死体を見て欲しい、と女御に言う。
女御は荘司を見て情けある言葉をかけるが、動けなくなってしまう。
荘司は怨霊になって恨み言を吐くが、やがて恨みを消し、自分を弔ってくれれば守り神になるという。
概要はこんな感じ。




